メルマガ色鉛筆第61号「介護が身近になった その1」

タイトル 「介護が身近になった」その1
ペンネーム ホワイトキャンパス(30代 女性 全盲)
 レポートの要旨です。
 父の介護を通して私の生活スタイルは移り変わりました。
娘としてやってあげたいことと見えないことでの制限のはざまで揺れ続けている介護奮闘記の話です。
 ここから本文です。
 高齢化社会の中で介護保険等の話を耳にする機会が多い昨今ですが、
30代の私はまだまだ先の話と思っていました。
まさか、こんなにも早く「介護」の問題に直面するとは思いませんでした。
 結婚に向けて動き始めた2年前、私の母が急死しました。
なんとも爽やかな風の吹く10月の秋晴れの日でした。
秋の風が香る時、母の眼差しと優しい声を思い出すと同時に、母のいない現実の空虚感も感じます。
 父は車椅子生活をしているので、母を送り出す準備は私が主で動くしかありません。
母が亡くなってからの数日間は母の死を悲しむ暇もありませんでした。
車椅子生活の父に代わって一人娘の私が母を天国に送る準備をすることになりました。
正直何がなんだかわからない、親戚や葬儀社に言われるままに動いていました。
 無事に母を送り出してから本格的に父の介護が始まりました。
75歳を過ぎた父は今ではデイサービスに行き、自宅ではカラオケを楽しめる程に元気になりましたが、
母を亡くした直後は父はショックから弱り、目を離せない状況になりました。
仕事をしていた私は、これからの父との生活をどのようにしていくかを早急に決めなければなりませんでした。
 出した結論は、父を有料の特別介護老人ホームに入れることでした。
24時間誰かの目があり、
家で1人でいる寂しさを一瞬でも軽減できて、安心した生活が送れると思えたからです。
母の葬儀から1週間も経たない間に施設見学、手続きと、
めまぐるしいスピードで私たち家族の生活スタイルが変化していきました。
 私は全盲で、銀行・役所の手続き、施設見学等々、1人ですることが難しい場面が多々あります。
特に急を要することでしたので、朝から晩まで携帯電話で手伝ってくれる人を探しました。
自分でできないもどかしさや苛立ちを感じつつも、快く手伝ってくれる人の優しさを実感していました。
母の友人も手伝ってくれ、父は約半年間施設で過ごしました。
 私は平日は仕事に行き、週末は父の施設で寝泊まりする生活でした。
仕事終わりにヘルパーさんと買い物に行き、施設に泊まり、
日曜日の夜に施設にヘルパーさんに迎えに来てもらう日々でした。
家と施設の二重生活を繰り返していました。
 この時期を思い返すと、なんせ必死でした。
私は福祉関係の職に携わっており、
利用者さんの家族に「十分頑張ってきているから、1人で抱えずにヘルプを求めて」と話をしてきました。
その私がいつの間にかヘルプを出すのも忘れ、頑張らないといけないと自分を追い込んでいたのです。
 そんなことには気づかないまま、仕事と父の介護、私自身の生活の疲れが顔に出ていたのだと思います。
施設の職員との立ち話の時に、
「お父さんのことは私たち職員でちゃんとみるから心配しないで。
久しぶりに友達とゆっくりしてきてください」と言われ涙がポロリとこぼれました。
 母の死から泣くのも忘れて、甘えることも忘れて日々をこなしてきました。
一つの物事に集中して、周囲を見る余裕すらなくなっていたのです。
そして、心身ともに疲れ果ててしまっていたのだと思います。
介護は社会が担っていくものと仕事上ではわかっていたのに、
家族のことになるとその重要な点を忘れてしまっていました。
 その日以来、娘として父の介護をちゃんとしないといけないと頑張る私を少し横におくことにしました。
 娘だけができること、それは笑顔で同じ時間を過ごすことです。
これが、簡単そうに思えて一番難しいことです。
家族だからこそぶつかり、傷つけることを言ってしまうこともあります。
互いに互いを思いやるゆえの現象だと思いますが、
適度な距離を保ちながらいること、互いの思いや生活を尊重し合うことが大切だと思っています。
 ヘルプを出すことは気が引ける点もありますが、
周囲はそのヘルプを出してくれるのを待ってくれているように思えます。
 半年後、父は実家で一人暮らしを始めました。
私は結婚し、新しい生活が始まりました。
同じマンションの別々の階に住むことになり、それぞれの生活が再び動き始めました。
 波乱万丈の1年でした。
 在宅での介護の話は、また今度。(続く)
編集後記
 家族の介護、社会全体を見回しても大きな課題です。
いろんなサービスや制度があっても、そこには家族でしか満たされない思いがあるんですね。
 自分でできないもどかしさや苛立ちを感じながらも、娘として寄り添い続けるキャンパスさん。
母との別れに悲しむ間もなく波乱万丈の介護ライフを1年、
その先にある父子の新たな生活スタイルは新たなステージへ。
そこにはどんな「家族だからこそ」があるのでしょうか。
 その2のレポートをお楽しみに!
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2016年2月19日
☆どうもありがとうございました。


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