メルマガ色鉛筆第320号「自由詩から「自分史」へ」

タイトル 自由詩から「自分史」へ 
ペンネーム シルバースプラッシ鮎爺さん(70代 男性 弱視)
レポートの要旨です。
 はじめまして。
新人のライターです。
「垂直方向に立ちはだかる闇の壁に風穴を開け、
水平方向の空間に光を求めること」をテーマにして、色鉛筆に投稿します。
まず、思いつくままに自由詩を記しました。
自由詩から「自分史」が始まります。
ここから本文です。
自由詩 
闇と光
目をつぶってごらん
見えるものは一つもないでしょう
前進すれば どこまでも歩いていけそうだ
でも間に何かあるから 歩くのをやめる
1歩前に 何かがあるのを知っているから
ぶつかるから 落ちるから はねられるから
不安だから踏み出せない
空間は壁に閉ざされている
私の前には 何かが必ずあると分かっている
私の前には何がありますか 歩いても大丈夫ですか
誰か 教えてください
貴方の時間を少し私に下さい
貴方がいれば不安は吹き飛びます
前進できます 
ありがとう
 自分史1 
川漁師へのあこがれ
 私は35歳の時、団地住まいを始めた。
当時は視野こそ狭いものの、どんな色も識別できる視力があった。
42軒の小さいこじんまりした団地には、近隣の町々から「団地募集」の情報を聞きつけた人々が集まった。
小学校にも近いし、駅にも近い。
中学校も高校もある。
とりわけ団地のすぐ下には、広島県のほぼ中央を水源とする沼田川が瀬戸内海に注いでいる。
総延長50数キロメートルの2級河川ではあるが、
最近の度重なる水害前には多くの川魚を育む魅力あふれる川だった。
記憶をたどれば、鮎/ハヤ/スナハミ/ドジョウ/ウナギ/ゴッポウ/オイカワ/ナマズ/モクズガニ/ニゴイ…などさまざまいた。
1メートル近くもあるオオサンショウオも見かけたことがある。
そして、団地の川向うには樹齢800年とも言われる杉の大木を抱える古くからの神社が鎮座している。
団地の背景には山のすそ野に開けた棚田が控えている。
そんな風光明媚な土地柄なのである。
 若かりし頃は、暇さえあれば5000円の年間監察料を支払い、
川漁師の気分になって監察料を取り戻そうと暇さえあれば、しょっちゅう川に入った。
見え方が俊敏でなかったので、鮎の動きを見て投網を打つという芸当はできなかった。
網をできるだけ広げて一網打尽を狙った。
ベテランの川漁師が50匹の成果をあげるのに対し、私は、2~3匹程度の楽しみだった。
それでも、中には20センチを超えるほどの大物もいた。
家に持ち帰ると小学生であった子供たちが喜んだ。
時には一緒に川に入って投網の中にいる鮎を探してくれた。
鮎は水量が多いときは水に流されて網にぶつかる。
網の中から投網をゆするので、中にいることを教えてくれる。
ところが、水量が少ない真夏には網の中にいても石の陰に隠れてじっとしている。
そんな時、おともの我が子に石の中をのぞいてもらう。
若かりし頃の団地住まいは、このような日常から始まった。
団地には、私の他にもう二人投網漁を楽しむ人がいた。
「とれましたか?」
「まあまあですわい。」
沼田川には、そんな魅力がある。
今、振り返るとそんな風景がよみがえり、闇の壁に一つの風穴があいた。
川の流れに沿って空間が広がった。
 自分史2
投網というもの
 ところで、投網というものは結構重い。
網は釣り糸の丈夫な「みち糸」を編んでできている。
捕獲した鮎が逃げ出せない程度の隙間を保ちながら直径3メートルもの大きな円形に編み込まれている。
円の中心を持つと人の背の高さになる。
網の底には、一つ2センチほどのチェーンの重りがいくつも連なっており、川底に張り付くようにしてある。
隙間ができればできるほど鮎は逃げてしまう。
それにしても、周囲が9メートルにもなる投網はどうして円形に広がるのだろうか?これには物理的な訳がある。
前にもふれたように網は円形の中央を持つと1.5メートルもある。
投げきれないので、先ずは投網を半分程右手に手繰り寄せてしっかり握る。
次に、傘が閉じた状態にある垂れかかった網を空いている左手を使って右肩にかける。
そして、右手で房になった重りを内側から3分の1程度右方向に運び、手繰り寄せて、更に右手で握りしめる。
最後にまったくフリーの左手は網が広がりやすいように左端に垂れた重りをもって、肩幅以上の間隔を取って握りしめる。
これで、房になった重りは内側から両手に手繰り寄せられて固定され、
外側の重りだけがゆらゆら揺れる状態となる。
はい、準備完了!
後は、腰を使って前方に放る。
これから先は、網任せ。
重り同士の力関係で、握りしめられていない外側の自由に動く部分から遠方に飛んでいき、両手で握りしめていた網が一瞬の時間差で放されると、網は円形に広がって川底に沈む。
左利きは、左右が逆になる。
以上が、網の拡がる仕組みだ。
 川底と言っても50センチに満たない浅瀬を狙う。
それ以上の深みを狙うと、重りが沈む間に俊敏な鮎が逃げてしまう。
沼田川は、6月が川漁の解禁となる。
はじめに「友釣り」の監察が許され、続いて「投網」が許される。
「友釣り」の川に「投網」が入ると漁にならず、迷惑となる。
投網は夏が盛りとなり、秋口まで漁が続く。
秋祭りのころの鮎は、石苔を豊富に食べて成長しており、20センチを超えるほどに大きくなるものも少なくない。
このころになると、餌の石苔を食べながら遡上し成長した鮎も産卵の時期を迎える。
そして、下流の小石の集まる場所まで下っていき、「落ち鮎」となる。
落ち鮎は網をゆするほどに大きくて、これがいると、いくら目の鈍感な私でもすぐにわかる。
逃がしてなるものかとわくわくしながら、網の上から獲物をしとめる。
 そんな川好きの私であったが、50前の齢から川にいけなくなった。
石の形まで覚えていたはずの空間が少しずつ閉ざされていき、川を歩くことができなくなっていった。
自宅から川までの地図は水平方向にしっかり見えていたはずだった。
川のほとりのセメントづくりの下り階段、
川に入るとすぐ左に2メートル程もあろうかと思われる大きな緑がかった石など、ありありと思い起すことができる。
その石の下にはウナギが潜んでいることも知っている。
ここを目印に左に向かうと第一の投網ポイントだ。
これを皮切りに上流に向かい、100メートルほどの間で10数回の網を放つ。
続いて後戻りしながら、鮎を取り逃がしたところへ網を打っては、元の大きな石まで戻る。
時間があるときはこれを何度も繰り返す。
それでも私の視野の狭い目と未熟な技では4~5匹捕れればいいほうだった。
 そして、いまや古希が眼前に迫り、爺さんになってしまった。
まさに、若かりし頃の鮎漁をいつまでも夢見る「鮎爺さん」になってしまった。
目の前に白とも黒とも言い難い壁が頑丈に張り付いている。
この環境の中にあって、鮎爺さんは少しでも水平方向の空間を取り戻そうともがいている。
(次回、自分史「鮎爺さんと尺八(予定)」へつづく)
編集後記
 心を静かにしてしばらくそのままでいる。
すると、何かのことばがすぐそばにあることに気づきます。
それを掬い取ってともに待っていると、次のことばが呼び寄せられて、やがて連なりとなり詩となります。
 今、自分とともにあることば、この自由詩、そこを扉のように開いたら…。
シルバースプラッシ鮎爺さんのそんな試みはいっきに、いきいきとした鮎漁の世界へと展開しましたね。
見えにくさとの自分なりのつき合い方、じょうずにやってられたなぁと思います。
でも、それも通用しなくなったのでした。
その向こうには何が広がっていたのか、また教えてもらいたいと思います。
 -- このメールの内容は以上です。
発行:  京都府視覚障害者協会
発行日:  2023年11月17日
☆どうもありがとうございました。


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