メルマガ色鉛筆第74号「立ち食い寿司屋  メルマガ色鉛筆編集チームです」

 メルマガ色鉛筆編集チームです。
 今回のテーマは、「見えていた時に行っていた場所に、見えない自分になって行ってみたらどうなるだろう」です。
ふと思う「あの場所」へタイムスリップしてみました。
もう二度と目にすることのない場所にほんのわずかな時間我が身を置いた男の背中に、愛らしい女心が寄り添います。
 今回は、40代の男女が静かに語ります。
タイトル 立ち食い寿司屋
ペンネーム 電線に引っかかったパールライトグリーンの風船(40代 男性 光覚)
 通勤時に利用する駅に立ち食いのお寿司屋さんが2軒ある。
どちらもほぼ同じつくりで、カウンターのみの店だ。
3人ぐらいの職人さんが、10人前後のお客さんにお寿司を提供している。
駅ビルにある便利な夕食の場所だ。
客の半数がサラリーマン、あとはアジア系の観光客だ。
常連さんも少なく、普通のお寿司屋さんのような敷居の高さもない。
 ケースには切りそろえられた数種のネタが並べられている。
カウンターの前に立つと、さっとお茶が提供される。
木札やネタケース、黒板に書かれたおすすめの中から気ままに握ってもらう。
握られた寿司は、笹の葉に乗せられ私の前に置かれる。
ビールや酎ハイなどとともに、小気味よく提供される寿司を楽しむ。
 周りを気にせず気軽に入りやすい、しかも待ち時間も短い立ち食い寿司屋は私のお気に入りだった。
 それがどうだろう。
見えない自分が行くとしたらどうなるんだろう。
 駅ビルは人が多いし、エスカレーターはあるけど、エレベーターは隅に追いやられている感じがする。
例え店までたどり着けても、手狭なエリアにいなければならない。
目の前に置かれているはずの寿司が自分の注文した寿司かどうか区別できるのだろうか。
もしかしたら、隣の人のお寿司を食べてしまうかもしれない。
おすすめのネタもわからない。
少ない職人さんが手際よく寿司を握り注文をさばいていく、
そんな流れを止めるように「今日のおすすめは何ですか」などと声をかけること、
それは職人芸ともいうべきリズムを乱すことになる。
それに、好きではないネタをメッチャすすめられたら、断ることができるのだろうか。
そんないくつもの「どうだろう」が頭をよぎる。
 私は、頭の中であの店に行ってみた。
そして、心に問いかけてみた。
・・・、見えないながらも冷たい視線を感じるかもしれない。
おいしかったと思いながら店を出ることはできるのだろうか。
かつてのお気に入りの場所で、私はもう一度食事を楽しむことはできるのだろうか。
タイトル きっと偶然に そっと自然に
ペンネーム パールライトオレンジの紙飛行機(40代 女性 弱視)
 今夜は誕生日、そんなことはすっかり忘れていたのに、
私に嫌なお知らせを告げるのはスマフォのカレンダー。
いくら便利でも空気までつかめない、あと一歩使えない相棒。
 バーゲンで大人買いしたパンプス、履き心地いいからつい色違いで買ってしまう。
いつも、どんなコーデでも、靴の色は違っても、フィットは同じ、
いつの頃からかそんな安定が私の日常になっていた。
 なんで今日なのよ!、報告書の締め切りのせいで誰ともご飯できないじゃない。
そんな独り言も平気になってきたことにとことん嫌気がさす。
こんな日は、思い切っておやじだらけの立ち食いで一人めしでもしてやるぞ!
 初めて入る店にもドキドキせず、女一人の空しさも気にならず、
私はカウンターにお茶が置かれると同時に平目とサーモンあぶりを注文。
 周りなど気にしない私だけど、なんか隣のおっさんの手の動きが怪しい。
おそるおそる手を伸ばし、寿司が置かれる台にいちいち手の甲を当てている。
そっとおっさんの手を握り、彼のお寿司にタッチさせてみた。
「あっ、すみません」と、彼は静かにこちらを向いた。
安心と情けなさの混じった笑顔だった。
見えない彼の仕草は、一人ぼっちの私の心を慰めていた。
私は何も聞かなかったし、彼も何も説明しなかった。
そんなことはどうでもいい、それが立ち食い寿司屋のモラルかもと自然に思えた。
 ただ、彼はおっさんではなさそうだった。
駅ビルの立ち食い寿司屋に並ぶ、紺のスーツの背中。
そこはくたびれたおっさんの寄り道ポイントだと勝手に思いこんでいたけど、違っていた。
 ビールのグラスを彼の手に寄り添わせ、「飲みますか?」と声をかけてみた。
私は彼の戸惑う声を遮り、「『お誕生日おめでとう』って言ってください」と投げた。
「そうなんですか。おめでとうございます」、彼の声は少し明るくなった。
 彼の前に寿司が置かれるタイミングで私は何度か彼の手を取ったけど、
蛸が置かれた時にはもう私の手は必要なくなっていた。
ビールのせいか、彼は何の疑いもなく私のつぶ貝をおいしそうに食べていた。
彼には見えるはずもない、黒板に書かれた今日のおすすめはつぶ貝だった。
「蛸とつぶ貝の違いもわからんの?」、
私は大笑いしたいのをこらえながら黙って彼の蛸を食べてやった。
 何も気づかない彼に「いい年してアホみたいやわ、私」と言ってみたら、
「私には女の人の年はわからないので」と彼が的外れなことを返してくれた。
彼のその笑顔には、もう情けなさなど消えていた。
きっと偶然に、そっと自然に。
 悪くないやん、この感じ、私は静かに目を閉じてみた。
心の引き出しが一度にバタバタ開き出すのがわかる。
神様、教えてください。
これって偶然?、自然?、なんで今日?
 お2人のタイムスリップ体験、どうでしたか?
 タイムスリップした風船さんのいる場所へ、紙飛行機さんが飛んでいきました。
どちらも不安げにゆるゆると進みながら、同じお店にランディングできたようです。
「~だったらどうだろう」と問いかけた結果、なんだかほんわかムードが生まれたようですね。
男の背中が語る不安や虚無に、力の抜けた女心が寄り添ったようです。
 語ることから生まれる展開、やさしくてコミカルなタイムスリップの一幕でした。
編集後記
 見えていた頃のなじみの店に、見えない自分になって行ってみたらいったいどうなるんだろう。
例えたどり着けても、果たして以前と同じようにいくんだろうか。
この問いかけにまっすぐに向き合った風船さん。
見える自分になって風船さんの隣にタイムスリップした紙飛行機さんは、
思い切った発想の持ち主だったようです。
 見えない男と見えにくい女、2人は自由な空想を重ねました。
職人芸のリズムを乱すことなくおすすめを食し、
隣の人のお寿司を食べてシェアし、
不安な仕草からおいしい笑顔へと、2人の世界はつながりました。
 描く思い、寄り添う思い、お2人のフィット感に拍手です。
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2016年8月5日
☆どうもありがとうございました。
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