第50回白杖安全デーに向けて(その1)

第50回白杖安全デーに向けて(その1)
 長年にわたって開催してきた白杖安全デーは、今年度、第50回の節目の年を迎えます。10月10日(月・祝)の開催予定で、これから準備も本格化していきます。多くの方のご参加で大成功させたいと思いますので、皆さまのご協力よろしくお願いいたします。
 そこで、今月号から数回にわたって、今年度の実行委員がこれまでの思い出や今後への期待など、それぞれの思いを連載させていただきます。
 トップバッターは、第1回の白杖安全デーにもご参加された経験をお持ちの、櫻田朋子(さくらだ ともこ)さんです。
第50回白杖安全デーへ向けての私の思い
第50回白杖安全デー実行委員会
                    櫻田 朋子
 今年で第50回を迎える白杖安全デーに向けて、少し思い出を辿りながら、そして私なりの思いも交えて書いてみます。
 1961年、今の鳥居寮の場所にライトハウスが誕生しましたが、その頃は千本北大路の交差点には、信号機さえありませんでした。
 翌年、1962年の2月頃にようやく信号機がつきました。そして、その年の夏に、盲学校の生徒が安全に歩けるようにと、音の信号機が設置されました。今の音声信号機の音とは全然違い、ブザーのような音で、その音の高い・低いによって、東西、南北のどちらの信号機が青なのか分かるようになっていました。
 しかし、それは、学校の登下校の時に鳴るだけで、それ以外の時間帯は、静かなものでした。
 1967年の秋に、第1回目の白杖安全デーが盲学校で行われました。その後で、千本北大路の交差点の渡り初めがあり、私はそれに参加していたと思います。信号機の音も、今の「カッコウ」、「ピヨピヨ」になっていたのか、若干うろ覚えですが、点字ブロックはなかったと思います。
 それ以来、毎年この行事が続き、京都市役所前の広場や円山公園の音楽堂を会場に集会が行われ、いつしか視覚障害者の安全な移動について、より多くの方々に知っていただくためにパレードもするようになりました。
 岡山県の盲学校の近くに初めて点字ブロックが敷設され、横断歩道の場所を確認して渡ることができるということで、視覚障害者は大変喜びました。その後、点字ブロックは横断歩道の場所を示すだけではなく、バス停、公共の建物の入り口などに敷設されるようになり、今では私たちの歩行には、なくてはならないものになりました。
 私は、しばらく京都を離れていましたが、1980年代に京都に戻り、京視協に再入会してからは、毎年のように白杖安全デーに参加しています。第1回の白杖安全デーが開催された頃から比べると、私たちの歩行環境は随分と良くなり、とても歩きやすくなりました。勇気さえあれば、京都市内ならどこへでも行けるようになりました。それは、50年という長い間に、私たちの思いを社会に訴え続けてきた成果だと思っています。もちろん、この取り組みが継続できているのは私たち当事者の力だけではなく、多くのボランティアの方々のご協力があってからこそと感謝申し上げます。  
 最後に、私たちの思いは一人ではなかなか叶えられませんが、皆で団結して生まれる力は大きいものです。これからも住みよい、歩きよい街を目指して京視協の会員の一人として運動を続けていきたいと思います。
過去の白杖安全デーの思い出を大募集します
 実行委員会では、50回の歴史を振り返ると共に今後を展望することを目的として、記念誌の発行を計画しています。そこで、過去の白杖安全デー、特に最初の15年くらいについて、実際に参加されたり、委員として活動された方に当時の思い出や当日の様子などをお聞きし、記念誌に盛り込みたいと考えています。
 ご協力いただける方は、4月末までに京視協事務所までご連絡ください。お待ちしています。


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