メルマガ色鉛筆第370号「レクリエーション、本当は楽しいはずなのに」
タイトル レクリエーション、本当は楽しいはずなのに
ペンネーム 白いまぶしさ(50代 女性 手動弁)
★レポートの要旨です。
「いつも元気やね、そのパワーはどこからくるの?」と、よく言われる。
「空元気が得意やねん」と、スカートをヒラヒラさせながら私は答える。
「アホやなあ」と言われたら、うれしくてたまらないというのが私の性分なのだ。
そんな「いつも元気」というキャラを背負って生きてる私の、
「そうでもないで」の話をしたい。
レクリエーション、楽しいはずだけどきつい、でも楽しみたい、そんな思いをポロリ。
★ここから本文です。
私はいろんなことに挑戦している。
いろんなことをすることが必要だから。
なんで、いろんなことをする必要があるのか、
それはさまざまなところから「やって」と言われて支えていただいているから。
なんで、「やって」と言われることが支えていただいていることになるのかは、
実際に「やって」と言われてやってる人にしか体感できないものだ。
これは、あえて言い切る。
調子に乗ってるとか、目立ってるとか、やらんでいいことやってるとか、
冷ややかな視線もある。
それでも、私はやる。
主に人との縁の中で必要とされて、導かれてやってる。
そんないろいろやる人である私は、実はいろいろできない時間を山ほど過ごしてきた。
見えにくい中で普通教育を受けた私は、レクリエーションがこわかった。
遠足なんて行ったことのない道を歩くわけだし、そこで何かミッションをこなすわけだし、
集団の速度で動かないといけないわけだし、こわくてこわくて嫌だった。
お友達のレジャーシートを踏んでしまったり、自分が乗るバスが見つけられなかったり、
慣れないトイレが不安で限界まで我慢したり、遠足は悲しい気持ちになる日だった。
私にとってレクリエーションはひたすらつらい時間だった。
校外でのレクリエーション、中でも危険をともなう登山は案外どうにかなってた。
毎年恒例の登山は、足の裏がコースをおぼえてくれるから、
10度未満の視野と0.1の視力、夜盲があっても無事登って下りられた。
もちろん、まったく楽しくない。
頂上でお弁当を食べる時も、仲良しの友達がどこにいるのか見つけられず
一人でお弁当を食べて、さっさと下山した。
少しでも早く動かなきゃ時間がかかるから。
それでも後ろからどんどん抜かされてた。
後ろから来る人の気配を感じたら、わざと木陰で水筒を飲むふりをして、
先に追い越してもらった。
だって、私はすり足でのろいから。
それってとってもださいし、誰にも見られたくなかったから。
映画鑑賞とか劇とか、何かを発表するイベントとかは最悪だった。
講堂の暗幕をしめて真っ暗にする場面では、隣の席の人にお願いをして、
移動しなきゃならない時には腕をつかませてもらった。
移動の途中で手が離れてしまって、再度つかんだ人の腕が別の人で
「何すんのよ」とものすごく怒鳴られたこともあった。
それなのに、私の隣の席の人ははぐれた私のことを気にもしてなかった。
腕を貸すことがほんまは嫌だったのかもしれない。
当時の私は、暗いところは無理ということを先生に相談できなかった。
相談してどうにかしてもらうということさえ、精神的にしんどかった。
だって、最初に自分の見えにくさがどんなものなのかは説明もしてある。
それなのにスルーされてるってことは、忘れられてるわけだ。
忘れられてる程度のことだからと、どこか自分の中で、
どうでもいいこととしておさめていた。
だって私は、見えにくいという状況を恥ずかしいことだと思っていたから。
旅先でのサイクリング、「ほんまは気持ちいいだろうな」と想像だけはできた。
でも、転ばずに、はぐれずに友達の背中を追いかけるのが精いっぱいで、
景色なんて何も記憶に残らなかった。
私は独りぼっちで困っていただけではない。
心やさしい友達も恋人もいた。
仲良しの友達は私が見えにくいことに配慮して、いつだって手引きしてくれていたし、
その気持ちを支えに、いろんなところに行けた。
それでも、星空の下、友達に「これが見えへんねんなあ」とつぶやかれたことが、
満天の星々が見えない事実より悲しかった。
「そのことにふれないで、気付かないふりをしてて」、
それがその時の私の正直な気持ちだった。
映画の字幕も読めるところだけ読んで、見えるところだけ見て、
頭の中でつぎはぎしてストーリーを想像した。
映画を観た後、恋人と映画の話題をするけれど、
「そうやなあ」と言いながら、ほんまは「そうやったんや」と
つぎはぎ理解に情報を追加していた。
だから、自分からは感想は言わずに、恋人に「どうだった?」と質問するようにしていた。
今でも青春時代に見た映画のシーンは、私の眼で見えたシーンで、
それが心に残るシーンとなっている。
見えない見えにくいことを明らかにして、人とつながることで人生は豊かになった。
もちろん、見えにくいけどふんばってた時間の中には、見えにくいなりに見えていた
尊い記憶がある。
それは私にとって大切な財産になっている。
見たことないという人にも心を尽くして言葉で伝えたい、
想像してもらえたらどんなにいいだろうと、私の記憶の財産をフル稼働させて
お話することがある。
私は見えない見えにくい人たちとさまざまなレクリエーションを実践してきた。
一緒にやろう、やりたいことをやってみよう、
見えない見えにくいことが大前提だから、正直に思いを出しながらやろうと
心をつないでやってきた。
大嫌いなスポーツも、はじめての場所に行くことも、慣れないものを食べることも、
誰かにお世話になってするんではなくて、自分たちでどうやったらできるか、
七転八倒こそ笑いのポイントになるはずだと工夫そのものを楽しんだ。
食べることだって、アウトプットするスタイルでやってみた。
お料理の説明を見えない見えにくい人が見える人にするという企画。
箸先で感じるもの、食して感じるものを伝えてみた。
見えてる人だって「これ何かわからん」というものがあるんだから、
見えない人だって説明できるはずだと。
かつての私は楽しくない、こわいだけ、悲しいだけ、そんな気持ちをレクリエーションに対して持っていた。
仲間の多くも「わかるわかる」と共感していた。
だからこそ、レクリエーションの中に楽しさを求めて挑戦してみた。
今ならできるかもしれない、発想も、視点も変えられる今ならと。
今は見えない見えにくいことが恥ずかしいことではないと思えるようになった。
その一方、やっぱり見えていたいと強く思う。
それは、レクリエーションを楽しめるようになった今も同じだ。
見えている人も見えない人も見えにくい人も、
レクリエーションを楽しみたい気持ちは同じはず、
「見えてたらもっとええんやろうな」という気持ちを正直に出し合える、
そんな安全な場所で、これからもレクリエーションを求めていきたい。
だって、それって楽しいはずのものだから。楽しくできるはずのものだから。
編集後記
見えにくいと危険だらけのレクリエーション。
先生に助けてもらえたら、配慮や支援が行き届くようにしてもらえたら、
そしたら危険はないけれど、それで「別枠」になってしまうさみしさ。
危険も別枠も、どっちも望まなかっただろう白いまぶしさちゃんを想像すると、
めいっぱい応援したくなります。
白いまぶしささんには、今からだけどそんな応援を感じてもらって、
そして参加している誰もが楽しいと感じるレクリエーションを共に広めて行きましょう。
-- このメールの内容は以上です。
発行: 京都府視覚障害者協会
発行日: 2025年7月25日
☆どうもありがとうございました。