メルマガ色鉛筆第82号「弱視あるあるを共有する」シリーズ第6弾「見えにくさはあるけれど、私は1人じゃないから」

「弱視あるあるを共有する」シリーズ第6弾
タイトル 「見えにくさはあるけれど、私は1人じゃないから」
メルマガ色鉛筆編集チーム
 メルマガ色鉛筆編集チームです。
 「弱視あるあるを共有する」シリーズ第6弾は、30代の女性お2人の登場で
す。
徐々に見えにくくなった語り手さんと突然見えにくくなった聴き手さん、
働く弱視ママさんの講演を聴いたお2人、それぞれの心に刻まれた思いとは・・
・。
★語り手さん
ペンネーム スカイブルー晴れのち晴れ(30代 女性 弱視)
 私は専業主婦で、5歳と2歳の男の子のママです。
私の現在の見え方は、視力が右0.1で左は手動弁、視野は右5度以下で左はゼ
ロです。
 スマホは拡大で、白黒反転するときとしないとき、両方あります。
かなり拡大しながらですが、操作は晴眼の人と変わらなくできているかなと思い
ます。
 枠の中にきれいにおさめて書くとかは苦手で、薄くて細かい字が見えないので、
市役所などでは代筆をお願いするときもあります。
 27歳のとき、色変であることがわかりました。
最初は左も狭いながら見えていたので、右と左の見え方が違うなぁという感覚は
ありましたが、
徐々に進行していって左は見えなくなり、右もかなり狭くなっていっています。
 子どもやいろんなものにぶつかるとき、ものを探せないとき、どこに渡してく
れているかわからないとき、
洗剤・米の水加減など液体の量がわからないとき、買い物するときなど、見えに
くさを痛感します。
市バスでおじさんのひざに座ってしまったこともあります。
白杖を持っていたから、見えていないことがわかってもらえてよかったです。
見えていたり見えなかったり、その日の見え方、天気によっても違うし、
バスや電車で空いている席を見つけるのは難しいです。
 先日、子育てとお仕事を両立されている弱視ママの講演を聴きました。
彼女とは、見えない・見えにくいパパママの子育て会で出会いました。
私と同じように2人の子どもを持つ色変ママです。
その2人の子どもがそれぞれに私の2人の子どもと1歳違いということで意気投
合し、
お互いの家を行き来するほど親子そろって仲良くさせてもらっています。
 私は、結婚してすぐ色変だとわかりました。
病気についての不安はあるけれど、やっぱり子どもが欲しい。
でも、なかなか授からないなど、壁にぶち当たりまくりの20代後半でした。
 そんな中、鍼灸の勉強のため視力障害者センターに通い、2年目に妊娠しまし
た。
そのときは子どもができた喜びが大きく、資格より子育てを優先し、勉強は中断
して退学しました。
でも、子どもが成長するにつれて、
「あと1年で資格が取れたのにもったいないことしたかな。休学して復学したほ
うがよかったかな?」と考えるようにもなりました。
晴眼の友達も仕事と子育てを両立している人ばかりなので、
下の子の手が離れたら私はポカーンと取り残されてしまいそうです。
 彼女のように勤務体系を変えながらも仕事をずっと誇りを持って続けられてる
のって本当にカッコよく、
心から尊敬します。
「普通に見えていても子育てと仕事の両立は大変なのに、なんでそんなにがんば
れるの?」と彼女に聞きました。
「専業主婦だってずっと子どもと向かい合って大変やん」と笑顔で答えてくれま
した。
講演の中で、
彼女が「世の中で一番大変な仕事は、未来を担う子どもを育てるお母さんの仕事
だと思います。だから子育てが一番大事」と話してくれていて、
ほんとにうれしく思いました。
 子どもは成長し、いつか私は子離れしなきゃいけないときがやってきます。
彼女のようにはいきませんが、いつか私も社会貢献できる何かを見つけたいな、
準備しなきゃと思いました。
 見えない・見えにくいママさんと出会ったことで、私は勇気とパワーをもらっ
ています。
私は1人じゃない、見えなくても見えにくくてもみんな子育てがんばっておられ
るんだなってことを感じます。
彼女と出会えたこと、見えない・見えにくいパパママの子育て会があることに心
から感謝です。
★聴き手さん
ペンネーム ブルーホール(30代 女性 弱視)
 私は、約6年前から視覚障害を持つようになりました。
現在の視力は、両目とも0.04程度です。
この6年間、視力はほぼ変わっていません。
 パソコンのフォントサイズは48ポイントくらい、
子どもの連絡帳や学校からのお手紙などは拡大読書器を使用してなんとか確認で
きています。
また、アイパッドの拡大でネットを見たりラインをしたりしています。
 私は、以前は小学校で教師をしていました。
仕事が大好きで、土日も学校に行って仕事をしているほどでした。
 8年前に妊娠がわかり、産休育休に入り、すぐに復帰するつもりでした。
 子どもが1歳3か月のころ、朝目覚めると目がほとんど見えなくなっていまし
た。
あまりに突然のことでうつ状態になり、
子どもを主人の実家に預け、誰にも会わない日々がしばらく続きました。
 でも、病気になって初めて家族、友達に支えてもらっていることを強く感じ、
少しずつ前を向いて歩けるようになりました。
今では子どもも8歳、私のことを助けてくれます。
歩くときは自分が車道側を歩き、見るものは形と色を詳しく教えてくれます。
 そんなふうに私を支えてくれる娘なのですが、なにせ女同士、朝から晩まで2
人っきりになると大変です。
私のイライラからついひどいことを言ってしまうこともあり、反省する毎日です。
 私が子どもにすごく怒っているところをどこかで友達に目撃されていて、
「この前、○○でめちゃ怒ってたなあ。怖くて声かけられへんかったわ」と言わ
れることもしばしばです。
私は口が悪いので、周りから見ると勢いがすごいんだと思います。
気をつけないといけませんね、反省です。
 見えなくなって失ったものは多いけど、大事なものに気づかされ、生きていま
す。
 先日、仕事と子育てを両立されている弱視のママのお話を聴く機会がありまし
た。
彼女の笑顔はとても印象的で、素敵な人だと感じました。
仕事上の失敗談も明るく話されていて、聴いているほうも笑えるほどでした。
私はマイナス思考なので、どんな失敗も笑って話すことができる彼女がとてもう
らやましく思えました。
 彼女は見えにくくなっても自分の働きたい場所で自分のやりたい仕事をしてい
て、
そのことを「いいなあ、すごいなあ」と思うと同時に、
仕事を辞めてしまったことを強く後悔してつらい気持ちにもなりました。
 「一番大事な仕事は子どもを育てることだと思う」という彼女の言葉が私の心
に残りました。
私はそれを聞いて、教師としての自分と母としての自分とをやっていけるのか不
安になりました。
同時に彼女のようなカッコいい人間になりたいと感じたし、
失敗してもいいんだと彼女に教えられた気がします。
 いろいろな方のお話を聞くと葛藤してつらくなることもありますが、
やっぱり私は教師としての人生をあきらめたくないと、いつも思います。
今8歳の娘は、先生をしている私の声をおなかの中で聞き、そして生まれてきて
くれました。
もう一度、カッコいいママの私を娘に見せたい。
そのためには、まず日々の家事を笑顔でこなしていくことかなあ・・・と思って
います。
 子どもが大きくなるにつれて自分だけが取り残されるかもしれないという不安、
そんな語り手さんの気持ちに私は深く共感しました。
子どもを出産するまで仕事ばかりだった私なので、
子どもが成長するにつれて自分が必要とされなくなるかもしれないという不安が
大きくなる気がするのです。
でも、今回、同じ気持ちでいるママさんたちがいらっしゃることを知り、ホッと
できた気がします。
 私も語り手さんのように、これから将来に向けて資格取得をしようと考えてい
ます。
壁にぶち当たったとき、つらくなったとき、「1人じゃないんだ」ということを
思い出そう。
そんなふうに共感できたことをとても心強く思います。
編集後記
 語り手のスカイブルー晴れのち晴れさん、聴き手のブルーホールさん、
そしてレポートにある講演の話し手のママさんも、自分に正直な姿勢をお持ちで
すよね。
そこで心に響き合うものが生じているように思います。
また、自分に正直なこと、素直でいることが大切に思えてきます。
子育ての中で、そんな正直さ、素直さがお子さんにも受け継がれて育まれていく
のではないでしょうか。
 揺れることもあります。
正直でいられない、素直でいられないときも。
でもまたそこに戻ってくる、そんな力を感じました。
 半年にわたり、弱視あるあるを共有するシリーズをお届けしてきました。
語り手さんと聴き手さん12名のエピソードには、
共感、応援、願いなど、「語り聴く」ならではの心の対話がありました。
見えにくいという共通のしんどさはあっても、見え方はさまざま、困りごともさ
まざま。
ちょっとちがう、でもわかる、そんなあるがままを共有することができました。
 弱視あるあるシリーズは今回で一区切りとなりますが、
いろんなテーマでの「あるある」をまたいつか皆さんと共有していきたいと思い
ます。
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2016年11月18日
☆どうもありがとうございました。


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