会長退任のご挨拶
前会長 田尻 彰(たじり あきら)
皆さん、大変お世話になりました。そして、私たち執行部を側面から支えていただき、深く感謝申し上げます。無事、後継役員への引継ぎができたことを何よりうれしく思っております。
2015年6月から始まりました3期6年間の在任期間が、去る6月27日の定時総会をもって満了となり、無事重責を終えることができました。正直なところ、大きな責任から解放され、まずはほっとしているところです。
この間、多くの会員、役職員、関係機関の方々には、共通の目標に向かって前進する大切な時間と場所を共有させていただき、大変感謝しております。私にとりましても、そうしたことを通じて自分自身の成長と広範な人間関係づくりができ、大きな財産を頂戴しました。本当にありがとうございました。
私は、京都で暮らすようになってから、学生時代も含めますと半世紀が過ぎました。また、本会との関りが始まってから早40年以上が経過しました。今や本会の活動が私の大きな支えとなり、その活動が私の活力ともなっています。
6年間の歩みは、数々の思い出に彩られた風景として今も心に深く刻まれています。
前半の3年での大きな出来事として、先ず2016年6月のライトハウス朱雀の竣工に始まります。本会は建設募金の目標を超える金額を集めることができ、ライトハウス朱雀の建設実現に大きく貢献できました。在宅の視覚障害高齢者が待ちに待った施設利用が実現し、京都における高齢視覚障害者の念願が達成されました。
また、本会では、第50回白杖安全デーの記念事業を共催団体と共に開催し、半世紀の間継続してきた啓発活動の総決算として、広く府市民への広報発信を行いました。日本最初の障害児教育を切り開いた京都府立盲学校で開催でき、より一層意義深い企画となりました。
さらには、2018年9月、本会結成70周年記念の大事業を、府内各地から一堂に会し、鳥居篤治郎(とりい とくじろう)初代会長の生誕地・与謝野町で開催しました。その際、本会と京都ライトハウスとの歴史的な経過を共有する企画として、京都ライトハウスの「故鳥居篤治郎先生遺徳顕彰会」との共催で、鳥居賞・鳥居伊都賞の伝達式を挙行しました。まさに、鳥居先生によって作られた本会と京都ライトハウスの双方が、「車の両輪関係」であることを改めて認識した、大切で貴重な1日となりました。
また、この時期には、第56回全国邦楽演奏会並びに第57回日盲連(現、日視連)音楽家協議会福祉大会を京都で主催、開催しました。伝統的な視覚障害者の職業分野の意義を確かめる大会となりました。本会内部の活動としては、増え続ける中途視覚障害者対策関連で二つの動きが始まりました。一つ目は、当事者による当事者の側からの情報発信による社会的な働きかけとして、本会情報宣伝部による「メルマガ色鉛筆」のメール配信です。「メルマガ色鉛筆」は今日、その書籍化も実現し、全国的にも広く普及、広報することができるようになりました。情報宣伝部の並々ならぬ努力と多くの方々の広範な後押しに力強い手ごたえを感じています。二つ目には、そうした当事者の願いを社会的に支える医療から福祉、教育、雇用・就労への橋渡しのシステムづくりが大きく前進したことです。2017年、京都ロービジョンネットワークがスタートしたことは、京都の視覚障害リハビリテーションを推進してきた関係者にとって、大きな前進の1歩となりました。今や全国的にも有数のロービジョンネットワークとして、日々、眼科医、医療、福祉、教育等の関係スタッフが熱心に活動されておられる様子を見るにつけ、中途視覚障害者やその家族、それらを取り巻く関係者に大きな勇気と未来への希望を与えていることは大変喜ばしいことです。京都がこのような段階に至ったことも含めて、当事者団体として、一層の精進と賢明な努力を積み重ねなければならないことを痛感しております。
他方、厳しい状況も訪れました。あはき(あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師)の晴眼者養成施設や学校の認可を法的に裁判で認めさせようとする「あはき訴訟」が提訴されたため、視覚障害施術者の地位と職域を守るために、大阪地方裁判所へ法廷傍聴に参加しました。この動きは、その後の京都府あんまマツサージ指圧師会(京マ会)復活につながるなど、京都における視覚障害三療家の職域と暮らしを守る取り組みとなっています。
また、この時期には、痛ましい鉄道駅ホームからの転落死亡事故が相次ぎました。近畿管内でもJRや私鉄の事故現場を確認し、鉄道会社への安全対策の早急な実施について要望活動を展開しました。府内南部地域では無人駅の安全を願う立場から、府内北部では安全な駅を実現する立場から、そして京都市内では市営地下鉄駅ホームの安全対策について要望し、一部の駅ではありますが、ホームドアの実現という願いを実現することができました。今後も引き続き、視覚障害者の外出環境の安全を目指す取り組みが前進し、一時も早く全駅でホームドア等の安全設備が設置されることが待たれます。
後半の3年間は、これまでの平常の日常が一転して、自由な外出や皆さんとの気軽な交流ができなくなり、特に2020年3月以降は、新型コロナの感染拡大で、外出自粛、3密の回避、人と人との一定の距離の確保が強いられました。その結果、本会の行事等はその多くが中止され、視覚障害を持つ私たちの気軽で陽気に交し合う対話や交流の場が損なわれたことは言うまでもありません。そのことこそが、視覚障害者の暮らしに最も決定的なダメージを与えているのではないか、と日々思っている次第です。私たち視覚障害者にとっては、その社会的不利がさらに拡大し、移動や情報、暮らしの全般にわたって、息苦しさとの共存を余儀なくされ、それは今なお続いております。
このように、6年間の振り返りの中でも、本会が直面する課題はまだまだ多く山積しています。それらの多くがまだ道半ばです。今後活動を担われる方々に対し、最後に私の方から大変僭越(せんえつ)ではございますが、皆さんへのエールとして、三つの思いを述べさせていただきます。それは、私たちが絶えず福祉の前進を後退させることなく、一歩でも前に前進できる本会の活動を追及して欲しいからです。
一つは、本会が結成されて、今年で73年を迎えています。過去の先達が生み出した数々の実績に加えて、「独りぼっちの視覚障害者を無くそう!」という素晴らしいスローガンは、絶えず皆が心に止め、日々の合言葉にすると同時に、もっと言うならば、京都における視覚障害関係機関が共通にこのスローガンを実践するために、この理念を共有して欲しいのです。引き続き日々の活動の指針として、本会が目指す目標として、その実現に向け皆さんと共に前進して行きたいものです。
二つには、役職員が共同して活気ある本会づくりを目指すこと、そしてそれぞれの地域団体を支援するための組織的な取り組みを、同行援護や相談事業などの事業展開と合わせて、事業と活動が一体化するような本会づくりを目指して下さい。そんな中で、同行援護や人事委員会の担当理事を配置し、当事者と職員とが取り組む段階へと前進できたことは、今後に向けた本会の新たな前進につながることと期待しております。
三つには、自分たちの願いや希望を要求に結び付ける活動と、それを吸い上げる力の回復です。私たちの反省すべきところも多々ありますが、皆さんの声や暮らしの中の不便さなどを、遠慮なく会の活動に反映される仕組みづくりが大切です。そのためには、南部地域で実践されているような南部サテライトや南部アイセンターの存在とその取り組みが原点になろうかと思います。何故なら、視覚障害者の特性として意思疎通やコミュニケーションの基本は日々の対話であり、こうした交流の中から情報が交換され、それぞれの生き方に気づきを与えることが多いからです。そうした過程を通じて、それぞれの暮らしの不便さや制度の不十分さに対する願いや要求が生まれるのだと確信しています。その基盤ともなる南部アイセンターの開設とその後の運営は、本会の歴史の中でも、特筆すべき快挙だと思っています。それだけに、この拠点の活用は、今後の本会を更に飛躍させるための大切な方向を示唆したモデルケースだとも言えましょう。しかし、それに対し、北部におけるこうした拠点(たまり場)の設置の動きが道半ばにして頓挫してしまったことは、痛恨の極みです。
本当に長い間ご協力、ご支援ありがとうございました。