メルマガ色鉛筆第75号「弱視あるあるを共有する」シリーズ第3弾「見えにくいってあれこれ微妙」

「弱視あるあるを共有する」シリーズ第3弾「見えにくいってあれこれ微妙」
タイトル 「見えにくいってあれこれ微妙」
色鉛筆編集チーム
 こんにちは。
メルマガ色鉛筆編集チームです。
 今回の色鉛筆は、「弱視あるあるを共有する」シリーズ第3弾です。
語り手さん30代女性と、かつて語り手さんと同じような見え方だった聴き手さん40代女性、
2人のあるあるトークをどうぞ。
★語り手さん
ペンネーム マンゴーイエロー(30代 女性 弱視)
 私の視力は0.1、視野は中心狭窄で5度弱です。
家の中では特に不便は感じないけれど、まぶしいのが苦手なのでとにかく外出が困ります。
たそがれどきはスタスタ歩けますが、昼間は恐る恐る歩いています。
 見えにくいことが起因の困りごとやハプニングはあれこれあります。
トイレの男女のマークっていろいろありますよね。
おしゃれすぎてどっちが男?女?がわかりにくいデザインのプレートを前に立ち往生するなんてこともあります。
トイレの入り口の前でうろうろしていたら、後ろから来たおじさんに「どっちやねん」とツッコミを入れられました。
私はトイレに入るおじさんを見て、その反対側に入りました。
 カラオケボックスの受付で、お部屋が空くのを友人と待っていた時、
スタンドタイプの灰皿があることに気付かず思いっきり蹴とばしてしまいました。
視野に入らないものは何もわかりませんから。
私がイライラして蹴ったように見られたようで、
若いお兄さんに「荒れてるねー」と言われ、とても恥ずかしかったです。
私は、片付けに駆けつけた店員さんにひたすら謝りました。
 私はまぁまぁ見えているから、周囲の目が気になり白杖を持つことに踏み切れずにいます。
なので、よくこういう事態に遭遇するんですよね。
 まぁまぁ見えてる私は必要以上に人目を気にしたり、
気を遣いすぎて助けを求められなかったりします。
全盲の方が周囲の手を借りて一人旅を楽しんでおられる話を聞くことがあります。
全盲の方のほうが私なんかよりよほどアクティブに活動されていて、羨ましく感じることがあります。
知らないところを1人で旅するなんて、私にはとても無理ですもの。
 見えているふりは、幼い時から日常的にしています。
「あ、虹!」と言われれば「わぁ、きれい!」、
「あれ、かわいいー」と言われれば「本当だ、かわいいね!」。
ママになった今でも、息子が「あ、飛行機!」と言うと、
「あ、ほんとだ!」と条件反射で言ってしまいます。
この悪気のないウソ、息子には遅かれ早かれバレるんだろうな。
 見えてないのに適当にリアクションして微妙な空気になるなんてこともあります。
前から歩いてきた人に「わぁ、久しぶり!」と言われ、心当たりはないけれど、
こっちを向いて言われているので「久しぶり!」と元気に笑顔で答えたら、
後ろでも「久しぶり!」の声。
私ではなかったらしく、とても恥ずかしかったです。
さすがに目線までは見えませんから。
 今では、そういう怪しいシチュエーションの時は微笑んで会釈して、
万一自分じゃなくてもさほど傷つかない程度のリアクションに留めています。
とはいうものの、私の年齢も根性もおばちゃんに近づいてきているからか、
以前に比べれば随分素直に「見えないので」と助けを求められるようになりました。
 「あ、この人、目が悪いんだ。どうしよう」と周囲がザワザワする感じがまだまだ苦手なんですよね。
だから、サポートをお願いすること自体、諦めてしまうことも多いです。
「人が何を思おうが気にしない。私は私」と、
鉄の女になるにはまだ時間がかかりそうです。
 普通校で育った私は、見えていないことを周囲に悟られないように、
「フツウ」に溶け込むことが学生生活の最大のテーマでした。
「見えないからできない」、「見えないから助けて」と誰にも言えなかったんです。
 大学生の頃、当事者団体やきららの会で初めて自分以外の弱視の仲間と知り合えました。
きららの会では、同世代の仲間と見えないことを見えないと素直に言い合え、笑い合えました。
それまで抱えていた重たい荷物をそっと下ろすことができ、心が軽くなり、強くなれました。
このつながりは、今でも私にとってなくてはならない心の支えとなっています。
★聴き手さん
ペンネーム ラベンダー(40代 女性 弱視)
 私の見え方は左0.03、右手動弁です。
視野検査ではよほど強い光なら見えるけど、それもほぼ中心でしか見えません。
昼間の白線は見えるし、ものの形もシルエットなら見えます。
中心狭窄だけど、白濁した視界なので、なんだかいつも白いフィルターを通してものを見ている気分です。
 パソコンの画面は白黒反転で、
エクセルだと400%拡大でカーソルの位置を確かめることができるけど、文字は無理して見ないことにしています。
音声だけでやるほうが楽なので。
 白杖を使っていると何も見てないと思われるかもしれないけど、
うっすらとでも見えてる部分が助けになっているので、夜のほうが疲れます。
 最近のトイレのマーク、確かに難しいですよね。
たまたまシルバーっぽいプレートが見えて、
どうも逆三角形っぽい形に見えたりしたらここは男?となりますが、
その見えてるつもりの形が私の視力ではかなり怪しいのでプレートに触ってみたりするんです。
でも、トイレ前でプレートをスリスリ触るなんて、ものすごく怪しい人ですよね。
人の気配を感じたらキョロキョロと困ったちゃんをアピールして、
声をかけてもらうのを待つ私です。
最近では音声案内で男女の入り口の区別ができるトイレもあり、ありがたいです。
 今は私の定番アイテムの白杖ですが、
実は白杖なんて持つのは死ぬほどいやだって抵抗していたんですよ。
30代前半まで、視野が大きく欠けていたものの視力両目0.1だった私は、
当然あちこちでものを倒して人に迷惑をかけたり、誤解されたりしていました。
「いきなり何するねん」という変な行動をとっていたと思います。
薄暗いところや階段では男の子の腕をつかんで甘えてたので、
「こいつ俺に気がある?」と勝手にいい気になられてたこともありました。
「どう思われようが、こけて恥をかくよりいいや」って開きなおっていましたけどね。
 見えにくい時より、随分見えてない今のほうが確かにアクティブかもしれません。
でも、見えにくい時にできたアクティブと今のアクティブは少し違うジャンルの動きに思えます。
見えているふりしてみんなと同じを体感したい、それに必死だった時こそできた冒険はありました。
酔っぱらってハイヒールで繁華街を走り回ってたなんて、今思えば自殺行為ですよね。
白杖で走ることはないけど、今でも5センチパンプスは毎日履いてるし、階段下りるのは今のほうが速いかも。
 息子の指差す飛行機、私も「そうだね」と返事していましたよ。
エンジン音が聞こえたら、見えてるふりではないと思います。
見えるだけがわかる手段じゃない。
見えるものの形を息子から聞いて飛行機だと自分がわかったら、それは自分も見えているのと同じだから。
見えているふりをするママの気持ちは、きっと我が子には伝わるはず。
だってほんまは、今いるこの世界を我が子と一緒に見たいよね。
それはママだからこそ願うまっすぐな気持ちやもんね。
 「この人、見えない人なんや」というザワザワ感、白杖を持ってサポートをお願いしていてもありますよ。
1人であちこち行く私ですが、いつまでたってもこの微妙な空気はやっぱりしんどいですよ。
それに慣れることがおばちゃん道を究めることになるのかも、鉄の女への道遠しです。
 「重たい荷物をそっと下ろし、心が軽くなって強くなれる」、私もそうでした。
私も普通校でしたので見えにくいのは自分1人、
助けを求めることもせず、とにかく根性あるのみでした。
心の支えとなる仲間とのつながり、それは私の人生にとってなくてはならないものです。
このご縁もその一つ、「わかるわかる」を伝えられる時間に感謝です。
編集後記
 自分のせいで流れが止まるとか、流れが変わるとか、そんなことはしたくない。
それだけでもいやなのに、そうなったら見えにくいという自分の「弱点」に人々の注目が集まる。
こういうことであれば、大丈夫なふりはとても重要、必要不可欠だと思います。
そうするしかありません。
 そしてそこに、泣ける面、笑える面、弱い面、強い面、強がりな面、正直な面、美しい面、
まだまだいろんな面を、読んで感じてもらえるのではないかと思っています。
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2016年8月19日
☆どうもありがとうございました。
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