メルマガ色鉛筆第130号「何度も考える思いどおりにならないこと」

タイトル 「何度も考える思いどおりにならないこと」
ペンネーム ブルーベリー(60代 男性 全盲)
 レポートの要旨です。
 体が弱く、全盲にもなった私の人生、これでよかったのだろうかと考えることがあります。
さまざまなことを考えます。
 「こんなことをやっています」、「こんなことができました」という話ではないレポート、
よろしければ読んでください。
これも当事者の声です。
 ここから本文です。
 私は子供の頃から虚弱で、体力がありませんでした。
ある難病の患者でもあります。
20代の半ば、目がほとんど見えなくなる前に家を出ていたら、自立は可能だったかもしれません。
しかし、お金もなかったですし、働き続けることは難しかったです。
30代半ばぐらいのときに、将来のこと、心配していることを父親に話しました。
「先のことは心配せんでええ…」という返事でした。
父親は、私の心中を知ってくれていたのかもしれません。
一度住む家を探してもらったことがありましたが、どこも断られました。
そのとき、実際、自分の体力で、自力で生活する自信はありませんでした。
とにかく、そのように言わなければならない状況だったのかもしれません。
 歳を重ねてからの新しい環境での生活は不安です。
自分勝手ですが、私に合う福祉、医療、入所が保障されるようならば、すぐに家を出る覚悟はしています。
それでも、やはり不安です。
便利さなどを優先するなら、どこかに入れてもらうことです。
自分のことを自分でやりながら生きるのは、体力的に不安です。
どちらにしても、今のようなこととは違う生き方には全く自信がありません。
私が今まで生きのびることができたのは、この他人依存の「わがまま(?)」な
生活をしてきたからだと思います。
病状が急変したら、とにかく入院ということになって、
そのまま…ということになれば、全てが解決なのかもしれません。
 「死」が怖いから無理はしないというのは、許されないことと頭では理解できているのですが、情けないです。
例えどんな状況であっても、人間は自力で生きなければならない(?)ですね。
単なる知り合いですが、40歳ぐらいで亡くなった盲人を4人ぐらい知っています。
全国を見れば、たぶんもっと多いと思います。
自分の同級生も4人亡くなっています。
でも、彼らは一生懸命生きていました。
 少子高齢化、医療費、職員の不足、それらが弱者に影響します。
弱者に対する風当たりは弱くないです。
障害があってもなくても、人が1人で生きていくことは「大事業」なのかもしれません。
 こうして考えてみると、人は何のために生きるのか?、人生とは何か?という考えに陥ります。
考えて苦しむのは、自分を追いつめることになります。
好きなラジオ番組を聞いたり、アイパッドタッチが私にどこまで使えるか試したり、
そんなことも実は大事なのかもしれません。
 編集後記
 当然といえば当然ですが、障害のある人は、障害を抱えながら生きることになります。
思いどおりにならないことがあり、そのために悩むことにもなります。
ですが、それ以上でもそれ以下でもなく、そのままで、
ありのままでいることの大切さがあるという直観が働くことがあります。
 ブルーベリーさんのレポートにもそんな直観が働きました。
何気なく、力をこめるわけでもなく、書くからこその当事者の声のよさをあちこちに感じました。
みなさんはいかがでしたでしょうか。
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2018年8月24日
☆どうもありがとうございました。


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