メルマガ色鉛筆第49号(織姫(織おばあ)になりたい私)

(織姫(織おばあ)になりたい私)
ペンネーム オレンジ・テンテンムシ(50代 女性 全盲)
 レポートの要旨です。
 縁あって、「フラミンゴ」という手織り機と出会った。
織りの先生と織り機の研究者の方と、補助具を考案した。
工夫に工夫を重ねて、一本の糸で経糸(たていと)が自由に張れるようになった。
全盲でも一人で上手に経糸が張れる織り機が誕生した。
 自分と同じ見えない仲間にこの恵みを分かち合いたい。
そんな気持ちを込めてレポートをお届けします。
 ここから本文です。
 私の故郷、兵庫県西脇市には、機織り(はたおり)を祀った機殿神社(はたどのじんじゃ)がある。
西脇は、綿(めん)の先染め織物を産業としている町である。
小学校のときに、「西脇は日本のマンチェスター」と習った。
 今、私は縁あってフラミンゴという手織り機と出会い、すっかり織姫気分を楽しんでいる。
私の老後はこれで決まり…。
 私が嫁いだのは、西陣織や友禅染など染織と縁の深い京都。
およそ10年前、義母が認知症を発症した。
当初は認知症という病気がどういうものかわからず、義母を一人で置いておくことが心配だった。
友達やご近所の方々のご好意で毎日誰かに来てもらい、
一緒にお茶を飲んでおしゃべりをしたり、歌ったり、絵本の読み聞かせに来てもらうなど、とにかくいろいろなことをした。
 その中にご近所のTさんがいて、週に1、2時間来てくださった。
Tさんは義母につきっきりの私を心配して、義母の傍らでできるダンボールを使った織物を教えてくれた。
不器用な私にできるか?、すぐ飽きる私にできるか?、
ちょっと心配だったが、とにかく一日中義母の傍らにいたので時間はたっぷりあった。
毎日、義母が私のリビング・ルームに来ると、また私が義母の部屋へ様子を見にいくときは、
ダンボールの織物を出して、延々と繰り返される昔話を聞きながら一針一針織り進んでいった。
 そのうち、ダンボールで一針一針経糸を入れていったバッグが大、中、小といくつかできた。
できあがった織物には、Tさんがバンド、チャック、ポケットなどをつけて素敵なバッグに仕上げてくださった。
 あまりに素敵なので、
それらをインドのJさん、中国のSさん、ネパールのNさん、日本のHさん、ラオスのGさんにプレゼントした。
私の作ったバッグがそれぞれの国で使われているのかと思うとすっかり嬉しくなって、
飽きることなくダンボールでのバッグ作りに精を出した。
 そんな私に、
Tさんが「見えなくても経糸が一人で張れる織り機があるらしい。見に行かない?」と誘ってくれた。
私は西脇の織物工場の娘。
織り機にはとても興味があった。
 織りのY先生宅でその織り機を見せてもらった。
見えない私が一人で経糸が張れるという感触は全くなかった。
が、Y先生ご夫妻が、
京都手織り機研究所のT氏に「目が見えなくても一人で経糸が張れるような工夫をしてあげて」と頼んでくださった。
そして、T氏とY先生ご夫妻とで、見えなくてもなんとか一人で経糸が張れる補助具を考案してくださった。
 それを触らせてもらったときは、一人で経糸が張れる感触はなかった。
が、「使いなれれば張れるかもしれない」、
「ご近所のTさんの助けがあればとにかく張れる」と、Tさんの補助を当てにして購入した。
 自分の織り機を持った私は、義母の傍らで織りを楽しんだ。
義母も私の織りを見て喜んでくれた。
が、幅27cm、長さ140cmの卓上織り機ではすぐに織り上がってしまう。
経糸を張るにはTさんのサポートが必要なので、週一度のTさんの来宅が待ちきれなくなった。
 そこで、張れても張れなくてもよいので、一人で経糸張りに挑戦することにした。
最初は訳もわからず、適当にやってみた。
よく言えばオブジェのような、二度と同じものは作れないようなものが織れた。
 使うにつれ構造がわかってきた。
経糸の本数を10本で張ってみた。
幅3cmぐらいのものが織れた。
この細いバンドを1ブロックとして、何ブロックもつなげばよいことがわかった。
また、隣り合わせている経糸の素材を変えれば、手触りで確認しやすくなる。
工夫に工夫を重ねて、1本の糸で経糸が自由に張れるようになった。
 そんな折、T氏から経糸の張り方の助言を得た。
私は、経糸は順序よく張っていかないと絡んでしまい、織れなくなると思い込んでいた。
ところが、「それは大ざっぱでいい」と言われた。
とにかく私専用の補助具は使わずに、織り機を回しながら経糸を左から右へと張っていき、
端まで行ったら今度は左に回転させながら少しずつ戻って、最後に最初の糸と最後の糸を結び合わせる。
糸を切って回転スタンドから織り機を外し、筬(おさ)に入れる。
そして、最後に整形をすれば大丈夫とのこと。
 私は、これが本当かどうか、私専用の補助具を使わずに何度も一人でやってみた。
何度やっても失敗しないで最後まで織れた。
ということは、このフラミンゴという織り機は、全盲でも一人で経糸が張れる織り機であるようだ。
しかも、経糸張りが簡単なおかげで、短い時間で張ることができる。
 その結果、今ではこの織り機を使った機織りの教室が京都ライトハウス生活訓練部・鳥居寮のカリキュラムの一つに取り上げられ、
私も利用者と共に楽しんでいる。
生まれて初めて織物をする視覚支援学校を卒業したばかりの若者から、
見えていたときに手芸の先生をされていた方まで、幅広い層の人たちが楽しんでいる。
 その理由の一つは、器用不器用に関係なく、織り機を使うことで誰でも素晴らしい織物が織れるからだ。
見えない私たちは、手で触ることで何かを味わう。
経糸と横糸の交わりを指の腹で感じることができれば、見えなくても素晴らしい織物が織れる。
 ここで思うのは、
「艱難は忍耐を、
忍耐は練達を、
練達は希望を生む」ということ。
できないと思い込んでいたことも、やり続け試行錯誤を繰り返しているうちに、見えなくてもできる方法が見つかる。
試行錯誤をしながら、工夫はとどまるところを知らず、自らの希望次第で次のステージへと導かれる。
 最初、平織(ひらおり)から始めた織物は、今や綾織(あやおり)が織れるところまで導かれている。
望んでいれば自然と次のステップが見え、そこに導かれていく。
そして、そこに必要なサポートやアイデアが見事に与えられる。
この見事な導きをこの身に受けると、自分と同じ見えない仲間にこの恵みを分かち合いたい気持ちでいっぱいになる。
 まだ織りを始めて数年の未熟な私と、ですが、ご興味のある方、一緒にやってみませんか??
編集後記
 縁あって始めた一つのこと。
それがだんだんと形作られて、見えない・見えにくい世界を豊かにするものになっていきます。
一人ではそんなふうに進まなくても、
そこにさらに一人、もう一人と、人が加わりアイデアと思いやりを持ち寄ると、ふしぎに進んでいきます。
ふしぎですが、それが人間です。
 見えないと進むことはできない。
99%そうなのかもしれません。
でも、確実に1%、ひょっとするとそれ以上、そうじゃなく、進むことができるのですよね。
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2015年8月28日
☆どうもありがとうございました。


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