メルマガ色鉛筆第23号(「生涯における三つの入り口への思い」)

タイトル 「生涯における三つの入り口への思い」
ペンネーム 人生いろいろ(60代 男性 全盲)
 レポートの要旨です。
 先天性弱視から19歳の頃に急激な視力低下、50代前半に光覚を失い全盲になる。
そんな私が歩んできた道とそこから得られたモットーについて語ります。
 時代は昭和30年代、40年代、50年代、そして数十年を経て平成26年、時代と私自身の織り成した道草や現場主義や仲間への思い…。
 ここから本文です。
 視覚障害という重い障害のある私が歩んできた道、そこには様々な経験がありました。
振り返ってみると、そこにはいくつかの人生の大きな入り口がありました。
今回、私の人生で取り分け大きかった三つの入り口を語るとともに、今、私がモットーにしている
 ○人生の道草を活かす!
 ○見えないからこそ現場に行ってみて考える!
 ○仲間の中でともに生きていける社会づくりを目標にする!
ということを考えたいと思います。
 一つ目の入り口は、小学校への入学のときです。
 この世に生を受けた私は、弱視という障害を有していました。
私の視力は、夜家族で外風呂に行き来する際、大空に輝く星を鑑別することはできず、月光のみが分かるだけの視力でした。
昭和30年代当初、弱視学級などの言葉すらない時代に就学の年齢を迎えた私は近くのマンモス校に通い始めました。
弱視には厳しい暗い教室では、黒板の見えやすい前列に席が与えられただけの教育的配慮でした。
結果的には、その後近くの小学校就学を断念し、遠くの盲学校を選択せざるを得なくなりました。
夏や春の休みに、盲学校から先生方が手分けして児童・生徒の勧誘に来られていたのが、そのきっかけであったのかも知れません。
盲学校へは、船や列車を乗り継ぎ6時間くらいはたっぷりかかりました。
従って、親や兄弟と離れて過ごさなければなりません。
単に眼が見えにくいだけのためにそうせざるを得ない不条理、何故自分だけが近くの学校に通えず、
遠い盲学校へ行かなければならないのか?と自問自答したことを離別の寂しさとともに思い出すことがあります。
幼い頃の分離教育の歴史を体験した一人の思い出です。
 もし今の私があのときの幼い自分に会えたなら、こう語りかけるでしょう。
 家から行けて家に帰ってこれる学校が、やっぱりよかったよな。
遠いところに僕だけ行くのは、いやだったよな。
何回も悲しくなったよな。
子どもを育てるお父さんになった自分も、やっぱり子どもとは離れたくないと思うんだよ。
最近、世界中でね、国連という世界中の国で、障害者権利条約というのを作ったんだ。
それに、みんなと一緒の学校に行けるようにしよう、インクルーシブ教育といういい方法を進めようと書いてあるんだ。
かつて分離教育を経験した子供の一人として、大人になった今、私はインクルーシブ教育の推進と定着を求めているよ。
 二つ目の入り口は、視力低下と重なる成人への入り口です。
 19歳の秋、視力が急激に低下し、私は持ち前の行動力を発揮できず、その及ぼせる範囲は極端に狭くなりました。
当時、3歳下の弟が大学受験を控え、私もそれなりに自分の将来に夢をはせていた頃でした。
それが音をたてて崩れ、「見えなければ未来はない」と失望していました。
 新年を迎えて1月15日、住んでいた町内会が主催した成人式に招待されました。
参加した多くは現役の大学生や就職したばかりの会社員、颯爽とした成人男女の挨拶には溢れるような希望と未来がありました。
私だけが夢も希望も描けない。
 もし今の私があのときの新成人の自分に会えたなら、こう語りかけるでしょう。
 何故、成人式に参加したのか、あれからもよく思い出して考えていたよ。
前途には希望を持てなくても、現実には無理をしてでも追随しなければという奇妙な順応性があったんだろうか。
それよりも、自分の置かれていた状況を十分に理解できないまま、現実の中に出ていかないとならなかったというのが近いだろうな。
でも今になってみると、この体験が私の二十歳の原点の一つになっている。
視覚障害者としての出発点になっている。
そこに行った自分、そこで夢を語るに至らなかった自分、二十歳でこの経験をした自分、そんな自分だったからこそ今の自分がある。
本当に大切な経験だったと思うよ。
 三つ目の入り口は、社会人への入り口です。
 高校卒業後に鍼灸の資格を取ったり、大学受験で浪人生活をしたり…、結局24歳での大学進学、28歳にして卒業です。
6年という歳月は、若者には重かった。
視覚障害があるがゆえに同世代の仲間に比べなんと6年の遅れがあるという思いは、私のコンプレックスでした。
 23歳の浪人時代、学級担任がいみじくも、
私たちに対し「君たちは人生を遅れて歩んではいるが、むしろこの時間の遅れを有意義に今後に活かすために『道草会』と命名する」と言われたのです。
その当時はあまりありがたい言葉とは思わなかったのに、最近ではなんと味のある言葉だなと思うことがあります。
 28歳の春、6年遅れた私が社会に出る瞬間がやってきました。
せっかく大学で社会福祉の学習をしたのだから、できればその知識が活かせるような仕事に就きたいという思いでした。
しかし、「卒業はしたけれど…」、ここでも厚い壁は私の進路を阻み、就職が決まらないままに時を過ごしました。
 私に訪れた最初のチャンスは、盲学校で取得した鍼灸の資格を活かした病院への就職でした。
数年後、社会福祉施設での職場を与えられ…、今日に至るまで仕事のチャンスに恵まれました。
私の前にはちゃんと道は広がったのです。
本当に幸運としか言いようがありませんでした。
その幸運に感謝しながら、自分に命じるのは与えられた仕事に懸命にチャレンジすること、結果を恐れず自分らしくぶつかっていくこと、ひたすら前進するのみでした。
そして、常に念頭に置いていたのは、視覚障害者である自分が自分らしく当事者としての存在価値を発揮することが仕事をする上でも重要であり、
職場での役割でもあるということです。
そうやってこられたのは、仕事によって得られた仲間や利用者からの力を逆に自分のエネルギーとして生き抜く力に転化することができたこと、それに尽きるかと思います。
 もし今の私があのときの社会に飛び立とうとしている自分に会えたなら、こう語りかけるでしょう。
 よく粘ったな!
28歳でやっと新社会人だよ。
正直、このときの自分を讃えたい。
それにしても、どんな状況に至っても自己評価は高く、自画自賛して乗り越えることが多いタイプだよね、この自分は。
けれども、盲学校の同級生らは先へ先へと進んでいて、彼らと会うたびに劣等感みたいな感情が揺れ動いたよな。
それが徐々に消え去りつつある。
今の自分には、「道草会」の面々と苦楽をともにしたことが人生の糧となってここまで来れたのだと感じられるんだ。
 さあ、これからの60代、次の入り口では最早6年間の遅れは感じなくてもよくなりました。
 私は、ここにおいてもまぎれもなく団塊の世代です。
そうした中で、私は自分のモットーの三つについてまだ十分にやりきっていないことに気付きました。
 道草を活かすこと、それは私が経験した苦労や失敗を後輩に繰り返させないこと、そして何よりもあの時代に苦難をともに乗り越えてきた仲間との再会を果たしたいことです。
 多くの団塊の世代の皆さん、これまでの65年はレールの敷かれた上を歩めばよかった時間、
これからの余生は一時も無駄にできない時間であると同時に、自らが作らなければならない時間なのですよね。
そんなことを思いながら、こうしたことを一緒に交流できるような場があればと願う一人です。
 現場主義、それは何事も人から話を聞いたりするだけではなしに、自分自身の足と耳と体で納得のいくまで感じ取ろうと努力することでした。
しかし、こうした仕事の仕方には限界もあり、現場に行きたい思いがありながらあきらめざるを得ないときがありました。
やはり視覚障害があるがゆえのことと思うと、少し残念な苦い思いがこみ上げてきます。
それでも私は、やり通すことが困難な現場主義の理念を今後も大切にしたいと思っています。
旅行や山歩きなどを通してより多くの場所を訪ね、より多くのことを知るための行動力を大切にしたいと思っています。
そのためには何時までも自分で歩き続けられる限りにおいて行動し、皆さんとあるいは家族と楽しみながら見えないハンディと戦っていきます。
 そして最後に、仲間の中で成長し続ける自分を目指す。
それは、これまで通りの自分、自分らしい自分を表現していくためにも大切だと思っています。
団体の活動や趣味のサークルに参加し、一人の視覚障害者として元気に語らう仲間の一人でありたいと思っています。
そして何よりも思うことは、自分の自己実現ができなければ、他の人たちへの思いも豊かにならないと思うのです。
編集後記
 言葉にできることと言葉にできないことが、希望の進路と希望でない進路が、生きるコンプレックスと生きる勇気が、どちらもがあって織り成されるのが人。
人にとって、豊かに重厚になることに、視覚障害がどう関わるのでしょうか。
その答えも、お一人お一人それぞれの答えがあるものと思います。
振り返ること、過去の自分に語りかけること、そしてその上でこれからを考えること。
答えも、またそこに何重にも織り成されているのでしょうね。
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
助成協力: 京都オムロン地域協力基金
発行日:  2014年8月22日
☆どうもありがとうございました。


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