メルマガ色鉛筆第316号「お母さん、ごめんね」

タイトル お母さん、ごめんね
ペンネーム チュニジアンブルー(60代 男性  弱視)
レポートの要旨です。
 母の葬儀は、視覚障害者になっていた私が喪主を務めた。
あの日、私は母の秘密のおせっかいの内容を知ることになった・・・。
そうだったのか。
 そして気がつくと母の後ろ姿を俺は追いかけているんじゃないかと思えてくる
のだった。
ここから本文です。
 母の生前のこと、持病をもち東北の片隅で一人暮らしする彼女に、私はしばし
ば、電話でアドバイスしたものだった。
食事の改善や運動習慣の大切さなど。
他人のことばかり心配しないで、自分のことを大切にしたほうがいい、と口やか
ましく言ったものだった。
母の葬儀は、視覚障害者になっていた私が喪主を務めた。
あの日、私は母の秘密のおせっかいの内容を知ることになった・・・。
 葬儀では友人代表として弔辞をくださったのは、保育園の園長先生だった。
弔辞の中で、幼児教育に携わることを目指して同じ短大で学んだ母とその方の思
い出が語られていく。
そして、サツマイモの話になった。
 母は毎年秋になると、その保育園にサツマイモを送っていた、母が丹精込めて
畑で育てたサツマイモを段ボール箱で何箱も送っていたという。
「志保子さんは、園児たち、教職員が自宅にそれぞれ一個は持ち帰られるように
と送ってくださった、園児たちは秋田のサツマイモのおばさんからまた届いたあ
、と大喜びしていたんです」
緑内障でただでさえ、霞む私の視野が涙で覆われた。
 そんなことが、と突き上げるような驚きを、弟と共有した。
毎年、東京の親戚などにサツマイモを贈ることは知っていた。
家庭菜園のスケールを上回るサツマイモの栽培を時に人を頼んでまでやる母に、
体力もお金も大変だから、もっと小さな規模にしたほうがいい、と何度説教した
ことか。
 そうだったのか、自身も幼稚園教諭として長年働いた母は、自分の晩年の生き
がいを、あの保育園の子供達へ、昔の自分のような教職員の先生方へ、皆さんへ
の愛を伝える思いで、サツマイモ作りに捧げていたんだ。
喪主挨拶にはそんな驚きと母への尊敬の念、なんで応援してやれなかったんだと
いう自責の念が入り混じった。
でもその一方で、嬉しかった。
 月日が経ち今年7月24日の昼下がり、私は痛む足腰を引きずるように、郵便
局への道を歩いていた。
脊柱管狭窄症とか医者は言うが、だからと言って手術すれば治ると言うものでも
ないと全国各地の視覚障害者の仲間は教えてくれる。
まあ、母のさつまいも物語に気づかず葬儀の場でやっと知るという、新聞記者に
はあるまじき鈍感さの報いかもしれないなあ、と苦笑する。
そして郵便局で、今年夏の水害で被災した秋田の視覚障害者のために仲間に呼び
かけて集まった義援金を送金した。
母のことをなんやかんやと言いながら、お前が1番おせっかいじゃないか。
気がつくと母の後ろ姿を俺は追いかけているんじゃないか。
お母さん、ごめんね、でも、ありがとう。
俺もあなたには及ばないけど、日本で二番目におせっかいな人間になるよ。
頑張るからね。
そしてこの日が偶然なことに、母が私をこの世に送り出してくれた日であること
に気づいた。
編集後記
 みなさんは、このレポートのタイトル、「お母さん、ごめんね」からどのよう
な印象を受け、読み終えてどのような感想を持たれましたか。
チュニブルさんのこれまでのレポートでも今回の被災した秋田の方のための義援
金集めも、人のために行動されてます。
お母様にも同じいたわりのお気持ちで接してられて、その上で「ごめんね」と。
私たちの社会はこういう「ごめんね」によって支えられている、支えてもらって
いるように思います。
 この秋、サツマイモを食べるときがあれば、このレポートを、チュニブルさん
のお母様のサツマイモを思い出してくださいね。
そしたら、ぐっと一段とおいしくなります。
そしてそれを食べたらちょっと知らず知らずやさしくなれることでしょう。
 -- このメールの内容は以上です。
発行:  京都府視覚障害者協会
発行日:  2023年9月22日
☆どうもありがとうございました。


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