メルマガ色鉛筆第136号「母の手」
タイトル 「母の手」
メルマガ色鉛筆編集チーム
こんにちは。
メルマガ色鉛筆編集チームです。
お母さんの手から生まれたエピソードに、ふと立ち止まり考える娘さん。
今回は娘から母へ、二つのレポートをお届けします。
タイトル 機(はた)を織る人
ペンネーム 白絹(50代 女性 全盲)
実家のある田舎町では、どこの家からも機織りの音がしていた。
私の母も毎日絹の白生地を織っていた。
私は、昔書いた作文に「母の後ろにはシルクの道が続いている」と記した。
私が嫁入りする時には母が織った着物を持たせてくれた。
機を織る音はあの町でもめったに聞かれなくなり、実家も機を手ばなした。
しかし、その思いは今も変わらない。
母は、機織り以外も器用にこなす人である。
料理も裁縫も編み物も運動もお茶もお花も。
私は、何一つ母をこえられない。
ガチャンガチャンと響く機織りの音はうるさいが、そのリズムは心地よかった。
子守歌がわりに育ったせいだろう。
幼い頃、家に帰ると、外まで響くこの音に安心したものだ。
真っ先に機場に入り、母に駆け寄った。
抱きつきたかったが、できなかった。
母の胸元にはいつも縫い針がついていた。
母に近づきすぎると針が刺さりそうで、こわくてもどかしかった。
仕事で使うから仕方ないのだが、母が少し意地悪に思えた。
機の後ろには、美しい絹糸が何百本も流れていた。
シルクの道のようで、私はそれを眺めているのが好きだった。
糸がなくなると、1本1本新しい糸とつながなくてはならない。
母は、月に一度はこの「たてつなぎ」という作業を夜遅くまでしていた。
私は3人姉妹の末っ子である。
上の姉は絹糸を挟んで母の前に座り手伝っていた。
2番目の姉も手伝える年になると母の前に座った。
私だけその席に座ることはなかった。
私はそれをラッキーと思っていたが、同時に気づいてもいた。
そして、傷ついてもいた。
それは、弱視だった私の目を気づかっての計らいだった。
母は、姉たちよりも私に気をつかう癖がある。
私の生まれつきの弱視は、自分のせいだと思い込んでいる。
私の目が見えなくなった時、母が手紙をくれた。
内容は想像できた。
案の定、「申し訳ない、すまない」と何度も書かれていた。
「自分のせいでなかったら父親のせいだ」。
この下りには母らしさを感じて笑えたが、
この年になってもまだ親に心配をかけていると思うとたまらなくなった。
手紙を読んでくれた私の娘もつらかったと思う。
私は、そんな手紙を母に書かせたことが情けなかった。
「大丈夫だから気にしんといて」。
そう言っても私の気持ちの全ては母には伝わらないだろう。
私は今、あの縫い針を思い出して母に少し意地悪をしたくなる。
なんでもできる母だから、一つくらいかなわぬことがあってもいいじゃないか。
私の行く末が気がかりで、母は死んでも死にきれないだろう。
「お母さん、なんにもしてあげられへんけど…どうぞ長生きしてね」。
するすると流れる川のような、艶やかに光る道のような、母が織り続けた反物。
母からもらった確かなものはシルクの感触の中にある。
それはすでに娘たちに授けた。
やがて孫へと流れゆくことだろう。
母の後ろには長い長いシルクの道が続いている。
母から娘へ、変わらない思いとともに。
タイトル 最後の一皿
ペンネーム 焼き色はやや黒め(40代 女性 弱視)
人生最後の一皿は?
そう聞かれたら、私は迷わずこう答える。
お母さんのハンバーグ。
どこのお店のハンバーグよりもおいしくて、つい2個くらいは食べたくなる。
それは、子供の頃から普通に我が家の食卓にあった。
小学生の頃は、ハンバーグの上にケチャップがべったりとのっていた。
ハンバーグを焼いた肉汁の中にケチャップを落とし、それが熱々のままハンバーグにかけてあった。
いつの頃からか、それがデミグラスソースとかハンバーグ専用ソースに変わっていった。
当然、ケチャップよりおいしい。
ハンバーグを焼いた肉汁と一緒にキノコやナスなどの野菜を焼き、
そこにデミグラスが投入されて味は少しまろやかになる。
それがハンバーグにのっている。
でも、基本的に母のハンバーグは何もかけなくてもおいしい。
特徴は、タマネギがやや粗いのとつなぎ以外に少しバターが入っていること、
ナツメグと黒コショウがたっぷりで、お肉の味がしっかりしていること。
表面はバターのせいでやや黒くこげていて、でも中はふんわりやわらかい。
大きめサイズと中サイズを作っていて、私は大きめサイズよりも中サイズが2個のった皿が好きだ。
つけあわせは大したものはなく、サニーレタスが適当にちぎってあって、
トマトとキュウリがあったりなかったり、いわゆる家庭の普通のハンバーグだ。
洋食の名店やホテルのハンバーグの濃厚なソースはおいしいけれど、
こげた表面になじむあのマイルドなソースがやっぱり一番だ。
同じものはどこにもない。
弟は食べるものにかなりうるさく、「素材を殺すな」とかいろいろ言う。
でも、母のハンバーグにかかると無言で4個くらい食べている。
「ソースはかけるな」と、必ずプレーンを要求している。
慣れ親しんだ味が一番おいしいと感じる人がいるけれど、母のハンバーグもそう
なのかもしれない。
今、最後の一皿を選ぶなら絶対にこれだ。
でも、あと数年したらこの一皿は選べないだろう。
車いす生活の母が特別な日に作る料理となったハンバーグ、あと何回食べられるだろうか。
仕事から帰ってきた夫が台所へ直行する日がある。
「お母さんのハンバーグ!」とうれしそうにフライパンのふたをあけている。
「うまそうや」とお風呂へ急ぐ夫に、「大きいの食べなさいね」と母が声をかける。
義理でも親子、これが家族になるってことなんだなあとしみじみ思う。
理屈なんかじゃない、愛情をとじこめた料理が絆を支える。
私にとって、母に勝てない料理があるのは幸いだ。
ちなみに、夫は母のだし巻きのファンでもある。
私のハンバーグは野菜いっぱいのトマト煮込みだ。
これにときめく家族はいない。
見えにくくなった私が厚焼き玉子をあきらめたのは、もう10年ほど前のこと。
以来、スクランブルか目玉焼きばかり焼いている。
母自慢のおだしたっぷり、ふわふわだし巻きを作るのは難易度が高い。
せめて母を思い出しながら作るハンバーグだけはマスターしておきたい。
私、できるかな、心折れないでいられるかな。
編集後記
お母さんの手から生まれた思い出は、今も娘さんの中で鼓動しているようです。
白絹さんは、過去の手紙から続く未来への思いを語られました。
黒めさんは、母の味を我が身に残したい思いを語られました。
どちらの中にも確かなもの、ちゃんと感じられるものがあって、
それを継承したいという強い思いがありました。
老いること、見えなくなること、二つの喪失の内に娘から母への思いは増して、
くっきりと明らかになっていくようです。
-- このメールの内容は以上です。
発行: 京都府視覚障害者協会
発行日: 2018年10月26日
☆どうもありがとうございました。