メルマガ色鉛筆第110号「冒険、のばした手の先へ」

タイトル 「冒険、のばした手の先へ」
ペンネーム イエローライト(50代 女性 全盲)
レポートの要旨です。
 せっかくこんな思いをしているんだから記録に残しておこう。誰もが経験する
ことではないんだから。
容易には伝わるはずもない幻覚体験、その渦中であふれる思いを、
私はひたすらキーボードに向かってぶつけました。
まるで、我が身に住み着いた得体の知れない何かを、力ずくで吐き出すように。
1文ずつ自分の心に言葉を近づける作業、考えれば考えるほど、苦しい記憶が私
の心を締め付けました。
2017年に終わりを告げようとする今、私はかつての私へ声をかけてみました。
「泣きながら何度も何度も書き直し、そして生まれたものとはいったい何だった
の?」
「もしかしたら、あれは記録ではなく、自分に宛てた手紙だったのでは?」と。
問いかけは鈍く呼応し、のばした手の先を想像しつつ、静かに待つクリスマスで
す。
ここから本文です。
 2017年春。私は視覚障害者の訓練施設で白杖歩行、点字、音声パソコンな
どを習っている。
エンジン音、人の声や足音、信号音。
これらの音を頼りに、白杖で道を確かめつつ、歩き慣れた住宅街を進んでいく。
ところが、いつの間にか見知らぬ看板の前に私はいる。
誰かに助けを求めるか、どこで間違ったのか検証してみるか。
そんな時、いつも私は目の前に見える世界に問いかける、いったいどこに連れて
行こうとするのかと。
 私が見ているのは平和な住宅街ではない。
そこには夕日が沈む海があり、曲がりくねった雪道があり、たくさんの文字が並
び、蛇をくわえた人が現れる。2016年夏、視力を失うと同時に私はこの世界
に迷い込んでしまった。
テレビの画面が切り替わる様に、いろいろなものが見えては流れていく。
時には画面が隆起し、高速で回転する。
まぶしい色のシャワーが何時間も降り注ぎ、それがやむと暗く長い穴の中に吸い
込まれる。
目が見えなくなった人の1割程は幻覚を見るらしい。
病院では一年くらいで消える人が多いとあまり問題にもされず、薬はもらえなか
った。
しかし、目は幻覚の動きに合わせ絶えず動いてしまう。
車酔いのような気分になり、不眠が続き、疲弊していく。
現実と見えているものとのギャップに体が引き裂かれ、心が重い痛みにつかまれ
る。
電気を消しても目をつぶっても消えることのない恐怖の渦にひきずられながら、
醒めない悪夢にじっとしゃがみこみ、ギリギリで踏ん張るしかなかった。
そして、使い物にならなくなった本や趣味のファイリングと共に、これまで築い
てきた価値観やプライドを、
私は自ら幻覚の海に沈めた。
 そんな時、家族だけが私の支えだった。
その痛みを共有し、引き受け、一緒に苦しもうとする夫。
詳しい情報と知識を示し、冷静に判断させようとする娘。
わざとくだらない話をして、笑わせようとする息子。
忙しいのに頻繁に孫を連れて来て癒そうとするもう一人の娘。
そんな温かい声がいつも私の傍にいてくれた。
まとわりつく得体の知れない物を振り払い、目の前を遮る画面の向こうにある、
確かな声に私は手をのばした。そして、強く引き寄せた肌の感触だけが私を現実
に戻してくれた。
 その後、秋になっても症状は変わらなかった。
出口が欲しくて精神科を受診した。
以前この症状について研究していたという医師は、私の長い話を聞いてくださっ
た。
「気にしないことです。」幻聴や味覚の異常がなければ、精神的な病気ではない。
他の感覚を使って気を紛らわせたら良い。気にしないこと。
私はこのあいまいな治療法の為に、その時からたくさんの作業をした。
まず、溜まっていた家事に没頭した。
床を這いずり回る虫たちを掃除機で吸い込ませ、人の顔が張り付いたキャベツを
無心で細かく刻んだ。
グルグル回るフライパンの取っ手をしっかり抑えながら、焼き具合に耳を澄ませ
た。
人で溢れかえったざるの中からうどんをつまんだ。
訓練に集中するにつれ、幻覚は減り、動きも鈍くなった。
しかし、気をゆるめると邪魔をしてくる。
道順は混乱させられ、点字の縦の線は横の点と重なる。
でも、いいこともある。
お花見の時には、画面がピンク色に染まり、同じ色の丸い紙をいっぱい降らせて
くれた。
赤ちゃんだった孫を髪の伸びた少女にして、成長した姿で見せてもくれた。
長く付き合うと幻覚にすら愛着が湧くのだろうか。
 「どこに行かれますか。お手伝いしましょうか」と、 
看板の前にしばらく立っていた私に、声をかけてくださる方がいる。
救世主が現れた。
さあ、現実世界に連れて帰ってもらおう。
ファンタジー小説なら主人公は、別の世界に行って冒険をする。
戦って武器を手に入れ、仲間をつくる。
強くなって元の世界に戻って行ける。
しかし、私のいる世界には出口はあるのだろうか。
出口が見つかっても、そこは空虚な荒野かも知れない。
暗闇かも知れない。
それでも私は今戦い、武器を手に入れようと思う。
幻覚を気にしない為の作業の中で気が付いたことがある。
挫折と喪失は、奪われるだけではない。
もっと大切なものを選び取る機会をくれる。
訓練によって、自分の未来を豊かにする術を学べる。
それは新しい勇気をくれる。
そしてなにより、そこでの素敵な出会いは私が今までいた社会の仕組みの中には
ない充実感を与えてくれる。
生きることの本質をストレートに教えてくれる。
見えなくなったからこそ体験できることは、この先の人生を味わい深くするだろ
う。
道は困難でも、白杖で一歩一歩確かめながら歩けばいい。
迷っても、しゃがみこんで泣いてもいい。
この冒険を続けて行こう。
もっともっと強くなるために。
 のばした手の先には、握り返してくれるたくさんの手があり、未来が見える。
編集後記
 目をそむけても目を閉じても、見たくないと強く願っても、見つづけるしかな
い。
それに苦しみ耐えながらの日々を文章にしてレポートしてもらいました。
苦しみ耐えることで心もへとへとにぼろぼろになられたことと思います。
 へとへとにぼろぼろになったとき、他の何物でもなく支えとなったご家族の確
かな声と肌のぬくもり。
本当に大切なものは、極限の中でも、感じることができるのでしょうか。
 幻覚がイエローライトさんの味方になって、よいものを見せてくれるように、
少しずつ変化しているとしたら何よりに思います。
イエローライトさんの冒険、
「冒険、のばした手の先へ ‐挫折と喪失は、奪われるだけではない‐」。
同じ思いを持つ人、その1歩2歩手前にいる人、さまざまな人と交流しながら進
んで行かれる姿が浮かびます。
読者のみなさんのそれぞれの冒険も、
同じ思いを持つ人、その1歩2歩手前にいる人、さまざまな人と交流しながら
進んで行かれる姿が浮かびます。
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2017年12月8日
☆どうもありがとうございました。


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