メルマガ色鉛筆第22号(泳ぐこと、最高にハッピー!)

タイトル 泳ぐこと、最高にハッピー!
ペンネーム マリンブルー&水中花(60代 女性 光覚)
 レポートの要旨です。
 マリンブルーは海の色、生まれ変わったら海の生物(クラゲでもいい)になり、大海原で漂っていたい!
そして、水中花のように水の中で美しく咲き続けていたい!
それが私の願いとあこがれです。
 視覚障害者となったおかげで、私は三つの宝物を手に入れることができました。
そのうちの一つが競泳です。
「泳ぐことが好き」を越えた競泳という新たな世界への挑戦には、かけがえのない友との出会いがありました。
そんな私のスイスイライフについてお話します。
 ここから本文です。
 私にとって、泳ぐことの魅力はずばり、開放感!
自分の全体重を水にあずけて、お魚になったようにスイスイと…、最高です。
 私が水泳を始めることになったきっかけをお話しますね。
 我が家の娘は、幼稚園に入った時から水泳を習い始めました。
そして我が家は毎年、海の保養所へ出かけていました。
泳げる娘と夫は私を足手まといのように置き去りにして、沖のほうまで泳いでいき岩場で遊んでいました。
私は浮き袋を付け必死に前に進み、やっと岩場にたどり着いたと思ったら、娘たちはすでに移動していました。
自分もスイスイ泳げるようになりたい、水泳を習おうと決心しました。
そんな単純な発想から泳ぐことの楽しさ、開放感を知ることになったのです。
 私は子供の頃から弱視でしたが、30歳代後半になっても視力を活用して生活していました。
その頃は、スピードを出して泳ぐのではなく、ゆったりと水泳ライフを楽しんでいました。
そんな私が競泳に取り組むきっかけとなった出来事をお話しましょう。
 2009年の4月から2011年3月まで、視覚障害者生活訓練施設(鳥居寮)に通所していました。
訓練していく中で、多くの友人ができました。
その中にSさんがいました。
何事にも積極的な彼女は、「全京都の水泳大会に一緒に出よう」と私を誘ってくれました。
水泳は、30歳後半から泳いでいたとはいうものの、障害者となってからはスピードを出して泳いだことがなく、不安でした。
彼女の強いすすめに押され、私は大会に出場しました。
25mバタフライと100m自由形の2種目に出場し、見事二人とも金メダルをいただきました。
生まれて初めての金メダルを手にした時の感激を、私は今でもはっきりと覚えています。
そして、その年の千葉国体にも出場が決まったのです。
 初めての金メダルをきっかけに、私の競泳人生はスタートしました。
全京都、近畿大会、日本選手権と、年3回の大会に出場すべく、そのための水泳クラブにも入り、猛練習が始まりました。
視覚障害者のエントリーは少ないようで、しかも障害別なので、比較的簡単に金(きん)は取れます。
あとは自分の記録との戦いです。
2011年に平泳ぎで大会新記録を出しましたが、いまだにその記録は破られず、自身もその後は自己新記録を出すことはできません。
 年々、歳はいく(当たり前)、だんだん目が見えなくなる…、当然、泳ぎながらのハプニングは続出します。
練習中、まっすぐ泳げなくて、コースロープにぶち当たる。
腕はこすれて、擦り傷が絶え間ない。
トホホ。
ターンの時、壁が見えず、頭を強打、コースからはみ出して泳ぎ、正面衝突。
女の命である顔(笑)が紫色に腫れ、何度氷で冷やしたことか…。
 もっとも悔しい思いをしたのは、昨年(2013年)の春のこと。
私の不注意から鼓膜が破れてしまい、3か月ほどプールに入れなかったことです。
近畿大会、日本選手権を棒に振ってしまいました。
このまま鼓膜が再生しないと、私の水泳人生は終わってしまう。
水に入れない中で焦りの日々を過ごしました。
別に日本国を背負っているわけではなく、金メダルを誰かが期待しているわけでもない。
「もうええやんか」と、あきらめようとしました。
あぁ、それなのに、神様に見捨てられることなく、私の鼓膜は無事再生し、こうしてまた泳ぐ暮らしは戻ってきました。
私ってやっぱり泳ぐ人なんだなあ!と、つくづく実感しています。
 私は、水泳を続ける中で色々な障害を持った方々と出会いました。
共通して言えることは、皆さん底抜けに明るいということです。
勝ってもおごることはなく、負けても落ち込むことはありません。
泳ぐ仲間とのつながりは、とてもさわやかなものです。
 水泳を続けていられるのも、こうした人たちとの出会い、そして何よりも家族の支えがあればこそです。
私は、競泳を第一の目的とするかわりに色々な犠牲を払ってきました。
主婦である私は、家事の傍ら筋トレも必要、持久力も必要、食事のコントロールも必要。
くじけそうになる心を励まし、サポートしてくれる家族がいたからここまで来られたのです。
 私は、目標を持つと、それを周りの人に公表することにしています。
一昨年のフェニックス会(鳥居寮終了生の会)で、金メダル30個目標と宣言してしまいました。
皆様に発表することで、弱い自分を奮い立たせることにしているのです。
それでも、どうしようもない不安と焦りに押しつぶされそうになります。
でも、泳ぎは超楽しい!
メダルは取れなくても、競泳の後の達成感は最高!
「そこに山が」、ではなかった、「水があるから泳ぐんだ」の精神で、お魚かイルカになったような気分で泳いでいられたら、とても幸せ!
やはり私は水の中が好き!!一番好き!!
 えっ、目標を達成したらどうするのかって?
サナギの抜け殻のように風に吹かれて、ブーラブラ。
競うのではなく、時間を気にせず、ゆったりと泳いでいたいですね。
 それに、私には三つの宝物があります。
一つは水泳ですが、あと二つも私の生きがいです。
少し手抜きをしていたけれど、今後はその二つに目標を立てて、それに向かって努力をしていきたいです。
 そうそう、私に競泳をすすめたSさんですね。
Sさんは、鳥居寮訓練終了と同時に遠い故郷に帰りました。
彼女は水泳から陸上のほうへ転向し、国体で頑張っています。
彼女にはマラソンの世界にも引っ張り込まれ、京都視覚障害者マラソン大会にそろって出場しています。
彼女は大会に出場するため、毎年二泊三日で我が家にやってきます。
 彼女との出会いは、私に競泳デビューへのきっかけと喜びを与えてくれました。
障害の有無に関係なく泳ぐことは好きだった私ですが、見えない「おかげ」で競泳へと世界を広げていくことができました。
見えない故のハプニングも、泳ぐことが好きだからなんのその!
見えないおかげでゲットした宝物、金メダルもその中の一つ。
そして、「試合を楽しもう!!」と競技をお祭りのように楽しめる、そんな仲間との時間。
 「おかげ」から生まれたたくさんのキラキラ輝く光のしぶきを浴びながら、これからもスイスイライフ、楽しんでいきたいです。
編集後記
 視覚障害のおかげでつながることのできた人との出会い。
この「おかげ」という思いに込められた生きがいや喜びは、マリンブルーさんを大きく支えているのですね。
三つの宝物、あと二つからどんな「おかげ」のエピソードが生まれるのか、楽しみですね。
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
助成協力: 京都オムロン地域協力基金
発行日:  2014年8月8日
☆どうもありがとうございました。


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