メルマガ色鉛筆「見える人の声あれこれ」シリーズ第5弾
タイトル 「メルマガ色鉛筆へ 見える私からのメッセージ」
メルマガ色鉛筆編集チーム
こんにちは、メルマガ色鉛筆編集チームです。
「見えない・見えにくい人の暮らしの中のあれこれを、見える人はどう見ているのか」をテーマに、
晴眼者の皆様より色鉛筆のレポートへ感想コメントを寄せて頂きました。
ということで「見える人の声あれこれ」第5弾をお届けします。
今回の「見える人」は、視覚障害のある知人・友人がいるという女性3名です。
見える人の声13(20代 女性 学生)
メルマガを紹介され読み始めてからまだ4か月、バックナンバーも読む中で、
私が気になったのはあるある失敗談です。
私は大学に入ってから点訳に携わるようになり、その関係で視覚障害というもの
を意識するようになりました。
それまでは白杖の方はかわいそう、でも私は何もできないからせめてぶつからないようにして歩こう、
と思っていました。
恥ずかしながら白杖と全盲はイコールだとも思っていました。
それが、実際視覚障害の方とお話してみるとビックリ。
かわいそうなんて言葉は不適切だなと痛感しました。
確かに、日常生活で苦労することはたくさんあると思います。
失敗談にもあった、物をこぼしたり、無くしたり、違うボタンを押したり。
はっきり見えていたら絶対しない苦労がもっとあるはず。
それを感じさせないくらい明るくて元気な視覚障害の方々と私は出会うことができました。
生の声を聞くことで、「こう接すればいいんだ」と教えていただくことも多いです。
私が出会った方は積極的に外出されるようですが、そうでない人も多いのではないでしょうか。
失敗談の中にあった他人の足の上に荷物を置いてしまったというミス、
厳しい言葉を言われたと書かれていました。
それがトラウマで外出できなくなることも想像できますし、実際そういう方がおられたという話も聞きました。
白杖は目が不自由な方が使うということを知っていれば、厳しい言葉をかける人は少ないと思います。
私も知る機会を得られたことでわずかながらも手引きなどお手伝いできるようになりましたし、
街のいろんなものに対しても、目が不自由なら使いづらいだろうなと気づくようになりました。
視覚障害者との出会いから知ることの大切さを学ばせてもらいました。
メルマガでもっといろいろな方の声を聞けたらいいなと思っています。
これからも楽しみに読ませていただきます。
見える人の声14(50代 女性 大学教員)
42号「今を全力で生きる」を読んで
この記事を読ませていただいて、3点、心に響きました。
まず1つ目は、筆者の今を全力で生きる姿と真っ直ぐな気持ちです。
その全力で生きる真っ直ぐな気持ちが、周囲の者を共感させ、
サポートしたいと思う気持ちを喚起させたのだと思いました。
我々正眼者は、視力障害の方々のニーズやウォンツを聞く機会がほとんどありません。
よって、何をサポートすればよいかがわかっていません。
わからないので、助けたいという気持ちがあるのに、して欲しくないことまでしてしまいます。
逆に、わからないから恥をかきたくなくて(もしかしたら傷つけたくなくて)、
関わらない人もおられると思います。
お互い真っ直ぐな気持ちで素直に語り合える場が必要だと思いました。
2つ目は、「特別だから比べられない、できなくてもよいのだという心の余裕をとっておられた箇所です。
正眼者と同じ環境を提供して欲しいと望むことは当然ですが、全く同じでは不便なことがあるのも事実で、
それをどこまで自分の努力で埋められるかを日々求められる(自分からも他者からも)ことで、
張り詰めた気持ちをもたれているのですね。
この気持ちのバランスを把握することは難しく、個人差もあると思いますが、
このあたりの線引きが程よく行われる環境を提供することで、
障害者が過ごしやすい世の中になるのではないかと思いました。
最後に、主治医の方との信頼関係です。
私の母も筆者と同じ病気で今も眼科に通っています。
視力はほとんど落ちませんでしたが、病気が発覚した時、主治医の先生に
「失明する可能性もある病気である」と告げられました。
それから定期的に眼科に通っていましたが、毎回短い診察の後、薬だけ渡される治療。
大量のステロイド剤を飲んでいるだけの母に、家族一同不安になりました。
ついに主治医の先生の治療に疑いの気持ちが生まれ、他の大学病院を紹介してもらい、診ていただきました。
すると、その日の外来医師は本当に丁寧に説明をして下さり、安心(納得)することができました。
医者は、ただ最高の医療を提供するだけでなく、患者やその家族の気持ちに向き合ってもらいたいと思います。
医者との信頼関係がなされていれば、お母様や筆者の気持ちももっと楽であったと思いました。
私は大学を卒業して約30年、半世紀ほど生きておりますが、この記事を読ませていただいて、
仕事に追われているだけの毎日を恥ずかしく思いました。
また、忙しさの余り、心に余裕がなくなっている自分にも気付き、喝を入れていただきました。
周り(他者)があるからこそ、今(自分)があるのですね。
感謝の心を忘れるなと叱咤激励していただき、心が晴れやかになりました。
人と人との心のつながりの大切さを再認識しました。
障害者差別解消法の実践は、この心のつながりを作るところからはじめなければ
いけないのかもしれません。
まさに色鉛筆ですね。がんばってください。応援しています。
見える人の声15(50代 女性)
「アイフォン」に関するメルマガ色鉛筆を読ませていただいて
まず、視覚障害者がここまでアイフォンを使いこなしていることに驚きました。
数年前にスマホが登場し、俗にいう「ガラケイ(フィーチャーフォン)」は無くなっていくのでは…
という話がまことしやかにささやかれていたころ、
私は「視覚障害者は情報社会から置いてきぼりになった」と思いました。
この時、私もまだ「ガラケイ」だったこともあり、何の突起もないつるつるした画面を触れて操作するなんて
視覚障害者に出来るわけがないと思い、「これからどうなるのだろう」と視覚障害の友人と話していました。
ところが、自分もアイフォンを持つようになり、「ボイスオーバー」という読み上げ機能があることを知り、
視覚障害者こそアイフォンを使って便利に楽しく生きていけると思うようになりました。
いろんなアプリを紹介したり、便利なグッズを紹介したりしてきました。
でも、なかなか操作の習得は難しく、思うように普及が進みませんでしたが、
今回「メルマガ」を読んで、挑戦し楽しんでおられる方の存在を知り心強く思いました。
そう!もっともっとアイフォンの良さを知り、使いこなせれば楽しい世界が開けることを
多くの視覚障害者にお知らせしたいと改めて思いました。
-- このメールの内容は以上です。
発行: 京都府視覚障害者協会
発行日: 2017年10月6日
☆どうもありがとうございました。