メルマガ色鉛筆第17号(少しずつ色をつけてく、私の暮らし)

タイトル 少しずつ色をつけてく、私の暮らし
ペンネーム まだ見ぬ幸せの色(40代 男性 全盲)
 レポートの要旨です。
 今年2月、私は2年間の交際を経て晴れて結婚することができました。
ここでは、愛情と尊敬の念をこめて妻のことを相棒と称します。
私は40代の全盲、相棒は30代で軽度の弱視です。
新婚ホヤホヤの今、結婚までのこと、新しい暮らしのことをざっくばらんに書きつづってみます。
少しノロケも入りますが、ご容赦ください。
 ここから本文です。
 今春、相棒のお母さんが住む家で私と相棒は同居し、3人家族となりました。
家族になって4か月、結婚生活ってなかなかすてきなものですねえ。
20年以上独り暮らしをしてきた私にとって、
帰宅すると誰かがいるってことや家族3名でそろって食事をするっていうことはとても劇的で、楽しいんです。
週末の予定を2人で考えたり一緒に買い物に出かけたり、
そんな暮らしの中のどれもが新鮮で、ちょっとうれしくなってきます(この気持ちをずっと大切にしていかないとね)。
 とはいえ、相棒、そして相棒のお母さんとの3人暮らしを迎えるにあたり心配事もなかったわけじゃありません。
「まったく見えない」私と「見えにくい」状態の相棒とでは、生活のさまざまな場面でやり方が異なることもたくさん出てくるはず。
健常者のお母さんにとってはまったく見えない人の生活そのものが未知数で、
「いったいどんなふうに思われるんだろう?」と気にかかりました。
家の中を移動する、服をたたむ、食事中に箸を置く…そんな些細な動作一つ一つにも「見られている」という意識があったし、
「ものの置き場所やこの家独自のやり方みたいなものを覚えなくちゃ!」という焦りもあったように思います。
でも、新しい通勤ルートや年度始めの仕事のバタバタで、一歩家を出たら心も体もいっぱいいっぱい、
家に帰ればやっぱり「やれやれ一息」モード。
いい意味で(悪い意味でも?)、「新しい3人暮らし」という過剰な緊張感は日ごとに薄れていきました。
 もちろん、相棒、そしてお母さんが温かく迎えてくれているという実感もありました。
私が使うものをどこに置けばわかりやすいかと、相棒を中心に3人で決めることがあります。
単なる同居人ではなく、家族の1人としてしっかり受け止めてもらってるなということをひしひしと実感できる、
それはとても楽しい瞬間です。
 また、始まったばかりの新たな生活の中で、
「ありがとう」という言葉をその都度しっかり返していくことの重みを改めて感じるようになりました。
何気ない言葉だけど、してもらったことに対して感謝の意を伝えるとともにその場の雰囲気をやんわりとなごませてくれる、
「ありがとう」にはそんな働きがあるんでしょうね。
 後日談を一つ、自宅から近所のバス停まで私がちゃんと行けるかどうか、相棒も少し心配だったそうです。
なので、初めの1週間は後ろからこっそり見守ってくれていたそうで、これまた「ありがとう」です。
仕事に関しては、相棒にはまったく心配をかけたくないと思って頑張ろうとしてたんですが、仕事も生活の一部なんですよね。
「できないこと」「不安なこと」「一緒に手伝ってほしいこと」なんかを隠さずに出していくことも、
今後の生活の中では大切になってくるんだろうなと感じています。
 結婚までのことを少し…。
 私と相棒が付き合い始めたのは2011年12月、実際に結婚へ向けての動きを始めたのは昨年の今ごろからでした。
お互いの実家に行きあいさつの場を設けたり、式場の手配、その後の段取りなど、
結婚するのって予想していたよりも多くのステップがあるんですよね。
この間の準備などの多くは、相棒がリードしてくれながら進んでいきました。
のんびり屋さん(?)の私だけではなかなか進まなかったことでしょう。
相棒がしっかり者だからこそ、私は結婚することができたのだといえます。
 私にとって、結婚すること自体、
それからお母さんを含めての同居生活、将来のこと、いろいろと不安がなかったわけじゃありません。
結婚に対して消極的になっていたというわけではないのですが、
全盲の立場の自分自身のことを考えると、どこか引けめを感じていたということはあったと思います。
生活の中ではどうしても相棒にしてもらうことが多くなるということはよくわかっていました。
よく家事をこなすよいご主人にはなれないのだろうなと感じていました。
だからこそ、生活の面に関してはともかく、仕事についてだけは心配をかけたくないと強く思ったのだと思います。
 でも、私の不安以上に、相棒の不安のほうがさぞ大きかったことと推測します。
付き合っているときとは違い、結婚となるとリアルな生活の場があります。
「全盲の人と暮らしていくってどんなことだろう」、
「何でもかんでも自分がしなくちゃいけないんだろうか」、
「家族や周りの人は、全盲の人と結婚する自分自身のことをどう受け止めるだろうか」。
相棒はあまり口にはしませんでしたが、きっといろんな不安や心配を抱えていたことでしょう。
そのような不安を抱えながらも少しずつ歩を進めていってくれた相棒に感謝でした。
だからこそ、相棒と一緒に幸せになっていきたいという気持ちを強く固いものにすることができました。
 一般的にいうなら、結婚相手が全盲だということは、プラスの側面よりもマイナスの側面のほうを想定するのかもしれません。
相棒がそのことを超越して私と生きることを選んでくれたということには、
縁という言葉では尽くせない、何か見えない力が働いているように思います。
それが、これからの私たち2人の大きなつながりの一つなのだと感じています。
 そして、結婚式当日やいろいろな方面で開いていただいたお祝いの会などを通じて私たち2人を応援してくださったたくさんの方々にも感謝です。
その方々からの温かい力が、「幸せになるぞ!」という大きな自信にもつながっています。
 結婚式の当日に最高のオシャレをしている相棒の写真があります。
誰もがいい笑顔をして私たちを囲んでくれている写真があります。
私には、その写真を見ることはかないません。
でも、そこに何かを感じ取ることができます。
この見えない、でも感じ取ることのできる確かな力で、
まだ色が少ないかもしれない私の生活に少しずつ色をつけていけたらとつくづく思う今日このごろであります。
 相棒よ、これからもよろしくね。
編集後記
 まさに最高のラブレターですね。
全盲であるがゆえの結婚への不安を勇気へと育てた力は、
「まだ見ぬ幸せの色、見てみたい」という祈りなのかもしれません。
これから重ねる家族の歴史の1コマの写真、くっきりと心に写し出されるショットがいくつも生まれていきますように。
 このメールの内容は以上です。
発行:京都府視覚障害者協会
発行日:2014年6月20日
☆どうもありがとうございました。


現在、シンプルな表示の白黒反転画面になっています。上部の配色変更 ボタンで一般的な表示に切り換えることができます。


サイトポリシー | 個人情報保護方針 | サイトマップ | お問合せ | アクセシビリティ方針 | 管理者ログイン