メルマガ色鉛筆第323号「僕らの主張シリーズ3」

タイトル 僕らの主張シリーズ3
メルマガ色鉛筆編集チーム
 シリーズ3回目は、感じたこと、考えたことをストレートに語り、投げかけるレポートです。
読む側も考え、思いを巡らせることになるかもです。
どうぞお読みください。
タイトル 環境が変わった今
ペンネーム オーシャングリーン(10代 男性 全盲)
私は先天の全盲です。
現在、生活訓練を受けています。
3月までは海辺の街の盲学校の高等部で学んでいました。
卒業後も母校の友達と連絡を取っています。
私には全盲の友達がいます。
彼は必ず1週間に1回は連絡してくれます。
学校での近況なども聞きます。
最近は愚痴を聞くことが増えてきました。
たとえば、点字が指で読めない先生からあれこれ指摘されることです。
私にも在学中に同じことがありました。
なので私は小学部の頃から先生に「点字ってなんのために作られたんか知ってる?指で読むためやろ!それやのに平気で目で読むのは悪い、ブライユに失礼やで!」とずっと訴えてきました。
先生には「その気持ちはめっちゃわかるんやけど、無理やねん」と言われたり、「別に点字が分かればいいんやから指で読める必要はないねん。
読めたらええんやし」とも言われていました。
「授業中、そんな上から目線に言われてもやる気でやんし。
自分らが訴えても全く興味を示さん。
そんなんで盲学校の先生なん?盲学校の先生っていうのは全員が点字を読み書きできるのが当然やで」と思えてくるのです。
「点字を読めない」という先生も何人かいました。
更には「興味ない」という先生もいました。
逆に盲学校に新任で来た先生に点字のことを話すと興味を持ってくれ、少し教えたこともあります。
 また、在学中、このような出来事がありました。
マラソン大会で私は優勝しました。
でも、賞状には点字表記がなかったのです。
先生に「なんで点字ないん?」と聞くと、
「今までもつけてなかったし基本的に賞状に点字表記することはしない」と言われたのです。
怒りが込み上げてきたので、他の先生に言いつけました。
そして、担任の先生がこっそり点字表記してくれたのです。
担任の先生が担当の先生に聞いたところ、「点字表記すると賞状の見た目が悪くなる」といっていたようです。
担当の先生は盲学校のベテランです。
なのに全盲の生徒の気持ちも考えられない。
賞状に何が書いているかという情報も提供しない。
それよりも見た目重視。
そんなんであかんやろ!
賞状に点字をつけて見た目が悪くなるのであれば、別に紙を用意して点字表記すれば良いだけなのです。
なぜそんなこともしないのか?
きっと面倒だからでしょう。
 以前弁論大会で賞状をもらったことがあります。
これにも点字表記はされていませんでした。
家族に賞状を見せると、「点字表記されてない賞状って盲学校としてどうなん?返すわ」と言われ、点字表記してもらいました。
見た目が悪い、作るのが面倒という理由で作らないというのはあってはならないことです。
それっておかしいなあと思うので、賞状には点字は必要だと伝えています。
 大体からして生徒というのは苦手な先生、話しやすい先生というのはいるものです。
進路の話も話しやすい先生にできるという環境を作るのが当たり前です。
進路のことは進路の先生に相談するように。
それ自体おかしいことです。
先生どうしで生徒のことを共有できるシステムを作らなければなりません。
なぜそのような環境も作られていないのか?
友達の「もう学校行くのもいやや」という気持ちもよくわかります。
 僕は友達に伝えています。
「大事なのは、自分がやりたいことを伝えて、先生に言われることに左右されたらあかんで」と。
逆に一般の学校ではこのようなことはあるのでしょうか?
私は盲学校に15年ほど在学していたので、一般校の事情はわかりません。
先生は生徒の立場に立って授業をしたり接してほしい。
全生徒が楽しくのびのびと学校生活を楽しめるように努力してほしいです。
さて、僕は盲学校を卒業し数か月が経ちました。
今では盲学校では得られない経験をしています。
この先の進路をどうしようか迷っています。
様々な選択肢から自分にあったものを選ぶ。
簡単に見えて難しいです。
そんなとき、思うことがあります。
「バイトできる人ってええなー」と。
もちろんバイトをするというのは大変なことです。
またバイトをすることが最終地点ではないということもわかっています。
しかし自分の力で収入を得ることは素晴らしいです。
働く前に社会に出れるのはとても良いことではないでしょうか。
訓練施設には中途の方もいます。
そんな方々と話していると、「少しでも見える人、一度でも見えた経験がある人ってええなー」と思います。
それは盲学校在学中でも感じられたはずです。
しかし在学中はそのようなことを考えたことはありませんでした。
なぜ今になって感じるようになったのか。
それは今までは先生や家族が自分の見えないこと、苦労することなどを先にやってくれていたからです。
環境がかわり、1人ですることが増えたとき、周囲と比較したとき、
「そうか。
見えてるもしくは見えてたから知ってるんか!」と気付かされるのです。
 でも本当はあまり「自分は見えないから周りの人がええなー」とは考えたくないのです。
見えないなりにも楽しめることはあるし、晴眼者にはないものの捉え方ができるはずです。
私は見える見えないと特別視するのではなく、
その人なりの個性があると思いたいです。
ーー
 オーシャングリーンさんのレポートに登場するお友達の声も届きました。
タイトル なんとかしてくれよ!
ペンネーム 近鉄レッド(10代 男性 全盲)
 僕は今高校3年生である。
僕はすごく困っている。
僕は盲学校に通っている。
先生は生徒によって対応を変えている気がする。
全盲だからできないとか、弱視だからiPadを使っていいとか、そんなことはおかしいと思う。
点字があるからiPadを使ってはいけないと決められるのがいやだ。
iPadを使えたら今よりも先生からデータを早く受け取れて、すぐにネットも見られて、全盲の僕らにもiPadはたくさん活用できる。
 盲学校の先生たちは点字を目で読んでいる。
この現状が僕は気に入らない。
「点字は指で読むために作られたのに目で読むなんておかしいわ!
そんな人は先生じゃない!」と言う怒りの気持ちを持ってしまったこともある。
怒るだけではだめだと思うが、
先生は点字を指で読まずに目で読んでおいて「両手で読まないといけない」という指摘をする。
指で読めるように練習してほしいと言っても、先生はしてくれない。
私達視覚障害者は点字を指で読んでいるが、健常者の先生は目で読んでいることがある。
指で読めない先生が間違いを指摘したり、助言するのは間違っていると思う。
「点字は指で読むものなんですよ。
」というと、
先生は「その気持はわかるけど無理やねん」と言う。
それを聞いて僕は「なんで?僕らも点字覚えたんやから、先生らも同じ人間やし覚えられるはずや!」と思った。
なんで「覚えられへん」と言うんだろうと思った。
それを1つ上の先輩に相談すると、わかってくれた。
でも僕はわかってくれるだけでは気がすまない。
怒りの気持ちが高まってくる。
 先生や他の健常者の人達は僕たちの気持ちなんか全然わかってくれていないと思う。
例えば、ケーキを食べるときに健常者の人たちは上手にフォークを使って食べている。
でも、僕は少し食べ方を間違えるとすごく怒られる。
そんな時、僕の気持ちなんかわかってくれないんだと感じる。
 僕は進路のことでもすごく悩んでいる。
進路の先生は僕の気持ちなんか何もわかってくれない。
僕は視力障害者センターに行きたい。
でも、先生は「君は盲学校に行ってるんだから理療科のほうがいいよ」と言う。
先生は僕の話を聞いてくれない。
視力障害者センターに行きたい理由は京都などの都会に出て独り立ちをしたいからだ。
しかも僕の解けなさそうな問題を出して僕を困らす。
そんなのただの意地悪だ。
ただ僕は難しい問題を出されることを否定しているわけではない。
僕にとって難しい問題は2割くらい、その2割ばかりを出されると意地悪をされていると感じる。
先生の人間性を疑ってしまう。
このようなことばかりで高校生活を終わりたくない。
僕は進路のことについて必死に考えている。
先生にはもっと真剣に相談に乗ってほしい。
やる気があるが学校に行きたくない気持ちになる。
 僕が大切にしているのは話を聞いてくれる先輩で、その先輩は友達で、頼りにしている。
ーー
 若い2人のレポートを読んでもらいました。
なるほどそうだよね、と思うとか、もっとこう考えることもできるよ、と伝えてあげたいとか、ありましたか。
いかがだったでしょうか。
当事者の声から知ること、学ぶこと、考えさせられることは多いと思います。
 またもう一方では、年長の私達にこのレポートから問いかけられていることがあります。
あなたはどのようにして今の自分になったのか? 何から教わって今のように考えられる、感じられるようになったのか?
… うん、これが本当よかった。
… ああ、あのときあの場所のおかげだった。
同じ種類のことが、これからオーシャングリーンさんと近鉄レッドさんにもあるように願います。
そのためにもアクティブ、行動的にがんばれ


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