(原本では7ページにある目次を、このテキストデータのファイルでは最初に配置しています。) もくじ ※アイキャッチについて 各ブロックごとに形の異なるマークを配しています。その中にページ番号を記しています。 はじめに/小寺洋一 自分の見え方見えにくさを知ろう ~イラスト編~(1ページ) 表紙説明(5ページ) 本書のご活用について(6ページ) 第1章 人と情報につながることからはじまる一歩へ(アイキャッチは丸型です) 歩行 勇気を出して踏み出せば 小さな歩行訓練士(12ページ) コツコツ(14ページ) 見え隠れする親友(15ページ) 私の工夫 一人でお出かけ(16ページ) 私の工夫 ガイドさんとお出かけ(18ページ) 制度 情報 活用しよう サービス 支援機器 彼のためにスクラム(20ページ) 6に捧ぐ(22ページ) やもーだの小言(24ページ) 広げよう!新たな制度で安心の通勤(27ページ) 私の工夫 パソコン(29ページ) 情報あれこれ(30ページ) 私の見え方紹介カード(33ページ) 【カラフル】語る人いろいろ(36ページ) 第2章 自分の見え方・見えにくさを知ろう(アイキャッチは四角です) 読み書き 見え方・見えにくさ体験 仕事あるある川柳(38ページ) 読み速度体験 弱視あるあるを共有する(44ページ) 読み速度体験 ベル(46ページ) 読み速度体験 夜遊び(47ページ) 読み速度体験 ひとすみの雪かき(48ページ) 私の工夫 読むこと・書くこと(50ページ) 第3章 どうにかこうにか奮闘中(アイキャッチはひし型です) 工夫 楽しく暮らしたい 触れる 聴く 味わう 匂う 感じ方いろいろ 弱視あるある 引っ越し編(56ページ) 小革命(58ページ) 一人だけど 独りぼっちじゃない(59ページ) ゆっくりじっくり(61ページ) 私の工夫 お金の区別(63ページ) 私の工夫 食事(65ページ) 私の工夫 家事(68ページ) 私の工夫 ヘルスケア(76ページ) 家族 絆のある風景 いざその状況になってみて(77ページ) 息子との1年間をふり返って(79ページ) まだまだ負けへんよ(81ページ) 私の工夫 子育て(83ページ) 私の工夫 介護(84ページ) 第4章 自分らしさを求めて(アイキャッチは花型です) ENJOY おしゃれ・趣味・スポーツ・レジャー 人生、こんなタン・タン・タンな展開が待っていようとは…(86ページ) Moonlight Hourglass(月明かりの砂時計)(88ページ) 歌声も色とりどり(90ページ) 思い出の一ページ ~妻と私のウクレレ体験~(91ページ) 自分主催!わくドキ初ライブ!!(93ページ) 私の工夫 リクリエーション(95ページ) 私の工夫 美容(97ページ) 私の工夫 おしゃれ(99ページ) 第5章 心の風景、素顔のままで語らせて(アイキャッチはハート型です) 自己受容 心に鏡を置いてみた、すると 障害は不便であり、そしてまあまあ不幸でもある、これ、私の場合(102ページ) 緑の香りのなかで(104ページ) Vivid(105ページ) 障害は不便で不幸やで(106ページ) 鏡と私のFace to Face(108ページ) 十色の研究(110ページ) 【おまけ】音楽のカードで作ったイメージソング(114ページ) 特別寄稿 響きあい応援団(アイキャッチは六角形です) 特別寄稿 ロービジョンケアの相棒/稲葉純子(116ページ) 特別寄稿 暗闇を照らすカラフルな光/守田 稔(118ページ) おわりに ~強い光と深い影~/石川佳子 推薦の辞(裏表紙) もくじ、終わり。 == (表紙) 見えない地球の暮らし方 2 見えない・見えにくい人のリアルな日常レポート集 メルマガ色鉛筆チーム 編著 表紙説明  表紙全体の背景色は深い緑色、書名の文字は白です。タイトルの中の「2」は地球のイラストに深い緑色の「2」が重なっています。上5分の2にロゴと文字、その下5分の3にイラストがあります。  左上に色鉛筆の切手の形のロゴがあります。ロゴの説明をします。正方形の切手型、縁取りは切手のぎざぎざになっていて、その部分は水色です。白背景に「メルマガ色鉛筆」の文字があり、「色鉛筆」の文字の中に鉛筆型のオレンジ色のキャラクターがデザインされています。  表紙の一番上、左角にロゴ、その右に「見えない地球の暮らし方 2」と左寄せで書かれています。切手の下行にサブタイトル「見えない・見えにくい人のリアルな日常レポート集」、その下行に「メルマガ色鉛筆チーム編著」と中央揃えで書かれています。  イラストは横長のスケッチブックの白いページと人の手、色鉛筆2本です。スケッチブックはやや右下がりに配され、上に閉じリングがあります。右上から左下へ向かって裾広がりに3本の淡いブルーの流れるような線が描かれています。その上に色とりどり、大きさや形もさまざまな葉っぱが色鉛筆で描かれています。葉っぱは線描きだったり、色を塗りこんであったりします。スケッチブックの下部分の左右に手のひらが上を向いた状態で両手が添えられています。葉っぱはスケッチブックの上だけでなく、スケッチブックから飛び出していたり、手の上に乗っていたりします。スケッチブックの左側面からスケッチブックの上に緑と黄緑の色鉛筆がそれぞれ1本ずつ芯を上にして斜めに添えられています。  風に吹かれて飛んできた葉っぱが白いページの上に舞い降りています。さらに、スケッチブックから飛び出していく、手のひらに舞い降りてくる、手のひらから飛び出していくかのようです。色鉛筆で語る人、聴く人、送る人、受け取る人をイメージしてデザインしました。 (中表紙) 見えない地球の暮らし方 2 見えない・見えにくい人のリアルな日常レポート集 メルマガ色鉛筆チーム 編著 この本に多くのみなさんが賛同し寄付をしてくださいました。そうして集まった資金によりこの本は誕生しました。 はじめに  「見えない・見えにくい」について当事者の声を届けるメールマガジン「色鉛筆」が、今年10周年を迎えます。私達、当事者の実際の暮らし方や思いが十人十色の色合いで10年間、綴られてきました。そこから生まれた本、「見えない地球の暮らし方」の第2巻をお届けします。  見えないってどんなだろう…予想をすれば先には暗雲が立ちこめ、心が鉛のように重く硬く冷たくなります。そうなったけど、そんな予想に何本、何十本もの色鉛筆で描いて描いて描きつづけた私達の本です。読み進めて、見えない・見えにくい地球は果たしてどんな色なのかを、ぜひとも知ってください。 2023年春 メルマガ色鉛筆編集チーム 小寺洋一 小寺さんのお名前の横には、赤いハートのついた黄色い鉛筆のイラストが添えられています。鉛筆の側面には「協力ありがとう」とあります。 == (1ページ) どれが見やすい・見えにくい? うさぎさんがいっぱい (絵の説明) 縦3×横2の6枚の絵があります。 左上 立っている白いうさぎのシルエット 背景色はベージュ 左中 立っている白いうさぎのシルエット 輪郭線は黒 背景色はベージュ 左下 立っている白いうさぎのシルエット 背景色は赤 右上 飛び跳ねているピンクのうさぎのシルエット 背景色は薄い水色 右中 飛び跳ねているピンクのうさぎのシルエット 背景色は青色 右下 飛び跳ねているピンクのうさぎのシルエット 背景色は紺色 (2ページ) ゆっくりさがそう 左から、上から、ゆっくり視野を移動させて探してみよう。 体験1 イラストしりとり 「えんぴつ」からはじまり、最後は「○○○ン」でゴール、5つの言葉がつながるよ。 答えはこのページの一番下にあります。本を上下さかさまにすると、答えの文字が読めます。 体験2 うさぎさんとかくれんぼ 10匹のうさぎさんがいます。探してみよう。 (絵の説明) しりとりに出てくるイラストと、ピンクのうさぎ10匹のシルエットがちりばめられています。 体験1のこたえ  えんぴつ つみき きんぎょ ぎょうざ ざぶとん (3ページ) ゆっくりさがそう 左から、上から、ゆっくり視野を移動させて探してみよう。 体験1 イラストしりとり 「えんぴつ」からはじまり、最後は「○○○ン」でゴール、5つの言葉がつながるよ。 答えはこのページの一番下にあります。本を上下さかさまにすると、答えの文字が読めます。 体験2 ハートがいっぱい 10個のハートがあるよ。探してみよう。 (絵の説明) しりとりに出てくるイラストと、10色のハートがちりばめられています。 体験1のこたえ  えんぴつ つき キス すいか カーテン (4ページ) 目薬のさし方 げんこつ法 1.手をせっけんと流水でよく洗います。 2.げんこつ法で点眼。キャップを外し、点眼容器を持ちます。   もう片方の手でげんこつを作ります。げんこつを下まぶたにあて、軽く下にひきます。げんこつに点眼容器を持つ手をのせ、1滴を確実に点眼します。医師または薬剤師の指示がある場合はそれに従ってください。このとき、容器の先がまぶたやまつ毛、目に触れないように注意しましょう。 3.点眼後はまばたきをせず、まぶたを閉じ、あふれた液を清潔なガーゼやティッシュで軽くふき取ってください。 4.そのまましばらく(1~5分)まぶたを閉じるか、涙嚢部(るいのうぶ:目頭のやや鼻より)を指先で軽く押さえます。   ※手術後は傷口に触れることもあるので、涙嚢部を押さえるのではなく、まぶたを閉じるだけにしましょう。 1.の項目の蛍光ペンの色は「薄い黄色」(「よく洗います」の部分) 2.の項目の蛍光ペンの色は「薄いピンク色」(「げんこつを下まぶたにあて、軽く下にひきます。」の部分) 3.の項目の蛍光ペンの色は「薄い緑色」(「まばたきをせず、まぶたを閉じ、」の部分) 4.の項目の蛍光ペンの色は「薄い水色」(まぶたを閉じるだけにしましょう。」の部分) == (5ページ) 表紙説明(テキストデータでは、表紙の入っている箇所で説明しています。) (6ページ) 本書のご活用について  本書は、さまざまな見え方、見えにくさ、読みやすさ、読みにくさを体験していただけるよう、多様な文字デザイン、サイズ、行間で作成しています。また、数字も半角、全角が混じっています。同じ文言でもひらがなであったり漢字であったりします。  行を見失わないよう、ものさしなどを行の下に置いて読んでみましょう。読むための工夫やアイデアも第2章に掲載していますので、ご参照ください。  メルマガ色鉛筆のホームページにて、本書のテキストデータを公開しています。また、テキストデータを収録したCDをご希望の方は京都府視覚障害者協会までご連絡ください。  紙の本、データで、拡大で、音声読み上げで、見える人と一緒になど、本書を見え方、読み方体験の素材としてご活用いただければ何よりです。 医療関係者の皆様へ   本書はクイックロービジョンケアをテーマに作成しました。見えない・見えにくい中でのちょっとした工夫やアイデア、体験談、さまざまな見る・読む素材を掲載しています。ロービジョンケアのヒントに、患者さんへのちょっとしたお声かけのヒントにご活用いただければ何よりです。必要とされる方へ書籍配布のご協力をどうかよろしくお願いします。 福祉関係者・教育関係者の皆様へ  相談やご支援のさまざまな場面で、行政や他機関との連携の中でなど、皆様の取り組みの中で必要とされる方へ配布のご協力をどうかよろしくお願いします。視覚に困難を感じておられるご本人だけでなく、そのご家族、まわりの方へもご活用いただけると何よりです。  お問い合わせ先:京都府視覚障害者協会事務所 電話 075-462-2414  メールアドレス・ホームページURLは、裏表紙のQRコードをご活用ください。 == (11ページ) 第1章の扉 第1章  人と情報につながることからはじまる一歩へ(アイキャッチは丸型です) 歩行 勇気を出して踏み出せば 制度 情報 活用しよう サービス 支援機器 (12ページ、13ページ 白黒反転) 歩行 勇気を出して踏み出せば 小さな歩行訓練士 ペンネーム/ホットブラウン(50代 男性 全盲)  視力が低下した私は、休職し復職に向けて訓練に取り組んだ。通勤経路の歩行訓練を受け、後日、1人でその自主練習をすることにした。そんなときに出会ったあなたは、小さな歩行訓練士みたいだったね。私がもらったのは、小さくない勇気、そして心のぬくもり。  リハビリセンターでしっかりと歩行訓練ができたこと、とても感謝している。杖の持ち方、振り方から学び、えんせきなどに杖を軽く当てて進む伝え歩きを何度も何度も繰り返した。少しずつ街に出ての訓練が始まる。これはプロ野球でいえばキャンプかな。電車に乗ったりするのがオープン戦だろうか。そんな復職を目指して懸命に取り組んでいた頃の、嬉しい出会いのエピソードがある。  1年半に渡ったリハビリ期間も終盤の3月、復職に向けて、通勤経路の歩行訓練を受け終えた。そんなある日の昼下がり、通勤経路の一部、駅から職場への路で、自主練習をすることにした。見えている人なら10分足らずの道のりだが、駅前の信号は音声信号ではないし、静かな住宅街のため、目印や手がかりが少ない路だ。教わった歩行訓練士さんから合格をもらったものの、ちゃんと行けるか不安は尽きない。案の定、駅前ロータリーで、いきなり立往生した。  その時だ。  「大丈夫ですか?」  背中の方から、いや、腰の方から、女の子の可愛い声がした。  「点字ブロックは、右側にあります」  「信号、まだ赤です」 などと教えてくれる彼女に、お礼を言いながら信号を渡る。何歳くらいだろうか? 私、身長160センチとコンパクト設計の私よりも随分小さいぞ。  信号を渡り終えてからも、女の子も同じ方向へ行くようだ。安全に通えるよう、自分一人で歩けるように練習中なんだよと告げて、ゆっくり進む。次の小さな横断歩道は無事クリア。右折して銀行の前を進んでいく。よしよし。少し余裕のあるところでお話する。女の子は4月から4年生になるそうだ。学校には電車で通っているという。超スローの私のテンポに併せて、ゆっくり歩いてくれている。  路地に入り、小学校の横を通る。グラウンドからはボールを蹴る音と、元気な声が響く。ここまできたらもう少しだ。  しかし、住宅街で、またまた立往生しそうになる。すると、「もう少し左です」との声。ここは一声必要という場面だけ、声をかけてくれる。先回りしないで、私が迷った時だけに絶妙な頃合いで一声くれる。観察力、洞察力が豊かなのだろう。そして、寄り添う優しい心もあるから、自然にできるのだろう。まるで歩行訓練士に指導してもらっているようだ。  時間があるからと、女の子は職場まで付き合ってくれるという。坂道にさしかかった。そこの角を曲がればあと少しだ。背中を押すように春の風がそよぐ。小鳥のさえずりも応援に聞こえる。職場にたどり着き、女の子と笑い合った。  「おはようございます」  そんな彼女が、今では高校生だ。時々ばったり遇うことがある。遇うと、体育祭で自分のチームが勝ったことや、カルタ部がとても楽しいことなど話してくれる。あの時、応援してくれたこと、ずっと忘れないだろうな。そして、おじさんはあなたの今が、未来がハッピーであるように応援しているよ。あなたがくれた小さくない勇気と心のぬくもりとともに。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ15pt 行間9pt 字間-25) (14ページ 白黒反転) 歩行 勇気を出して踏み出せば コツコツ ペンネーム/まじめな桃色(50代 女性 弱視)  私の好きな場所の一つがデパート。何も買わなくても行くだけで豊かな気持ちになる場所。そんなデパートの中に入っている靴のブランド店をのぞくと、色とりどりの洗練された靴たちが「私 すてきでしょ」とウインクしながらポーズをキメてこっちを見ている。その靴の中でもハイヒールがいかに多いか。「ああ、こんなの履いてみたいなあ。わあこれもすてき」なんて思いながらそっと手に取る私。でも、すぐに思いなおす。こんなの履いて歩けないなあ。階段怖いしだいぶ前かがみだし、こういう靴はさっそうと歩けないときれいじゃないし。  コツコツというハイヒールの音を聞いて、自分が履いて歩いているところを想像したこともある。ハイヒール、女性だからやっぱり履いてみたい、だけど、やっぱり履くのは怖い。なので、いつもは安心して歩けるべた靴を探してまわる。まあ、これでいいや、そうしてただ歩くためだけの靴を選んでいた。でも、やっと見つけた、自分が納得して履ける靴を。スーツにもパンツにもワンピースにも合う靴。コツコツという音はしないけど、これまでのべた靴じゃない。履いて歩くことがうれしくなる、そんな私のお気に入りの靴。これを履いて背筋を伸ばし、階段も知らない場所も、もちろん好きなデパートも白杖を片手に女性らしく優雅に歩きたい。きっとできるよね、私。だって、今日はお気に入りの靴と一緒だもんね。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ15pt 行間9pt 字間-25) (15ページ 白黒反転) 歩行 勇気を出して踏み出せば 見え隠れする親友 ペンネーム/ホワイトスティック(10代 女性 弱視)  生まれつき見えにくい私は、白杖が生活の中にあるのが自然でした。いろんな人と出会う中で、白杖があることが自然ではない人もいることを知りました。盲学校にも、盲学校の外にも見えない・見えにくい人がいて、いろんな気持ちがあって、自分とはちがう思いの人がいて。私にとって「歩く」ってなんだろう、私の素直な気持ちを書きました。  私にとって一人で歩くことは冒険です。一人で冒険するのって不安、普通はそうかもしれません。私の場合、実は一人ではないんです。私は「見え隠れする親友」を連れて歩いています。その親友の名前は白杖です。白と赤と黒のボディーで、私の好きな海の生物がワンポイントの白杖です。これは「見え隠れする親友」の見えている部分です。  そして、白杖は私にとって身体の一部です。実は親友なんです。親友は私の身体と心を支えてくれます。これが「見え隠れする親友」の隠れている部分です。だから私は白杖のことを「見え隠れする親友」と呼んでいます。  視覚に障害のある人の中には白杖を持つことに抵抗を感じる人も多いと思います。自分は視覚障害者なんだと実感することでしんどい気持ちになったり、恥ずかしいと思う人もいるでしょう。なかなか白杖を持つ気持ちにもなれないようです。そのような人に白杖をもって歩きなさいというのは酷だと思います。それならば、まずは「心の親友、隠れた親友」として親しみを持つことから始めてみてはいかがでしょうか。実際に持つというのは見える部分の白杖だから、それは先延ばしでいいと思います。白杖ってのが自分のそばにあるだけでもいいかもしれません。  「心の親友、隠れた親友」と思うことさえも、受け入れがたい人もいるかもしれません。それならば、何か一つ自分の好きなものを白杖につけてみてはどうでしょうか。好きなキャラクターとかストラップとか。持ち物として愛着が持てるようになると、抵抗感が少し和らぐかもしれません。白杖を持つことは恥ずかしいことじゃない。世界中の視覚障害者の人が堂々と白杖をもって歩いてほしいです。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ12pt 行間8pt 字間-25) (16ページ 白黒反転) 私の工夫 一人でお出かけ 目的地 ●住宅周辺数キロ範囲、毎朝90分程度散歩。 ●ATM(音声ガイダンスで操作)や郵便ポストなど、現地でのサポートが不要なところ。 ●慣れたスーパーやコンビニ、近くの医院や銀行などサポートをお願いしやすいところ。 ●バス・電車を使っての単独通勤や作業所への通所。 いつもやること  ●盲導犬と外出。 ●夜でも目立つように淡い色の上着を着る。 ●目につきやすいように背筋を伸ばして堂々と歩く。 ●バス乗車時に系統番号を尋ねる。 ●反射材やライトなどを携帯する。 ●交通機関の乗車、降車、乗り換えは駅員さんにサポートを依頼。 ●手荷物は持たない。 ●路面の状況や点字ブロックなど地面の感触がわかるよう、底の薄い靴を履く。 ●目的地が複数ある時は、どの順番で移動するかシミュレーションする。 ●雨が降ったとき傘をなるべく持たなくていいルートを考える。 ●行きつけのお茶休憩できるお店や利用しやすいトイレを開拓しておく。 ●スマホの歩行支援アプリを利用。 ●歩きやすい歩道、近道であっても危険箇所を避ける。 ★白杖デビュー  白杖を持つようになってからの方が買い物はしやすくなった。「これは何色ですか?」とか、「こういうものを探しています」ということを言いやすくなった。良くも悪くも厚かましく、「私は見えないからみんなが避けてね!!」という気持ちで歩いている。声をかけてもらったり席を譲ってもらった時はしっかりとお礼を言う。助けが必要ない場合はその旨を伝えるが、必ず「ありがとう」と一緒に「助かります」とお声かけへの感謝を伝える。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ13pt 行間7pt 字間-25) (17ページ 白黒反転) 私の工夫 一人でお出かけ 迷ったら ●とりあえず止まり、信号などや人の流れなどを確認してから歩く。 ●スマホのコンパス機能を使用。 ●首を傾げるなどして困ってますオーラを出す。 はじめての場所へ一人で行く ●旅行の場合は公共交通機関の乗り方、駅の構造、目的地までのアクセスや利用方法、食事メニューをネットで調べておく。 ●事前に現地の同行援護の事業所と契約しておいて、現地でガイドヘルパーを利用する。 ●他府県では全国視覚障害者外出支援連絡会(JBOS)を利用。 ●初めていくところは白杖をもって歩く。 ●おいしい香りや行列らしき気配を感じたら、思い切って「それ何ですか」と質問してみる。 お出かけの持ち物 ●予備の白杖。 ●ぬいだ靴などの目印に洗濯ばさみ。 ●椅子の背もたれなどにバックをかけるためのS字フック。 ●夜道で活躍する強力ライト。 ●白杖の先を覆うカバー(室内で白杖を使用する時に便利、テーブルの脚カバーで代用)。 ●折り畳み式白杖のケース(折りたたみ傘を入れるもので代用、内側がタオル地や水分を吸収してくれる素材なら雨天時も安心)。 ●バスや電車の座席に座った時には、杖につけた洗濯ばさみで鞄の端を挟み、杖から手が離れても倒れないようにしている。 お玄関 ●自宅の玄関灯以外に、防犯灯(動く物に反応する)を設置した。ソーラーのものより格段に明るく、夜盲の私にも鍵穴がよく見える。以前は帰宅が遅くなりそうな時は、玄関灯を朝からつけて出たが、今は不要となり気が楽になった。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ13pt 行間7pt 字間-25) (18ページ 白黒反転) 私の工夫 ガイドさんとお出かけ ★同行援護(ガイドヘルパー)とは  同行援護とは、安全かつ快適に視覚障害者への「移動の支援」を行い「視覚情報の提供」を行うこと。外出先での代筆・代読も可能。ご相談はお近くの障害福祉課へ。 目的地 ●初めてのところ、通院、お見舞い、葬儀、買い物、美容室、自分一人の用事の時、スポーツジム、会食やイベント、リクリエーション、子供の学校行事、駅員さんの連絡では時間に間に合わない時、広い範囲を把握する必要がある時、がんばれば一人で行けるところでも移動だけで疲労するのは困る時。周りの状況を確実にみてほしいとき、あらゆる外出に。目的地までの利用で終了し、現地では友達と行動する。 サポート ●買い物では、どんなものがほしいか、好みかを伝えやすいように自分のお気に入りの服を着たり持っていったりする。 ●あまりタイトなスケジュールは組まない。 ●買い物リストを作っておく。 ●手引きしてもらう時もちゃんと白杖で自分の前を確認。 ●ウインドーショッピングや似合うものを一緒に選んでもらったりして楽しい。 ●代筆もお願いできるので、銀行などの手続きも楽になった。 お出かけの持ち物 ●二人で入れる傘やレインポンチョ。 ●その日必要な交通費を事前に小袋に入れておく。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ14pt 行間8pt 字間-25) (19ページ 白黒反転) 下り階段 ①階段のはじまりがどこか見つける。段差らしきものが見えたら、その手前あたりからすり足で用心する。 ②なんとなくでも階段が見えたら、そこから上に視線を移動させ、手すりがあるかどうか確かめる。できれば、手すりのある側に寄る。 暗いところや、階段の時だけでも白杖を使えると安心。折りたたみ式で軽量で細いタイプの白杖ならかばんの中に携帯しやすい。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ14pt 行間8pt 字間-25) 信号の見つけ方 ①横断歩道に立ち、手前の白線の端を見つける。そのまま白線の端を進行方向にたどる。 ②横断歩道の向い側まで視点を移動させたら、その近くに電柱がないか探してみる。 ③電柱らしきものが見つかったら、そのまま電柱に沿って視線を上へ移動する。 ④信号機が視野に入る。 ※このイラストでは横断歩道の左端から探しましたが、右側に信号がある場合もあります。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ13pt 行間8pt 字間-25) (20ページ、21ページ) 制度 情報 活用しよう サービス 支援機器 彼のためにスクラム ペンネーム/チュニジアンブルー(60代 男性 弱視)  人生にはまさか、という坂道もある、とは誰の言葉だったかなあ、と物覚えの悪いチュニブルは首を傾げる、でも、同世代で、あの人のいいサブマリン・イエローがいきなり、住んでいたアパートから追い出される危機に見舞われてからの日々は忘れない。そして彼を守るために立ち上がった人々のことも。  彼との出会いは、2年程前に遡る。「チュニブルさん、障害年金のこととかで困っている人がいるよ」と紹介された。若い頃から少しずつ目の病気が進行したが、勤め先の理解もあり、何とか60過ぎまで働けていたサブマリさん。そしていよいよ障害年金を申請したくなるほど病気は進んだ。そんな時に彼と知り合った。問題は彼がこの病気で初めて医療機関を受診したのがいつで、どこの病院だったか、ということ。いわゆる「初診確定」というやつだ。これがなかなか確認できず、結局、断念せざるを得なかった。それでも、私が用いる折り畳み式のローラータイプの白杖の予備を貸すと、たちまち気に入り、「これで安心して外が歩ける」と喜んでくれた。行政などと当事者の間に入り、各種の手続きを代行したり、相談にも無料で乗ってくれる、全国的な制度である相談支援事業所の仕組みを説明、紹介すると早速契約して、暮らしやすくなったと喜んでくれた。  そんなある日、彼が明らかに浮かない声と表情で、多分、悩みごとを口にした。聞けば、アパートの大家に目の病気が進行して手帳の等級もあがったことなどを説明したら、なんと出ていって欲しい、期限は半年後、と言われたというのだ。しょげてる彼を前にして、その大家に猛烈に頭にきた。  とりあえず、弁護士会の法テラス、無料で弁護士さんが相談に乗ってくれる機関を紹介した。さらに法務局の人権110番にはわたしが電話で相談した。そのうち、大家はサブマリさんだけでなく入居者全員の立ち退きを求めてきた。こんな時、相談支援事業者さんは彼の相談相手になり、さらに彼が住む自治体の社会福祉協議会は大家と彼の間に入り、彼の言い分を伝えてくれた。弁護士さんは裁判になれば勝てますよ、と力付けてくれた。最終的には社会福祉協議会が公営アパートを見つけてくださり、引っ越しには相談支援事業所の方々も駆けつけ、手伝ってくれた。  一件落着後、サブマリさんに視覚障害者の集まりでこの経験を話していただいた。関係機関、彼を心配する方々がスクラムを組み、問題に立ち向かったことを私たちは理解し、温かいものを感じた。すごいのは、サブマリさんの前を向く心だ。引っ越しが終わると、点字図書館に通い始めた。何と65歳を過ぎてから、点字を習いはじめたのだ。この分だとそのうち「チュニブルよ、点字を学べ」と背中を押される日がくるかもしれない。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ16pt 行間8pt 字間-25) (22ページ、23ページ) 制度 情報 活用しよう サービス 支援機器 6に捧ぐ ペンネーム/むらさき しきぶう(40代 男性 全盲)  私は、学生時代から勉強するのが嫌いだった。視覚障害者になり点字を勉強しなければならない羽目になろうとは思いもよらなかった。初めて点字に触れたとき、6つの点がまったくつかめず、点をつぶしてしまいそうなくらい力が入っていた。そんなざまだったから、1字読み取るにも苦労した。なかなか先に進めないでいる私に、当時担当してくださっていた視覚リハ施設の先生方は、さじを投げたい気持ちだったんじゃなかろうか。のん気な私も、さすがに焦りを感じ、訓練の復習をしてみた。しかし、努力・根性・忍耐という言葉が嫌いな私の自主トレは、数十分しか持たなかった。案の定、微動たりとも進歩のない日々がさらに続いた。そんな私を見かねたある先生は優しい言葉をくれたが、ネガティブな私にはあわれみの言葉としか受け取れず、落ちこぼれの烙印を押されたように思えた。  やっきになっていた。気合いだけでは何も身に付くはずもない。だんだん焦りが増殖していく。正確さも速度も上がらない日々が繰り返されストレスがたまってきた。点字を諦めようか、この言葉が脳裏にちらついた。読む意欲が萎えつつあるころ、それは突然やって来た。フェードインしてくるイントロを刻むかのように、指先が1字1字を着実に捉え始めたのだ。なぜ急に読めるようになってきたのかわからない。気持ちのどこかで開き直ったのか、リセットしたのか、すべてにおいて凝り固まっていた力がやわらいだのか。  しかし、文字は読めるようになったものの、話の内容が一切頭に入ってこなかった。時を同じくして書きを始めた。点筆がまっすぐ落ちてくれず、これまた力任せだから紙をしょっちゅう突き破っていた。誤字なんて当たり前、行迷子になり重ね書き、もうハチャメチャだった。さらに分かち書き、この法則にはずいぶんと苦しめられた。とにかく、ひたすら書きまくった。右手小指の第一関節が点字器のマスの枠に擦れて、指たこができるくらい書きまくった。やがてゆっくりだが、ほどよい力具合の点字が書けるようになってきた。だんだんと様になってきたようだ。分かち書きにも慣れてきたが、やっぱり難しい。今後もこれには苦しめられることになりそうだ。  一方、読んでも内容が頭に入ってこない日は続いた。自主トレで2、3回くらい音読を繰り返してみた。やがて1行、1行が記憶され、パイプのようにつながって、理解できるようになってきた。先生方に漠然とだが内容を説明できる余裕もできてきた。  しかし、このくらいでいっぱしの有段者になったとは思ってはいない。私よりできる方なんて世の中にはごまんといらっしゃる。それでも自分で自分をほめてやりたい。あきらめずに挫折しないで向き合ってきたことが今の自分につながっているんだと。  点字にはさんざん痛い目にあわされてきたが、今、それが生活に欠かせないものになってきた。点字シールは私のマストアイテムだ。カードやCDケースなど、あらゆるところに目印を付けている。何より紙媒体で読める、書けるという喜びがある。全盲の私には文字に触れることなんてもう無理だと思っていた。でも、眼球は使えなくとも、指先の目で見ることができるようになった。筆記具で文字は書けなくても、小さなマスの中で文字が書けるようになった。耳で聞くだけでは限界がある。見る、書くことによって、記憶も記録もより鮮明になる。今、短編小説を点字で読んでいる。晴眼者時代は読書家ではなかったのだが、そのころ微塵にも思わなかった紙のぬくもり、紙のにおいに浸る自分がいる。できなくなったことがまたできるようになった。今まで気にも留めてこなかった些細なことが、今、小さな幸せになった。人生生まれて初めてと言っても過言ではない、勉強して培ってきたものを、今後点字を習得されたい方々のために活かしたい。微弱だけど何かのお力になりたい。どんな形でできるかどうかなんて今はわからないが、これまで私に投資してくださったものを誰かに提供していきたい。これまでさんざん社会に迷惑をかけてきた。ささやかながらの罪滅ぼしのために、微力ながらも貢献できる人材になりたいと思っている。  実のところ、私は6という数字が嫌いだ。なぜなら、漢数字だと漢字表記の八に、上からなべぶたで押さえつけている。つまり、末広がりにならない。算用数字表記だと、フォルムが蛇がとぐろを巻いているかのようにも見える。6月は多湿。パチンコ666は非確変。野獣の数字で不完全を意味する666。6なものじゃない。これはこじつけだ。そんな思いとは裏腹に、より身近なものとなった6つの点に今後もお世話になることにしよう。私に新しい息吹を与えてくれた、そして、前向きな気持ちにさせてくれたことに感謝の意を伝えたい。指に眼をくれた点字、6に捧ぐ。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ13pt 行間7pt 字間-25) (24、25、26ページ) 制度 情報 活用しよう サービス 支援機器 やもーだの小言 ペンネーム/保護色のやもーだ(30代 女性 弱視)  「あーやばい、詰んだ」が、診断時の感想。  30の時、羞明やドライアイ、仕事後の眼精疲労が気になりだした。眼科での診断は網膜色素変性症、障害者手帳で5級相当だった。 「どーしよ、親に言えん」と思ったが、家族の協力と理解が必要だと医師から言われ言葉を選びながら両親に話した。母は号泣、「こっちこそごめん」そんな気分で泣くに泣けなかった。  診断の翌日には婚約者と転勤先へ引っ越す予定だった。彼にどんな顔して話せばいいんじゃろ。結婚も考え直しやなと思いながら「目の難病で進行性なんやて、先のことも考えんと」とだけ伝えた。彼は「とりあえず引っ越そう」と言い、両親も私を送り出した。「次の職場になんて言おう、ほんまこれからどーしよ」流れに乗って、不安と絶望を抱えたまま転居した。  いくら調べても「難病、治らない、失明、遺伝、根拠のない海外での治療経験の広告」ばかり。うんざりしながら迎えた初出勤日。転勤先の病院で、看護部長や看護師長に病名や症状を伝えた。配属は経験が長い手術室。診断後、良くも悪くも時間は流れてゆき、周りは意外と以前とあまり変わらない感覚で、私に接した。一緒に手術を担当する看護師には手術の打ち合わせの際、見えにくさや、それに伴いフォローをしてもらいたいことを伝えた。緑内障的な感じで。視野が欠けている、矯正視力が0.7くらい。暗いところでは動けないことなどを伝えた。難病というと気を使われそうだし、伝える必要性を感じなかったので言わなかった。  診断前から何となく細かいものは見えにくい、部屋を暗くする手術は見えにくさがあり、担当後の眼精疲労は割とあったけど、その他は特に制限なく手術を担当していた。  職場では、難しいことがあったら言ってほしいと言われたが、見えにくさについては伝え方が難しい。「これくらいの視野や視力でこんなことが難しくなる」というような明確なものさしもなかった。自分でこの仕事内容はできる、できないの線引きをすることが大変だった。症状が急激に変化するわけでもなく何でも担当できそうな気がしていたけど、診断されたことで視覚障害を持つ自分が、手術という急性期看護を行うことへの不安や葛藤が色濃くなった。以前から気になっていた細かいものを扱う手術、具体的には髪の毛より細い糸針や器具を扱う手術や、部屋を暗くする手術の担当は外してもらえるよう伝えた。頑張ればできそうなことをできないと言うことに違和感があった。しかし、無理なくできる範囲が自分のできることだと思うようにした。仕事中、目が悪そうに見えないので、目の病気のことを忘れられ、細かいものを扱う手術や、暗い部屋での手術の担当として割り振られることもあった。その都度、説明するのは当然と思う反面、なかなか理解されにくいなと感じ、申し訳なさと理解されにくい、もどかしさが混在した複雑な気分にもなった。時間を経て冷静に考えれば、仕事のフォローをお願いしているのだから、一度や二度言ったくらいで理解されないと思うのは、あまりにも受け身で自分勝手なのではないかと思うようになった。  「自分は病気なのに…」という、病気であることの劣等感があったのかもしれない。あの頃の私には、まだ病気の受け入れができていなかったのだろう。今だって受け入れられているわけではないけど、あの頃よりはマシなのかもしれない。  診断から2年位で手術室での器械出し業務の引退を考えるようになった。きっかけは血管外科など、細かい糸針や器械を扱い、急を要す手術を担当した後の眼精疲労が辛くなってきたこと、院外から持ち込んだ清潔な器械を、業者がポインターで指示しながら使用する手術で、ポインターが指す先が見つけられないようになったことなど。師長には「器械出しを全部やめてしまったらつまらんくならへんか? できることはやったらいい」と言われた。迷いに迷ったが、命をかけて、手術という治療に来られる患者さんに、安全な医療を提供することを第一に考えると、「仕事内容がつまる、つまらない」は、自分優先の考え方で、患者のニードにはそぐわないという結論に至った。今までできていたこと、これからも少し頑張ればできるであろうことをやめてしまうことは、自分の病気の進行を認めるということでもあった。実際、視野検査で暗点の範囲は広くなってきていた。  気落ちもしたが、同時にもう無理して頑張る必要がないと思うようになった。針刺しやカウントミスのリスク、急を要する物品のやり取りでの過度な焦りや不具合などが格段に減り、落ち着いた動作が増え、心に余裕が生まれた。今まで気づけなかったことに気づくこともできた。  また、この頃から手術室勤務の先が見えてきた。手術という枠を超え、自分にできることをやっていこうと思い始めた。  暗点が少しずつ増えた影響で、夜盲はひどくなり、人混みも苦手になってきた。第一子育休中に時間があったので、白杖のオリエンテーションを受け、人混みや夜間に使い始めた。また、障害者手帳取得は保育園利用時、職場へ自分のことを伝える際のツールにもなった。障害者手帳を持つことにより社会的不利益があるのではないだろうかと、かつての私は気にしていた。しかし、このときのわたしには手帳取得に対するネガティブな感情はなくなっていた。中心視野が狭いので2級だったことに驚いたけど。育休復帰前に面談し、1日6時間の時短勤務で手術室復帰となった。慣れるまでは術前後の訪問がメインで、手術前後の患者・家族のサポートや看護の評価をしていた。復帰後の生活にも慣れてきたが、復帰前より視野が狭くなっていたので、器材や配線、清潔物品が沢山ある手術室内で看護することに不安があることから、手術を終えた患者を観察するリカバリールームを担当した。一人ひとり違うエピソードを持ち、手術しこの場所にいる患者に必要なことは何なのか考えてケアすること、また周手術期ではあるけれど、手術室内とはまた違った看護を勉強し実践していくことは、大変さもあったけど、新鮮味があって楽しかった。しばらくして師長と相談し、手術は外回りで、機器が少ないもの、意識下麻酔の手術を担当した。担当できる範囲は狭くなったが、その中で充実した仕事ができた。経験年数がそこそこある私は、後輩指導をすることもあった。後輩指導は嫌いではないけれど、なんとなく私は、指導者として働くことよりも、スタッフとして働く中で得られる様々な経験に魅力を感じていたのかもしれない。時短で勤務していても、定時に帰れることは少なく忙しい日々を送っていた。  そして第2子目が生まれたが、次の復帰は悩んだ。一回復帰した結果、充実感と多忙と両方を味わったからだ。その間、視野狭窄が進んでしまったこと、2人目の息子が予想以上にやんちゃなこと、看護経験は自分で納得して区切りをつけたいという思いから、一旦退職した。自分の五感で誰かをケアすることへの興味、理療への関心もあった。さらに病気が進行して思ったことがある。「今できることを、今。できれば無理なく」ということ。私一人では到底そこへはたどり着けず、家族や、相談施設・サロンで知り合った人たちから沢山の励ましや知恵をもらった。その中には障害者年金の取得という選択もあった。障害を抱える中で、次の就職を考えると、現職に留まる方がいいのかと考えた時期もあった。しかし、自身のライフスタイルの変化に合わせ働き方を変えること、目の状況と向き合い必要な訓練やケア、支援を受けること、そして、自分の職業選択の可能性を広げることも「あり」じゃないかと考えるようになった。それは自分を豊かにすることにつながるかもしれない、そんな思いが生まれてきた。これからも、いくつもの「詰んだ」に行く手を阻まれながら、そのたびに立ち止まる。先が見えないからこそ、手探りしていく不安があり、ほんの少しの期待も抱いて。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ13pt 行間7pt 字間-25) (27ページ、28ページ) 制度 情報 活用しよう サービス 支援機器 広げよう!新たな制度で安心の通勤 ペンネーム/春が好きなアキ色(60代 男性 弱視)  私は網膜色素変性症の類縁疾患であるクリスタリン網膜症で暗い所が見えにくいです。だから、冬が嫌いでした。夜が明けるのは遅いし、夕方は早く太陽が沈んでしまうし。冬場はずっと緊張しながらの通勤でした。  2021年、仲間の方たちの集まりでうれしい情報を耳にしました。京都市さんでガイドヘルパーさんを利用しての通勤、通学が可能である事業ができるというニュースです。秋になり、その制度が施行されたと聞きました。京都市重度障害者等就労支援特別事業というものです。仲間の方たちから「使用してみてはどうか」との話がありました。会社からの申請が必要なので、上司の方々、人事の方々に相談しました。すると、結構すんなりとOKがいただけました。よかったよかったというのはここまでのこと。そこからが大変でした。  一般企業に勤務している視覚障害者の申請は初めてなので事例がないため大変でした。申請者は本人、会社に記入してもらう必要がある項目がある、もちろんガイドを派遣する事業所も手探り状態、申請者も行政も事業所もはじめてでわからないところだらけを乗り越え制度利用にこぎつけたというのが実態です。そもそも申請の流れはどうなっているのか、JEED(高齢・障害・休職者支援機構)さんとの調整はどうするのか、同行援護を行ってくださる事業所はどこかなど分からないことだらけでした。申請者は私本人ですが、申請書や計画書、申請に関する書類などすべてを会社の人事の方々が作成して下さいました。もちろん記入内容に関して一緒に確認をしていきました。JEEDさんや京都市さんに何度も問い合わせをしたり、同行援護を行ってくださる事業所さんとも事業内容を確認しながら話し合いを行いました。なんとかかんとか書類を整え申請までこぎつけました。  1カ月ほどで申請が通り実際にガイドヘルパーさんと確認しながら通勤を行いました。私用で同行援護は利用させてもらっておりますが朝のラッシュ時にガイドヘルパーさんがおられると安心して電車やバスが利用できるようになり、ストレスが軽減されました。冬の暗い時期でも安心の通勤、ほんまによかったよかったです。  私は通勤の同行援護のみを行ってもらっておりますが就労に必要な代筆、代読、それに準ずるPC操作なども可能なようです。事業が始まったばかりでまだまだ問題があります。一般企業の場合JEEDさんと京都市さんとで支援期間、助成金の金額、助成金の方法などが異なっているのでなんとか一本化してもらえないか、年度ごとに申請が必要なのはどうにかならないか、申請書もJEEDさんと京都市さんとの両方に出す必要があるので、これも一本化できないかなどまだまだ課題はあると感じています。  制度利用には手間はかかりますが、多くの方が利用されて少しでも通勤の不安などが解消されることを願っております。会社の人事の方には色々と助けていただき感謝しています。自営業の方で制度を利用されている方もおられます。また、京都市以外での活用もあるときいています。制度への理解がひろがり、たくさんの活用事例が生まれていくことを願っています。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ16pt 行間8pt 字間-25) (29ページ 白黒反転) 私の工夫 パソコン ●音声読み上げソフト、画面は白黒反転、カーソルやポインターは拡大している。 ●ホームポジションである「F」と「J」のキー、ホームキー・タブキー・オルトキー・ウインドーズキー(スタートアップキー)・よく使うファンクションキーなど使用頻度の高いキーに突点シールを貼る。 ●外付けの大きなボタンのあるキーボードを使用している。 ●高知システムのPCトーカー、マイメールなど使用。また白黒反転や文字の拡大も併用。 ●デスクトップモニターとPC搭載の拡大鏡機能を使用。色は白黒反転。 ●音声ソフトとメールと文章を書くためのマイワード・マイニュース・マイルートなど視覚障害者にも使いやすいソフトを使用。夫や周りの人達の助けがあって私もパソコンを利用できている。 ●スクリーンリーダーを使う。読めないところは家族や同僚の目を借りる。 ●サポートしてくれたり、メンテナンスしてくれる人を複数お願いする。 ●青黄反転にして、拡大。男性音と女性音を使い分けて、半角・全角、カタカナなどを聞き分けられるようにしている。 ●調べものに利用。 ●備忘録には下書きboxを利用する。意外と便利。 ●スクリーンリーダーをインストールすれば何でもできる。 ●毎日ブログをアップしては楽しんでいる。でも、エクセルやワードはやっていない。 ●マウスポインタを大きく見やすく。解像度を見やすくチューニング。 ●長文は一太郎と読み上げソフトを使って読ませる。 ●タブレットにデータを移して見やすくして読む。 ●パソコンの蓋の裏にジッパー付きの袋を貼り付けて、その中にイヤフォンやUSBを入れて持ち歩く。 ●zoomやチームズで会議をするときには、開始より早めに入って、見える人にカメラの位置の調整をしてもらっている。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ14pt 行間8pt 字間-25) (30ページ 白黒反転) パソコンを音声で操作 エクセルの表も音声で操作が可能。 カーソルのある場所を音声で教えてくれる。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ14pt 行間8pt 字間-25) 情報あれこれ  日常生活用具・補装具・障害者情報バリアフリー化支援事業などのキーワードでインターネット検索しましょう。また、お住いの市町村の障害福祉課に問い合わせてみましょう。  パソコンのスクリーンリーダー(音声読み上げソフト)もいろいろあります。 「NVDA 日本語版」  「PCトーカー 株式会社 高知システム開発」  「JAWS 日本語版 有限会社エクストラ」 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ14pt 行間8pt 字間-25) (31ページ 白黒反転) 情報あれこれ 相談支援  障害のある人が自立した日常生活又は社会生活を営むことができるよう身近な市町村を中心として相談支援事業を実施している。地域の状況に応じて柔軟な事業形態をとれることとなっている。「最寄りの市町村名」と「相談支援事業所」のキーワードでインターネット検索してみましょう。 障害年金  令和4年1月1日から「眼の障害」の障害年金認定基準が一部改正されました。 ●視力障害の認定基準  良い方の眼の視力に応じて適正に評価できるよう、「両眼の視力の和」から「良い方の眼の視力」による認定基準に変更。 ●視野障害の認定基準  ゴールドマン型視野計に基づく認定基準に加えて、現在広く普及している自動視野計に基づく認定基準も創設。求心性視野狭窄や輪状暗点といった症状による限定をやめて、測定数値により障害等級を認定するよう変更。自動視野計の導入に伴い、ゴールドマン型視野計に基づく認定基準の整理を行うとともに、視野障害をより総合的に評価できるよう、視野障害についても1級及び3級の認定基準を規定。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ15pt 行間9pt 字間-25) (32ページ 白黒反転) 情報あれこれ ●眼の障害で2級または3級の障害年金を受給されている方は、今回の改正によって障害等級が上がり、障害年金の金額が増額となる可能性があります。障害等級が上がる可能性がある方は、額改定請求の手続きをお願いいたします。なお、今回の改正によって、障害等級が下がることはありません。 *眼の障害で障害手当金を受け取られた方で、今回の改正によって3級の障害等級に該当することになる方は障害年金を受給できる場合があります。詳しくは、お近くの年金事務所や年金相談センターまでお問い合わせください。 ★日本ロービジョン学会のホームページにロービジョンケアが受けられる医療機関リストが掲載されています。 ★見えない・見えにくい方、そのご家族の方への情報が視覚障害リハビリテーション協会のホームページに掲載されています。 ★「働く」を支える制度について。重度障害者等就労支援特別事業の実施状況は地域によってさまざまです。「市町村名 重度障害者等就労支援特別事業」でインターネット検索してみましょう。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ15pt 行間9pt 字間-25) (33、34、35ページ 白黒反転) 私の見え方紹介カード  自分の見え方を周りに説明するために「私の見え方紹介カード」を活用してみよう。弱視者の見え方はさまざま、単に視力や病名だけでは見え方が相手に正確に伝わらないことも少なくありません。具体的な生活場面で、弱視者の見え方を整理し、分かりやすく表現するために「私の見え方紹介カード」を活用してみましょう。また、このカードは弱視者以外の人が、弱視者の見え方を理解するためのツールにもなります。データは「日本弱視者ネットワーク」のホームページよりダウンロードできます。以下はカードのサンプルです。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ15pt 行間9pt 字間-25) サンプル 23 人の顔の判別 a.問題なく判別できます b.何度か会えば雰囲気で判別できます c.真正面(1メートルくらい)に来てもらえれば判別できます d.髪型や着ている服の色で判別しています e.判別できません(声で判別している等) f.その他【   】 ©2021 日本弱視者ネットワーク サンプル 24 すれ違った人の顔の判別 a.分かります b.特徴的な人・慣れている人ならわかります c.人とすれ違ったことは分かりますが、誰とすれ違ったかは分かりません d.そのときの明るさによって、分かるときと分からないときがあります e.分かりません ©2021 日本弱視者ネットワーク サンプル 34 屋内の暗い場所は a.見えなくなります b.見えにくいので苦手です c.慣れるまで時間がかかります d.暗い方が見えやすいです ©2021 日本弱視者ネットワーク サンプル 95 トイレの男女は a.表示で判断します b.音声案内で判断します c.人の出入りで判断します d.教えてください ©2021 日本弱視者ネットワーク サンプル 96 トイレは(1) a.特に困ることはありません b.トイレ内の大まかなレイアウトが分かりません c.空いている個室や小便器が分かりません d.リモコンの位置が分かりません e.リモコンの操作方法が分かりません f.水の流し方が分かりません ©2021 日本弱視者ネットワーク (36ページ 白黒反転) 【カラフル】語る人いろいろ   ★見えない・見えにくいかたのためのニポラチャンネル YouTube  iPhone、パソコン、拡大読書機などの視覚障害者向け機器やグッズ、点字、歩行などの情報を動画で説明。各ジャンルごとの『再生リスト』からの視聴もおすすめ。 ★福場将太 Official Website ホームページ  視覚障害をもつ精神科医の福場将太さんは心を支える医療者であり、音楽や小説の創作を続ける表現者でもある、そんな福場さんが自由に織りなす小さな世界がここに。 ★松永信也ホームページ  日常のひとひらが短いエッセイに。見えない・見えにくい人の「あるある」が満載。 ★みかちゃんめぐちゃんポジティブ人生観 YouTube  視覚障害をもつみかちゃんとめぐちゃんがゲストとポジティブな生き方や考え方をトークするラジオタイプの番組、対談場所がバーチャルリアリティに設定されていておしゃれ。 ★京都視覚障害者おでかけ支援NAVI 天使の杖でおいでやす ホームページ  視覚障害者による 視覚障害者のためのおでかけ情報サイト。見えない・見えにくいならではの言葉の道案内や食レポが特徴の「みんなのおでかけレポート集」や視覚障害者同士の情報交換コミュニティ「ゲストブック杖休め茶屋」など多彩な情報を掲載。 ★バリアフリー演劇結社ばっかりばっかり 朗読劇・舞台演劇   『演劇結社ばっかりばっかり』は「観る側も、演じる側も、バリアフリー」をコンセプトに言葉にこだわったエンターテインメントと、"ユニバーサルデザイン演劇"を追及する劇団。特別な機材や音声ガイドなしで、見える人と一緒に丸ごと楽しめる芝居作りをされている。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ14pt 行間6pt 字間-25) == (37ページ) 第2章の扉 第2章 自分の見え方・見えにくさを知ろう(アイキャッチは四角形です) 読み書き 見え方・見えにくさ体験 (38ページ) 読み書き 見え方・見えにくさ体験 文字の見え方を体験してみよう 見え方体験 明朝体 行頭の数字はフォントサイズです。 48 仕事あるある川柳  36 あん摩・マッサージ・鍼灸は国家資格です。 28 あんまさん やりくり三年 母指揉捻(十年) 26 患者から ここが痛いと どこ痛い? 22 聴きたいよ 患者を叱る (亡父)つまの声 18 ガラケイを 亡父(つま)はカルテに して生きた 16 これすごい 資格が強み この仕事 14 手の職は 約束された 天の職 12 見えずとも 結果を出せば 頼られる (39ページ 白黒反転) 文字の見え方を体験してみよう 見え方体験 明朝体 白黒反転 行頭の数字はフォントサイズです。 48 仕事あるある川柳 36 企業にお勤めのみなさん、通勤、出勤時のあれこれ。 28 ネクタイを しめるのは得意 色は勘 26 外に出る 勇気押したる 白杖と 24 ぶつかって 初めて気づく ガラスあり 22 おはようと 同じ人向け 何回も 20 おはようの 声のトーンで 機嫌知る 18 エレベーター 何階ですか 専務聞く 16 何か変 隣のロッカー 開けていた 14 朝礼なく 誰がいるのか 分からない 12 見えずとも 結果を出せば 頼られる 36 パソコンでの作業や会議でのあれこれ。 12 まだやれる 白黒反転 見えるうち 12 ボールペン 見えてなければ サインペン 11 分度器も 用途変更 ペーパーナイフ 11 あこがれて ブラインドタッチ 響く文字 (40ページ) 文字の見え方を体験してみよう 見え方体験 ゴシック体 行頭の数字はフォントサイズです。 48 仕事あるある川柳 36 パソコンでの作業や会議でのあれこれ。 28 スムーズだ 画面の配置 覚えたら 26 エクセルは 直角移動 まだやれる 22 なんですか? 思わず返事 スクリーンリーダー 20 グレー文字 反転しても 見えにくい 18 プレゼンの パワポ見えずに 生あくび 16 小さすぎ 共有画面の 愚痴を言う 14 エクセルの 回覧ファイル これ見える? 12 会議室 僕を忘れず 連れてって 12 イヤホン中 声掛けよりも 肩トントン 11 おねがいです 名乗ってくれると 助かります 11 どこですか 置いてくださった 書類は (41ページ 白黒反転) 文字の見え方を体験してみよう 見え方体験 ゴシック体 白黒反転 行頭の数字はフォントサイズです。 48 仕事あるある川柳 36 パソコンでの作業や会議でのあれこれ。 28 どこいった いつものところに ない輪ゴム 26 ものの位置 固定でスムーズ みんな○ 24 ここそこあれ それが分かれば 晴眼者 20 これお願い なにをどうする 仕事なの 18 ほうれんそう メールと紙で 念のため 16 文章の 体裁ととのえて くれますか 14 配慮へは 「すみません」より 「ありがとう」 14 要望は やることやれば 叶います 12 できるはず 仕事も家事も ひと工夫 12 強みです 笑顔と記憶と 伝え方 11 その言葉 ひっかかっても しなやかに 11 会議中 ボスの目くばせ 見えぬふり (42ページ) 文字の見え方を体験してみよう 見え方体験 UD教科書体 行頭の数字はフォントサイズです。 48 仕事あるある川柳 36 パソコンでの作業や会議でのあれこれ。 28 お隣の 左手握って マウスかな? 26 やって来た 匂いでわかる やな仕事 24 読み上げて そうも頼めぬ 給料明細 36 接客・営業のお仕事、出張にもレッツゴー。 22 得意先 バスと電車で 乗り換えで 20 出張の コストが安い 障害者 18 「はじめまして」 差し出す名刺 表裏(おもてうら) 16 岡田です 差し出す名刺 逆さまに 14 声聞いて クライアント名 思い出せず 12 こんにちは ご機嫌さんを 耳で見る 11 名刺はね 点字なければ ただの紙 11 「失礼します」 明後日(あさって)向いて 頭下げ (43ページ 白黒反転) 文字の見え方を体験してみよう 見え方体験 UD教科書体 白黒反転 行頭の数字はフォントサイズです。 48 仕事あるある川柳 36 仕事のつき合いにもゴーゴー。おわっておつかれさまでした。 28 ビールつぐ 上司にお辞儀も ヘッドバット 26 仕事終え 見上げた空に 星が無い   24 ぶつかって シャツに口紅 帰宅後修羅場 36 塾や農業で働く方も。 22 英語塾 皿やお箸が 生徒なの? 20 未知の語も スマホ操作で 師はいらず 18 鎌を持ち 刈り取った後に 草の海 36 お仕事には、気持ちの持ち方も大切。 16 サングラス 掛けて仕事の 粋なやつ 14 危ないよ 早く辞めろの 甘い口 12 見えにくさ 打ちあけてみたら 希望光 12 お仕事は 笑顔絶やさず 辛くとも 11 見つけよう 仕事でやりがい 見えずとも (44ページ) 読み速度 どのページが読みやすい・読みにくいか体験してみよう 太字 UD教科書体 16pt 弱視あるあるを共有する ペンネーム/深紅(70代 女性 緑内障)  私は、視野が狭いがまだ中心視野があり、できる事も多い。よく晴れた日中に外に出かけると、目の前を見てさっさと歩くことができる。体調の良い時に前だけ見て歩いていれば、友人より速いくらいだ。朝は、目も元気で地下鉄駅の短い階段は、上がり下がりは歩いてできる。乗換駅で上から降りてくる人を確認して階段を上がり、平面のコンコースに直角に曲がる時、人と出くわしびっくりして足を踏み外しそうになり、ヒヤッとした。いつもは問題なくできているのに要注意だ。  同じく階段だが、場所・時間・明暗によってできなくなったなあと感じる箇所がいくつもある。家の階段を降りる時に電気をつけてあっても、暗く見えにくく最後の階段を踏み外す時がある。それでどっどと滑り落ちるのでドキッとして、とても怖い。家の階段を降りる時は、そろそろと手すりを持って降りている。外では、近所の道路の階段の下2段部分だけに手すりが切れてなく、階段が終わり平らな面と思い足を踏み出したら、どどっとこけそうになった。マクドの玄関前の段差で転倒し、左肘関節を骨折し、手術入院したこともある。痛い目にあっているので段差、階段には要注意で向かっていきたい。 フォント:UD教科書体系 B(サイズ16pt 行間8pt 字間-25) (45ページ 白黒反転) 読み速度 どのページが読みやすい・読みにくいか体験してみよう ゴシック 白黒反転 16pt 弱視あるあるを共有する ペンネーム/ブルーグレー(20代 女性 網膜色素変性症)  私は見え方は矯正視力0.5、視野狭窄のため中心だけが見える状態です。慣れている場面だと、ながら作業をして失敗してしまうことがあります。部屋の中でも、ついテレビを見ながら物を運んだり、移動してしまうことがあります。自分で足元に物を置いていたことを忘れてつまづいたり、ハラハラすることがあります。無意識は怖いですね。普段気を付けていることは、机の上にあるものの位置を確認することです。机にものを置いたり、拭く時には「ちょっと注意」を意識しています。しかし急いだり他のことに気を取られていると、コップに気付かず手が当たり、ぶっちゃかしてしまうことがあります。そんな時はついため息が出ますが、同時に次から気をつけようと気持ちが締まります。  病気自体は高校2年生の時に発覚していましたが、見えにくさを自覚できず健常者の方と変わらない普通の生活を続けていました。その頃は怖がりもせず道を走り回ったり、せっかちな所もあるので早歩きをしていました。今は正面、左右、足元に注意を払っていないと、自分だけでなく周りの人も巻き込んでしまう危険性もあります。自分も周りの人も守るため、ゆっくり周りを見ながら歩くよう心がけています。とは言うものの、たまに以前はこうだったのに…と落ち込むこともあります。でも私は今の自分も否定せず、好きでいたいです。 フォント:ゴシック系 M(サイズ16pt 行間8pt 字間-25) (46ページ) 読み速度 どのページが読みやすい・読みにくいか体験してみよう 太字 ゴシック 20pt ベル ペンネーム/天使の羽根(60代 女性 弱視) 目覚ましが鳴っています。 ベルの音で起こされました。 もう少し眠りたいなー。 それにしても、ベルの音って心臓に良くないですよね。 思わず手を伸ばして目覚ましを止めます。 見てません、手探りです。 このことって、目が見えていた時も見えにくくなっている今も同じですよね。 何も変わっていない私がいます。 朝日を浴びて、外の空気をたっぷり吸って、新聞を取ります。 これも昔と同じ、何も変わっていない私がいます。 さあ、今日も一日元気に楽しもう。 フォント:ゴシック系 B(サイズ20pt 行間10pt 字間-25) (47ページ) 読み速度 どのページが読みやすい・読みにくいか体験してみよう ゴシック 18pt 夜遊び ペンネーム/コーラル(40代 女性 弱視)  夜遊びって、華やかで楽しいイメージ。でも、わたしにとっては暗くて孤独を感じた思い出ばかり。だって私、夜盲症だったから。  小学5年生の時、ともだち数人と河川敷で花火を楽しんだ。さあ帰ろうとなった時気付くと、みんなはさっさと歩いて取り残された記憶。鬼ごっこしててもしょっちゅうこける。私ってドジだなぁ。顔では笑って心で泣いてそんな子供時代の私。  間接照明の飲食店でのこと。友達と話すのは楽しいけどまわりが見えなくて不安。誰かがトイレに行くのを待って、私も!一緒に行くふりして連れて行ってもらう。真っ暗なクラブでどんな人が話しかけてきてくれてるのかさっぱりわからないまま、とりあえず愛想笑い。今は夜遊びする気持ちはなくなったけど。一人で雰囲気のある薄暗いバーにフラっと立ち寄ってそこで初対面の人と気軽に話す…なんてことにあこがれを抱いています。 フォント:ゴシック系 M(サイズ18pt 行間10pt 字間-25) (48ページ、49ページ 白黒反転) 読み速度 どのページが読みやすい・読みにくいか体験してみよう 明朝 白黒反転 14pt ひとすみの雪かき ペンネーム/チュニジアンブルー(60代 男性 弱視)  「あれ、何に見えますかね」。東北の片隅の街にいたころ、建設業を営む彼は笑った。まだ晴眼者だった私は彼に酒を注ぎながら「雪ですねえ」と呟いた。即座に「お金ですよ」。冬場は除雪をお役所から請け負う彼の実感だった。あれから30年の歳月が流れ、私は左目視力ゼロ、右目0.2くらいで生きている。  今日も雪が降る。玄関の郵便受けのあたりにラジオを置き、家の前の雪を強化プラスチックのシャベルで片付けて行く。時折、吹雪でもないのにあたり一面白く見え、方向感覚を失う。そんな時はラジオの音が頼りだ。あっちが玄関だからこっちがお隣さんの家、頭で方角を確かめる。汗を流してから痛む腰を撫でつつシャワーを浴びて缶ビールで生き返る。  そんな日々を支えるのは、一昨年12月にアフガニスタンで凶弾に倒れた医師の中村哲さんの言葉だ。貧しい農民たちのために、農業用水路建設に精魂傾けた彼は「一遇を照らす」を座右の銘にしていたという。世界的に有名になるとか、派手な業績で耳目を集めるわけではない。この世界の一遇、片隅をどうにかして明るくしたい、と言う気持ちが滲む。そうだ、雪かきしてもこれがお金になるわけではないが、視覚障害者の私でも、一遇の、ひとすみの雪かきならできると思い付いた。ごみステーションの前や、転勤で無人の隣家の前の雪かきなどを少しずつでもやってみた。  見えない私が雪かきしていると、今まで話したこともない方々が「お疲れ様です」、「いつもありがとうございます」、「そこに大きな雪の固まりがありますよ」などと声をかけてくる。嬉しいなあ、一人じゃなかったんだと思えてくる。  雪は地域の人々との御縁を深めてくれた。民生委員のAさんたちが、近所の障害者の家の雪かきをしていたことを知った。皆さん、がんばっていたんだ。白杖を振って雪路を歩く私のために、道路脇などを雪かきしてくださっている方がいたことも知った。私はそっと助けられていたんだ。  吹雪の十字路で右も左も分からなくなりかけた私の左腕を引き寄せ、安全な場所に導いてくださった女性もいた。温かく力強い手が、ありがたかった。  今日も雪が降る。雪は寒いもの、冷たいものではあるけれど、でもね、人の心をあったかくしてくれるような気もするんだなあ。まあ、大それたことは思わないで、ひとすみを雪かきして生きていければいいなあ。今なら、あの30年前の彼の問いかけになんと答えるだろうか、そんなことをぼんやり考えながら、琥珀色の液体を五臓六腑に流し込む。 フォント:明朝系 B(サイズ14pt 行間8pt 字間-25) 電子ルーペ 値札や商品説明など、小さな文字を手軽に拡大できる電子ルーペ。拡大と白黒反転表示も可能。ストラップをつけ、首からさげておくと使いやすい。 フォント:ゴシック系 DB(サイズ15pt 行間9pt 字間-25) (50ページ 白黒反転) 私の工夫 読むこと 機器・アプリ  拡大や画面読み上げソフトの入ったパソコン AIスピーカー 活字読み取り装置 拡大読書器 デイジー再生器 点字 点字ディスプレイ アプリのSeeing AIやSullivan+。エンビジョングラス(視覚障害者支援アプリ「Envision AI」と連携して使用する視覚障害者向け高性能ウェアラブル端末)。 活用スタイル ●パソコンの画面を青黄反転&拡大。 ●パソコンやケータイでのメールのやり取り。 ●ペンライトと手持ちルーペの併用。 ●クローバー3など携帯用拡大読書機で白黒反転させる。 ●スマホで撮影して拡大する、またはシーリングAIなどアプリを使う。 ●デイジー図書を寝る前に聴いている。iPhoneで再生停止タイマーをかける。 ●スマホのイヤホンはブルートゥース対応。 ●iPhoneは常時AirPodsを使い、非常用に有線イヤフォンを携帯。 ●パソコンはPCトーカー利用、画面は白黒と通常の使い分け。 ●見やすいフォントに変更。 ●OCRのアプリで文字を読ませたり、拡大読書機を使うこともある。 ●部屋を明るくする。 ●まぶしいのは困るのでカーテンで調節。 ●タブレットで写真を撮り拡大。 ●パソコンの文字を拡大しつつ、音声も補助的に使う。 ●点字ディスプレイは指で読んだり、音声で読み上げさせたり。 ●サピエ図書館から音声デイジー図書をダウンロード。 読んでもらう ●自分で読めないものはヘルパーさんを待つ。 ●家族のヘルプがメイン。 ●レシート、印刷物、手書きのものは読んでもらう。 ●宅配便の時は配達員さんにどちらから、どんなものかを教えてもらう。 ●スマホのアプリで読み上げさせて、自分で操作できないときは夫にたのむ。 フォント:ゴシック系 DB(サイズ12pt 行間6pt 字間-25) (51ページ 白黒反転) 私の工夫 読むこと 買い物 ●家族やヘルパーさんに説明してもらう。 ●電子乗車券やプリペイドカードの残高は運転手さんや店員さんに聞く。 ●とりあえずレジかサービスカウンターに行き、サポートが可能かたずねる。 ●スーパーではまず店員さんを探して、買い物から全て手伝ってもらう。 ●店員さんに案内してもらって品物の値段とか含めて読んでもらっている。 ●店員さんに商品の場所を教えてもらって、商品表示をスマホで撮影し拡大。 お買い物のおとも ●スマホの拡大鏡を使っていたが、ピントを手動で合わせるのがなかなか難しかったり、白黒反転が不十分だったりでうまくいかないことが多くあった。今はクローバー3という電子ルーペにネックストラップをつけて、買い物中は首からぶら下げて、値段や説明書きなど必要なものを見ている。 おうちでできること ●ネット通販。 ●「トクバイ」や「クラシルチラシ」などパソコンで広告を読む。テキスト抽出アプリや文字読み取りアプリでインターネットに公開されているチラシが大雑把に読める。掲載された買いたい商品と狙った価格が一致した時にだけお店へいく。 ●買い忘れ対策には買い物リストを作って、自分の端末にメールしておく。 学校・職場 ●会議中にスマホのアプリを使って書類を読ませる。 ●録音機を持参し、読んでもらう。 ●ペンライトと手持ちルーペの併用。 ●携帯用拡大読書機の使用。 ●活字読み上げソフト マイリードの使用。 ●黒い定規などを文章に沿って当てて、読みたい部分を見やすくする。 ●職場に必要なサポートについて伝えており、墨字は読んでもらっている。 ●仕事で必要な資料を読む場合はブレイルメモを使用。 ●書類系はルーペを、PCはデスクトップモニター&画面上部に拡大鏡機能を設定している。 ●メモを書いてもらうときは大きい字で書いてほしいと職場のメンバーに伝えている。 ●スマホやガラホにデータを送っておく。 ●墨字の紙面を手にしたらその内容が一言でわかるように上部に点字を書いておく。 フォント:ゴシック系 DB(サイズ12pt 行間5pt 字間-25) (52ページ 白黒反転) 私の工夫 読むこと 明るさ ●オーム電機のルーペ付きLEDスタンドライト エルズームがキッチンで重宝。袋物に書いてある細かい文字を読むのに便利。 ●とにかく通常の明るさでは部屋が暗く感じるので照明器具のワット数をあげている。12畳のリビングダイニングは18畳用と12畳用ライト。一つは音声で操作できるもの。但し一字一句同じで無いと反応しないのが難点。一番使う全灯(ぜんとう)は問題なく声で操作できている。「アイリス、ぜんとう」。 ●6畳の自室は12畳用ライト。パソコンデスク、廊下、ドレッサーに照明を増やし、お風呂とトイレも明るくし汚れを見やすくしている。消灯後はコンセントに差し込む常夜灯ライトで足場を確保。その他倉庫、玄関に電池式LEDスタンドを設置。逆にまぶしすぎるときはカーテンを閉め、照明をつけている。 ●壁がすべて真っ白なので反射が強く眼が痛くなる。壁にタペストリーをかけてまぶしさを軽減。 フォント:ゴシック系 DB(サイズ12pt 行間6pt 字間-25) サイン 濃い色のものさしなどを、サインする場所の下に置く。 1文字ずつ指でガイドしながら、書く位置を確認する。 濃い色のものがなくても、書く場所の下にまっすぐなものを置けるとよい。 それをガイドに指でたどりながら書くことができる。 フォント:ゴシック系 DB(サイズ15pt 行間9pt 字間-25) (53ページ 白黒反転) 私の工夫 書くこと 機器・アプリ ●パソコン●拡大読書器●スマホやガラホのボイスメモ●ICレコーダー●デイジー再生器の録音機能●iPhoneにブルートゥースのキーボードで入力。●スマホのメモ帳●新規メールに書き込んで下書きで保存。●iPhoneのボイスメモか音声入力。●テープレコーダーでカセットテープに録音。 墨字でメモ ●罫線が太いノート●マイクロソフトWordで自分に合う罫線をひいたデータを作成しプリントアウト。●油性マーカー●太いサインペン おすすめ文房具 ●ボールペンの線が見えにくい方にはゼブラ社から発売されている「ノックサイン」、ボールペンのようなノック式のサインペン、キャップをどこかへやってしまう心配はない。水性なのでノートや机に裏映りしない。全5色。価格は100円前後。 ●パイロット社から発売されている「フリクション」のサインペン、摩擦熱を利用した専用消しゴムで擦ると消すことができる。擦るので紙がすこしたわんでしまう・文字の発色がやや弱い。 ●フリクションのマーカーペンは、教科書などにラインを引きたい時に便利。行を見間違えて必要のないところに線を引いてしまっても、擦ると消える。発色はそこそこしっかりしている。 ●黒い紙に白い文字を書きたい時は、三菱鉛筆から発売されている「ポスカ 白」、発色もよく、かすれも少ない。 ●封筒の宛名欄に線が入ったもの。以前は自分で鉛筆で線を引いていたので、便利。 点字 ●点字板 点字定規 ブレイルメモなどの点字ディスプレイ●ブレイルメモとPC●代筆か点字か携帯のメモ●携帯型点字器かICレコーダー フォント:ゴシック系 DB(サイズ12pt 行間6pt 字間-25) (54ページ 白黒反転) 私の工夫 書くこと メモアイデア ●ガラスマホの携帯電話は通話の最後約20秒ぐらいが自動録音できるので必要な連絡先などを聞いた場合は、相手に最後に復唱してもらい録音を残す。 ●白紙を一行幅に巻き込んで折って一行書くごとに開いていく。書いた面の右上端を手前に三角形に必ず折る。後に裏表上下の区別がつくように。 サイン ●家では拡大読書機で書く。 ●代筆が可能ならお願いする。 ●署名の箇所までペン先を誘導してもらう。 ●書き始めの位置と枠の幅を聞いて、後は手の感覚! ●サインをする場所の下に厚紙を置いてその線に沿って書く。 ●書く場所を指でさしてもらい、横書きか縦書きかを聞いてから書く。 ●昔見えていた頃の感覚で、適当に署名する。 ●穴あきスケールカードを使う。 ●ハンコで済むときはハンコを使用。 ●市役所関係の書類など、当人が書かなければならない場合は手を添えてもらって名前だけ書く。 ●法事や結婚式などの封筒に名前を書くことが出来ないので、縦書き・行書のフルネームのはんこを使っている。スタンプ式、インクも補充できるので長く使える。 ●名刺など薄くてたわみがない紙をアンダーラインの場所に引いて、角を書き始めにして名前を書く。(サインガイドは「窓」の大きさが決まっているため使いにくい) ●日点用具部のサインガイドを使用。一筆書きでかけるよう、名前とは無関係なひらがなのサインを作ってある。 ●保険会社の人にパソコンの画面に大きく名前を書いてと言われ所定のペンで書き、それを縮小してサインとしてはり付けてもらえた。 ●IT画面の場合、画面に触れられないので可能であれば同行者に代筆してもらう。無理な場合はだいたいの場所をきき、適当に書く。 フォント:ゴシック系 DB(サイズ12pt 行間6pt 字間-25) == (55ページ) 第3章の扉 第3章 どうにかこうにか奮闘中(アイキャッチはひし型です) 工夫 楽しく暮らしたい 触れる 聴く 味わう 匂う 感じ方いろいろ 家族 絆のある風景 (56ページ、57ページ) 弱視あるある 引っ越し編  藤紫のヨガマットです。うちは転勤族です。引越は11回。見えにくくなって4回です。さて、まだまだ片付けは終わりません。今まで何度も転居したのに今回はなんだか大変なんです。視野欠損が進んだのでしょうか。ものが見つからない、ここに入れたはずなのに、あれれ? 引っ越しから入居後の生活まで「なんで? なんで?」の連発です。今回の新居はマンションタイプ。以前は1階、今回は9階です。ハプニングと発見の毎日です。ロービジョンが転居すると、あらゆるシーンにあれれ?のエピソードが出てくるわ出てくるわ。エピソードを聴いてバタバタグレージュさんがつぶやいています。そんなお二人のやりとりをお届けします。 ★階段1  ダイエット中につき、マンションの外階段を上ってみた。自宅は9階、階段を数えたら165段。初日5階で息があがりながら何とか辿り着く。アレ?なんか変。そこは隣の棟だった。以降間違えることは無い。でも、3日続けたら膝が痛くなったのでしばらく自粛。  同じような建物があるのね。そりゃ間違えるよね。階段使ってダイエットなんてすごいー。もう間違えないってのもすごいー。 ★階段2  白杖ついてエレベーターをおり、夫に続き外に出ようとした。ギャー!足を踏み外す。日中は薄暗いエントランス。1.5メーター置きに段差が三つ。並行してその奥がスロープ。うっかり2度もこけかけた。さすがに3度目は無い。  暗いところって、建物のデザインをインプットしておかないとヒヤヒヤだよね。そろそろ階段かなとか、ここはこれくらいの幅、これくらいの高さとか、白杖を持っていても心の準備があるかないかじゃドキドキ度ちがうよね。怪我がなくてよかった。3度目はない、ほんまよかった。 ★スーパー  安いと聞いた自宅から二番目に近い徒歩5分のスーパー。店舗へ辿り着くと「いらっしゃいませ」の声。声のするほうへ向かうと、「入口はあっちです」と数メートル先を教えられる。それにしても、私はどこに入ろうとしたのだろう? 謎である。  なぞ、解決しないことあるよね。推理してみたよ。従業員用出入口?搬入口?最近は建物の外から入れるユニバーサルトイレのある店舗もあるね。 ★お風呂  風呂水を溜めようとゴム栓のチェーンを探すが見当たらない。家人に訊ねるとバスタブのヘリのボタンを教えられる。白地に白。これでは視野に入ってもわからない。でも生まれてウン十年チェーンのないバスタブは初めて。これって最新式?  チェーンのないバスタブ、それって随分前からあるよ。その部分だけで最新式かどうかはわからないけど、もう場所おぼえたから、白に白でもきっと大丈夫だよね。見えてるみたいにボタンにすっと手が行く、この動き最新式に加えてね。 ★ゴミ出し  事前に夫と一緒にゴミ置き場の確認をした。ゴミの種別ごとに出す位置が異なる。今日は転居後初の燃やすゴミの日。私の前をゴミ袋を持って歩く人がいる。ちょうどいい、後をついていく。私がドアに入ろうとすると「燃やすゴミは隣の扉です」と。うわっ!生ゴミ入ってるから教えてもらってよかった。ところで、あなたのそれ、指定日じゃないゴミなのでは?  とにかく無事ゴミ出し成功、おめでとう。前に歩く人、うわっ!、後ろの人に見つかったなんて、あわててたかな。お二人の「うわっ!」、まるでマンガやね。 ★質問  相談支援員さんから「あまり詳しくないので」と前置きしての質問。「ロービジョンって何ですか」と。仲間内で当たり前に使う言葉だが、色々気づかされる。そのことを夫に話すと「俺も知らん」と、私、ロービジョン歴16年なんですけど。  あるある、家族ってそういうもんかもね。ちなみにうちのダーリンの口癖は「知らんがな」。 ★深呼吸  さすがにばてた。とりあえず空き部屋に荷物を押し込んだ。これからはゆっくり片付けしようっと。  この際、これからはばてないでいこう。必要なものだけ取り出して、あとは触らずキープ。これ、次の引っ越しの準備になるかな。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ13pt 行間6pt 字間-25) (58ページ) 工夫 楽しく暮らしたい 触れる 聴く 味わう 匂う 感じ方いろいろ 小革命(しょうかくめい) ペンネーム/空色気分(40代 男性 弱視)  タイトルに政治的な意味合いはありません。ただ最近私の生活に小さな革命ともいえる変化が起きたので、こんなタイトルにしてみました。  その変化とは何かといいますと、40代後半にして初めてスマホを購入したということです。  12、3年前に視力の低下により仕事ができなくなり、障害年金だけで生活しなくてはいけなくなった私は、少しでも生活費をきりつめるために携帯電話(ガラケー)を解約しました。  しかしそれ以降の約10年は、人との交流もほとんどなかったので、携帯電話の必要性もなくなり、何ら不便さを感じていませんでした。  そんな私が、1年前から京都ライトハウスに点字とパソコンの訓練に通うことになりました。(この生活の変化も小革命といえるかもしれません)。  驚きだったのは、そこに通っている視覚障害のある皆さんが、スマホを器用に使いこなしていることでした。私の知る限り、スマホを持っていないのは私だけでした。  同じ訓練を受けている人にスマホを見せてもらうと、文字が自由に拡大でき、白黒反転にするととても見やすく、音声でも読み上げてくれて、視覚障害のある人にも「優しい」ことを知りました。これなら自分でも使えそうだと思いました。  また、弱視の人と京都駅で待ち合わせたとき、お互い視力が弱いので落ち合うのに苦労したことがありました。そのときも、やっぱり携帯電話はあった方がいいなと思いました。  そんな中、タイミングよく年金が増額されることになったので、私はスマホを買うことを決意したのでした。格安スマホにしたので、結果的に月額料は固定電話より安くなったのです。  というわけで、遅くしてスマホユーザーになった私。何でも調べられますし、音楽も聴けるし、とても便利です。  しかし、固定電話癖といったらいいのでしょうか、私は普段はスマホを家に置いて出かけます。私にとってスマホは、すごく便利な固定電話、という感じです。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ12pt 行間6pt 字間-25) (59ページ、60ページ) 工夫 楽しく暮らしたい 触れる 聴く 味わう 匂う 感じ方いろいろ 一人だけど 独りぼっちじゃない ペンネーム/フェルメールブルー(70代 女性 弱視)  生年月日 1948年3月3日 75歳。産まれは京都 姓は弥生 名は桃恵と申します。せっかく、母が桃の節句に産んでくれましたが、桃の莟はどうやら母のお腹に忘れてきたような私です。  私は黄斑変性症で視力 右0.03 左0.01、68歳で視覚障害者1級となりました。視野は正面は常に霧の都ロンドン状態、左右両肩くらいまでなんとか見えます。左右の目頭に僅かに視力が残っているらしいです。目の奥の血管が常に腫れているので、血管が破裂しないように血管を丈夫にする薬を服用しています。定期健診は2か月に1度、状態が悪化していたら眼球に注射をしますが、何度しても恐ろしいです。その日の天候や体調によって見え方も変わります。人の顔の認識は困難で、常にやや顔を右に向けて焦点をあわせています。携帯や財布などを無意識にホイと置いてしまったら、探すのに苦労します。一方、携帯電話の小さな点滅が見えたり、部屋の隅の小さなゴミが見えたりすることがあります。これは残影で確認できているらしいです。このために、周囲の人々からわりと見えていると思われます。色の確認は難しく、特に薄い色は概ね白に見えます。織物をしている私にとって色がわからないというのは実に不自由なことです。文字は殆ど見えませんし、信号もわかりません。公共のトイレの男女の色の区別が困難で、男子トイレに入ったこともあります。駅のトイレで水洗ボタンと非常ボタンを間違えて押したこともあります。しかも二度、大変恥ずかしかったです。  73歳にして一人暮らしを始めました。趣味は読書、サピエ図書館を利用しています。もう一つの趣味は織物です。フラミンゴという織機で、スヌードやクッションカバーをコツコツと作っています。ワンルームに最小限の調度品を備えシンプルに暮らしています。買い物やお出かけは同行援護を利用しています。居宅介護の身体介護(共同実践)のサービスを受け、ヘルパーさんの眼を借り、手を添えてもらったり、見守りを受けながら自立生活しています。例えば、新しい調理機器の取り扱い説明書の代読を受けながら操作パネルのボタンの位置を伝えてもらいます。ボタンの位置を確認しながら、操作手順を繰り返し練習します。一度ですべてマスターとはならず、忘れればまたサポートを受けて練習します。リモコンや電磁調理器など、使いやすいようにするマーキング作業のサポートも受けています。忘れたら再びサポートしてもらいます。冷蔵庫の食品の賞味期限を伝えてもらいます。衣替えの際の衣類の補修や劣化による処分の要不要の選別も共同で行います。テレビやパソコン、スマートスピーカーなどの初期設定をマニュアルを参照しながら一緒に行いました。行政機関への申請書類の代読を受け、代筆や添付書類の確認を共同で行いました。特に、眼が不自由になってから私がライフワークとして取り組んでいる織物の糸の色分けを一緒にしてもらえるのはとても助かります。私の生きがいをサポートしていただいているのです。処方箋の薬の管理はとても助かります。以前は間違えて服用することもありましたが、今は安心です。  一人で買い物に出かけた時は近くにいる人に尋ねます。大型スーパーでは店員さんを見つけることが難しいです。コンビニではカウンターに赴き、視覚障害者であることを申し出ます。とても親切に応対していただくとついつい余計な物まで購入してしまいますが、ちっとも惜しくないです。  引っ越し祝いにと仲間からスマートスピーカーをプレゼントしてもらいました。このスマートスピーカーの初期設定はスマホが必要です。スマートスピーカーでは時間、お天気、タイマー、ラジオ、音楽、調べものなど情報が簡単に手に入ります。手軽で便利です。おかげでとても潤い溢れるシングルライフになっています。一人暮らしを始めてから、行政からの支援を多岐にわたり受けています。心から感謝しています。  ヘルパーさんの出入りのおかげで私のシングルライフはちっとも淋しくないです。「今は幸せかい」ときかれたら、即「はい」です。狭いながらも楽しい我が家、6、7人で会食をしたり、織物をしたり、これからも素晴らしい老活を愉しんでいけたらと願っています。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ14pt 行間8pt 字間-25) (61ページ、62ページ) 工夫 楽しく暮らしたい 触れる 聴く 味わう 匂う 感じ方いろいろ ゆっくりじっくり ペンネーム/ホットブラウン(50代 男性 全盲)  見えなくなってから、およそ10年。歩く速度はゆっくりになったけど、それまでの40年と同じくらい、もしかしたらそれ以上に、心に残る出来事が多かったと感じる。歩くことも、炊事や洗濯などの日々の日常も、今まで以上にしっかりとした感触があり、一つ一つ刻み込まれていくようだ。  例えば、台所で包丁を握っている時、この柿はもう少し熟してから食べようと思ったり、チンジャオロースが上手にできた時の味を、随分長い間覚えていたりする。コーヒーの酸味や深みも感じられるようになってきた。特別に新たな能力が出てきたわけではない。見えていた時はコーヒーを飲みながらメールを読んだりしていたけれど、「ながら」ができにくくなったことで、私のガサツな神経がコーヒーに「全集中」となるようだ。そう言えば、チャチャッとキーボードを叩いていたときは、誤字脱字も多かった。  すばやくは動けないから、ギリギリに起きて駅まで猛ダッシュという訳にはいかない。必然的に早起きになった。東側の窓を全開にして気持ち良い空気と朝陽を吸い込んだら自然に朝ごはんもしっかり入る。髭剃りも急ぐと剃り残ししたりするので、床屋さんのようにじっくりと。見えないと歯医者に通うのも大変なので、歯磨きも丁寧になったと思う。大事な大事なお弁当、パンも持ったか、しっかりチェックする。ハンカチよし、携帯電話よし、財布よし。こんな朝になったことで、忘れ物は見えている時よりも減ってきた。  駅までの道はみんな急ぎ足。だけど、私はまるで散歩しているよう。公園から漂うほのかな甘い花の香りに春を知り、銀杏の香りにちょっと寂しい秋を感じて進む。ゆっくり歩いていると、人の目にもつきやすいのだろう。声を掛けてくれる人も多い。  ゆっくりめに動くとお得なことも起こる。電信柱に当たっても、鼻血ブーにはならず、静かなところなら、自転車が近づいてくる気配も察知しやすい。自分の渡りたい方向が青信号でも、次の青信号まで待てば、左折してくる車との接触リスクだって減らせる。  サクッと早く出来ること、チャチャッとこなすことが良いこととされる、そんな風潮があるけれど、せかせか歩いていた時は躓いたりこけたりすることも多かった。でも、ゆっくりが大好きになった今の自分はヨガマットを抱えて出かける友人の気持ちがとても良くわかる。  日々の日常の些細なことでも、その一つ一つを感じ、とまどいつつ、受け止める、そんな一瞬一瞬の繰り返し。見えていた時の自分は、見たつもり、わかったつもりで、いろいろなものをさらっと流してしまっていたように思う。見えない生活にも慣れてきて、少し急ぎ足でも歩けるようになってきたが、時に立ち止まって自分自身と向き合えば、周囲の優しさも今まで以上にしっかり、じっくり味わえる。慌てずじっくり、休みつつ、今見える新たな景色を楽しんでいきたい。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ16pt 行間8pt 字間-25) (63ページ 白黒反転) 私の工夫 お札の区別 お札の区別 ●標準のお札(五千円)を前もって準備しておいて、幅の違いで見分けている。 ●お札を重ねて、一万円札が長くて、その次が五千円札、千円札が一番短いなと判断。 ●お札が一種類しかない時は長さで比較できないので、渡す相手に尋ねる。 ●絶対に誰かに見てもらう。●iPhoneのアプリを使う。 ●ヘルパーさんなどに見てもらう。●紙幣の隅端の突点で確認。 ●千円札と一万円札は大きさとホログラムがあるかないかで区別する。 ●「五千円札ぴったり封筒」を作る。五千円札がぴったり入る封筒の下角を三角に切り、入れ口は開けておく。この「五千円札ぴったり封筒」にお札を下角まで入れて、封筒より短ければ千円札、長ければ一万円札と区別する。「五千円札ぴったり封筒」を札入れに常時入れておく。 折り方で分別 ●一万円札はふたつ折、五千円札は二つに折った後、三角形に折る、千円札は4つに折る。 ●一万円札はそのまま、五千円札は二つ折り、千円札は四つ折り。 ●一万円札は四つ折り、五千円札は二つ折り、千円札はそのまま。 ●千円札は3つ折り、一万円札は2つ折り。二千円札は手にした直後に使う。 五千円札対策 ●半分に折る。●2つ折りにして、小銭入れのところに入れている。●横向きに折る。●千円札に両替してもらうようにしている。●できるだけ持ち歩かない。●先に使う。 お財布の中での整理整頓 ●2つの敷居のついた財布に千円札とそれ以外に分けて入れる。●一万円と五千円の間にタクシー券などを挟んで区別する。●千円札、一万円札は入れる場所を分ける。●財布のお札入れのところの手前から千、五千、一万と入れる。●財布のお札入れを2か所にしていて、千円札と二つ折りの五千円札は一緒に入れる。一万円札は何枚もあるときは、一枚を折ってその中にほかの一万円札を挟んでおく。慌ててお札を出しても千円の札入れと一万円の札入れの場所を間違えないで済む。●千円札、五千円札、一万円札それぞれ財布の中の違う仕切りに入れる。●五千円札は半分に折る。一万円札をいつも手前、次に五千円札、その後に千円札の順番で入れる。●手前から千円・五千円・一万円と揃えて札入れに入れる。 シンプルな工夫 ●千円札のみ持ち歩く。●必ず千円札を入れておく。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ12pt 行間5pt 字間-25) (64ページ 白黒反転) 私の工夫 小銭の区別 ぎざぎざの有無、穴の有無、色の違いで区別。 ●十円玉、五円玉は、大きさが同じくらい、周りはつるつる。五円玉は、真ん中に穴が開いている。●百円玉、五十円玉は周りがざらざら。五十円玉は真ん中に穴があり少し小さい。●五百円玉は周りがつるつるしていて大きい。一円玉は全体的につるつるしていて一番小さい。●ぎざぎざの薄い百円玉の時は、爪で100の数字の柄を触って確認。●ヘルパーさんに見てもらいながら3つに分ける。一円玉と五円玉、十円玉と五十円玉、百円玉と五百円玉。●コインケースに一円玉、五円玉、十円玉、五十円玉、百円玉、五百円玉を横一列に入れる。はまるかはまらないかで金額の把握もできる。コインケースは百円ショップで購入できる。 小銭を入れるところが2か所の場合。 ●一円玉、五円玉、百円玉。もう一方に五十円玉、十円玉、五百円玉。 ●百円玉、五円玉、五百円玉。もう一方に十円玉、五十円玉、一円玉。 ●五百円玉、百円玉、五十円玉。もう一方に十円玉、五円玉、一円玉。 小銭の仕分けが便利なお財布 ●洋服のポケットに入るサイズの3箇所に分かれている小銭入れを準備。カードポケットが外側に1つあるので、イコカなど交通系ICカードを入れておくと便利。●十円玉と五十円玉で1箇所、百円玉と五百円玉で1箇所、一円玉と五円玉で1箇所、小銭を3か所で仕分け。サマンサタバサというブランドのものを愛用。かわいらしくもシンプルなデザインの長財布。 お財布を二つ以上使う ●つかみどりしやすいがま口財布を二つ持ち、4か所に仕分け。それぞれの硬貨は4、5枚以上はたまらないように使う。 シンプルな工夫 ●最初から小銭は持っていかない。●あらかじめ必要なおつりを準備。●一円玉は財布から出す。●小銭がたまったら財布から出す。●なるべく五円玉、五十円玉は持たない。●さわって区別しにくいもの、百円玉と十円玉、五十円玉と五円玉は、どちらかを目薬を入れる空き袋に入れる。●五百円玉と百円玉だけを小銭入れに収納し、他は使わない。●百円玉の枚数さえわかれば、ある程度早くお支払いができる。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ12pt 行間6pt 字間-25) (65ページ、66ページ 白黒反転) 私の工夫 おうちごはん 配膳 ●湯のみコップの位置は、10時や2時のクロックポジションを固定。 ●深い皿を使用。 ●トレイやランチョンマット、お盆の中に食器や箸、コップなど必要なものを全て載せる。 ★クロックポジションとは、どこに何があるのかを時計の短針にたとえてものの位置を伝える手段。食事を乗せるお盆などの大きさ、食器の間隔等を手で触れながら、時計の文字盤にそって説明をうける。アツアツの器もあるので、手で触らず位置を頭でイメージしながら説明を受けるのも良い。鉄板などもあるので、やけどに注意。手前が6時、向こう側が12時、右手が3時、左手が9時。例えば、洋食で一皿に盛り付けてある場合、丸いお皿の上半分がサラダ、一番下にレタスがしいてあり、その上に千切りキャベツがもられている。3時にトマト、その左横にブロッコリー、9時にポテトサラダ。お皿の下半分にハンバーグ、6時あたりにトマト煮込みのお野菜、5時にマスタードがそえられている。また、横長の長方形のお盆にのった和食の御膳の場合、まず、それぞれの器の位置を伝えてもらい、それぞれの器の中のものを教えてもらう。 クロックポジション クロックポジションとは、どこに何があるのかを時計の短針にたとえてものの位置を伝える手段。時計の文字盤にそって手前が6時、向こう側が12時、右手が3時、左手が9時。 3時に ブロッコリー 6時に ハンバーグ 9時に ポテト 12時に にんじん フォント:UD教科書体系 M(サイズ13pt 行間6pt 字間-25) もりつけ ●おかずごとに器を変える。ごはん(白米)が見やすいように黒いお茶碗を使用。白っぽいおかずは色濃い食器に。色の濃いおかずは白の食器に。献立の容量より、一回り大きい皿を使用。 ●お弁当では、きゅうりなど食べられるものを使って仕切るようにし、紙製のおかずカップやプラスチック製のバランなどは使用しない。 いただきます ●おはしではさんで落っことすことがないように、小鉢は持って食べる。 ●おはしで安定してつかんでいるか、左手で確認することもある。 ●丼物はスプーンで食べる。 ●醤油などはかけなくなったが、おかげで素材の味がわかるという特典があった。 ●手近にティッシュを設置。 ●椅子の背もたれに常にフェイスタオルを常備。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ15pt 行間9pt 字間-25) (67ページ 白黒反転) 私の工夫 外食 準備 ●視覚障碍を伝えて入店。●視覚障害者の対応に慣れた店を選ぶ。 ●できるだけ出入口近くの座席を予約。●ウエットティッシュとマイ箸を持参。 ●使い捨てのペーパーエプロンを持参、シミ防止に。 ●チェーン店のメニュー表はインターネットのメニューを活用(きけるおしながきユーメニュー) 。 ●自分の前に置かれたものを触って確認した後、自分がわかりやすいように物の配置を変える。 ●おかずやごはんはできるだけ手前に置く。汁ものは遠くに置く。 ●おはしを床に落とさないように、手前に横置きでなく縦置きにする。縦置きは行儀がよくないかもしれないけど横置き、器の上よりも安心。 ●ガムシロップなどを入れる際はコップの縁を確認する。 ●ザル蕎麦を食べる時は、左指を添えて蕎麦をそばちょこに入れるようにしたり、そばちょこではなく、お椀などの大きな入れ物を頼む。 サポート ●セルフサービスのお店では座席までの配膳と下膳をお願いする。 ●フードコートやビュッフェは家族かガイドヘルパーさんに任せる。 ●おしぼりを追加でもらう。 ●一緒に行った人にメニュー写真を見てもらって盛り付けを事前にチェック、食べにくくないか考える。 ●お箸の方がつんつんできるので、お皿のどこに食べ物があるか、どれくらいの大きさか、どのくらい掴めているのかがわかりやすいから、コンビニやお店でも可能な限り割り箸をもらう。丼ものを食べるときは、スプーンをもらう。 ●フレンチやイタリアンはお皿に描かれたソースの位置を確認する。 ●お造りのわさびは別でもらう。 ●食べられないものやワサビなどの薬味は最初に排除してもらう。 ●洋食のお店ではライスを少し深みのあるお皿に入れてもらう。 ●ステーキやハンバーグは切って出してもらう。 ●定食の場合、おかずの量があと2口/1口程度になったら、付き添い者に頼んでご飯にのっけてもらう。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ13pt 行間5pt 字間-25) (68ページ 白黒反転) 私の工夫 お台所のストック ストックの区別 ●よく使うものに輪ゴムをかける。 ●最小限把握できる程度の種類にとどめる。 ●容器の形、色で区別。 ●買った時に点字やマジックで品名や賞味期限のメモをつける。 ●タッパーに小分けし、点字シールやものタグをつけている。 ●スパイスの小瓶はメーカーごとに形がちがうので、わざと別メーカーのものを購入。 ●しょう油や油は、容器の上を押すと大匙1杯など一定の分量が出るものを使用。 ★ものタグとは  iPhoneアプリ「ものタグアプリ」で使用できるNFCタグ。商品の識別や整理の際に、iPhoneのVoiceOverをオンにし、音声で登録ができる。洗濯可能なもの、書類整理に適したもの、クリップ付き、カードに貼れるものなど。株式会社コネクトドット。 冷蔵庫 ●トレイを置いて引き出せるように収納、材料や作り置きが見つけやすい。 ●牛乳パックの上を切り取って、そこにマヨネーズやソースなどを立てて、点字シールやものタグをつけている。 ●できるだけ汁物は入れない。 ●パッケージが同じものは置く場所を別々にする。 ●冷蔵庫用の収納ケースや、文房具収納などを使って、カテゴリー別に収納。 ●残り物を保存容器にいれる時に、いつ作った何なのかをモノタグに入力し、それをお弁当ベルトにつけたものを保存容器につけて、残り物の管理をしている。 ●仕切りをどの段にも置き、どの段もプレートに少したてに数センチの高さのある籠を利用し、置き場所を決めておく。一段を3分の1と3分の2に分ける籠をおいている。 ●冷凍食品の袋に、食品名の最初の文字をカタカナの形にセロテープを貼る。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ13pt 行間6pt 字間-25) (69ページ 白黒反転) 私の工夫 調理  道具 ●じっくりコトコト味をしみこませたい時は炊飯器や保温調理機。 ●音声タイマー、音声の料理はかり。 ●計量カップとか計量スプーンは細かく測れるもの。 ●食器洗浄機 音声ガイドのあるグリルレンジ 炊飯器・IHクッキングヒーター。 ●電磁調理器とガスコンロの併用。 ●白黒まな板、肉、魚はまな板シート。パンを切る時は木のまな板。 ●黒いしゃもじ、黒いまな板、黒いご飯茶碗、黒いランチョンマットなど、コントラストをつけることで見やすさアップ。100円ショップで購入できるものもたくさんある。 下ごしらえ ●包丁を調理中、一旦置く時は必ず刃を向こう側に向けて、取っ手を右にして、まな板の奥に置く。 ●調理ばさみ、スライサー、ブンブンチョッパー、千切りやみじん切りに大活躍。 ●キッチン引き出しの中は仕切り一つに調理グッズ1個。ピーラー、味噌マドラー、計量スプーン、キッチンばさみなど調理中探すのにてまどらないようにしている。 ●使用頻度の高い一軍は引き出しに入れ、長い菜箸・お玉、フライ返しはカトラリー入れに立てて収納、滅多に使わない二軍三軍は流し台奥かつり棚へ。 ●タイマーは大きな文字のタイマーかスマートスピーカーでセット。「アレクサ、30分後にタイマーかけて」。 ●調味料や水を計る時、計量カップとデジタルスケールを使い分ける。計量カップは50cc、100cc、200cc、500cc、600ccと揃え、それ以上はペットボトルを使う。 ●計量しなくても良い簡単料理をする。 ●使用頻度が多い調味料はすぐ取れるとこに置いておく。 ●緑の野菜類は白いまな板、玉ねぎ・じゃがいもなど白い野菜は黒のまな板を使う。 ●熱い野菜をまな板に載せる時はシリコントングで。すべりにくくつかみやすい。熱い青菜をトングで抑えて包丁でざっくり切っているうちに冷めてきて、後は手で抑えて細く切れる。 ●ワンプッシュで一定量が出る調味料容器を使う。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ13pt 行間6pt 字間-25) (70ページ、71ページ 白黒反転) 私の工夫 調理 レンジが大活躍。 ●液晶とダイヤルだけのタイプだと操作は困難。ボタン式だと位置をおぼえて何回押せば何分とか、オーブンとレンジの切り替えやレンジのワット数も切り替えできる。たくさんボタンが並んでいる場合は、ぷっくり盛り上がったシールでヘビロテボタンに目印をつければ操作もスマートに。 ●電子レンジを料理の下ごしらえから、調理まで多用。 ●100均のレンジ調理器(目玉焼き器など)を使えば、時短で手間いらず。 ●電子レンジだけでできる料理をインターネットで検索。 ●フライパンでなくオーブンやトースターを使うことが多い。加熱時間や温度を設定できるので加熱しすぎや慌てる必要がない。フライパンよりオーブン皿のほうが小さく、アルミホイルなどを引いておけば洗い物も簡単、ピーマンの肉詰めやキッシュも楽々。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ13pt 行間7pt 字間-25) ぷっくりシール 電子レンジや家電製品のボタンにしるしをつける。 ぷっくりともりあがったシールならさわってわかりやすい。 さまざまな形のものをよく使うボタンにだけ貼る。 「解凍」はハートマーク、「レンジ強」は★など。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ13pt 行間5pt 字間-25) ガス、IHでの調理 ●フライパンを熱する前に、あらかじめ油を敷いておく。 ●ガスレンジの横に濡らしたタオルを置き、フライパンなどを濡れタオルの上に置くことで、音を頼りに調理。 ●弱火で調理。 ●必ずフライパンのへりをはしで確認してから調味料を入れる。 ●深めのフライパンを使い、具材が飛び散らないようおとなしめに炒める。 ●吹きこぼれないよう、グツグツの音に集中。 ●おさかななどくずれやすいものは冷ましてから、左手を添えて取り出す。 ●シンクの中で盛り付けると、こぼしても平気。 ●コーヒーメーカーに水を入れる時は、ペットボトルで量を加減して入れると、口が狭くてもこぼれない。 ●YouTubeチャンネルのアクセシブルキッチンでは視覚障害者向けの料理やグッズを紹介、参考になる。 ●我が家はオール電化、でもカセットコンロでの卓上調理もできるよう、コンロ2つ、カセットボンベも常備している。 ●まぜるだけ、あえるだけという便利な調味料は、レシピよりもたっぷり目にお野菜を加えて調理すれば手作り感が出る。調味料の計量の苦労もスルーできて時短。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ15pt 行間9pt 字間-25) (72ページ 白黒反転) 私の工夫 お掃除 水回り ●触ってぬめりがないかチェック。 ●流し台や洗面台、お風呂内の掃除は一通りすませ、週に1度の家事援助の日にヘルパーさんに確認してもらう。 お台所 ●キッチン泡ハイターをフル活用。ふっておくだけで、ある程度カビが除去できる。 ●排水溝、三角コーナー、シンクは毎日クレンザーで磨く。パイプ掃除も週1。 ●セスキ炭酸ソーダを使用。油汚れに強く台所関係はもちろん、洗濯にも使える頼もしいアイテム。換気扇やガス台の五徳の掃除では、2枚重ねたレジ袋にセスキと50~60℃のお湯を入れたところにつけ、1時間ほど放置するとかなり汚れが落ちる。換気扇はさらにセスキを振りかけて磨けばバッチリ。レジ袋の端を少し切って水を抜き、レジ袋を捨てて完了。 ●キッチンマットはニトリの210㎝防水タイプ、毎日拭けて清潔。 拭き掃除 ●汚れがないか常に触って確認。たまに雑巾がけは筋トレのつもりでする。 ●台所の床は衛生維持のため、必ず毎晩水ぶき。うっかり落とした野菜くずもキャッチ。 トイレ ●毎晩、必ずトイレ用洗剤で便器を軽く洗う。ブラシでこすっても汚れが落ちたかどうかはわからないので、最後にさわって確認。手は入念に洗う。たまに尿石がたまってないかなど、家族に見てもらう。 ●便座の裏を1日の終わりにウエットタイプのシートでふきとる。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ14pt 行間6pt 字間-25) (73ページ 白黒反転) 私の工夫 お掃除 掃除機 ●普通の掃除機とスティック掃除機の二台もち。 ●膝をついて、床を手でさぐりながらかける。 ●端から順に、動かせるものは必ず動かしてかける。週1マット類はすべて取り去って洗うので掃除機がかけやすい。 ●白杖代わりにクイックルワイパーで掃除しながら歩いている。 ●掃除機とお掃除シートを併用。 整理整頓 ●物のおき場所は常に同じ所に。 ●服も同じ順番にかければ、似たようなデザインや手触りでも色を間違えることはない。 ●とにかく床置きしない。 ●インテリアは丸テーブルや丸椅子にしてぶつかってもケガしないようにしている。 ●衣服は、タンス・衣装ケースに春夏・秋冬と大きく2つに分けて、各カテゴリーごとに段を決めて収納。 ●外装はハンギングしてクローゼットに。 ●使用頻度の多い雑貨は、100均で売ってるトレイの中に入れて机の上に置いておく。 ●点字シールで収める所をファイル化する。 ●一つ買ったら一つ以上捨てるルールでものを増やさない。色違いのものは小袋で分別。 ●失いやすく利用度の高い小物は、決めた空き箱に収納。 ●衣替えの時に、使わないものを思い切って捨てる。自分のものであっても把握しきれないものはいらない可能性が高い。何年も着ないものや使わないものはそれがどんなものだったかも記憶から消えているため、整理する時のストレスになる。よほど思い出のあるもの以外は処分する。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ14pt 行間6pt 字間-25) (74ページ 白黒反転) 私の工夫 お洗濯 洗濯機 ●ボタン付近に点字がついたものを使用。 ●点字が読めないからよく使うボタンにシールを貼っている。 ●おしゃれ洗いの必要なものは分ける。 ●色移りをしてしまうとわからないので、色移り予防シートを入れる。 ●ワイシャツの襟と袖口には専用洗剤をつける。 ●洗濯機や脱衣籠の取り残しが無いか手で確認する。 洗濯ネット ●小物 タオル類 ホックがついているもの 小さなもの タイツやパンスト ビジューやレースのついたものを入れる。 ●洗うものそれぞれをすべてネットに入れる。 ●洗濯ネットはサイズの大きいものから小さいもの、網目のあらいもの、細かいものなど、たくさんの種類を使い分ける。 ●手触りだけで色の違いがわからないものはペアにして入れる。 しみ ●シミがついててもわからないから教えてと家族やガイドさんに伝えている。 ●よほど濃いしみはクリーニングへ、それ以外は気にしない。 ●汚れた箇所を教えてもらい、クリップや輪ゴムで目印をつけ、セスキでつけ置きして洗濯。どうしても取れない場合はブローチやワッペンで隠す。 ●ヘルパーさんに漂白剤をかけてもらったり、手洗いしてもらう。 ●しみになっても見えないから、しみ予防として1日着たら必ず洗濯。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ14pt 行間8pt 字間-25) (75ページ 白黒反転) 私の工夫 お洗濯 しわ ●しわになるようなものは買わない。 ●外出着はクリーニング店へ。 ●ブラウス・Tシャツにはアイロンをかける。 ●ぴんぴん伸ばしながら干す。 ●服をハンガーにかけ、沸かし中のお風呂場にしばらく干すと結構しわが伸びる。 干し方 ●靴下などはバラバラにならないよう一緒に洗濯ばさみにつけて干す。 ●落としたら汚れるので、必ず室内でハンガーやピンチに掛けてから屋外に出す。 たたむ ●タンスの前でたたみ、たたんだものをすぐにタンスに入れる。 ●パンツはくるくる巻き込んで、タオルなども縦向きに収納し、1枚が取り出せるように。 ●シャツなどしわが気になるものはすべてハンガーにつるす。 ●インナー、トップス、ボトムスをセットアップしてハンガーにかける。 ●夫と息子の靴下は靴下かごにすべて入れ、各自で取り出すルール。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ15pt 行間8pt 字間-25) (76ページ 白黒反転) 私の工夫 ヘルスケア ●スマホリンクの血圧計、体温計使用。 ●毎年、健康診断を受け、客観的なデータをとる。一ヶ月に一度、看護師+栄養士さんの訪問支援を頼んでいる。自分の感覚だけでなく他者からも参考意見を聴く。ネットなどで健康情報やコロナ状況を最新チェックしている。 ●毎日体重をはかる。Bluetooth対応タニタ体組成計で体重管理。家から徒歩1分の遊歩道をウォーキング、自宅でストレッチとエアロバイク、食事を控える。以上を実践して一年半で10㎏体重が減った。 ●YouTubeを見ながら家で筋トレ。竹脇まりなさん、オガトレさん、大熊理奈さんのページを活用。音楽に合わせて簡単な動きをするだけなので、覚えやすく動画が見えなくても取り組める。 ●音声血圧計・体温計・体組成計体重計で時時測定。携帯電話に万歩計を起動させている。 ●定期的に散歩。 ●ながらストレッチを、合間合間で短めにする。 ●ハムストリングスを意識しながらできるだけゆっくり座る。 ●就寝前、ベッド上でカエル足運動をする。 エチケット ●歯磨きの時、練り歯磨きは指につけて歯に直接塗るようにすると、洋服や洗面所をよごさなくて済む。口をなるべくあけないようにして磨くと良い。 ●洗面所で手を洗った後、髪の毛などが落ちてないか手で確かめる。自宅のシャワー洗面台は出勤前に必ずブラシを洗い、洗面ボウルと排水溝の髪の毛を除去し、タオルで水気をふき取る。 安全 ●人にあいさつするときや、下に落ちたものを拾うときなど、前に向かって体を倒すときは、体を沈ませるように腰を落とすと顔をぶつけない。 ●100円ショップで購入した滑り止めマットを、自宅内点字タイル代わりに使用し、階段の手前や、玄関の上がり框の手前、トイレドアの前などに敷いている。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ13pt 行間7pt 字間-25) (77ページ、78ページ) 家族 絆のある風景 いざその状況になってみて ペンネーム/パパは虹色スマイル(30代 男性 弱視)  小学校の頃から夜盲症はあった。祖父、父、叔父と私が網膜色素変性症で幼心に自分も同じ病気なんだろうなと思いながら過ごしてきた。高校生の時、コンタクトレンズ作成のために受診した眼科で確定診断を受けた。治療法はない、失明の可能性もあると告げられたが、視野障害もなく車の運転免許も取得できた。いきなり病気や事故で失明する方もいるのだから、予告されているのだから、心の準備をする時間があるのだから、そう言い聞かせてきた。とは言え、いざ手帳取得となると、複雑な思いがあふれた。  30歳を超えて視野狭窄の自覚症状が強くなり、35歳で障がい者手帳2級を取得した。病気を自覚して30年間この病気と付き合ってきたつもりだった。障がい者手帳に該当するまで進行してきたことを、2年経った今も受け入れられていない。進行したということはこれからもっと見えなくなっていくということだ。これからを考えると余計に受け入れられない。いつしか、私はこの病気を無理矢理受け入れる必要はないのではないかと考えるようになった。受け入れなくてもできることや楽しいことはいっぱいある。楽しいことばかりだと良いが、綺麗事だけでは語れない部分もある。私の病気が進行し車の運転を止めたり段々できなくなっていくことが増えていく中で、父親が責任を感じだした。「産まなければ良かったかもしれない」と口にしたのを耳にしてしまった。私にも息子がいるから、親心が分からなくはない。それでもやっぱり悲しかった。いくら親子でも言って良いことと悪いことがあるじゃないか。少なくとも私は息子にそんな言葉は絶対に掛けない。それを言われた時に、私、妻、娘、息子含めて全てを否定された気持ちになった。えっ私は産まれて来なかった方が良かったの。親は私にいっぱい愛情をそそいでくれた。それなのに、あんな言葉を父親は口にした。父親をそんな思いにさせるほど、この病気は根が深いのか。親がいるからこそ、私がいるという意味では感謝している。おかげさまで、私自身素敵な家族にも恵まれ、妻にも子どもにも、こんな私との結婚を認めて頂いた妻のご両親にも感謝している。  一人になるとどうしても思考がネガティブな方向に流れてしまう。そうならないように横のつながりを求めて動きだした。同じ病気の方から、恋愛をしない方が良いのではないか、パートナーや相手のご両親にこの病気を伝える勇気がないという言葉が聴かれる。病気があってもなくても恋愛って好きな人と一緒にデートしたり、生活したいと思う自然な感情なのだと思う。妻と付き合ってすぐにはこの病気であることを言わずにお付き合いしていた。でも結婚を意識する中でこの病気を伝え、妻はそれでも良いと言ってくれた。子どもに遺伝する可能性も知った上で、子どもを産むという選択を二人でした。三人目がこの病気になるかもしれない、それでも産みたい、と言ってくれる妻に出会えたことに感謝している。  しかし最近は家族の絆の中でいろいろな良いこと、悩みが出てくることを実感している。覚悟を決めて結婚してくれた妻が最近パニック障害を発症してしまったのだ。その原因ははっきりとはわからない。私が運転できなくなり、妻が運転することになった。妻にしてみれば、死ぬまで自分が運転しなきゃならないのかという思い、将来の生活への不安もあるのだと思う。たかが運転ではない。運転を必要とする用事や役割を妻がすべて背負うことになったのだ。妻は陸で息ができなくなり、おぼれるという表現をする。ご飯も食べれない生活が続き、見る見るうちに痩せていく。そんな妻を前に私は無力だ。ただただ申し訳ない気持ちになる。この病気でさえなかったら、どうにもならないことを常に考えてしまう。日常の、現実のなんやかんやはとまることなく起きる。起きるものの中に運転が必要なことも多いだけに、障がいを受け入れるということは簡単なものではない。  子育ては夫婦で話し合って考えていくことが大事だ。悩む中では当事者目線で息子を見てしまうこともある。子育ては夫婦で、それは障害があるとかないとか関係のないことだとはわかっている。それでも息子が自分と同じ病気かもしれないという立場はぬぐえない。そんな中、妻から言われて救われた言葉がある。障害があっても、なくても生きているだけで良いんよ。自分も苦しんでいる中で私にかけてくれた言葉だった。私に言っているのと同時に妻自身が自分に言い聞かせているようにも聞こえた。6歳になる息子にも既に夜盲と羞明の症状が出ている。視力も矯正して1.0に達するかどうかの状況だが、網膜色素変性症の確定診断はまだ付いていない。治療方法がない中でそんなに早く確定診断する必要あるの?と妻は言う。父親と同じ疾患ではないと信じたい、妻の思いは痛いほどわかる。本人への告知も含めて、妻とゆっくりと相談を重ねている。  家族でお出かけの時、歩く速度がどうしても遅くなってしまう私の手を引いてくれるのは息子だ。息子はスタスタ歩く。だから、私はかなり引っ張られるような歩き方になる。頼もしい息子の手に愛おしさを感じる。そんな何気ない幸せを感じさせてくれるのも子ども達がいるおかげだ。私はこの子供たちがいてくれて良かったと心から思う。もし息子がこの病気だったとしても、息子にとって過ごしやすい環境を作り、何気ない幸せを積み重ねて、この家族で過ごせたことが一番幸せだったなと感じられるようにこれから1歩1歩ゆっくりと歩んで行きたい。これからも綺麗事ではないことがきっとたくさん起きるだろう。私はなんでこんな辛い思いをしないといけないのかと、何度ももがくだろう。それでもこの病気になった意味を死ぬまで探しながら生きていくだろう。苦労した人が一番幸せになれる、これは背負っているものを全ておろさせてくれるような言葉、私が一番好きな励ましの言葉だ。妻にも子どもたちにもこれからの自分にもこの言葉を届け続けていきたい。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ12pt 行間6pt 字間-25) (79ページ、80ページ) 家族 絆のある風景 息子との1年間をふり返って ペンネーム/ルイボスティー(30代 女性 弱視)  2019年11月、私は男の子のママになりました。目が見えなくても子供が欲しくて欲しくて、約1年の不妊治療を経て授かりました。息子が生まれてからは、世界観が変わりました。本当に色んな事がありました。  産後の数か月は、今思い出しても決して楽しい毎日ではありませんでした。子育ての考え方の違いから、夫とよく衝突しました。激しい時は私が家を壊すんじゃないかというくらい暴れました。見えない私と見える夫との間の行き違いや、それとは関係なく、お互いの考え方からくる衝突が何度もありました。今も小さなケンカは毎日のようにありますが、何とか乗り越えていきたいものです。  私がほとんど見えなくなった約1年後に息子がやってきました。息子の姿が見えたらなって思うことはたくさんあります。可愛いわが子を記録に残したい気持ちは見えている人と同じです。なので、私はiPhoneで息子の写真や動画をたくさん撮っています。家族で写真を共有できるアプリを使って、夫や実家の家族に見てもらっています♪ ただ、よくフレームアウトして息子の姿が映っておらず、楽しそうな声だけが入っていることも多いです(笑)。いつか見えるようになったら私も見たいし、息子がもう少し大きくなったら一緒に見て、思い出話をしたいです。我が家での珍事件はしょっちゅう起こります。私が気づいていない間に、キッチンでつかまり立ちをした息子が炊飯器の蓋を開けていて、そのまま放置され、中にあったご飯が冷めてカピカピになったことが数回ありました。先日はつかまり立ちをした息子がキッチンの扉を開け、その中にあった米びつをひっくり返してしまいました! びっくり仰天、私はこぼれたお米を必死に拾い集めましたが、息子は床に散らばったお米で遊んでいました(笑)。他にも、洗濯物が入ったバケツをひっくり返されたこともありました。息子は嬉しそうに床の水をバチャバチャ触っていました(笑)。もう一つの大事件、それは何と紙おむつを洗濯しちゃったことです! ベッドシーツを洗濯しようとしたところ、なぜだか中に紙おむつが混入していたのです。それに気づかず洗濯機をオン、何とそのまま乾燥機にも入れてしまいました!! この時ほど紙おむつの恐ろしさを感じたことはありません。数日間は紙おむつの吸水ポリマーとひたすら戦いました(涙)。見るも無残な状況でしたが、見えなくて良かったかな?(笑)。どんなことになったかはご想像にお任せします。「見えないことが理由で起きる事件」があると私の気持ちは下がります。そうかと思えば息子に癒されて、また気分は上昇、その繰り返しです。幸い、大事に至ったことはありませんが、まだまだ油断はできない、気が抜けない日々が続きそうです。  家の中では私も息子と一緒にハイハイをして遊びます。自分の家なら私も自由に動けます♪ これ、結構良い運動になるんです。そして、とにかくたくさん歌っています♪ ぐずっている時は歌うと泣きやみますが、歌をやめるとまたぐずるので歌いっぱなしです(笑)。子供向けの歌や私が好きな歌、ジャンルは色々です。また、点字シールを貼った絵本を読み聞かせしています。点字シールはボランティアさんに作ってもらいました。点字をスラスラ読めるわけではないので、ほとんど話を覚えて読んでいます。どんな絵が描いてあるのか想像しながら。最近、息子は手づかみで食べることが上手になりました。よちよち歩きが始まり、少しずつおしゃべりしようとしている姿が何とも可愛らしいです。息子と一緒にできることがどんどん増えてきました。息子の成長が楽しみでたまりません。子育てをしながらの生活は、失敗もあり、夫とのケンカもあり、自分の気持ちがどうしようもなくなる時があります。私は夫に息子を預けたまま、白杖を持って家を飛び出したことが何度もありました。でも、どんなに私が逃げようとしても、息子のママは私しかいません。一日が終わって息子を寝かしつける時間に、私の気持ちがリセットされます。息子の目には私がどんな風に映っているんだろう、初めて見る世界をどんな風に見ているんだろう。それを息子の口から聞く日が楽しみです。不器用なママだけど、これからもよろしくね。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ14pt 行間8pt 字間-25) (81ページ、82ページ) 家族 絆のある風景 まだまだ負けへんよ ペンネーム/白いスニーカー(40代 女性 弱視)  子どもの頃、お正月には真っさらの靴を履けるのが楽しみだった。2021年元旦の朝、玄関に20㎝と23.5㎝の新しい運動靴を並べながら、子どもたちの健やかな成長を願う。私よりサイズの大きい靴に触れ、安堵と喜びを感じた。  最近の私は、家事子育て業が8割、外での仕事が2割の生活だ。コロナ禍もあり、子どもたちと過ごす時間が増えている。その分、気持ちと体がぶつかることも増えた気がする。子供の成長とともにうつろう我が家、ふりかえり見つめる今を語ってみることにする。  子供の成長過程にはいろいろなことがある。思春期だけでなく、最近では「9歳の壁」なんて言葉もある。息子が小学校に入学した頃、この言葉を私は初めて耳にした。思春期や反抗期は14歳頃をさすが、それ以前のプチ反抗期のようなもので、それは小学3、4年生あたりにやってくるらしい。友だち付き合いでなやんだり、男子女子の違いを気にしたり、勉強に差がでてきたりで、子供がイライラもやもやする時期のことだ。うちにも9歳の壁なるものが来た。それは、息子が小学3年生の後半にやってきた。学校面白くない、習い事のスイミングも行かないと、何をするにもやるきがなかった。学校では、何度も友達とケンカしたそうだ。私が話かけると、「うるさい、ほっといて」と返ってくる。そっとしておくと、「僕のことイヤなんか」とかまってほしそうにする。とにかく、子供がサインを出した時、私はゆっくり話す時間を持つようにした。「友だちも同じようにイライラもやもやしてるかも。お母さんだって、あなたが生まれてはじめて親になったんだから、偉そうには言えないし間違うこともあるから、一緒に考えよう」と。4年生になると息子は、ゆるやかに落ち着いていった。  一般的には子育てに悩みはつきものだというけれど、私自身は悩むことは少ないほうだ。というか、悩んでもしょうがないというスタンスでいる。本屋で子育てや発達に関する書物を見ることはないし、他の親御さんの関わり方を目にして比較するようなこともない。これは、見えにくいことのプラス面かもしれない。  子供たちは11歳と8歳になった。子供たちと私は、今も取っ組み合いをするし、勉強も一緒にする。「まだまだ負けへんよ」と私は心の中でつぶやく。毎日真剣勝負だ。分からないという自己申告があれば、一緒に勉強するようにしている。問題文を子どもに読んでもらい、考え方のヒントを出す。基本的には「分からないことは先生に聞くように」と声をかけている。時間割や持ち物は、一年生のうちは、声出し確認をしながら一緒にしていた。子どもは目で確認、私は触っての確認だった。現在は、自己責任としている。来年度から、1人1タブレット授業が始まる。そうなると、私がついていけなくなるかもしれない。さて、どうなるか。  子育てでは四感はフル活用だ。視覚を使わない分、聴覚で話をよく聞く、声の調子もキャッチする。触覚でスキンシップ、これは外せない。相撲だって子供たちの体の様子を感じる大切な時間だ。遊びだって、できることはなんでも一緒にやる。鬼滅人気での剣士ごっこに、なわとびや百人一首。最近はドラえもんの映画の曲、菅田将暉の虹を、よく3人で歌っている。  味覚嗅覚でおうちご飯を楽しく、見た目より味と量重視、子供たちももりもり食べて笑顔に。  家事子育ては他の仕事とは違い、お給料はないし、評価もないけれど、無くてはならない業だ。幼少期は、夫や友人、ヘルパーさんなどと関わりながらの時間が多かった。私と子どもだけで過ごす時間は限られていた。今は、私と子供たちの3人で電車に乗って出かけることもある。子どもにサポートしてもらい、私は毎日安心した生活ができている。その反面、子どもたちは私をサポートすることが本当はイヤなのではないだろうか。実のところ気になっている。本人たちは、全然気にしてないと言っているけれど。なんだかんだあるけれど、子育ては面白い。私が子どもに育ててもらっているようにも思う。一番近くの応援団として、これからもずっと子どもの成長を見守っていきたい。そして私も、一緒に成長できればいいな。今日も白いスニーカーで歩き出す。いつか、子どもの伴走で走ったり、マラソンに挑戦することを夢見て。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ13.5pt 行間7pt 字間-25) (83ページ 白黒反転) 私の工夫 子育て ●乳児のミルク作成は、明治のらくらくキューブという製品を使用。40ミリリットルごとにミルクがキューブになっており、粉ではないのでこぼれない。溶かすためのお湯は計量スプーンなどで量る。 ●自治体によっては、子育て支援という家事援助が受けられるので、市役所などに相談。 ●子供が歩くまでは抱っこひもを使用、子供が歩きだしたら迷子ひもを使用。大きくなったら子供のかばんなどに鈴をつけておく。 ●周りの見える人に爪を切ってもらったり耳垢をとってもらったりした。 ●保育所や幼稚園へ行くための準備もヘルパーさんに手伝ってもらった。 ●保育所や幼稚園の送迎は託児所の人にお願いしていた。 ●検診の時は実家の母に付き添ってもらった。 ●隣近所の人達の目を借りたり、息子の友達のお母さんに助けてもらった。 ●散歩も育児も見えないわたしが全て成すことが大切だと、その時の自分にできる最大のことをした。そして、子供は自らの安全を守り生きていく術を身に着けていった。心配しすぎず、おおらかな子育てを。 ●ペンで書いたところが盛り上がるレーズライターで、子供に似顔絵を書いてもらった。 ●学校行事には積極的に参加し、リアルの障がい者を見てもらうことで啓発。 ●靴やスリッパを探す手間を省くため、必ずマイスリッパと下靴袋を持参。 ●学校の見取り図を事前にもらう。 ●学校からの連絡は、すべてメールでもらう。 ●孫ができたらできるだけ自分の体験を話してやりたい。 ●お便りは拡大プリントで、コーラスなどママサークルに積極的に参加しママ友をたくさん作ってわが子の様子なども教えてもらっていた。 ●どこに行くのも手をつなぎ二人で歩く、それだけで子供の目線にふれられる。 ●たくさん歌う、一緒にできることはなんでもやる。 ●見えないなりにそっと見守る。 ●視覚障害のパパママ会に参加。 ●こまめなスキンシップでアトピーの状態をチェック。 ●息子の好きな乗り物の絵本を選び、点訳を依頼。 ●発表会などは見えなくてもいつも笑顔でステージのほうを見る。 ●子供の持ち物はお洋服をリメイクするなど、オンリーワンの持ち物を祖母にお願いした。刺繍のアップリケをアイロンでつけるなど、簡単でもオリジナルな持ち物を作成。 ●幼児期は鮮やかな色など、目立つお洋服を着せた。 ●ガイドヘルパーさんにベビーカーを押してもらったり、一緒に公園で遊んだ。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ12pt 行間6pt 字間-25) (84ページ 白黒反転) 私の工夫 介護 ●親族での分担。 ●自分の同行援護を使って親の買い物をしている。 ●タクシーで親と買い物に行く。 ●母の介護支援連絡をできるだけメールとラインでしてもらう。デイサービスの連絡帳の内容をメールでもらう。ケアマネさんと各ヘルパー事業所さんからの報告をメールでもらい、私からの連絡もメールラインで一斉送信することで母の介護に必要な情報を共有。 ●夫の実家は車か自転車に乗れないと住めない地域。一人暮らしの義父の介護に週末一時間半かけて通う夫が大変。そこで義父宅まで車で30分の場所に中古マンションを購入。これにより夫は通勤が一時間長くなった。私が見えていれば同居できたことを考えると不必要かつ大きな出費となった。 ●車いすの母と同居、読み書きや洗濯ものをたたむなど座ってできることを母の役割としていることで、刺激の少ない生活において時間を意識することをキープ。 ●膝がまったく曲がらない母のために、乗り降りがしやすい介護車両に乗り換えた。座席が回転しスライド昇降する。これで月1外食や買い物に連れ出せている。 ●全盲の私が同居の義父を最後まで自宅介護、要介護3、5の義母を在宅で10年介護した。自分のできる最大をしていると支援者が介護保険だけでなく、有料の介護士が必要な支援をしてくれました。義父は医者に連れて行くのが難しくなった時点で訪問医療、訪問介護、訪問入浴を利用。おむつをするようになり、ポータブルトイレに支えても行けなくなると、ベッドでのおむつ交換が難しくなり、夜と朝におむつ交換の支援を利用。お薬や水分を取るのも難しくなると午前中に支援が得られ、その介護士さんに午前中を任せることができ、午後は義姉が覗いてくれたことで心丈夫だった。義父の寝たきりはわずか2週間のこと、支援してくださる介護士さんに、随時支援の方法を学び次のステップへという状況だった。義姉、夫、子供たち最後は皆で看ることができ、心残りのなくみおくることができた。私一人で心配な時、義父がしっかりしていたので、必要なことを義父本人が言うことができ看護師、ケアマネ、医者、義姉に伝えることができた。必要なことを本人から聴けたことで最高の看護につながった。また、私が不安な時にかぎって不思議にも看護師さんが訪問してくださったり、義姉が来たりで一人で困ったことはほとんどなかった。困ったのは医者や看護師さんを待っている間ぐらいだった。多くのものに導かれ見守られ歩んだ介護と看護であった。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ12pt 行間6pt 字間-25) == (85ページ) 第4章の扉 第4章 自分らしさを求めて(アイキャッチは花型です) ENJOY おしゃれ・趣味・スポーツ・レジャー (86ページ、87ページ) ENJOY 人生を豊かに 人生、こんなタン・タン・タンな展開が待っていようとは… ペンネーム/水色の風(70代 女性 弱視)  皆さん、三線(さんしん)をご存じだろうか。沖縄の三味線、あのへび皮を張ったやつだ。音痴で音楽苦手の私が、70歳を目前に三線を始めることになろうとは。  今から5年ほど前、私は就労継続支援B型事業所で働くこととなった。そこでは全盲の三線奏者 玉城忍さんが週1回「島唄なひととき」というライブを開催しておられた。以前に何度か玉城さんのライブを聴き、島唄ファンになっていた私。厨房で仲間たちと島唄を聴きながらコーヒーなどのドリンクを作る。なんていい職場なんだろう。時には手拍子や太鼓で盛り上げたり、お客さんと一緒にライブを楽しんだり。なんて楽しい場所なんだろう。そのうち私は、玉城さんとこの事業所でのミニコンサートやライブの企画をするようになった。音楽が大の苦手の私は、もちろん裏方だ。宣伝活動でお客さんを集めたり、当日の段取りをしたりと、結構楽しくてやりがいのある仕事だった。  次第に、音楽を通して見えない人、見えにくい人、見える人、いろんな人がここに集うようになった。楽器を持参して演奏する人、うたう人、仲間の輪はどんどん広がっていった。そのうち、ウクレレやギターなど楽器を始める人も。みんな初心者で四苦八苦、でもすごく楽しそう。いいなあ。私もなんか楽器をやりたいなぁ。でも、音痴で楽器に触ったこともないし。やっぱりとてもじゃないけど無理だな。そっと指をくわえているだけの私だった。  2019年7月、玉城さんがこの事業所で三線教室を始められた。やはり、私は指をくわえているだけ、あきらめ気分。目の前で生徒さんたちは上達していく。みんななんとか1曲弾けるようになっていく。それでもひたすら指をくわえている私。心の奥がムズムズ、うらやましいな。ある時、とうとうムズムズは声を成した。「私も三線弾きたいなぁ」私の声を聞きつけた玉城さん。「一緒にやりましょう。楽しいですよ。ちゃんと指導するから大丈夫」なんと優しいお言葉、私は即笑顔に。こうして私はふらっと三線を始めることとなった。  見えない師匠と見えない弟子。見よう見まねができない私。「あのー、三線の構え方とバチの持ち方がわからないのですが…。」「どれどれ、ちょっと失礼」と師匠が手探りで確認。私も「失礼します。」と師匠の構えを手で確認。構えが決まるまでに一か月、前途多難な滑り出しだった。次に、師匠の「三線は歌のほうが大切ですから」というお言葉が。うわぁ、パンチ、音痴の私は愕然。ちょっとつま弾けたらいいな、癒されるかな。音痴はスルーして、ラフに考えていたのに、トホホ。もう、こうなったら、指もくわえられない。指なんかくわえてたら歌えやしない、歌うしかない。まずは発声練習、歌唱指導から。なんとか師匠手作りのCDを聞いて歌詞と譜面を覚えた。3か月ほどで最初の課題曲「あさどやゆんた」を弾けるようになった。そして、なんと大胆にも師匠のライブの舞台に立つこととなった。もちろん、その他大勢の中の一人として、参加することに意義があるとばかりに。今、私は5曲目の課題曲、ザ・ブームの「島唄」に挑戦中だ。音痴の私がヘタながらも三線で弾き語りできるようになるなんて夢のようだ。  玉城師匠は、現在二つの教室を主宰しておられる。小学生から70代まで幅広い年齢層、師匠と私を含め数人の視覚障害者が一緒に練習している。この教室にこられる生徒さんは、ここで初めて視覚障害者と接する方がほとんどだ。最初は少し戸惑われるようだ。「あのー、お手伝いしましょうか? どうすればいいですか?」、皆さん、慣れるまで緊張の面持ちで遠慮がちに声をかけてくださっていた。ほどなくサポートが必要なときは自然にそばにいる人が声をかけてくださったり、さっと手を貸してくださるようになった。この雰囲気、いまでは私たちの教室の「いつもの」になっている。  ある日のこと、練習が終わり、みんなでわいわいおしゃべりしながら帰り支度。もたもたしていた私は、階段の上に一人取り残されてしまった。手すりはどこかなと、白杖で探っていると、気づいた一人がすぐに戻ってきてくれた。「ごめん、ごめん、忘れてた。」とサポートしてくれた。私は忘れられたことがちょっとうれしかった。変かもしれないけど、やっぱりうれしかった。みんなが私が見えないことを特別に意識せず、接してくださっていることがうれしかった。見えない人、見えにくい人、見える人、いろんな人がいる、それが当たり前のこと。それがこの教室の素晴らしいところだ。  私の夢は、そんな素敵な仲間たちと沖縄の白い浜辺で波の音を聞きながら、三線を奏でること。風に乗り 鳥とともに 海を渡ろう、いつか。今日も三線タン、タン、タン、私は夢に向かってはじいてる。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ13pt 行間7pt 字間-25) (88ページ、89ページ) ENJOY 人生を豊かに Moonlight Hourglass(月明かりの砂時計) ペンネーム/雪うさぎは三日月の夜に‥(50代 女性 弱視)  「やったー、うまくできてる!」  月2回、全6回の予定で行われたワークショップも後半に差し掛かったその日、無事に形となったもの――、それは自分自身で自分の目を描きたいという私の挑戦でした。  京都のギャラリー、アトリエみつしまさんでアート制作のワークショップに参加させていただくことになったのは、2021年秋のこと。見えない人が見える人とチームを組んで、つくりたいものを形にするという企画でした。ここ数年、視覚障害者の参加できる美術鑑賞イベントに多く参加してきましたが、今回は観るのではなく「つくる」ことへの挑戦です。何をつくりたい? 自らへの問いに対し、私の中にはひとつの揺るぎない答えがありました。それは、心で"綺麗"と感じられるもの。  今よりもっと見えていた頃、私の周りにはとても美しい世界が広がっていました。  海、空、花、木、街路、山並み。  今よりもっと見えなくなったら、私はそれらを忘れてしまうかもしれない。すでに今、更新されることのなくなった記憶は褪せ始めている‥。未練がましいと思われるかもしれない、それでも私はその未練を心に持ち続け、この世界の描く美しい風景を感じ続けていたい。  夜明け、木漏れ日、雨上がり。夕映え、月明かり、雪明かり‥。  ときに抱きしめたくなるような、ときに涙がこぼれるような、理屈ではないいとおしさに揺さぶられながら、この世界とつながっていたい。  少しずつ視界が薄れていく中、美術館でならもう一度綺麗なものに出会えるのでは、そう期待し、視覚障害者向けの鑑賞イベントを見つけては何度も参加しました。でもその多くは美しい風景を説明してくれるようなものではなく、見える人にもぱっと見では見えてこない難解な作品を、見えない人と一緒に観ることで深く鑑賞するという趣旨のものでした。それはそれで、新たな世界の広がる興味深い体験ではありました。反面、奇妙なものにふれたり説明を受けたりする度、胸に抱えた期待が行き場を失う寂しさをどうしようもありませんでした。そんな私が作品をつくったら、どんなものになるのだろう。  日頃「美術館には綺麗なものはない」と偉そうに嘆いているんだから、自分で満足のいくものをつくったらいいじゃない。心の中の私が煽る。  どうやって? もう見ることも、描くこともまともにできないのに? もう一人の私が切なく呟く。でも、弱気以上にやってみたい気持ちが勝りました。そして、見えるかたのサポートが得られるこの機会に、今自分にできうる限りの努力と協力をもってこの瞬間を刻もうと決めました。  作品の題材を求めて日常の中に綺麗と感じるものを探す"にわかアーティスト"気分で日々を過ごす経験は、世界が輝きに満ちてくる、なかなか素敵なものでした。ただ、ぼんやりとしか見えないものを、しかも紙も手元もほとんど見えないのに頑張って描いたところで、綺麗なものに昇華できるとはとても思えません。それどころか落書きとさえ認識してもらえないかもしれません。それでも、ほんの少しでもいい、今、自分の目に映る世界を自分にできる形で残しておけないか。模索を続けた末、私が描こうと決めたのは、自分の"目"そのものでした。しかもその目をワイングラスに描くことにしたのです。サポートの方の力もお借りして描き終えた目は、すべての思いを受け止め、静かにこちらを見つめているようでした。最後にレジンを塗って乾かし、翌々週に無事完成したその目は、当初グラスの表面に貼り付けようと思っていたのですが、考えた末、グラスの内側に沈めることにしました。見えなくなりながらもたくさんのものを見てきた喜びも、悲しみも全部、透き通ったグラスの内側にそっと持っていたい。心の眼差しで世界を見つめ続けたい。そんな気持ちも、やっとの思いで描いた、埋もれてしまいそうなこの目で表現できるだろうか‥。  見える世界へのさよならの形が、見えない世界で感じる美しさへの入口ともなるよう、今見えているものを精いっぱいの力で残し、見て感じる美しさを大切にしながら、見えない世界で感じる美しさも表現できたら。  ただそれは、今まで見ていたものをこれからは音声で聴いたらいいよね、という単純なものでは決してない。作品づくりは、そんな溢れてくる心の声との対峙でもありました。  「Moonlight Hourglass(月明かりの砂時計)」は、直径約30センチのリース状の作品を吊るしたものに、印象を共有する鑑賞ツールを添え、鑑賞されることによってさらに新しい面が見えてくる、鑑賞に育てられる作品として、2022年2月から約1ヶ月、アトリエみつしまにて展示していただきました。制作レポートの原文はメルマガ色鉛筆ホームページでお読みいただくことができますが、ここでは書籍スペシャルバージョン「レポートのその後」として、展示期間中に皆様が作品にお寄せくださった印象、全50文字に登場してもらおうと思います。  光 夢 煌 萌 結 幻 森 祝 美 月  喜 生 霞 美 功 癒 綺 夜 可 柔  宙 爽 精 個 楽 夢 花 秘 宙 音  雅 透 快 麗 中 月 帆 愛 美 雫  林 風 握 輝 色 縫 色 心 空 金  読者の皆様は、これらの文字からどんな世界を描かれますでしょうか。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ12pt 行間8pt 字間-25) (90ページ) ENJOY 人生を豊かに 歌声も色とりどり ペンネーム/夜色鷹人(40代 男性 全盲)  いつの間にか歌声の音色を楽しむようになった。すると、この世界を豊かだと感じるのだった。見えない世界のそんな一面、よろこんでいいよね。  うちのCD棚にはクライズラー&カンパニー「シャコンヌ」がある。1995年の作品なんだけど、みなさんはクライズラー&カンパニーを知っていますか。バイオリンの葉加瀬 太郎のグループで、葉加瀬さんのバイオリンを主とするカバー曲やオリジナル曲がこのアルバムにも収録されている。カバー曲もアレンジが加えられていておもしろい。それにも増して葉加瀬さんに感心する。曲ごとにバイオリンの音色がちがう。曲調に合う音色がちゃんと出ている。そう言えば、超一流のチェロ奏者、ヨーヨー・マのCD、バッハの無伴奏チェロ組曲も第1番から第6番までどれもちがった表情を感じさせる音色だった。  人の歌声はバイオリンやチェロ以上に多彩、人によって声質も歌い方も様々だよね。歌を聞くときは、メロディーや歌詞、曲のアレンジも楽しいけれど、声から受ける印象、歌声の音色から伝わって来るものに耳を傾けるのも楽しい。こういう歌声もいいなぁ、などと新たに見つかるのも楽しい。ほっこり要素があると思ったのは、足立佳奈「ココロハレテ」。洗いざらしの綿のような印象を受けたのはビッケブランカ「まっしろ」。(どちらもユーチューブで聞けます。)みなさんは誰の声が好きですか。  歌声の音色を聞く、というようなことにも、自分が目が不自由であることが影響しているのだろうか。音の細かな変化に気が付くようになる、というのは必要に迫られて身に付くことだよね。その点では関係しているとも思える。ともあれ、この世界は見ることをしなくても豊かだと感じれるのは、よかったと思う。喜んでいいと思う。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ13pt 行間7pt 字間-25) (91ページ、92ページ) ENJOY 人生を豊かに 思い出の一ページ ~妻と私のウクレレ体験~ ペンネーム/ダークブラウンの木箱(60代 男性 弱視)  弱視である私は第30回視覚障害リハビリテーション研究発表大会に参加しようと考えた。お会いしたい方が多数参加されると聞いたからである。私は家内と二人で参加することにした。大会の中のプログラムである余暇活動分科会の情報をMLで知った。これは面白そうである。早速、どの余暇活動に参加したいかと、家内の希望を聞いてみた。彼女は、「ウクレレ」と即答した。家内に機嫌よく同行してもらうためにも、ここはウクレレに参加しようと決めた。  ウクレレをはじめ、さまざまなジャンルの余暇活動のグループがあり、楽しいイベントが始まった。ウクレレは、3名の講師に対して、9名の参加者で、わかりやすく演奏方法を教えていただいた。家内は少し予習もしており、上手に演奏しているようだった。ところが、私は予想通り、落ちこぼれた。教えてもらった3つの音階のうち、2つしか音が出ない、出せない。仕方がないので、合奏の時には自分が出せる音のところだけ演奏して、ごまかした。他のレクリエーションを見ると、私の比較的得意な言葉遊びの「大喜利」や「イントロクイズ」などは面白そうである。そちらに参加しなかったことを少し後悔した。  ウクレレグループでは「はじめてのウクレレ体験」のまとめとして、参加者みんなで合奏に挑戦した。はじめてウクレレを手にして、わずか30分のことである。「キラキラ星」と「手のひらを太陽に」を合奏した。拍手を浴びた時に、私は大事なことに気づいた。合奏の際は、前述したように、自分の出せる音のところだけポロンとやり、出せないコード一つは演奏せずにごまかしていた。しかし、これは重要なことではないか。つまり、弱視である私は、晴眼者のように全く同じことはできないが、自分ができることをすることで、社会に貢献できる、みんなの役に立つことができるのではないかと。弱視の自分にできる役割はちゃんとあるのだ、そんな教訓を得ることができたのである。  なんとありがたいことに、色鉛筆のお仲間さんからウクレレを1台譲ってもらった。家内は嬉しそうにそれを抱えて、九州の自宅まで持ち帰った。以来、時々ウクレレの練習をしている。今回のイベントでは、主催者から、心づくしのMessage Card をいただいた。私には、「思い出の一ページ」、家内には、「アイデアはカラフル」のすてきなメッセージが届けられた。実に有意義な大会参加であった。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ16pt 行間8pt 字間-25) (92ページ) ウクレレのコード C 1弦3フレット F 2弦1フレット 4弦2フレット Aマイナー 4弦2フレット G7 1弦2フレット 2弦1フレット 3弦2フレット Dマイナー 2弦1フレット 3弦2フレット 4弦2フレット D7 2弦2フレット 4弦2フレット Eマイナー 1弦2フレット 3弦2フレット E7 1弦2フレット 3弦2フレット 4弦1フレット A7 3弦1フレット C7 1弦1フレット G 1弦2フレット 2弦3フレット 3弦2フレット フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ16pt 行間8pt 字間-25) (93ページ、94ページ) ENJOY 人生を豊かに 自分主催!わくドキ初ライブ!! ペンネーム/カラフルキャッツ(40代 女性 弱視)  私は自分と健常者とを比べて落ち込むことがあります。そんな中、自分に自信を持つにはこれしかない、ビビビときたのが歌です。子守唄を歌う母の背中で、赤ちゃんだった私は一緒に子守唄を歌っていたそうです。歌が好きな私はボイストレーニングをはじめました。そして、ライブもやりました。  私は先天性の視覚障害でロービジョン、大学生までは両眼とも見えていましたが、網膜剥離で左眼の視力がなくなり、現在の視力は右眼0.03となりました。小学校入学時は今よりも視力があったこと、当初はロービジョンということがあまり知られていなかったこともあり、両親は迷うことなく私を地域の学校に入学させました。父も母も、姉二人も健常者だったため、私は健常者に囲まれて育ちました。学年が上がるにつれて経験値や読み書きの速度など、ほとんどの面で同学年の子との差が広がっていきます。私は当時から身体障害者手帳を持っていたので自分が障害者だということは頭ではわかっていました。でも、実際に見えることと見えにくいことの両方がありました。それは自分の中にも、周りの対応の上でも、ごちゃごちゃで混乱していました。見えているという点では周りの子とかわらない自分がどうして障害者といわれるのか、自分は目が見えているのにどうしてこんなに差が広がっていくのか、当時の教師の無理解も相まって、全く整理がついていなかったのでしょう。障害者になりきれなかった当時の私は、みんなから遅れを取るたびに、自分は無能だと思い知らされていました。  両親に対しても反発がありました。父親からの「できることは自分でやりなさい」という言葉と、偏った障害者観を持った教師の「できないことは友達に頼みなさい」という言葉の間で、私は完全に混乱してしまいました。だって、やろうと思えば、時間をかければ、ほとんどのことはやれる視力があったんですもの。当時の私はその混乱を言葉にすることさえできませんでした。そんな私を心配する教師に母も同調していました。母は私の気持ちを丁寧に聞いてくれることはありませんでした。  そんな私が両親の下を離れて20年。障害者相談支援の仕事をする中で、不器用であっても母なりの私への愛情を読み取ることができるようになりました。母は今でも私のことを心配し続けています。私が多くの仲間に支えられていることを母に伝えたくて、ライブを企画しました。ボイストレーニングを始めてわずか1年半。ライブ企画は少し無理がありました。でも、母も年々歳をとります。母が来れるうちに、母に見せたい聴かせたい、ただその一心でした。  とはいえこれまでも特に音楽活動をしてきたわけではないので、協力してくれる人をすぐに見つけられるわけではありません。なので伴奏にはいろんな人の力を借りました。ピアノは、私のオリジナル曲でもお世話になった方と夫に、夫の伝手で知り合ったギターとウクレレユニットにもご協力いただきました。それぞれの活動場所が離れていたので、全員そろっての練習は当日の午前中のみでした。  当日は出演者を含めて総勢30名となり、客席もいい感じに埋まりました。勿論母親も来てくれました。オリジナル曲2曲を含め全10曲プラスアンコール1曲をやりました。オリジナル曲1曲目は、猫との生活を描いた猫の観察日記みたいな曲「ヒト心ネコ知らず」、2曲目は、弱視者として日々人の手を借りながら生活している中でふと、「健常者は人に助けてもらわなくていいのかな」と思ったことをそのまま歌詞にした「杖よりも」です。「365日の紙飛行機」とアンコール曲、「上を向いて歩こう」では、夫もピアノを弾きました。出演者・観客のみなさんが私を応援してくれていることを感じられたので、適度な緊張感を持ちながらも安心感を持って歌い切ることができました。本当に、みなさんに感謝です。特に5曲目の「ビューティフル」で客席から手拍子をもらえた時は、スター気取りでノリノリでした。ライブ後半には、サプライズで母へのハッピーバースデーとプレゼント。母はびっくりしながらも、泣いて喜んでくれました。ライブ終了後は、「パワーをもらった」「思いがつたわるライブやった」「やる時はまた教えてほしい」と、嬉しい声をたくさんいただいて、まさに夢のような一日でした。  今回私がライブをやりたいとまで思えたもう一つのきっかけは、今のボイトレの先生の存在にあります。先生と私の出会いは、何かを構えることのないフラットなものでした。私の折り畳み式の白杖を見た先生の第一声は「何それ?」でした。先生はそれまで視覚障害者と深くかかわったことがなかったと思われます。私に対する先生のかかわり方はとても自然でした。「弱視の私」ではなく「歌うことを楽しみたい私」を見てくださっていると感じました。そのことがとてもうれしかったんです。私は「私」を見てくれる人に出会えたんです。そこから先生と私の時間ははじまりました。先生は私が視覚障害だということもきちんと意識してくださっていて、普通は見たらわかるようなことを一生懸命言葉で説明してくださっています。先生との出会いに感謝しつつ、これからも私、歌っていきます。歌うこと、めっちゃ楽しいから。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ12pt 行間6pt 字間-25) (95ページ 白黒反転) 私の工夫 リクリエーション ●お散歩とラジオ体操。視覚障害者のためのデイサービスセンターで編み物や折り紙などを教えてもらっている。視覚障害仲間達と民謡を習っている。 ●視覚障害者のためのデイサービスに行くことが友達との楽しい時間。体を動かすことやレジャーはヘルパーさんを利用。俳句教室の行き帰りはタクシー、会の中では皆が助けてくれる。ハーモニカはスカイプで習っている。テレビラジオは聞き逃しなどを利用。 ●ヨーガを毎日している。最初に先生に手とり足とり丁寧に教えてもらい、本を読み、息を吐く、吸う時の動作の違い等を体得し、一人でできるようになった。 ●織物を独りでできるように試行錯誤を繰り返し、自分なりの方法を見つけた。掃除やお料理をしながらラジオを楽しむ。山登りが好きだったので「石丸ケンジロウの山カフェ」、「視覚障害ナビ」などを入浴タイムに楽しむ。外出しない日は、太陽を浴びながら庭で階段昇降を約30分から1時間、これをしながら転送したメールを携帯で読んでいる。太陽に当りながら歩くと股関節が軽くなり、少し汗ばみ、気分も爽快となる。 ●デイジー再生器のプレクストークでCDを聞いている。映画はシネマデイジー。テレビは音声アシストのあるテレビとDVDレコーダーにしてある。 ●県外に友人が多いので、一人でも旅するのが好きだ。全盲二人で旅したことがある。事前に下調べして、美味しい料理屋に行ったり、よい音楽を聴いたり。全盲だけでもかなり楽しめる。 ●縄跳びなど場所も視力もいらないスポーツを楽しんでいる。手芸は糸通し器を使い、編み物は少し硬めの太い毛糸とかぎ針で、指で探りながら編んでいる。ペーパークラフトは、一度完成品をもらって、それを展開しながらイメージを膨らませている。ホテル予約時には、要援護者であることを伝えている。 ●音楽を聴いたり歌ったりする。編み物やミサンガ作り、最近は羊毛フェルトにハマっている。ヘルパーさんに手伝ってもらいながらパペットのお洋服なども作っている。映画などはストリーミングサービスを利用。朗読はYouTubeなどの動画で見ている。ゲームは音声だけで充分楽しめるノベルものなどの実況動画を見ることが多い。遊園地やライブなどはスタッフさんに前もって連絡する。 ●旅行では、宿の人に特別大変なことはない、ということが伝わるよう「だいたいいつも大丈夫ですので」と伝えておく。コーヒーを入れて音楽をかけてゆっくり味わいながら楽しむ。 ●美術館では音声ガイドを利用し、作品の紹介を聞きながら見る。色鉛筆アートは、描くものを写真でとって拡大して見ながら描いている。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ12pt 行間6pt 字間-25) (96ページ 白黒反転) 私の工夫 リクリエーション ●ジョギングはサンバイザーを被り、眩しくない時間帯をえらんで走る。 ●カラオケはアプリを使って自分のスマホで選曲。一人カラオケも楽しめる。 ●生け花とピアノを習っている。 ●ヨガにオンラインシステムのズームで参加。 ●アレクサで好きな音楽や鳥の声、波の音、環境音楽を聴いている。 ●スマホアプリのボイスオブデイジーで音声読書、オーディブルで朗読を聴く。 ●スマホの無料ゲームで支払いに使えるポイントがゲットできるゲームやくじをしている。 ●音声で説明してくれるサイトやアプリを聴きながらストレッチをする。 ●iPhoneヘルスケアで歩数管理。 ●音楽はスマートスピーカーに音声で指示して聴く。 ●B型事業所でさをり織りをしている。 ●地元のマラソンクラブに参加して伴走者と一緒に走る。 ●ラジオはラジコでスマホかアマゾンエコーを利用。 ●外出先で気になったものはすぐに写真を撮って手元で拡大する。 ●テレビ(ドラマ)は解説放送を選択する。 ●テレビの外付けレコーダー、Panasonicのディーガでは、すべての機器に音声読み上げ機能がついており、自分で録画予約も再生もできる。 ●サブスクリプションサービス、ラジコ、ティーバーを利用している。CDのプラケースに、点字シールに、アルバムのタイトルの一部分とアーティスト名を書いて貼っている。 ●体を動かすことは、人出が少ない時間帯(早朝や夜)に、絶対物や人に当たらなさそうな広い場所でするようにしている。夜の梅小路公園(京都)は、隣接する水族館のイルカショー会場からライトが照らされているのでとても明るい。 ●映画の内容を音声で教えてくれるスマホアプリ「UDキャスト」や「ハロームービー」を使って映画館へ行く。 ●以前は、サウンドテーブルテニスで汗を流した。今は60~90分の早朝散歩。ギターを中学生時代からたしなみ、川柳・俳句・短歌などの文芸にいそしむ。 ●趣味のパン作りは作業中器具が無くなるので探すのに一苦労。テーブル、オーブン、発酵器、道具入れと動く範囲が多いので物もなくなりやすい。イライラしながらもパンが焼ける香りに満ち足りた気分になる。最近はシナモンロールにはまっている。三年ほど習ったオカリナはここ一年吹いていないが、転居先で再開予定。楽譜はどこを吹いてるか見失うので音階を書き出し暗譜するようにしている。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ12pt 行間7pt 字間-25) (97ページ 白黒反転) 私の工夫 スキンケア メイク ヘアケア ●床屋さんで顔そりをしてもらっている。 ●美容院に行った時に、眉カットをしてもらう。 ●前髪は指先の感覚で自分でカットしている。レザーカットができるはさみを使用。 ●メイクは2倍くらいの拡大ミラーを使っている。 ●筆のアイラインは肌に触れる感触が冷たくてわかりやすいので、手探りでもできる。 ●キラキラのハイライトで目元を明るく、クリームアイシャドーなら指でむらなく塗布。 ●メイクアップには限界があるので、スキンケアをがんばっている。スキンケア用品は使い慣れたもの+YouTubeなどから新しいものを仕入れては試している。YouTubeは停止して拡大や白黒反転ができるので、商品名やパッケージの確認などがしやすい。 ●自然派、すっぴんが好き。スキンケアはいろいろ使わない化粧水1本のみ。 ●下地クリームはあえて無色のものを選んでいる。オールインワンのビービークリームを使用している。 ●メイクはカラーコーディネーターの方と一緒に見に行き、できるだけ落ちないように何回も塗りなおしたり重ね塗りする。また、朝メイクするときにはティッシュで最後に押さえつけると落ちにくい。スキンケアはYouTubeで人気のアイテムややり方を研究している。 ●化粧品売り場で肌チェックしてもらって商品を選ぶ。新しいものの場合は使い方がわからないので、右半分だけ塗布してもらって、左半分は実際に自分でやってみる。つけすぎたり、むらになったりしていないかを確認してもらい、修正する方法も練習させてもらう。難しそうとか、失敗しそうならあきらめる。ファンデーションのコンパクト容器は少しでも開閉があまくなったら買い替える。バッグの中でファンデーションが粉々になると大変。 ●眉毛にはタトゥーが入れてあり、とても助かっている。 ●洗顔、髭剃り後は保湿系の化粧水をつけている。乾燥時期には安価(500円程度)の化粧水を全身につけている。 ●口紅とアイシャドウ、チークはつけている。スキンケアは容器の手触りで商品がわかるので毎晩続けている。 ●日中数回目薬を点眼するので、アイラインとマスカラはつけない。目薬と一緒に化粧品が流れ込んで眼に入るといけないから。でも、ぱっちりお目目にしたいからまつ毛の美容液をつけてまつ育をしている。 ●ドレッサー備え付けのライトでは明るさが足りず、白熱灯のオレンジの色味もみにくかったので、デスクライトを鏡の上部であるドレッサー棚上に設置。洗面所や台所の照明のように、真上から顔に向かって平行に広い面積を明るくしたかったので、T字型のライトを選んで大成功。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ12pt 行間6pt 字間-25) (98ページ 白黒反転) 私の工夫 スキンケア メイク ヘアケア ●「資生堂 リスナーズカフェ」のページには季節の美容情報やスキンケアの基本テクニックなどがわかりやすく掲載されている。男性向けのスキンケアの情報もある。視覚障害者向けセミナー情報も掲載されている。 ●資生堂ガイドメイクセミナーというのがあり、とても親切。 ●ヘアスタイリングの方法を音声で教えてくれる「聞けばわかるヘアスタイリング」のページがわかりやすい。花王リーゼのページ。寝ぐせ直しからヘアアレンジまで。 ●ファンケルの視覚障害者向けセミナーにオンラインで参加。スキンケア、ポイントメイク、日焼け止めなどさまざまなセミナーがあり楽しい。男性向けのセミナーもある。 ●花王のスマートボトルを使えば、シャンプー・リンスの詰め替えで「こぼしてしまった」「シャンプーとリンスを間違えて入れた」なんてアクシデントからサヨナラ。まず、スマートボトルという専用ボトル(シャンプー用とリンス用のペア)を購入。ボトルはポンプノズルと本体の2つの部品で構成されている。パウチパッケージで販売されている詰め替え用のシャンプーまたはリンスの蓋を開け、そこにノズルを差し込み、ペットボトルのキャップを閉めるように蓋をする。縦半分が切り取られている本体に先ほどのものをセットすれば完了。 ●ロクシタンの商品パッケージには点字がついている。ハンドクリームやヘアオイルなど香りを楽しみながら愛用している。買い替えの際には新しい香りに挑戦しリフレッシュ。 ●京都祇園のかづら清老舗の特製つばき油 香る椿(オーガニック精油配合)がお気に入り。つばき油でしっとりサラサラの髪、オーガニックアロマの香りで癒されます。 ●眉毛を剃る時に、アイブロクスティックシェイバーUFURLというペン型になっているシェイバーを使用するとピンポイントで剃れる。指で確認しながらそれるから安全。先端にライトもついていて、弱視の人でも使いやすい。 ●ヘアケアは見えない・見えにくさがあっても取り組みやすい。縮毛矯正をすると寝ぐせの心配はほぼなくなり、パーマも楽になる。美容師さんには遠慮せず好みや要望をしっかり伝えることも大事。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ12pt 行間5pt 字間-25) メイク 眉毛の上に指をあてて、その下に眉をかく。 眉の形にあわせてガイドする指を移動させる。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ14pt 行間8pt 字間-25) (99ページ 白黒反転) 私の工夫 おしゃれ ●着たいものを選んでいる。これまで着なかった色や雰囲気、デザインにも挑戦、鏡で見て確かめられないけど触ってイメージしている。色もトマトの赤、ポストの赤、深紅のバラ、オレンジがかった赤、ワインっぽい赤、少し茶がまじった赤など、細かく質問して他のアイテムとの相性を考え、最後は周りにきいて確認。見えなくても色にはかなりこだわっている。 ●白杖ケースとして「折りたたみ傘ケース」を活用、アマゾンや100円ショップ(ダイソーがオススメ)などで購入できる。キャラクターものもたくさん出回っている。 ●オンラインショップでリサーチしてから、店舗で実際に見て購入。下調べをしておけば気に入ったものを見つけやすい。 ●オンラインショップで購入するときもありますが、思っていたものと違うものが届くときもある。それもひとつの楽しみ。 ●汚れや色落ちのしてない物を身につけたいので、洋服のいたみ具合はホームヘルパーさんに確かめてもらう。組み合わせも時々見てもらい、出かける前日にチェック。 ●流行は気にせず、自分の好みで選んでいる。でも、自分の思うものがなかなか見つからない時は、「これは今流行ってないんだな」とちゃんと感じるようにしている。行きつけのお店が見つかると非常に楽。新作の中から私の好みのものを店員さんが提案してくれたり、購入済みのものとのコーディネートや購入済みのものとの色の比較をしてくれる。 ●見た目にはあまり問題ないと言われても、バッグなどで擦れてしまって手触りが変わってしまったものは着用しない。 ●パンプスは高さ3~5㎝程度の少し高さのあるものでも、ヒールが太めのものを選べば安定して歩ける。「パンプス、太ヒール」「パンプス、チャンキーヒール」などの検索ワードでいろいろ見つかる。 ●白杖を持つようになって両手を空けるためにリュックを使用するようになった。ナイロン素材のものを選ぶとどうしてもカジュアルになってしまいますが、レザー素材(合皮含む)のものを選ぶと、オフィススタイルやフェミニン、ガーリーなスタイルでも違和感なくマッチ。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ13pt 行間7pt 字間-25) (100ページ 白黒反転) 私の工夫 おしゃれ ●服装は娘やおしゃれに詳しいヘルパーさんと選ぶ。妻とはパンツや靴下、ジャージなどを買う。 ●人からも目立つほうが、援助も受けやすいし、自分も楽しい。 ●洋服はどれと合わせても合うものを選んで購入。だいたいの色、かたち、手触りなどで洋服を把握。 ●今はプロのスタイリストさんにショッピング代行を依頼中。 ●家族と買い物に行った時、服を触って色を説明してもらっている。 ●イヤマフなど、ワンポイントのおしゃれアイテムを使用。 ●お洋服は自分の好きなものを買う。買うときには店員さんや友人と話しながら自分に似合う色を選ぶ。髪型は自分の癖を利用して内巻きになるようにボブカットに。イヤリングなどの小さなアクセサリーは買う前に触ってみる。 ●洋服は上下何を着ても相性がいい色を限定して揃えている。白・ブルー・紺色・ピンク・グレー。 ●ファストファッション、基本アメカジスタイル。帽子は必須アイテム。インナーは、素材重視(エアリズム・ヒートテックなど)。外装はナイロン系の素材が多い(ライトダウンなど)。購入時、カラーコーデは店員さんに尋ねる。 ●同がらで色違いの服を買ったら一つには服の裏に糸を玉結びにして縫い付けて記しを付ける。購入時、服の色や雰囲気を見える人に教えてもらう。パーソナルカラー診断などで自分に似合う色や系統、服の形を知っておく。 ●色違いのものはタグをカットするのとしないのとで区別。 ●お店の店員さんと仲良くなるのが一番。洋服や靴はそれぞれの店員さん、髪型は美容師さんに。ついでに自分に合いそうなものを教えてもらっちゃう。流行の色をバッグや靴・ストールなど小物でポイントで取り入れる。 ●白杖や傘はたくさんの人が集まると自分のものを判別するのが難しくなるので、私は持ち手にラインストーンのおしゃれなシールを巻いて目印にしている。バスの中で会った方に「その杖のシール、おしゃれね!」と言ってもらってとても嬉しかった。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ14pt 行間7pt 字間-25) == (101ページ) 第5章の扉 第5章 心の風景、素顔のままで語らせて(アイキャッチはハート型です) 自己受容 心に鏡を置いてみた、すると (102ページ、103ページ 白黒反転) 自己受容 心に鏡を置いてみた、すると 障害は不便であり、そしてまあまあ不幸でもある、これ、私の場合 ペンネーム/白絹(40代 男性 弱視)  障害は不便だけど不幸ではない。私はこの言葉を聞いた時、すんなりストンとはならなかった。障害があり不幸だと思っていても、それを素直に認めたくないというのも人情ではあるまいか。「自分の障害は不幸だ」と言うと、なんだか「自分の人生は不幸だ」というニュアンスになってしまう。ますます「いやいや不幸なんかじゃありませんよ」と強がってしまうのではないだろうか。  また、一旦障害を不幸なものだと思ってしまうと、心が暗い気持ちに支配され、厭世的になり、前向きに人生を歩めなくなってしまう。それが嫌なので、「オレの障害は不幸なんかではない」と必死で自分に暗示をかけている可能性もないだろうか。  あるいは、思いやりあふれる人ならどうだろう。自分では障害を不幸だと思っているが、他の人にはそうなってほしくない。前を向いて生きてほしいと願い、「障害は不便だが不幸ではない」と励ましのメッセージを出しているのではないだろうか。  もしくは、体育会系ならどうだろう。学校時代、部活で教師や先輩に「弱音を吐くな」と言われ続け、その結果何事にもやせ我慢する癖がついているのかもしれない。歯をくいしばりながらの「障害は不便だけど不幸ではない」だとしたらどうだろう。それは気合の入った自戒ではないだろうか。  例えば、周りの人が陽気で能天気な人達ばかりなのだとしたらどうだろう。その人達に障害の話をしたとき、「そんなこと気にせず、ハッピーにいこうぜ」と簡単に片付けられてしまったのだとしたらどうだろう。とりあえず仕方なく不幸でないことにしているのかもしれない。  一方、不幸という言葉を試練という言葉に置き換えるとしたらどうだろう。障害はどんなにつらく苦しくても、「不幸」ではないことになる。不幸は自動的に試練に転化され、不幸のニュアンスから離れていくのだろう。  いろいろ想像するときりがない。もちろん、前述したどれにも当てはまらない、どんな想像にも当てはまらないということもあるだろう。つまり心底障害は不幸ではないということもあり得る。  では、私の場合はどうだろうかと考えてみた。  まず不便かどうかであるが、たしかに私の視覚障害も不便である。ルーペなしでは文字が読めないし、ものが鮮明に見えていないことによる不便さはいろいろある。当たり前だが女性の顔も見えにくい。  次に不幸かどうかであるが、やはり「不幸ではない」と断言することはできない。日々の暮らしの中で障害があることで落ち込むことは結構あるからだ。かといって「不幸だ」と言い切るにも若干の違和感がある。見栄を張るわけではないが、不幸は少し言い過ぎで、大げさな感じがするのだ。私の場合、「障害は不便であり、そしてまあまあ不幸でもある」ということになる。  ついでに私の今の生活が不幸かどうかをお伝えしたい。実は「まあまあ不幸」などではなく、「不幸ではない」と断言できてしまうのである。これは決して見栄を張っているわけではない。  誰でも生きていて、嫌なこと、つらいこと、憂鬱なことなどはあるだろう。もしかしたら障害があることで、そういったことが多くなるのかもしれない。だとしたら、それは悲しいことである。しかし、誰でも楽しいこと、嬉しいこと、気持ちが安らぐことなどは少なからずあるはずだ。少なからずある何か、私はここがポイントだと指摘したい。  私は毎日食べる物があって、温かいお風呂に入れて、たっぷり睡眠をとることができる今の生活は、結構恵まれていると思っている。アップルパイを食べた後に熱々の紅茶を飲んでいる時などは、幸せの笑みを浮かべたりもしている。そう、人は人生の期待値をぐんと低く設定すると、意外と簡単に幸せになれてしまうのだ。これが秘訣だ。書きながら、なんだか空しさのようなものをほのかに感じるが、まあ気のせいだろう。  私は自分の障害を「まあまあ不幸」とした。同時に、おかしな表現になるかもしれないが、この障害に愛着のようなものもある。なんといっても子供の頃からの付き合いである。不便でありまあまあ不幸なこの障害とこれからも仲良くやっていきたい。見栄も張っていない、これが正直な気持ちだ。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ13pt 行間8pt 字間-25) (104ページ) 自己受容 心に鏡を置いてみた、すると 緑の香りのなかで ペンネーム/サンフラワー(20代 女性 弱視)  どんな人がタイプなの? 友人とよくそんな話をします。優しい人、一緒にいて楽しい人、価値観が合う人、いろんな好みはあるけれどやはり「見えにくいということを受け止めてくれる人」そんな人と出会えたらいいなと答えます。  見えにくいことを伝えるのはとても勇気がいります。特に好きな人、大切な人には。学生のころは一緒にいろんなところに出かけて、一緒にいろんなことをして、そんな日々を楽しんでいました。けれどある時、「車の運転も交代してくれたらもっと楽しめるのに」とその人は言いました。意図なく発したのでしょう。ですが、それが今でも忘れられません。その言葉に返すことができませんでした。わたしだって運転したいです。わたしだって見えていたら、わたしだって、わたしだって。・・・わたしって何だろう?  わたしはわたしに問いかけます。自分の見えにくさのこと、どう思っているの? 相手にはどうしてほしいの? そして、わたしはどうしたいの?  清々しく緑の香りが漂う季節、彼と出会いました。生まれた時から目が見えにくいのだと伝えると、彼は「そうだったんだね」と返してくれました。彼はどう思ったのでしょう。そこから次の一歩を踏み出す勇気がでません。見えにくさについて、困っていることについて、今日こそは話そうと思いますが、なかなか話せずにいます。彼に気を遣われてしまったら、困らせてしまったらと考えてしまいます。それでも彼には知ってほしい、わかってほしいと思う自分がいます。そして、話さなくてもわかってくれるだろうと思ってしまいました。  あるとき、出かけた先で困ったことがありました。ですが、やはりその場では言い出せず。後になって話すと、「気づくことができなくてごめんね」と彼は謝りました。謝られたことがとても悲しくなりました。勇気が出せず話せなかったのはわたしの方なのだから。  彼は見えにくいわたしを受け入れてくれるでしょうか。それはわたし次第です。好きな人だから、大切な人だから、勇気を出して話してみます。話さないと何も伝わりません。障害もそれ以外も。わたしが話すことができれば彼の思いも聞くことができるでしょう。そうして少しずつゆっくりと心の距離を縮めていきたいです。 フォント:UD教科書体系 M(サイズ12pt 行間6pt 字間-25) (105ページ) 自己受容 心に鏡を置いてみた、すると Vivid ペンネーム/サクラえもん(40代 男性 弱視)  僕のことを"ともだち"が言うには、どこにいても200メートル先からでもわかる派手なおっさんらしい。相手を見つけづらい僕にとっては直ぐに見つけてもらえて、何気に便利だ。  そんな見た目の僕なんだけど、実際はとっても寂しがり屋。いつも自分の居場所を示し、誰かに見つけて欲しい、気付いて欲しいと合図を出しているのかもしれない。自分なりの工夫というか、願いが自然にこの見た目になっているのかもしれない。生き生きとした「ビビッド」な日常を過ごしたいと思っているのだが、そんな僕には持病がある。左眼の視力もその病の合併症で失った。そして、週3回の人工透析。それは生命の維持装置であり、常に隣にいる厄介なパートナーだ。やりたくなくても透析は待ってくれない。絶対にやってくる。例えば好きな人と旅行に行ったとしても、その土地の透析病院で約4時間の拘束を強いられる。どんなに楽しい場所でも、美しい景色を眺めていても、美味しい食事を頂いていても、好きな人と手をつないでいても、頭の片隅には常に『透析』の二文字が張り付いているのだ。  明るく鮮明な色彩のイメージがある「ビビッド」という言葉。生命感が溢れ、凛とした生き方、決して見た目だけの派手さだけではなく、人として中身のはっきりとした「ビビッド」な人に、僕はなりたい。  「どうしたら"ビビッド"な魅力的な人になれるんだろ?」と問いかけてみる。ひょっとしたら自分自身で輪郭を作り上げるのではなくて、自分の周囲にいてくれる人たちによって、僕自身の輪郭が形成されていくのかもしれない。そのためには僕自身が相手の立場や気持ちになって考え、相手に寄り添い、歩み寄る気持ちを持って行動できなきゃならない。その思いを言動に生かせる自分でいたい。そうすることによって、沢山の人たちや同じ障がいを持った仲間や同じセクシャリティーの友人との出逢いや絆を得られるのかもしれない。セクシャリティーのくくりや、そのくくりの中でさらにマイノリティーな僕にだって、誰にだってどんな人にだってそれぞれの自分らしさや色を、生まれながらに持っている。個性とはその人、唯一なもの。生まれ育ってきた環境やその中で培った性格、人間味。人生での悩みや挫折、それらを経験し乗り越えてきた経緯から今の自分が存在する。これからも視覚障がい者として何事にも前向きに「ビビッド」に生きて行く、そんな自分でいたいと切に願う。 フォント:UDゴシック系 M(サイズ12pt 行間6pt 字間-25) (106ページ、107ページ 白黒反転) 自己受容 心に鏡を置いてみた、すると 障害は不便で不幸やで ペンネーム/最後はポスト色(50代 女性 弱視)  見えにくいことで、見えないことが理由であきらめるしかないこと、そんなことは山ほどあった。待ち合わせ場所は必ず自分から指定したし、10分前に行って待っていた。「暗いところが苦手やから腕貸してね」と、初対面でも腕を組みにいってた。段差から落ちたりすべったりしたら、「ちゃんとエスコートしてくれへんからやん」と先に自分からひっつきにいった。そうすれば、相手のいやな声も顔も見なくてすむ、だから無駄に積極的な性格だと想われていた。オッパイが大きかったのも幸いしてか、ひっつけばそれだけで安全とやさしさは確保できてた。多少の誤解から面倒なことになったけれど、そんなことは気にもならなかった。  絵を描くこと、デッサンならそこそこできたけれど、色をのせるところからおかしくなった。パレットで色を混ぜていくとイメージ通りの色もできれば、余計な色が混じって想像の外側の色も生まれてくる。こうなると、判断のつかないままの色で描くことになる。結果、気持ち悪い絵になってしまう。国語の本読みでは、カタカナの「チ」と「テ」の見間違えをしたことがある。先生もクラスメイトも誰も指摘してくれなくて、ずっとおかしな固有名詞を唱え続けていたのだ。そのことを教えてくれた子が一人だけいた。「まちがえてたなんてわからんかったわ、ありがとう」と笑顔で返したけど、その場から飛び出していきたいほどつらかった。  ダンスもバレーボールのラリーもいやだった。テニスは見学したけれど、大きなボールや人はまったく見えないわけではないからやるしかなかった。同じグループやペアの子から「あんたと一緒だったら成績に響くからかなん」とイライラされたり冷たく突き放された。私はひたすら謝った。球技のグループやペアの子に迷惑をかけたくなくて実技テストの日にわざと休むことが何度もあった。「わざと休んだの」と聴いてくる子の目がヒリヒリと心に刺さって、さらに痛かった。試合ではわざと私に向けて攻撃のボールが飛んできた。まぐれで打ち返せたりすると、「なんで」と冷ややかな言葉が飛んできた。  教科書も黒板も、実験もまともに見えず、説明も問題もわからないままだった。高校3年の時、文芸評論のグループワークの課題図書だけは必死に読もうとした。近代文学の小説について考察を深めていく授業が楽しくて、せめてこれだけはがんばりたかったけど、物語一つ完読できなかった。狭い視野ゆえにマークシートのチェックのずれは頻発した。  今は勉強手段もいろいろあって、私が感じた不便や悲しみも軽減できる時代かもしれない。でも、今自分がもう一度学生から人生をやりなおすとしたらどうだろう。どこかいつも自分だけがちがうという心の壁は、あの頃と同じではあるまいか。工夫がいらないグループではない自分は、やっぱりどこにいても何をしても、孤独なんだと想う。想うと書くのは、今の時代性、今の学生の肌感覚はわからないからだ。自分で自分が面倒なんだから、まわりはもっと面倒に感じるのではないだろうか。私が学生だった頃よりは差別や偏見は薄れてきたかもしれないが、これからもそうした感覚がゼロになることはないだろう。  見えてさえいればと想うことは今も山ほどあり、それは見えない事実そのものにあるのではなく、そこから生まれる不都合や、それによる悲しみの中にある。見える人が私に言う。「それは見えてても同じよ」と。私は「そうやね」と返す。でも、本当は「ちがうよ」と心でささやいている。同じではないことが何か、同じことが何か、その判断も見える世界の内にある、そういう事態もあるよねと。そして、私は毎日「見えてさえいたら」と想って暮らしている。不便を克服するツールも手にし、見えないからできないと想うことも減って、自己実現もいくらかでき、私をあたたかく支えてくれるつながりもたくさんあるのに、悲しみは日々生まれ続ける、これからも生まれ続けるだろう。  「障害は不便ではあるが不幸ではない」、それって本当なの?、そう問われたら、私は間髪入れず笑顔で返す。「そんなわけないでしょ」と。「不便だし不幸だよ、それはまちがいなくそうだよ」と。人間、みじめで情けなくて、哀しくて、辛くて、悔しくて、だからこそ、笑いも表現もにじみ出てくる。それが私で、私のあるがままだ。おもろくて切ない言葉の数々に心ふるわせながら、きっと明日を迎え続けるだろう。「不便で不幸やで」を強く言い切るのも、それが自分への癒しになるからかもしれない。テクノロジーは人を支え可能性をひろげる。障害ゆえのギフトに光があることを日々感じながら、私は馬鹿が100つく勢いで、「障害は不便で不幸やで」と唱えていく。それでもどうにか生きてる、その事実だけを、その有様だけを分かち合うことが与えられた使命だと信じて。 フォント:UDゴシック系 M(サイズ13pt 行間7pt 字間-25) (108ページ、109ページ 白黒反転) 自己受容 心に鏡を置いてみた、すると 鏡と私の Face to Face ペンネーム/ムラサキ ディスペラー(40代 男性 全盲)  もう一度、逢えませんか?  もう二度と、逢えませんか…。   「明日が来るのが怖かった」  病気の合併症で視力を失ってから、もうかれこれ10年がたつ。あのころはまだ弱視でちゃんと光を感じたし、かろうじて色や形、拡大すれば文字も見えていた。そう、自身の顔も。  当時、朝の儀式というか、必ずやることがあった。洗顔時、鏡の中の私に目をやること。まだ顔がある。ずいぶんと薄れてしまったが、まだ顔が残ってる。そう確かめて、そう自身に言い聞かせて、少しでも視力を失ったことへの絶望感を癒していた。  3年ほどは薄れた顔に出逢えていた。このままいけばいい、笑い顔も仏頂面もまだわかる、そう思って暮らしていた。だが、絶望の足音は静かに近づいてきた。日に日に少しずつ、薄い乳白色のヴェールが目の前を覆っていく。それをどうすることもできなかった。こんなヴェールなんか消えてしまえばいいのに、そう願っていた。  しばらくそのままの朝が続いた。このままいけばいい、表情はわからなくなったが、まだ見える、輪郭も目も鼻も口も。お願いだ、もうこれ以上、私から顔を奪わないでくれと、毎朝、鏡の中の私に強く願っていた。だが、この願いは叶わなかった。ヴェールは完全に目の前を覆ってしまった。とうとう私は絶望という名の乳白色に侵されてしまった。  「ああ、顔が消えてしまった…。ああ、顔がなくなってしまった…」  鏡の前で立ちすくんだ。10分、いや20分、それ以上かもしれない。どんなに目を見開いても、凝らしても、なんなら鏡にキスをするぐらい顔を近づけても、もう何も見えやしない。放心、自失状態、まさにそうだった。こんなことになるなんて…。こんな日が来るなんて…。もう何も考えられなかった。認められなかった。  悲しさや虚しさを通り越え涙も出ない。苦しい、ひたすら苦しいだけ。希望の支柱が完全に崩壊してしまった。もう失くすものは何一つない、私は錯乱した。もしあの時、手元に刃物があったら、衝動的に自らの心臓を突き刺していたことだろう。  虚無感にさいなまれ、しばらく壊れた日々が続いた。もう二度と見ることができない、出逢うことができない私の顔、そんな思いを抱きながら生きるとは何なんだろうか、そんなことばかり考えて暮らしていた。  落ちるところまで落ちた。だが、失意のどん底に陥っていた日々も、死ぬことさえできなかった私は這い上がるしかなかった。あがいてももがいても、もう鏡の中の私は見えやしない。出逢えはしない。失望と絶望に浸る暮らしに、正直、疲れてしまっていた。飽きてしまっていた。  現実は受け入れよう、あきらめよう、不本意だがそう思うしかなかった。やがて、時薬が治癒してくれるだろう、そう思うしかなかった。私の顔はもう、指で触って触れて、心で感じてイメージして、もうその方法でしか確かめることしかできない。幻想でしか思い描くことしかできない。そう自身に言い聞かせていた。  時が過ぎ、顔がなくなったことへのこだわりも薄れつつある一方、だが、その半面、ふと自身に問いかけることがある。今の私はどんな顔してるかって。  教えてよ、鏡の中の私、歳を重ねてしわが増えた? しみも増えた? たるんできた? まだイケてる?  聞かせてよ、鏡の中の私、幸せそうな顔してる? 満たされた顔してる? それとも、苦しそうな顔してる? 辛そうな顔してる?  応えてよ!応えてよ!応えろよ!!って。  わかってる。そんなこと問いかけたところで何も応えてくれないことぐらい。だが、私はどこかあきらめきれない憤りを、鏡の中の私にぶつけているのかもしれない。形のない奇跡を望んでるだけかもしれない。  今もなお、今日も朝洗顔時、また鏡の中の私に目をやる。見えない、出逢えない顔を映す向こうに。無駄なことしてるなんて重々わかっている。だが、忘れられない、忘れたくない、たとえそれが10年前で記憶が止まっている顔でも。ずっと見ていたい、これからもずっと見続けたいから。笑われてもいい、馬鹿にされてもいい、誰が何て言おうと私は死ぬまでこの儀式を続けていくつもりだ。  「明日が来るのはもう怖くなくなった」 フォント:明朝系 B(サイズ13pt 行間6pt 字間-25) (110、111、112、113ページ) 自己受容 心に鏡を置いてみた、すると 十色の研究 ペンネーム/カラフル幕府(40代 男性 光覚)  音楽、執筆、医学、ドラえもん…僕の人生に神様から配られた色々なトランプのカード。視覚障害もその一枚であり、そのせいで苦労もするが、おかげでメルマガ色鉛筆とも巡り会えた。これはそんなカードたちをテーマにした雑記まがいの自己研究レポートである。 ■研究① 色恋沙汰はいかがでしょう  まずは恋心のカードの研究。目が悪くなるとひと目惚れすることはもうできないが、素敵な声にひと耳惚れすることは十分可能。まさしく恋は盲目、ただそこから恋愛に発展できるだろうか?  例えばデート一つするにしても、ボウリングやビリヤードは難しいし、百万ドルの夜景を眺めることもできない。待ち合わせして店で食事をするだけでも、少なからず相手にサポートしてもらうことになる。オシャレも褒めてあげられない。不良にからまれても守ってあげられない。気を遣わせているんだろうなと思うと、一緒に出掛けても楽しんでくれているのか不安になる。僕のサポートなんかよりも、君自身の夢のために人生を使ってほしいなんて願ったりする。  やはり視覚障害のカードが恋心のカードの効力を阻んでいるのは否めない。でもそれが結論では寂しいので、なんとかハッピーエンドの結論になるように考察してみよう。ズバリ、恋愛における視覚障害のメリットとは?  一つは心に歳を取りにくいこと。目が悪くなってからというもの、自分が老けていく感覚が全くない。鏡を見れば若かりし頃とは違うのだろうが、僕の中では昔のままだ。それは相手に対しても言えることで、もしかしたら視覚障害のカードのおかげで恋する気持ちを新鮮に保てるのかもしれない。  また、見せ掛けの美貌に騙されないのもメリット。目が見えないからこそ、相手をちゃんと見極めて、相手の心を好きになって恋に落ちることができるのなら、それは素敵なことだろう。  ちなみに視覚障害ならではのリスクも一つ。それは、いきなり抱きつかれてもこちらにはそれを避ける術がないということ。つまりすぐに既成事実ができてしまうのだ。もしインタビュアーに「目が見えなくなって一番困ることは何ですか?」と訊かれたら、「突然のキッスがよけられないことだぜ」と答えたい。  いや嘘です。妄想です。現実にはそんな場面はそうそうなく、むしろキックがよけられなくて困ることの方が圧倒的に多い。女性は怒らせないのが賢明である。  そんなわけで色々考えてみたが、視覚障害のカードに恋心のカードを添えるには、もう一枚別のカードが必要なようだ。それは勇気のカード。迷惑をかける、普通のデートはできない、それでもそばにいてほしいと言い切れる勇気。残念ながらこのカードはまだ僕の手札にない。これはもしかしたら神様が配ってくれるのではなく、自分で手を伸ばして掴み取るカードなのかもしれない。  それができた時は展望レストランにでも行ってみようか。綺麗な夜景が君には見えて、僕には見えないとしても、君が嬉しそうなのはわかる。信じられないかもしれないが、心が幸せを感じるにはそれで十分だったりする。  それに見損なわないでもらいたい。例え目が見えなくたって、君が輝いてることくらいわかるんだから。 ■研究② 銀色の告白  視覚障害のカードをおもてにするのは難しい。未だに僕は誤魔化してしまう場面が多々あり、目が見えないことを告白するのは苦手である。  ではまずは告白する相手についての考察。一番難しいのは久しぶりに会う友人。現状を伝えた時の反応が怖い。未だに同窓会に足が向かず、昔の僕のままみんなの記憶に残っていたいなんてつい思ってしまう。  次は告白の言葉についての考察。どんな言葉で伝えるのがベストだろうか。「目が悪いんです」「目が見えないんです」…実際に勇気を出してそう伝えたはずの相手から「これを読んでみて」と本を手渡されたりもした。見えないっつっただろと心の中でつっ込むわけだが、それにしてもどうして伝わっていないのか。もしかしたら僕自身が大したことない雰囲気を出し過ぎていて、せっかくの告白が軽くなってしまっているのかもしれない。  ここでそもそもの疑問。告白はすべきか? 懐かしの特撮テレビ『ウルトラセブン』の最終回でそれを考察してみよう。  ウルトラセブンの正体はウルトラ警備隊のダン隊員なのだが、彼はそのことをずっと仲間に隠して闘ってきた。しかしその疲労が蓄積し仕事でミスを連発、事情を知らない仲間からは心配や叱責を受ける事態に。それでも何も語らずに一人最後の闘いに臨もうとした彼だったが、追ってきた同僚のアンヌについに自分の正体を告白する。その後、彼女が仲間たちにもそのことを伝えて、最終決戦で苦戦するウルトラセブンをみんながダンと呼びながら援護する名場面となる。  ダンの告白はどうだろう。一人で抱え込んで頑張ってきたがそれも限界に達し、結果として周囲に迷惑をかけてようやく告白。少し遅かったのかもしれないが、彼がずっと言えずにいた気持ちももちろんわかる。「実は宇宙人です」なんて、「実は視覚障害者です」よりはるかにハードルが高い。彼がどんな言葉でアンヌに打ち明けたのかは、見ていただいてのお楽しみ。告白の瞬間に画面が銀色に変わり、向かい合う二人がシルエットになる美しい演出は今も僕の脳裏に焼きついている。  最後に別の角度での考察も一つ。告白する側にも技術が必要なように、告白される側にも適切なリアクションをする技術が必要だと感じる。ではベストな返事とは何だろう。アンヌもダンに対してとてもあたたかい言葉を返しているが、僕が一番好きな返答はこれまた懐かしの映画『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』の中にある。  ハン・ソロが悪者に捕まり氷漬けにされる直前、レイア姫はこれまで隠してきた想いを「I love you」と伝えるのだが、彼の返事はたまらなく素敵である。もし僕も「実は目が見えないんだ」と打ち明けて、そんな言葉を返されたら惚れてしまうかもしれない。彼が何と言ったのか、これもぜひ見てのお楽しみ。  僕たちの日常では映画のような名ゼリフはなかなか言えないが、焦ることもないだろう。愛の告白だって踏み切るまでに何年もかかったり、何回目かにようやく届いたり、結局言えずに終わる恋もある。タイミングは人それぞれ、するもしないも人それぞれ。  それでも視覚障害のカードをおもてにすることで始まる新しい物語があることを僕は信じている。 ■研究③ 青い空はポケットさ  国民的アニメであるドラえもんの映画が初めて公開されたのが1980年、僕の生まれた年であり、ドラえもん映画は我が人生に配られた最高のカードの一枚である。小学生の頃はビデオが擦り切れるほど見返し、中学・高校時代は毎年友達と映画館に行くのが恒例行事で、当時はメガネもかけていたから「野比くん」という仇名でも呼ばれていた。また大学の部活を引退した時はドラえもんのぬいぐるみをプレゼントしてもらい、それは今も僕の部屋に座っている。  ドラえもん映画のストーリーといえば、序盤はひみつ道具を使ってのび太たちが日常と異なる世界へ遊びに行く、そこで事件に巻き込まれる、そしてその世界を救うために敵と闘う…という展開が多い。これは近年の作品も変わらないのだが、ただ藤子・F・不二雄先生が原作を描いておられた頃は、その冒険が「たまたま巻き込まれたもの」から「自分で選んだもの」に切り替わる場面がよく挿入されていた。  例えば第3作『のび太の大魔境』では、アフリカ奥地へ遊びに行くが帰れなくなり、犬の王国の争いに巻き込まれる。敵に囲まれた時、王子から日本へ脱出するルートを教えられるのだが、のび太たちは王子と一緒に闘うことを決意して再び戦火へ飛び込んでいく。  第5作『のび太の魔界大冒険』では、魔法世界へ遊びに行ったら帰れなくなり、悪魔との闘いに巻き込まれる。ドラミちゃんが助けにきてくれるのだが、のび太たちは魔法世界を見捨てられず再び魔界へ戻っていく。  これ以外にも多くの作品で、のび太たちには冒険の途中で日常へ戻れるチャンスが与えられている。それでも迷った末、今度は自分の意思で飛び込んでいくのだ。  同じ冒険をするにしても、やるしかないからしょうがなく闘うのと、自分から能動的に闘うのとでは意味が全く異なる。僕らの視覚障害もなりたくてなったわけではないので巻き込まれたには違いないのだが、これをいかに自分で選んだ冒険にできるかが重要。  想えば僕も流されて医学部受験、在学中に網膜色素変性症が判明、卒業後に医療の世界から逃げ出した。しかしふとドラえもん映画のカードを思い出し、今度こそ自分の意志で飛び込んだ。あのプロセスがなければ今日まで働き続けることはできなかったと思う。  もちろん今でもしょっちゅう怖じ気づく。出勤する時の玄関のドアがやけに重たくて、また逃げ出したい朝がたくさんある。でも弱虫ののび太が強くなれるのは仲間がいるから。メルマガ色鉛筆にもたくさんの仲間たちがいる。それを思い出せば僕もちょっとだけ強くなって、どこでもドアを開いて一歩を踏み出せるのだ。  気付けば本当にドラえもんのひみつ道具みたいな便利な視覚障害のサポート機器が開発されている時代。仲間もいる。ひみつ道具はポケットの中。  さあ行こう、自分で選んだ冒険へ! フォント:明朝系 B(サイズ13pt 行間7pt 字間-25) (114ページ 白黒反転) 【おまけ】音楽のカードで作ったイメージソング 光のメールマガジン 全部が嫌になって閉じこもっていた そんな夜 メールマガジンが送られてきた この世界のどこかで頑張る誰かの物語 メールマガジンに涙が溢れた 見えない地球の暮らし方が少しわかって 夕焼けもオーロラもまた色付きだす 国語が苦手だった ラブレターも下手な僕だけど メールマガジンを書いてみようかな この世界のどこかで道に迷ってる仲間たち メールマガジンが届いたらいいな 心の気球を空に飛ばそう 明日に向かって あいかわらずあいかわらず あなたに見惚れて 見えない地球の暮らし方が 少しわかって お花見もお月見も 目一杯楽しんじゃえ みんなありがとう! フォント:UD教科書体系 M(サイズ16pt 行間8pt 字間-25) == (115ページ) 特別寄稿の扉 特別寄稿(アイキャッチは六角形です) 響きあい応援団 (116ページ、117ページ 白黒反転) 特別寄稿 響きあい応援団 ロービジョンケアの相棒 京都ロービジョンネットワーク いなば眼科クリニック 稲葉純子  楽しく、心強い本が、また1冊できました。  2021年5月発行の前作「見えない地球の暮らし方」をたくさんの方にお配りしました。患者さんには外来で一緒にページをめくり、「どの大きさの字が読みやすいですか? 黒白反転は?」と見え方を共有し、「お料理の経験談が載っていますよ」「学生さんのエッセイも」と、「見えない・見えにくい仲間がいる」ことを伝えました。ご家族、福祉や教育分野の支援者へもお渡しし、見え方や心情の理解につながりました。ロービジョン児を受け持つ教員は「こんな風に感じているんやね!」と感想を下さいました。そして眼科医にも。医療者はロービジョンケア(見えない・見えにくい方の支援)の導入者であるべきですが、残念ながらまだそれが十分に浸透していません。ロービジョンケアの普及と多職種連携のために活動している「京都ロービジョンネットワーク」を通じて京都府の医療関係者に周知・配付・啓発を行い、多くの反響がありました。  続編である本作も、見えにくい方の思い、工夫、そして笑いが「てんこもり」です。本作をさまざまな方に手渡すのが、感想を聞くのが、とても楽しみです。  もう20年前ですが当事者の方の思いを伺う機会がありました。「見えにくくなり引きこもった。治らないからもう受診しなくていいと眼科医に言われた。ロービジョンケアの情報が欲しかった。」と講演されました。治せない患者さんの前で医師は無力です。しかしロービジョンケアはその方の役に立ち、医師はロービジョンケアの情報を伝えることができます。私は少しずつロービジョンケアを始めました。患者さんの気持ちを聞いて、病気を説明し、見え方を説明し、補助具を検討し、情報を手渡して、関係機関につなげます。見えない・見えにくい仲間がいることを知らせます。ロービジョンケアに正解はなく、いつも試行錯誤です。しかしその方に喜んでもらえたとき、笑顔を見せてくれたとき、前向きな様子を見せてくれたとき、別の相談に来てくれた時、病気は治せないけれど何かお役に立てているのかなあと安堵します。患者さん、というよりも、見えにくくて困っているひとりの方のために、「自分ができること」をこれからもやっていきたい。そんな思いで今日も外来に向かいます。  「見えない地球の暮らし方 2」は、前作に続き私のロービジョンケアの心づよい相棒となるでしょう。  本書に係られた方々に心から敬意を表します。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ16pt 行間8pt 字間-25) (118ページ、119ページ) 特別寄稿 響きあい応援団 暗闇を照らすカラフルな光 視覚障害をもつ医療従事者の会 代表 守田 稔  「これから先の人生が見えない」。医学部5年生のときに失明した私が、まず最初に感じた思いでした。失明したので目の前が真っ暗。当然目の前の物や景色が見えません。でもそれと同じか、それ以上に厄介なのがこれから先の長い人生が見えないという辛い思い。こころの中も真っ暗になって、何度かうつになりました。  こころは光も届かない暗闇の中。じっと動けずにいました。それでも手探りで何とか周りを確かめて、ようやく少しは身動きが取れるくらいにはなったけど、これで本当に人生歩んでいけるの? 不安で不安でまったくどうしていいかわからないとき、生まれて初めて自分以外の目の見えない人と会いました。知らなかった方法で障害を補い、知らなかった方法で堂々と人生を歩んでいる。そんな話を聞いてると、今はまだ周りは真っ暗だけど、遠くに確かな光が見えました。  それからたくさんの見えない、見えにくい人と出会い、いろんな話を聞き、様々なことを教わりました。暗闇の中にいつしかあちらこちらから光の筋がさすようになり、気づけば人生の道もぼんやりだけどまた見えてきました。見えなくなって20有余年。目の見えない人生を手探りで一歩一歩あゆんできました。そんな私も今では、誰かの暗闇をさす光の筋のひとつになれたら良いなと思っています。  今この本を手に取って読まれた方、音声で聴かれた方、あるいは読まれた人の身近な方の中には、まさに今こころが光の届かない暗闇の中にいるという人もいるかもしれません。本書のひとつひとつの話には、当事者ならではのいろんな思いが込められています。うれしかったこともあれば、悲しかったこと、悔しかったこと、悩んでいることも全部あります。だからこそ、ひとりじゃないよ、こんな工夫をしたら乗り越えられたよというメッセージがこころに響きます。家族のこと、子育てのこと、歩くこと、住むこと、日々の生活で感じた思いも紡がれています。制度のこと、そしていろんな工夫、知ってるだけで得する話も織り込まれています。いろんな色の光がこの本の中にいっぱい詰まっています。  目が見えなくても、見えにくくても、人生がぼんやり見えてくれば、こころは真っ暗闇じゃなくなります。この本のすべてを読み終わったとき、暗闇を照らすカラフルな光がきっとあなたを包み込んでいることでしょう。本書はこころを照らす光の頓服薬。同じ悩みを持つ1人でも多くのみなさまに、この光が届くことを願っています。 フォント:UD丸ゴシック系 DB(サイズ16pt 行間8pt 字間-25) == ラジオもいろいろ ★NHKラジオ第2「視覚障害ナビ・ラジオ」 日曜日午前7時30分から8時00分まで。 再放送 同日午後7時30分から8時00分まで。土曜日午後3時15分から3時45分まで。 ★JBS日本福祉放送 視覚障害者向け専用ラジオ放送。オンデマンドでこれまでの放送を聴くことができる。 ★ラジオ日本 小鳩の愛~eye~(こばとのあい) 見えない見えにくいあれこれを対談形式で。これまでの放送はポッドキャストで視聴できる。 ★ラジオ大阪(OBC)「話の目薬 ミュージックソン」 毎週火曜日午後8時から。視覚障害者に役立つ情報、支援者の活動などを紹介。 == 奥付 見えない地球の暮らし方 2 ―見えない・見えにくい人のリアルな日常レポート集― 2023年5月4日 第1版第1刷発行 発行:公益社団法人 京都府視覚障害者協会    情報宣伝部 メルマガ色鉛筆チーム    〒603-8302 京都府京都市北区紫野花ノ坊町11    電話:075-462-2414    e-mail:iroenpitsu-hensyubu@kyosikyo.sakura.ne.jp 印刷・製本:アインズ株式会社 色鉛筆書籍化活動協力金:1,000円 【制作スタッフ】 編集:メルマガ色鉛筆チーム 小寺洋一 石川佳子 編集補助:河野郁代 装丁/デザイン:髙木貴代 イラスト:尾上真紀 協力:日本弱視者ネットワーク  本書掲載のレポートはメルマガ色鉛筆で2021年から2023年に配信されたレポートに加筆修正をしたものです。本書掲載の情報は2023年2月現在のものです。 奥付、終わり。 == おわりに ~強い光と深い影~  2013年、医療から福祉への早期連携を目標にメルマガ色鉛筆を創刊した。あなたはひとりぼっちじゃない、まだ見ぬ仲間に見えない見えにくい人の暮らしの中のあれこれを届ける、その一心でメルマガの配信を重ねてきた。メルマガからさらに一歩、書籍『見えない地球の暮らし方』では福祉やITの外側にいる方に情報を届けること、その第2巻となる本書ではクイックロービジョンケアの提案を試みた。  メルマガ色鉛筆は2023年11月に10周年を迎える。色鉛筆とともに歩いた私のこの10年は、実に波乱の10年であった。この深い影のうちにある時を強い光で照らしてくれたのは色鉛筆と書籍の企画編集であった。そこには多くの人たちとの心あたたまるやりとりがあり、その温度に強く支えられた。私は決して希望の光が見えない道の上にいる。それは障害とは無関係の苦しみだ。深い影の中、私は毎日言葉を紡いでいる。寄せられた文章のうちにある心にそっとふれながら、私はパソコンの音を頼りに対話し続けている。強い光と深い影、私の人生はきっとそうなのだろう。見えないことを悲観し、そのこと自体が闇となりそれに支配されることはなくなった。だが、本書を成す魂のすべてを思う時、私はこの本の1ページも自分の眼では見えないことが、とても悲しい。ただ触るだけでは、音で聴くだけでは、どうしても私の心は満たされないのだ。見えなくてもどうにかこうにか大丈夫、ひとりじゃない、見えなくてもゼロでない、そう本書は語る。一方、制作の中心にいる私の本音は、やっぱり見たい、見えていたかったと思いながらこの本を編集してきたということだ。あるがままを受け止めるとは何か、そんな難しいことはさておき、悲しいことを悲しいとちゃんと伝えたい、ただそれだけだ。なぜなら、それがメルマガ色鉛筆が語るリアル、この10年のすべてだから。  今、強い光と深い影の中で私は本書を胸に抱き、ただ一つ祈る。どうか、少しでも早く、この本が必要とされる方のもとに届いてほしいと。私にとって見えない、見えにくいことはゼロを意味するものではない。深い影のうちでも光を求めて顔をあげれば、何かしら見つかることがある。本書を通してそんなわずかなアクションが生まれることを強く強く祈る。  本書の制作にあたり資金面で支えてくださった皆様、読者、ライター、仲間、スタッフの皆様に心から感謝を伝えたい。ありがとうございます。これ、みんなで作りました。作れました。私たちはチームです。色鉛筆のファミリーです。もし、良ければこの1冊を手に誰かとおしゃべりしてください。これ、私が作ったんだよ。ここ、私の声だよって。どうか本書を手に笑顔でいてください、どうか誇らしげに、そっとやさしく。私の人生を皆さんの強い光で照らしてくださってありがとうございます。私は皆さんに支えてもらっています。皆さんのことがめっちゃ大好きです。握手、握手、ギュー、ハグハグ。これからもずっと真ん丸なご縁を重ねさせてください。丸く丸く真ん丸に。最敬礼。 2023年2月  月を探す夜に。メルマガ色鉛筆編集チーム 石川佳子 == (裏表紙) 推薦の辞  この本を手に取ってみてください。ページをめくって執筆したお一人お一人の率直な生き様に触れることで、ずっしりと思いを感じることでしょう。ロービジョンケアに関わる皆様にも役立つ情報が満載です。視覚障害当事者や家族、支援に関わる全ての人が読んで、生きる工夫やヒントに気付くはずです。そして、みんなの力で見えなくなって苦しんでいる人たちに、様々な色鉛筆で描かれた未来の希望の光を届けていきましょう。 公益社団法人NEXT VISION 視覚障害リハビリテーション協会会長 和田浩一  推薦の辞の下には カードのデザインでメルマガ色鉛筆の活動の案内が記されています。 左上 切手の部分にはメルマガ色鉛筆のロゴマーク その右横に、郵便番号の枠で「絶賛 ハートマーク 配信中!」 その下に 「メルマガ色鉛筆 読んでみませんか? カラフルな当事者の声」 「詳細はこちら 京都府視覚障害者協会HP http://kyosikyo.sakura.ne.jp/mi.html」 その右にQRコードが入っています。 「メルマガ色鉛筆のバックナンバー・見えない地球の暮らし方 第1巻はこちらから」とメッセージが添えられています。 (この本の内容は以上です。)