メルマガ色鉛筆第86号「未来を歩く」
タイトル 未来を歩く
メルマガ色鉛筆編集チーム
京都では毎年、白杖安全デーという催しをやっています。
その中心となる取り組みはみんなで歩くデモ行進、パレード行進です。
白い杖や盲導犬とともにみんなで歩いて視覚障害者が安全に外出することへの理解や協力を訴える、
また、サポートのお声かけに対し感謝の気持ちを伝えるということをしています。
昨秋、第50回の白杖安全デーを迎えました。
さらなる50年後の100回目の白杖安全デーについて考える時、
社会はいったいどうなっているんだろうという素朴な?マークが浮かびます。
今回は、50年後、私たちの歩く世界はどうなっているだろう?、
そんなことをテーマに歩行訓練を始めたばかりの皆さんと編集チームで思いを出し合いました。
すると、いろんな発想が出てきました。
50年後の未来を描いた3本のレポートをお届けします。
タイトル 2066年ニュース!「歩くこと大好き遺伝子発見」
ペンネーム レモンイエロー(70代 女性 弱視)
医学・生命科学の目ざましい進歩によりさまざまな病気の治療法が確立されてきました。
とりわけ、眼科系の疾病で悩み苦しむ人々はほぼ皆無となりました。
誰もが色も形も見えて、自由にどこへでも行けるのです。
しかも、携帯電話のような小型機械のボタンをポンと押すとどこへでも行けるのです。
そのため、歩く人がずいぶん少なくなってしまいました。
「これは困った」と科学者がまた悩んでいたところ、「歩くこと大好き遺伝子」が発見されたのです。
この遺伝子、それはなんと、昔眼科疾病で苦しんでいた人たちの子孫にあたる人には必ずあるのです。
この遺伝子を広め、歩く楽しさを世界中に取り戻そう!、
これが2066年の世界のスローガンです。
タイトル 想像を越える未来には、1人1人を想像する力が必要
ペンネーム アスファルトグレーに光る道(40代 女性 弱視)
50年前の先人たちは、今のこの京都を想定していただろうか?
おそらく、想定以上の社会資源の進歩なのだと思う。
今、当たり前のようにある点字ブロックも音声信号も、エスコートゾーンも
スマフォの歩行支援ナビも、
50年前にタイムスリップして思えば驚異的な魔法の道具だ。
私が子供の頃には用水路に溝ぶたなんてなかった。
それが今は京都市内であればほとんど整備され、歩いていて突然落ちるなんてこともなくなった。
もちろん今は白杖を使っているから、溝ぶたがなければその段差を杖先で見つけることはできる。
でも、弱視でありながらも情報につながる術もなく、
すり足まじりで生活していた若き日を思うと、今の道路事情は夢のように親切だ。
自転車ごと落ちた、ボールを追いかけていて落ちたなんて話を同世代の弱視仲間とよく語らうが、
今は安全になったよなと懐古することが多い。
何より全国に誇れる「お手伝いしましょうか」の声かけの広がり、心のバリアフリーの定着は、
差別や偏見に苦しめられた歴史を思うと大きな変革だと思う。
そして、50年後は想定以上のテクノロジーが人に寄りそう社会になっていると思う。
ただ、いろんな便利さもそれを得ることのできる人とできない人の格差を生み、
ハンディのある者同士の中での隔たりが大きくなっているのではないかと不安になる。
心のバリアフリーの定着も、
便利な道具があるから不自由さがあっても大丈夫だろうという思い込みを深める危険性がある。
見えない・見えにくいという大きなくくりの中だけでものごとを判断するのではなく、
それぞれの環境に左右される個別性、人の持つ力の差異があることもイメージできなくてはならないはずだ。
いつの世であっても、弱い立場の人に思いを寄せることのできる想像力豊かな心を育てることに、
不自由さを抱える私たちこそが尽力しなければならないのではないだろうか。
ハード、ソフト、そして生身の人間の心が調和しながら成長していってほしい。
数値化では解決できないもの、制度やテクノロジーの限界には人が関わらなくてはならない。
そのことにどれほど感じ入ることができるか。
あらゆるものの隙間にフィットできる想像力と行動力に
高い価値が与えられる社会になっていてほしいと祈る。
タイトル 視覚障害者が一人で安全に歩ける街づくりを、そしてすべての人が暮らしやすい街づくりを目指して
ペンネーム 電線に引っかかったパールグリーンの風船(40代 男性 光覚)
街には電子音などの音があふれており、健常者には騒音でしかなく、
音を頼りにする視覚障害者にとっても情報が見つけにくい。
必要な情報を発信して、使用者は100円ライターぐらいの大きさの受信機を持ち歩き、
そこから流れる情報を聞き取ることのできる街がつくれないだろうか。
信号機に近づくと、その受信機につながったイヤフォンからは「千本北大路交差点千本通側が青です」と聞こえてきて、
どちらの信号機が青なのかを教えてくれる。
バス停に近づくと「近くに金閣寺方面行き千本北大路のバス停があります」と教えてくれるし、
「205系統北野白梅町方面行きのバスが来ます」とバスが来たことも教えてくれる。
現在の音声信号やバス停などの音声サインはありがたいが、
近隣住民の承認を得るのは容易ではなく、思った以上に広がっていないと感じる。
設置されたとしても時間帯の制約はある。
誰もが安心して暮らしていくためには、障害による困難の特性や
障害の有無を越えてどのように共生できるかを考えなくてはならない。
情報を必要とする人が主体的に負担なく視覚情報を得ることができるのが、
この小さな受信機だ。
駅ホーム上では、危険なエリアに近づくと「ビッビッ、近づくな!危険!」と警告音が響く。
ホーム先端の点字ブロック付近では、「停止線に近づいています」と教えてくれる。
停止線に到着すると、「ビッビッ、停止線です。お待ちください」と教えてくれる。
最近、駅のホームから転落する事故のニュースをよく耳にするが、
こんなふうに警告音や注意情報などを受け取ることができると事故を未然に防ぐことができると考える。
駅のターミナルなどでは、改札の場所や何番線にはどこ行きの電車が到着するなどの情報が提供される。
ホーム上では、自分がいる位置に対応する電車の号車番号や扉番号を知ることができる。
ハイブリッド車については、低速で運転している場合は特別な音が鳴るように法整備されるようだ。
このような場合にも、この受信機につながったイヤフォンから「低速車が後方から近づきます」とか、
「前方のアイドリング中のトラックに近づいています」というような情報を受け取ることができる。
このような使い方以外に、パーソナルなカスタマイズもできるシステムが入るとうれしい。
例えば、友達が近づくと「鳥居さんがそばにいます」と教えてくれる友達登録認識機能は、
視覚障害者同士の待ち合わせにも便利そうだ。
徐々にだが、映画配給会社とスマートフォンとの連携により視覚障害者でも楽しめるシステムが構築されつつある。
同じようにテレビの副音声を受信機が受信できれば、副音声の必要がない人とも一緒にテレビを楽しめる。
公共機関のスポットに近づくと日常生活情報などを聞くことができ、
設定により日々に必要な情報を聞くことができる。
デパートに着くと、各ショップの情報や行きたい場所に行くための案内を聞くことができる。
食堂街では店の情報を聞くことができ、店に入るとその店のメニューやおすすめを案内してくれる。
最近はアイフォンでも非接触の支払いが可能になり、視覚障害者にも広がりを見せている。
スマートフォンと受信機を連携して無料乗車などのサービスを提供したり、
緊急時に位置情報なども含めて送信を可能にする。
情報発信はもちろんのこと、情報収集にも対応して安全な街を創造することを目指す。
このような機能を備えることにより、健常者に対しての騒音を軽減することができる。
また、視覚障害者だけでなく、一人での外出に困難を抱える人に、一人で外出できるようなサービスを提供することができる。
まずは、2020年の東京オリンピック・パラリンピックで会場周辺から提供を開始することができるであろう。
大阪が立候補している2025年の万博のテーマにある高齢者サポートにも使えないだろうか。
5大都市を皮切りに、政令都市、県庁所在地に続き、
携帯電話のカバー率と同じぐらいのエリアをサポートするように成長してほしい。
日本語だけではなく、複数の言語で提供すれば外国人観光客にも喜ばれ、
「観光立国・日本」にも一歩近づけると思う。
日本だけではなく、世界にも広がることを夢見ている。
視覚障害者にとっても全世界レベルでのバリアフリーが誕生する。
そのような世界ができあがると、視覚障害者一人での海外旅行もずっと容易になるかもしれない。
書いているうちに私の思い(夢)はどんどんふくらんだ。
静かな街なみと障害者や高齢者が活躍できる街づくりが整っている、そんな50年後を心より願う。
編集後記
50年後を考えて、文章にして、それを読者のみなさんと共有させてもらいました。
50年後ですから、今は存在していないフィクションの世界です。
フィクションのよさを感じてもらえたらと思っています。
「書いているうちに思いはどんどんふくらんだ」と、パールグリーンの風船さんがおっしゃっています。
ふくらみのあるものを、私たちは「豊かなもの」と感じます。
これからも、よいものを見つけたらていねいに一つずつつめていって、未来をふくらませたいですね。
-- このメールの内容は以上です。
発行: 京都府視覚障害者協会
発行日: 2017年1月20日
☆どうもありがとうございました。