メルマガ色鉛筆第378号「見えにくい当事者が医療現場で働くまで」
タイトル 見えにくい当事者が医療現場で働くまで
ペンネーム レインボーチョコ(40代 女性 弱視)
★レポートの要旨です。
はじめまして。
私には生まれつき網膜の病気があり、IDケーンと単眼鏡を時々使っています。
移動時はボイス・ウィスタとGoogleMapを使っています。
私には言語聴覚士になりたいという夢がありました。
見えにくさだけでなく、足も少し不自由で早く歩くとか走るとかはしんどいです。
ちょっといろいろ大変なところはあるけれどがんばったらできる、
そんな私が医療現場で働くまでのプロセスとその思いについて書きました。
★ここから本文です。
高校生の頃の私は動物が好きだったので獣医師になりたいと考えていました。
その後、幼少期に受けていた理学療法や作業療法、
言語療法のリハビリテーションがしたいと思うようになりました。
自分の体の状況を考慮し、言語聴覚士を養成する国内の大学をいくつか見学しましたが、
「目のことで支援をしてほしい」と伝えると、通学圏内の大学では「特別な支援は
しない」という回答でした。
大学入学後は、何かしらの支援が必要になることを想定していたので、
幼少期に過ごしていたアメリカの大学に進学することを決め、
そのための勉強を高校2年生から始めました。
大学に入学するためのエッセイや推薦書等を揃え、
全米統一の入学試験をパソコン受験し、進学が決まりました。
事前にキャンパスを見に行きたいところですが、合格後に学校を見学し、
言語聴覚学科がある大学に入学しました。
大学では、子供の発達や、心理学、言語聴覚入門、聴覚検査入門、
聴覚リハビリテーション入門等 様々な基礎科目を受講しました。
中でも人工内耳を装用している子供の聴覚リハビリテーションを行っている動画に
惹かれ、将来はその仕事をしたいと思うようになりました。
発音や発達がゆっくりな子供の訓練も見学から始め、
その後2年間継続して担当するという貴重な経験をしました。
4年間の中で、生物学も副専攻をしながら、マーチングバンドでトロンボーンを吹き、
充実した毎日を送りました。
その反面、大学レベルの文章を書くのは難しく、
ライティングセンターという文章を専門的にみてくれる場所に数日に一回通い、
課題提出前に文章を見てもらう日々が続きました。
進学した大学では、合理的配慮も申し出により受けることができましたが、
膨大な読書量を1時間の対面朗読で補うことは難しく、
クラスの中にいる友人を頼ることの方が多かったです。
対面朗読の依頼と共に事前の資料配布もお願いしましたが、実現することが少なく、
朝5時起床で予習してから講義に出席する日々が続きました。
講義で分からないところは、先生やティーチング・アシスタント、友人に聞きながら
復習をしていました。
大学入学時より支えてくれた祖父が難聴だったため、
難聴であることで起こる家庭内のコミュニケーションの難しさを、
帰国時に目の当たりにし、私の心は痛みました。
「いつか祖父の補聴器を調整して家庭内での孤立を防ぎたい」、
この時、私の中で具体的な目標ができました。
日本に帰国後、障害児教育について学びたいと思い大学院に進学をしました。
そこで、聴覚障害学を専門に学び、子供や大人を含めて耳が聞こえにくい方に
多く出会いました。
小・中学校、大学で、授業内容を書いて文字にするというノートテイクの
アルバイトを通して、難聴者の合理的配慮に関わる貴重な経験もしました。
同じ専攻には、手話を母語とする方も多く、その方を含めた数名に指文字から
簡単な手話を教わり、手話も少しずつできるようになりました。
学内の手話教室にも参加しましたが、手話の速さと眼の状況を上手く伝えられず、
友人と食事や遠出をしながら、手話を覚えていくことにしました。
大学院修了後は、言語聴覚士を養成する専門学校に通い、
言語聴覚士の免許を取得しました。
2年間学んで行く中で、車いすに患者様を乗せることや、車いすを押しての移動、
訓練をするために、患者様の姿勢を整えることが一人では難しいことが分かり
通園や外来で子供を担当する方が私に向いていることに気づくことができました。
資格取得後は、聴覚障害児に関わりたいという思いから聾学校に勤務をし、
聴力測定や講演を担当しました。
こちらの職場では、大学院で学んでいた手話が少し役に立ちました。
転職した補聴器メーカーでは、グローバルな企業で本社の方を販売店に案内する
通訳や、ワークショップ運営の裏方を担当し、
聴覚の研究所から来日した講演者のアテンドをする機会にも恵まれました。
その後勤務した聾学校では、聴力測定や補聴器の調整に加え、乳幼児教育相談や
自立活動の授業に加え、いくつかの講演も担当させていただきました。
言語聴覚士になってから、人工内耳の調整をしたいと思っていましたが、
ポスト自体が少なく、時折求人を探しては諦めていました。
2024年病院で行われた講演に現地参加したことがきっかけとなり、
現在は病院で子供の聴覚検査や大人の人工内耳の調整を行っています。
耳鼻科に弱視の私が勤務するには、まだまだ調整が必要なところもありますが、
セルフアドボカシーを使い、相互理解のために自分のことを
少しずつ同僚に分かっていただきながら
お互いに働きやすい職場を作っていきたいと思っています。
言語聴覚士になったものの一つ残念なことがあります。
祖父の補聴器の調整を私がすることはできませんでした。
その前に祖父は旅立ちました。
でも、祖父譲りなのでしょうか、私は勉強することが好きです。
新しい物に挑戦をする気持ちも祖父から受け継ぐことができました。
そのおかげで、家族や友人、大学や大学院時代の恩師に助けられながら、
私は言語聴覚士としての挑戦を続けています。
大学時代とは違い、様々な技術が進んでいる昨今、それらの技術を上手く利用しながら、
言語聴覚士として社会に貢献したいと考えています。
また、私が勤務することで障害があっても医療や教育の現場で資格を活かして働ける方が
一人でも増えるきっかけになればと願っています。
編集後記
セルフアドボカシーとは、日本語では「自己権利擁護」と訳され、
障害や困難のある当事者が、自分の利益や欲求、意思、権利を
自ら主張することを意味します。
主張というととても強く鋭い印象になりがちですが、
障害があることでお互いにお互いを想像しあえる機会を提案できるという意味では、
とても大切なことだと感じます。
相手の思いや事情を鑑みながら、
同時に自分の状況や希望を伝えること、
それは時に勇気のいることかもしれませんが、
一歩踏み出してわかりあえれば、そこに温かな道はできていくのだと信じています。
レインボーチョコさんの飽くなき研鑽とスキルアップのエネルギーが、
周りの方やこれから出会うたくさんの人たちへのプラスになることを願っています。
-- このメールの内容は以上です。
発行: 京都府視覚障害者協会
発行日: 2025年11月14日
☆どうもありがとうございました。