メルマガ色鉛筆「見える人の声あれこれ」シリーズ第1弾
タイトル 「メルマガ色鉛筆へ 見える私からのメッセージ」
メルマガ色鉛筆編集チーム
こんにちは、メルマガ色鉛筆編集チームです。
メルマガ色鉛筆は、2014年より視覚障害リハビリテーション研究発表大会に参加しています。
今年も第26回川崎大会にて活動報告をします。
今回は、「見えない・見えにくい人の暮らしの中のあれこれを、見える人はどう見ているのか」をテーマに、
晴眼者の方を対象に感想文を募りました。
編集部からお声かけし、その方がさらに周りの方へお声かけして頂いた結果、
たくさんの見える人の声が集まりました。
今号より長期シリーズにてお届けします。
そこには、立場や境遇を越えた共生社会について考えるヒントが隠れているかもしれません。
あるがままに語られた見える人の声たち、読者の皆様と共有したいと思います。
シリーズ第1弾、今回の「見える人」は、ボランティアさん、小学生さん、その小学生のお母さん、医療関係者さんの皆さんです。
見える人の声1(60代 女性 のっぽさんの手引き)
私は小学2年の時から眼鏡をかけている。
その当時(今から約60年くらい前)は珍しくて同級生から仲間はずれにされ淋しい小学生時代を送った。
もちろん視力表文字すべてを暗記していたが先生の指す指示棒が見えなくなり断念した。
現在は強度近視眼鏡で補正して生活をしている。
晴眼者とはとても言えない立場の視力の私が「色鉛筆」を購読している。
しかし、私の見えないと思っていた世界は実は輪郭も明るさも歩く人もぼやけているが「見える世界」だった。
現在の私は、弱い視力ながらも点訳や外出時の同行援助で
少しでも視覚障害者のお役に立てればと思って活動している。
今回、改めて「色鉛筆」を読み返した。
「あるある失敗談」32号料理の事。
「お皿が置いてなくテーブルに中華の具をばらまいた」味付けを二重にしてからいサラダができたなど
見えていたら防げる失敗談だ。
それでも生活していく上で毎日の家事に携わる女性の記事だった。
ここでも自分の現状の甘さに、私はひたすら反省する。
じつは私は料理がとても苦手だ。
我が家では味付けがへたな妻よりも料理上手の夫が腕をふるってくれる。
私はそんな同居人にすっかり頼った日常を送っている。
「しっかりしなくちゃ!」自分の生きていく上での甘さに改めて気づかされる。
私には視覚障害の友人がいる。
ランチをしたりコスモス摘みや朗読会に参加して趣味を一緒に楽しんでいる。
これまでたくさんのご不便な事を経験されていることだろう。
その友人から、私は退職後の人生を積極的に生きていくエネルギーをもらっている。
友人の「人生楽しみましょう!」の明るい声に励まされている。
見える世界、見えない世界は大きな差がある。
この色鉛筆を通して、晴眼者には分からない不便さ、無念さといった視覚障害者の声が
少しでも晴眼者のこころに届けばと念じている。
見える人の声2(小学3年生男子)
ほんのりあったか外出エピソード 2(一人旅編)への感想
京都から福島まで一人旅をした人の作文を読んで、まず勇気がすごく必要だと思いました。
それは作文にも書かれていたけれどその勇気があったことがまずすごいと思いました。
それにはじめの新幹線のときは駅員さんや車内の車掌さんがしてくれたしトイレのサポートも次の新幹線の時は隣の人が話し相手もしてくれたりトイレのサポートもその人がしてくれたりしたので一人旅をした人はさぞ助かっただろうと思いました。
ハイウェイバスの時も同じで隣席の人が看護師さんだったので勇気がでてトイレの介助をお願いできたのだと思いました。
ローカル線で弁当の販売がなくなったことが分かった時は目の見えない人はどこに駅弁が売ってあるかも分からないので、すごく困っただろうと思いました。
そこにお隣のおじさんが、「一緒にお弁当を買いに行きましょう。」と言ってくださったので一人旅をした人は、すごく助かったと思いました。
一人旅をした人は、すごく感謝したいと思っていると思います。
見える人の声3(40代女性、医療関係者 見える人の声2の母)
視覚障害者や支援のことを、ほとんど何も知らない小学3年生の息子と文章を読みました。
駅では駅員さんのサポートがあること、そして車内では車掌さんに、乗換駅ではそこの駅員さんに
サポートが引き継がれることなどを補足しながら親子で文章を読みました。
息子はごく素直に、へえー、といいつつ読んでいました。
「見えない人が一人旅をすることへの勇気、また、旅の途中で色々な人の支援があることへの気づきがあり、
当事者の方が嬉しかっただろうなと思いをはせていました。
彼とそんな話ができ親としても楽しい時間でした。
見える人の声4(40代 女性 医療関係者)
子育て―相談室の生徒に教わったこと―を読んで
息子さんの子育ての経験、中学校での教育相談員をされていたときの経験を読ませていただきました。
私は眼科で勤務していますが、患者さんとして接する子どもたちの中にも、家庭生活、学校での生活、
人間関係などが大変そうな、しんどそうなケースがよくあります。
なかには、しんどい状況を頑張りすぎる、我慢しすぎるあまりに「心因性視力障害」といって、
「見えるはずなのに見えない」という症状が出ている場合があり、特に思春期にはよく見られます。
私は医療者ではありますが教育や子育てについては専門家ではありません。
私自身、中学生を筆頭に3人の子どもがいますが子育ては迷いと悩みの連続です。
学校や家庭生活に困難をかかえるような子どもたちが学校でどのように過ごしているのか、
どのように乗り越えていくのかというのは医療者として大きな疑問でした。
また、そんな子どもたちの保護者や(そう、保護者自身がしんどいことも多い)、私を含む子育てに悩む親は、どのようにあればいいのだろう、とも思っていました。
この文章は、教育の専門家と先輩ママの視点から、それらの疑問へのヒントがいっぱいに含まれていました。
じっくり待って話をきく、どんな自分でも受け入れてもらえる、必要とされていると感じられる
「居場所」であること。なるほどです。
また、相談室を巣立っていった子どもたちのエピソードが、どうしても対応を焦ってしまう親心をなだめて安心させてくれます。
そして、これって、ロービジョンケアにも通じることなのではとも思うのでした。
ついつい仕事に結びつけてしまいましたが、子育ても、仕事も、忍耐強く、と教えていただきました。
-- このメールの内容は以上です。
発行: 京都府視覚障害者協会
発行日: 2017年6月9日
☆どうもありがとうございました。