メルマガ色鉛筆第79号「弱視あるあるを共有する」シリーズ第5弾「見え方、見えにくさを説明するのって難しい」
「弱視あるあるを共有する」シリーズ第5弾
タイトル 「見え方、見えにくさを説明するのって難しい」
メルマガ色鉛筆編集チーム
メルマガ色鉛筆編集チームです。
弱視あるあるを共有する第5弾は、視野障害による見えにくさを感じておられ
るお2人の登場です。
語り手さんは中心狭窄で周囲が見えにくく、聴き手さんは中心暗点なので読み書
きが困難です。
弱視、見えにくい、視野が欠けているといってもさまざま、なんとかなること
と困ることにも違いがありますね。
「ここは見えてはいるんだけど」、「これまでは見えてはいたんだけど」という
思いを、
20代と60代の女性、先輩・後輩コンビが語ります。
★語り手さん
ペンネーム マシュマロクリーム(20代 女性 弱視)
私は小学6年生の頃に、暗いところが人より見えにくいのではないかと母から
言われました。
病院で診断を受けてから見えにくさを認識するようになりました。
今の視力は、矯正で両眼とも0.5か0.6程度です。
視野度数は不明ですが、下方が見えにくく、点々と欠けています。
パソコンの配色は初期設定のまま利用しています。
マウスのポインタは、作業画面が白い場合が多いので特大の黒に設定しています
が、
字の大きさは、初期設定の10.5ポイントを変更せずに使っています。
目の病気を自覚するようになってからは、何が見えていないのかがわかるよう
になりました。
でも、見え方にどのような変化があったのかははっきりわかりません。
不意に渡されたものの大きさや距離感をとらえるのは難しいですね。
誰がどの方向から何を渡してくれたのかをすぐに見きわめることができないので、
受け取ってもお礼を言うタイミングを逃してしまうことがあります。
そんなときに見えにくさを感じます。
教室やお店などで人がいないことを確認して座ったのに、
荷物を置いて席をはずしているだけの状況だったり、
すごく汚れている場所に気づかず、私物を置いて汚してしまったりという失敗が
多くあります。
また、人とぶつからないようにするのに必死で、
前から知り合いが手を振って近づいてきても無反応で通り過ぎてしまいます。
そんな場面でも声を出してあいさつしてくれる人はいますが、
そうでない人は、自分が私に無視されたと思っているんだろうなと感じます。
普通に歩く際はあまり不便を感じずに過ごしていても、
見えていると思って行動しているときに自分の見えてなさを感じると、
すごく落胆してしまいます。
同じような場面でも見えるときと見えないときがあるので、
周りの人にどう説明したらよいのか、いつも悩みます。
全盲や重度弱視、先天弱視の方はお互いに頻繁に声をかけ合ってらっしゃる印
象が強いです。
誰がどこにいるかの手がかりは音がすごく重要なのだと感じています。
人に道を聞くとき、ジェスチャーやわかりづらい方向の指示が多くて、
聞き直してもわかりにくい場合は理解したふりをしてその場を離れることがあり
ます。
それでも、やっぱりわからなければ他の人に聞くということは多々あります。
落とし物をしたり探し物をしたりしていて、
どうしてもそれが必要なときは一緒に探してもらい、
代用できるものがあったり時間に余裕があったりするときなどはお願いするのは
あきらめています。
いつ目が見えなくなるかわからないという不安はありますが、
私よりも見えづらい方の経験談を聞いていると暗くなるような思いはありません。
弱視で働いておられる方は私と同じような悩みがあり、
それぞれに工夫してらっしゃるお話を聞くと自分も頑張ろうという気になります。
将来は、自分の得意なことも苦手なことも、
自分らしいと楽しめるような余裕のある大人になっていたいです。
★聴き手さん
ペンネーム ちょっとビターなショコラ(60代 女性 弱視)
私は、37歳のときに網膜色素変性症との診断を受けました。
進行性の病気で治療法もなく、
将来失明することもあるという宣告は結構重いものでした。
けれど、仕事も日常生活も普通にこなせていたので、
自分でも意外なくらい冷静に受けとめることができました。
見えにくいという自覚もあまりなかったからかな?
それから20数年、ゆっくりと進行してきました。
自分の見え方、見えにくさを説明するのって難しいですよね。
中心暗点なので、読み書きには一番苦労します。
パソコンは、白黒反転画面でなんとか文字は見えるけど、
見えてる範囲がほんの少しなので長い文章を追うことはしんどいです。
90パーセントは音声が頼りで、ほんの少し目で補ってる感じです。
周りの視野は少し残っているけれど、全体に薄くもやがかかっていて、
明るさや天候、季節、体調などによってすごく見えてるような気がするときもあ
れば、
深い霧の中に迷い込んだみたいに見えて不安になるときもあります。
1年ほど前から、歩行の際は白杖を使っています。
最近、バスでよく席を替わっていただくのですが、お礼を言おうと思ってもそ
の方がどこにおられるのかわからないので、
とりあえずこっちかなと思うほうに向かって「ありがとうございます」と大きな
声で言うようにしています。
目の前にあるものがわからなくて探し回ったり、お茶をテーブルに注いでしまう
なんてしょっちゅうです。
ちょっと見えているというのが曲者で、
その不確かで当てにならない目を頼ってしまっての失敗も多いです。
下り階段で、「見えてる、大丈夫!」と颯爽と下りていって、
最後の1段を踏みはずすこともしばしば。
見栄を張ってもだめですね。
やっぱり白杖をちゃんと使わなくてはね、反省です。
マシュマロクリームさんが感じておられるとおり、
視覚障害者がたくさんいる場所ではお互いに声をかけ合うことが多いですね。
自分から声を出さないと周りに自分の位置を伝えられないし、
相手の声がないとどこに誰がいるのかもわかりません。
それにしても、最近は音声機器などが発達したおかげでずいぶん便利になりま
したね。
キー操作でパソコンを使い始めた頃は、
スクリーンリーダーが何を言っているのか、まったく聞き取れませんでしたが、
今では結構音声スピードを上げても聞き取れるようになりました。
私、いつの間にかなんでも音で判断するようになってたんです。
今まで耳の機能を使っていなかったんだなぁ、これ、実感です。
また、点字を習ったおかげか、指先の感覚が鋭くなったように感じます。
折り紙も得意なんですよ。
ウサギ、犬、猫、カニ、セミ、モミジ、ツバキ、サンタさんなど、慣れれば結構
なんでも折れます。
3センチ角くらいの折り紙を使うこともあるんですよ。
それと、私はにおい(嗅覚)も駆使しています。
食べ物だけでなく、衣類などなんでもかんでもクンクンするので、家族にちょっ
と嫌がられてるかも・・・。
とにかく、使える感覚はなんでも使おうって感じです。
見えにくさを抱えながら働くのってしんどいですよね。
私は、45歳くらいまでは日常生活にそれほど不自由を感じずに生活していまし
た。
とはいうものの、細かい文字や数字が見づらかったり、薄い色が見分けられなく
なってきて、
仕事の面で少しずつ支障が出始めてきたんです。
自分が目の病気で見えにくいことを職場の誰にも言えず、
ひたすら見えてるふりをしてごまかしていました。
見えないことが周りの人に知れたら仕事を失うのではと不安だったんです。
それに、見えないことがなんだか恥ずかしいことのように思えたんです。
考えてみれば、周りの人にちゃんと話して助けてもらうこともできたんですよ
ね。
これも今だから言えることなんですけど、その頃の私にはできませんでした。
今は白杖を持っているので、言わなくても視覚障害者であることは他の人にわ
かると思うんですが、
白杖を持っている人はすべて全盲と思っている人がまだまだ多いので、そこはち
ょっと困ったものです。
白杖を持つ前は、
自分がロービジョンであることや自分の見えにくさを周りの人にどう説明したら
いいのかわからずに悩みました。
打ち明けたときの人々の反応も心配でした。
変な目で見られるのではとか、同情されるのではとか、
マイナスのことばかり考えてなかなか言い出せませんでした。
でも、話してみたらみんなすぐに理解してくれたし、助けてもくれました。
みんな優しかったんですよね。
もっと早く話していたら自分ももっと楽になれたかもしれないし、
もっといろんなことができたかもしれないとちょっと後悔しています。
普段は見えにくくても楽しく生活しているつもりですが、
お気に入りの風景や大好きな人の笑顔やとってもらった写真が見えないときは悲
しい気持ちになります。
張り切っておしゃれして流行の口紅を塗っても鏡の中の自分の顔が見えないなん
て、ちょっとがっかりです。
だんだん見えにくくなっていくんだなって考えるとすごく不安になりますよね。
マシュマロクリームさんの気持ち、わかります。
私も、これからどうしたらいいんだろうと1人で悩んだ時期もありました。
でも、たくさんの見えない、見えにくい仲間との出会いが私を変えてくれました。
見えない、見えにくい仲間どうしだからこそ共感できることがあるし、
失敗談だって笑いとばせるようになりました。
そして、いつもみんなニコニコ、自然体なんですよね。
見えないところで努力されたり、悲しんだり苦しんだりと、きっとつらいことも
いっぱいあったことでしょう。
その優しい笑顔の下には強い心が隠されているのかもしれません。
そんな先輩方を見ていると前向きな気持ちになれますね。
私も、そんなふうに自然体で生きたいなと思っています。
仲間との出会いを重ねる中で最近思うことがあります。
「見えないからできない、無理と言う前にまずやってみよう!それでだめなら、
そのときまた考えればいい」ということです。
若いマシュマロクリームさんには可能性やチャンスがいっぱいあると思います。
頑張りすぎず、自分らしく、自然体で歩んでいってほしいな。
そして、夢は大きく持ってね!
マシュマロクリームさんの素直な心と前向きな姿勢がとっても素敵です。
私も負けずに、いつまでもきらきら輝いていたいな。
編集後記
「できるときもあればできないときもある」という場合、
「さあ、これはどっちだろう」という判断がしばしば求められますが、
常に正解を出すのはむずかしいことです。
また、自分の見え方ややり方を人に説明するというのもかんたんなことではあり
ませんが、
ロービジョンの方には特にそのむずかしさがあります。
そして、うまくいかないときは気持ちが落ち込みます。
ですが、それが仲間と話して失敗談になり、そしたら笑いとばせるようになる。
何度考えても、これはふしぎな力だと思います。
弱視あるあるシリーズをはじめ、メルマガ色鉛筆も、
何度でも元気づけてくれる、そんなふしぎな力とともにありたいと思います。
マシュマロクリームさんもちょっとビターなショコラさんも、またいろんなこ
とを聞かせてほしいと思います。
-- このメールの内容は以上です。
発行: 京都府視覚障害者協会
発行日: 2016年10月21日
☆どうもありがとうございました。