メルマガ色鉛筆第83号「父が残してくれたもの」
タイトル 「父が残してくれたもの」
ペンネーム イエローモンキーマジック(50代 男性 弱視)
レポートの要旨です。
自分の障害について心の整理をつける、それは簡単なことではありません。
障害により変わりゆく人生、けれど、父の背中はいつも私の前にありました。
亡き父が残してくれた言葉の意味を、見えていた時の自分、見えにくい今の自
分を通じて問いかけてみました。
ここから本文です。
「負けるのはつまらん」、「何でも勝たないと意味がない」、子供の頃、父親
からよくそう言われていた。
人生は勝つか負けるかのどちらかであると、私は信じて生きてきた。
勉強では人より1点でも上を取ることを、スポーツでは人より1歩でも前へ出
ることを目指してきた。
運動会で、自分より背の高い同級生と対戦する時は特に燃えた。
体中からアドレナリンが出るのを感じ、わくわくした。
人に隙を見せることもなく、どうすれば人より抜きん出ることができるかを常
に考えていた。
結果に決して満足することなく、常に高みを目指し、終わることのない欲求を満
たすために何事にも挑戦してきた。
人に頼る人は自分に自信のない人、だから、人に頼るくらいなら何もしないでい
るほうが良いとさえ思っていた。
道が厳しくても結果が悪くても構わなかった。
私は10年前に視覚障害者となった。
だんだんできないことが増えていった。
車の運転、原付きバイクの運転、ついには自転車に乗ることもできなくなった。
ちょうどその頃、父親が脳卒中で倒れて半身不随になり、認知症を発症した。
そのため、父親は私が視覚障害者になったことも手術したことも知らずに亡くな
った。
人生の負け組になったと認めることになる、そんな気がして目のことを父には言
えなかった。
私自身、心の整理などついているわけもない、視覚障害を受け入れることが怖か
った。
父親は、私にとってはいつまでたっても越えられない、絶対的な存在だ。
その父親が亡くなり、
今までできていたことがだんだんできなくなってきた頃から自分の中で何かが変
わってきた。
人生は本当に勝ち負けだけなんだろうか。
勝ち負けなんかないんじゃないだろうか。
自分が選択した道の上に失敗や間違いなんかないんじゃないだろうか。
そもそも今まで勝ってきたのか。
そう思い込もうとしているだけじゃないだろうか。
そう考えるようになってからは、勝つことより進んで、負けることのほうが楽し
くなってきた。
今では、どれだけ負けられるかを試すようになっている。
昔の私は、急いでいるわけでもないのにただひたすらに前の人を追い抜かしな
がら歩いていた。
今は、対面で向かってくる人には端に寄って道を譲り、
スーパーのレジや電車の列などに横から割り込まれても「どうぞ」と思えるよう
になってきた。
そうすると不思議なもので、心に余裕が生まれてきた。
父親が言っていたことは、力や目に見える表面的な勝つということではなく、
こういうことだったのかもしれない。
今、私は京都ライトハウス・生活訓練部で音声パソコンと点字を学んでいる。
音声パソコンでは、メール、ネット検索、Wordでの文書作成、Excelでの関数式
活用などにトライしている。
点字が駅の券売機、エレベーター等で使われているのは知っていたが、
点字図書があることなど思いもつかなかった。
指でスラスラと点字を読む友人を見て私も読んでみたいと思い、コツコツと点字
触読に取り組んでいる。
人生の負け組になったという考えは、今は全くなくなった。
それどころか、晴眼者では考えもつかなかった音声パソコンと点字を習うことに
よって、
晴眼者の人生と視覚障害者の人生の2つの人生を味わっている。
視覚に頼ることが難しくても、音声パソコンによって聴覚で理解することができ、
点字によって触覚で理解することができることを心から嬉しく思う。
私が晴眼者だったらこの感覚に出会うことはなかっただろう。
こう思えるようになったのは、仲間やサポートしてくれる人に出会うことがで
きたからだ。
中途障害になっても継続雇用で頑張っている仲間から特に大きな力をもらった。
音声パソコンや拡大読書器を導入してもらい、フロア内に点字ブロックを敷いて
もらうなど、
自分たちの働きやすい環境を自分たちで切り開き頑張っている仲間がいるのだ。
今後、人生の折り返し地点を過ぎた私は、新卒の若者の就職相談や悩みを傾聴
できればと思う。
役に立つようなことはできないかもしれないが、せめて笑ってほっとする気分に
なってもらえたら嬉しい。
自分1人で考えているとどうしても行きづまってしまうけれど、
その時誰かが話を聴くだけでも心が落ち着き気持ちがほっとするかもしれない。
私も、仲間と話すことによって心に刺さったとげがぽろっと抜け落ちる時があ
る。
いつか私も人の心のとげが抜けるような存在になりたい。
「視覚障害は小さいこと」と言った人がいる。
視覚障害は大したことではないということだ。
私はこの話を聞いて人が人を包み込む愛情を感じ、心が温かくなった。
父が私に残したものは、
「目に見えることは全て小さいことであり、目に見えないものの中にこそ価値が
ある」ということだったのではないかと、
今思う。
これからも父の背中を思い、勝つということの真の意味を、
私は見えにくい自分として生きる中で問い続けていきたい。
編集後記
勝つことによって得るものがあり、豊かさがあります。
負けることによって失うものがあり、その一方で、負けることによって得るもの、
豊かさもまたあります。
そのようなことを自分の体験から知ったイエローモンキーマジックさんのことば
は力強く感じられます。
そして、お父様を敬愛してられ、
進むべき道を見い出してられることがイエローモンキーマジックさんの中心、心
の真ん中にあるのですね。
レポートを読みながらそれらのことに思いを巡らせるとき、
視覚障害がどれくらい大きなことか、みなさん、どう感じられるでしょうか?
-- このメールの内容は以上です。
発行: 京都府視覚障害者協会
発行日: 2016年12月2日
☆どうもありがとうございました。