メルマガ色鉛筆へ「見える私からのメッセージ」シリーズ第6弾

タイトル 「メルマガ色鉛筆へ 見える私からのメッセージ」
メルマガ色鉛筆編集チーム
 こんにちは、メルマガ色鉛筆編集チームです。
「見えない・見えにくい人の暮らしの中のあれこれを、見える人はどう見ている
のか」をテーマに、
晴眼者の皆様より色鉛筆のレポートへ感想コメントを寄せて頂きました。
ということで「見える人の声あれこれ」第6弾をお届けします。
今回の「見える人」は、視覚障害のある知人・友人がいるという女性3名です。
見える人の声16(30代 女性 ガイドヘルパー)
 「カラー講座に参加して」を読ませていただき、
視覚障害のある方とほとんど接点のなかった頃のことを思い出しました。
私はヘルパーをしていますが、同行援護のお仕事に携わるようになったのは、ご
くごく最近です。
それまでは白杖を持って歩いている方を見かけると「一人で歩いていて怖くない
んかな」とか、
介助者と思われる方と歩いているのを見かけると「どんなことを話しながら歩い
てるんやろ。
私がサポートする時は、あんなに自然に歩けるやろか」なんてことを考えていま
した。
その他に、女性で白杖を持っている人を見かける度に強く思うことがありました。
「お化粧はどうしてる?今着てはる服は誰が選んだんやろう?」
私は、家族をはじめ支援してくれる人がコーディネートしてくれていて、
その人の好みがずいぶん反映されているんだろうなと考えていました。
「あの人は、いま自分がどんな服を着ているのか分かってはるんかな?自分の好
みの服が着れているんかな?」
好みと違う服を着るのは嫌だと思っても、自分で選べないから人に任せるしかな
いのかな。
見えなければ自分の趣味に合ったものを身に付けたりオシャレを楽しんだりでき
なくってもしょうがないのかな。と、勝手に想像しては納得していました。
ところが視覚障害のある方達と接する機会が増えてくると、
男女問わずとんでもなく似合わない格好をされている方はおらず
反対に持ち物やお洋服もそれぞれその人の雰囲気に合ったものを身に着けておら
れます。
着るものだけでなく、お化粧、ネイルと、オシャレを楽しまれている方達がたく
さんおられます。
「カラー講座に参加して」を読んで、なるほど。
その様な講座に参加したり、店員さんや一緒に買い物に行く人に相談したり、便
利なアプリなんかも使ったり、色々な方法でオシャレを楽しまれていることを知
りました。
本人の意思なんかほとんど反映されていない、ほとんど人任せなんて思っていた
のは大間違いでした。
最近、ちょこちょこガイドのお仕事もさせていただいています。
その時にはオシャレやお買い物の話題も多いです。
「これかわいいね」「どこで買ったん?」「なんぼしたん?」オシャレもいいけ
ど値段も大切です(笑)。
見える人の声17(50代 女性 医療職)
 「せっかく作った八宝菜。大皿にトロリと移したつもりが、全部皿ではなくテ
ーブルへ流れていた。情けなくて涙が出た」
メルマガ色鉛筆32号・あるある失敗談にサラリと書かれていた一文だ。
淡々とした文章だが、文中には八宝菜の具材のように複雑な思いがいっぱい詰ま
っているに違いない。
腹の立つこと・泣きたくなること、ちょっぴりブルーな出来事をネタにして、み
んなで笑い飛ばす。
一皿の料理のようにまとめて飲み込んでしまう。しょうがない、と諦める気持ち
や無常観だけではなく、
とりあえず受けとめる、ときには受け流す。これが「障害の受容」っていうこと
なんだろうか。
 日々の生活でちょっと思うようにならないとすぐに苛立つ自分。
今は問題がなくても、いつか見えなくなるかもしれない。
視覚障害だけでなく高齢のために色々なことが出来なくなるかもしれない。
そうなった自分自身を受けとめ、折り合いをつけて、
人生を続けていくための知恵をひとつもらったような気がする。
見える人の声18(60代 女性)
  「色鉛筆」0号には、「あなたはひとりじゃない」を伝えたい、「共有する
こと」、と、あります。
以後、毎号、お一人おひとりの精力的な内容に、率直にスゴイナ!と思って読ま
せてもらっています。
 私の中で、印象に残っている号の一つを述べさせてもらいます。
 2015年2月20日発行の第36号、「言葉の庭先案内に誘われて!」(モ
ミジの手さん)です。
 「庭いこいこ」というグループとの出会いをきっかけに、庭園鑑賞にはまって
いるという内容でした。
初めての参加は、「無鄰菴」だったとのこと。
まだそこに行ったことのない私は、
モミジさんの庭先案内に、目の前にその景色が広がるような感覚を覚えました。
 「風が運んでくる草の匂い、体に当たる風は芝生の広がりを感じさせ、池に流
れる小川の水音を聞いたり、
野の草花を触ったり、見える人と見えない人、見えにくい人たちが、
お互いの感覚で感じたこと思ったことを共有しながら散策を進めた」とありまし
た。
 散策が大好きな私は、すぐに花の匂いをかいだり、触ったりしてしまいます。
「庭いこいこ」のグループのことも、もっと知りたいと思いながらそのままにな
っていることを思い出しました。
見た目では庭石が濡れていなくても、足触りで感じ取れることを知らせることで、
掃除されてきれいになった庭石のことに気付かされたりするとのこと。
感想をシェアすることで、一人から仲間へと思いの共有ができる、という。
 一人もいいけれど、仲間との散策は、より豊かなふくらみがあることに感動し
ました。
 私達は、社会の中にあって、日々の暮らし、日常を率直に本音で語れる場所は、
意外と少ないのではないでしょうか。
だからこそ、色鉛筆のとりくみは、貴重で素晴らしいと思います。
 私自身も、退職後の第二の人生、社会とどうつながっていくのか準備中です。
 色鉛筆のとりくみが、今後も長く長く続き、ゆっくりとさらに広がり豊かにな
られることをお祈りしています。
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2017年11月2日
☆どうもありがとうございました。


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