第50回白杖安全デーに向けて

<第50回白杖安全デーに向けて>
第50回白杖安全デーに向けて(その2)
 先月号から掲載をスタートしたこのコーナー。今月号は実行委員の久保弘司(くぼ こうじ)さんからです。
第50回白杖安全デーへ向けての私の思い
第50回白杖安全デー実行委員会
久保 弘司
 「どちらまで行きますか?」、「次は○○番のバスですよ。」、「信号が青になりましたよ。」…京都の街中を歩いていると、本当に多くの方に声をかけていただきます。地元の広島に帰省したときや、京都より更に大都会を歩いているときも、ここまで声をかけていただくことは、ほとんどありません。
 これも、長年継続してきた白杖安全デーという取り組みを通して、当事者である私たち視覚障害者が、私たちの思いを市・府民の方々に伝えてきた成果なのだと思います。
 私が初めて白杖安全デーに参加したのは、京都ライトハウス鳥居寮でリハビリ訓練を受けていた1994年のこと。当時は円山公園で集会を行い、四条通を烏丸までパレードしたことを覚えています。
 当時の私は、この白杖安全デーの意味合いや歴史的な経緯も全く知らず、普段歩くことのできない大通りのど真ん中を歩けるということが物珍しく、ただ、それだけで参加していました。ここ数年と比べると、参加者も多く、非常に活気に溢れた集会・パレードだったことが印象に残っています。
 そして数年前からは、京視協の役員の一人として参加するようになりました。実際に参加してみて、参加者数等、規模は小さくなってきたとしても、このような取り組みが50年もの間、継続して行われてきたということに、ただただ感動しています。
 皆さんも一度想像してみてください。もし自分が50年前にタイムスリップしたら…。音響信号や点字ブロックがほとんどなかった歩道を、駅構内やホーム上を、そして私たちに声をかけてくださる方が少なかったであろう街中を、今と同じように移動できるでしょうか?
 白杖安全デーという取り組みのおかげで、今を生きる私たち視覚障害者が、一人でも比較的安全に移動できるようになってきたのは確かなことです。この取り組みの歴史が生み出した恩恵を、ひしひしと噛みしめながら、51回、52回と更に継続していく中で、私たちにとって、今以上に移動しやすい環境が整っていけばうれしいです。そのためには、まずはこの記念すべき第50回目を、一人でも多くの方と一緒に盛り上げていければと思います。
 皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。


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