メルマガ色鉛筆第7号 「沖縄音楽と僕の暮らし」

タイトル 沖縄音楽と僕の暮らし
ペンネーム 白い砂浜(30代 男性 全盲) 
レポートの要旨です。
 僕は、沖縄の歌と三線(さんしん)で演奏活動をしています。
レストランやカフェ、ライブハウスをはじめ、様々なイベント、福祉施設等で演奏をしています。
そんなぼくの沖縄音楽との出会いから、現在までをレポートします。
ここから本文です。
 はじめまして。
白い砂浜です。
僕が沖縄の音楽に興味を持つようになったのは今から16年前のことです。
近くの公民館で、沖縄民謡の歌い手さんのライブを見たことがきっかけでした。
フィナーレに行われたカチャーシーという熱狂的な踊りに、ぼくはそれまで体験したことのない感激をおぼえました。
観客全員総立ちで、子供からお年寄りまでが舞い踊る熱いムード、心も体も高揚するリズム・・・!「これだ! これをやりたい!」とビビビッときたのが、今のぼくにつながっています。
元々音楽好きだった僕は、その日すぐに「沖縄の音楽ってすごいね!、自分もやりたいなぁ」と、母親に伝えました。
「家の床の間に三線(さんしん)あるじゃない」という母親の言葉に、ぼくはハッとしました。
 よく考えてみれば、父親は沖縄生まれで周りの親戚たちもみんな沖縄人(ウチナンチュ)ばかりだったのです。
親戚が集まると必ず誰かが三線を弾いて歌って、みんな踊っていました
 沖縄の音楽にはジャンルが幾つかあります。
その中で、父親や親戚たちがやっていたのは、琉球古典音楽でした。
これは、琉球王国時代の宮廷音楽で、とてもゆっくりと歌われるものでした。
踊りもそれに載せて踊られる琉球舞踊が中心でした。
子供時代のぼくにとっては、それは子守唄そのもので、ほとんど興味が無いものでした。
それが急展開!
カチャーシーから沖縄音楽の虜になり、親戚の紹介で、大阪の沖縄音楽の教室で歌と三線を習うようになりました。
 僕は生まれつきの弱視で、当時はまだ少し視力があったので、音を聴きとるのと同時に、三線楽譜を見て練習をすることができました。
とは言うものの、当時の僕にとって、楽譜を読むことはかなり目に負担がありました。
グループレッスンでは、みんなと同じように、ついていこうと必死でした。
僕には楽譜を読みながら演奏することはできないので、できる限り暗譜しました。
それでも、周りとのブランクはできてしまいました。
今から思えば、みんなと同じようにはできない自分を認め、先生や仲間たちと相談しあっていけばよかったのかもしれません。
けれど、当時の自分にはなかなかそれができませんでした。
 その後、視力を急激に失い、白杖やパソコンの音声ソフトのことを調べたりしました。
けれど、自力で乗り越えることに限界を感じ、ライトハウスでの生活訓練を受けるようになりました。
そんな中、僕は7年間通った沖縄音楽の教室から離れて、独自に練習をするようになっていきました。
これまでできていたことができなくなってくる暮らしの中で、三線独特のやさしい音色は僕の心の支えになりました。
何も考えずに三線をポロリと弾くだけで、不思議に心は癒されました。
僕は、三線楽譜や様々な資料が読めなくなってくる中、必要なものはパソコンにテキストデータで残し、音声ソフトで読めるようにしました。
文字が完全に読めなくなってからは、点字を使ったり、レコーダーで録音しながら歌詞などを覚えるようにしました。
見えないならではの工夫をしながら音楽と向き合う中で、僕の心は徐々に楽になっていきました。
そして、いつしか僕は自分の障害を、あるがままに受け入れられるようになっていきました。
 今では点訳データで沖縄関連の本をたくさん読んでいます。
必要な資料を点訳して頂いたり、ネットでも様々な情報が得られるよううになりました。
沖縄県の点字図書館には三線の点字楽譜が全巻そろっていることもわかりました。
また、年に数回、沖縄の教室でマイペースにレッスンを受けたり、沖縄の視覚障害者の三線サークルに参加したりしています。
 僕は視力を失った今も、たくさんの人たちのサポートや支援を受けて生きていられることに感謝しています。
そして、障害の有無を越えて、生きていることそのものの尊さも感じています。
「今の自分にできることでありがとうを届けたい!」、
「これまでやってきた沖縄の音楽で、誰かの心を癒したい」と考えるようになりました。
そんなある日、ライブハウスで飛び入りで歌ったことがきっかけになり、たくさんの仲間や友達ができました。
そして、色々なところからお声かけ頂き、演奏活動をするようになりました。
現在、視覚障害者と晴眼者の相互理解・相互支援を目的として活動しているNPO法人ブライトミッションが運営する「町家カフェさわさわ」で、毎週月曜日の午後に定期的なライブを行っています。
僕は沖縄の音楽を通して、この活動に参加させて頂いています。
ここではたくさんの仲間たちが集い、見える人、見えにくい人、見えない人が共に協力し合って働いています。
最近、このカフェから、さわさわ楽団が誕生しました。
さわさわ楽団は、楽器ができる人もできない人も、音楽を通して社会とのかかわり、人とのつながりを広げていこうと、福祉施設等へ訪問する活動をしています。
沖縄の音楽を通して、こうした活動に参加できること、そして、たくさんの人たちとつながり、みんなと共に音楽を楽しめることは、僕にとってとても幸せなことです。
たくさんの「ありがとう!」を届けたい・・・そんな未来への願いを込めて、これからも沖縄音楽をポロリポロリと奏でながら、マイペースで歩いていきたいと思います。
※町家カフェさわさわの活動については、NPO法人ブライトミッションのホームページよりご参照ください。
編集後記
 見える人達と同じようについていこうと必死にがんばっていた頃、
あるがままを認めて、自分らしい工夫を模索した頃、
想えば、いつもそばには沖縄音楽があった・・・。
この「いつもそばにあるもの」が、
白い砂浜さんの自分らしさ=あるがままの自分へとつながっていったのかもしれませんね。
 沖縄音楽の独特の旋律には、「なんだかんだあっても、それでいいよ」と包み込んでくれる穏やかさを感じることがあります。
また、それと同時に言葉に尽くせない悲しみや生きる喜びもメロディそのものが語っている気がします。
三線をポロリと奏でるだけで癒される、その不思議な魅力を、誰かと分かち合いながら、また、同時に白い砂浜さんもあるがままの自分を癒し続けていかれるのかもしれませんね。
ーー このメールの内容は以上です。
発行:  京都府視覚障害者協会 
発行日: 2014年2月7日
☆どうもありがとうございました。


現在、シンプルな表示の白黒反転画面になっています。上部の配色変更 ボタンで一般的な表示に切り換えることができます。


サイトポリシー | 個人情報保護方針 | サイトマップ | お問合せ | アクセシビリティ方針 | 管理者ログイン