メルマガ色鉛筆第8号(走ることについて)

タイトル: 走ることについて
ペンネーム: グリーンベルト(30代 男性 全盲)
レポートの要旨です。
 「グリーンベルト」とは、無秩序な都市開発を抑制するために設けられた緑地帯を指すようです。
しかし京都では、都市開発はとても慎重みたいで、多くの緑地(っていうか「山」)がたくさん残っているようです。
人工的に設置されたグリーンベルト地帯でも、自然にできた山でも、そういうところを走るのはとても気持ちがいいものです。
今回は、「走ること」について、私の経験を紹介したいと思います。
ここから本文です。
 「私走ってるんです」と言うと、多くの人が「すごいねえ」、「私、1キロも走れないよ・・・」などと言います。
おそらくそれは、自分たちが小・中・高校生のときの走りをイメージしたコメントなのでしょう。
確かに、パラリンピックに出場している視覚障害選手は、高校生に負けないくらいの速度で走っています。
しかし、私の場合は、「超!早歩き」程度の速さです。
大体1キロ6分半程度。1500メートル走なら10分近くかかる速度なんです。
 明暗すら分からない私がどうやって走っているかというと、視覚障害者のランニングチームに所属して走る機会を確保しているのです。
京都市には、「鴨川パートナーズ」というチームがあります。
このチームの視力のある方が、ボランティアで視覚障害ランナーといっしょに走ってくれます。
こうした走り方を「伴走」と言い、輪っかにしたロープを使い、お互いにその一端を握って走るのです。
(各地の視覚障害者ランニングチームの練習会、視覚障害者のランニング全般や伴走方法については、「伴走どっとコム」というサイトに紹介されています)
 視力のあったころの私は、街中の景色を見ることが大好きでいろいろなところを訪れたものでした。
視力が落ちた私は視覚障害リハビリテーション施設で白杖による単独歩行の指導を受けました。
白杖を手に、いざ出かけてみるのですが、私にはおもしろくないのです。
街の景色が見えなくても、歩いていればいろんな音が聞こえ、またいろんな香りを感じるもので、それらを楽しんでいる人はいます。
けれど、私はその感覚にどうしてもなじめませんでした。
やがて、私が街中へ出かけることはめっきり減っていきました。
その昔、「大学は出たけれど」というフレーズがあったようですが、私の場合は「歩行訓練は受けたけど」でした。
 外出が減った私は、昔から好きだった鉄道旅行に時々行くか、家の中で点字図書館で借りた点字や録音された本を読む毎日を過ごしました。
それはそれでとても楽しいし、実際、今でも本は大好きでよく読んでいます。
そして、いつしか私の足は重く、だるさを感じるようになっていきました。
 視覚障害者は、どうしても運動不足になりがちです。
例えば一人で移動するとき、視力や視野の障害が重ければ安全を考慮して、歩くスピードを遅くせざるを得ません。
歩くスピードが遅ければ、体の動きも少なくなるわけで、運動量は減ってしまうのです。
 そんな頃、私は何人かの走っている人と知り合いになりました。
 私が走るようになったのは、「他に行くところがあまりなかったから」という消極的な理由と、「運動不足解消」というありがちな理由からです。
家の近くでやっている練習会に参加してみたものの、最初は筋肉痛との戦いでした。
走った後、帰路の駅の階段を下りるのも大変でした。
けれど、チームメイトが足に負担がかかりにくい走り方や、走る前後のストレッチ方法を教えてくれたりして、筋肉痛で苦しい思いをすることは少なくなっていきました。
そして、今では風をきって走る心地よさ、近くを流れる川の音、野菜畑の土のにおいなどを楽しんで走れるようになりました。
 ただ、同じことをしているのはつまらないものです。
ランニングの世界も同じで、練習会で漫然と走っているだけではおもしろくありません。
幸いなことに、各地で多くのランニングの大会が催されています。
距離も多用で、数キロのものから200キロを超えるようなものもあります。
また走る場所も、街のど真ん中を走るものから、河川敷、山の中を走るものまであります。
いろんな大会にトライして、自己記録を更新したり、他のランナーや応援してくれる人たちと話すのは楽しいものです。
そして何よりもいろいろな場所を訪れるのは生活に潤いを与えてくれます。
最近では旅行を楽しむ視覚障害者も増加していますが、走ることを主な目的にする旅も一つのスタイルだと思います。
 今後私は、これまでに経験した35キロよりも長い距離を走ることができるようになりたいです。
足や心肺機能を鍛えるため、峠道なども走ってみたいと考えています。
そして、フルマラソン、さらにステップアップしてウルトラマラソンに参加していきたいです。
新たな走りに、希望を寄せて
編集後記
 「見えていた頃は運動嫌いだったけど、見えなくなってから走ることが好きになった」という方のお話をよく聴きます。
見えないと一人では走れない、伴走で新境地を発見する、自分の中に眠っている可能性との出会い。
人生は何が起きるかわからないことの連続、不思議ですね。
歩行の技術を身に着けても、見えない中で歩くことに楽しさを感じることができなかった遠い日、
走ることで感じた楽しさが、外出することの喜びにつながった今、
初めて出かける街で、パートナーと超!早歩きするであろう未来。
それぞれの時間の中で、緑色の風のいざないが、そっと誰かに気付いてもらえるのを待っているのかもしれませんね。
ーー このメールの内容は以上です。 
発行: 京都府視覚障害者協会 
発行日:2014年2月21日
☆どうもありがとうございました。


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