メルマガ色鉛筆(メルマガ色鉛筆 小さなアンケート 共有しましょう5)

読者の皆様、こんにちは。
メルマガ色鉛筆編集チームです。
今回は、「メルマガ色鉛筆 小さなアンケート 共有しましょう5」をお届けします。
ここからは当事者の皆様からのお声です。
★毎月送られてくる色々な色鉛筆に笑ったり涙したりと、心の栄養にさせて頂いております。
自分自身の今までの人生を振り返るきっかけになっています。
晴眼者だった頃、視覚障害者になってからの日々、親のこと、家族のこと、友達のこと、仕事のこと・・・
楽しかった思い出、辛かった思い出、悔しかった思い出等々、
作者から伝わる思いと自分自身の思いを重ねて、
時に笑い、時に涙して、今を生きる上での良いスパイスとさせて頂いております。
最近では、31号の「見えにくくなって仕事を辞めた時の思いと今」が印象に残っています。
私自身も視覚障害者になってからも「負けてたまるか精神!」で、晴眼者の世界の中で必死に仕事していますが、
この原稿で、更に私も負けてはいられない!「視覚障害者でも仕事はできる!」
このことを、たとえ小さいながらでも、自分自身が仕事を続けることによって、世の中に発信し続けていかねば、と改めて気合が入ったものです。
自分一人ではないんだ」という気持ちになれますし、私自身も晴眼者、視覚障害者を問わずに
多くの友人に本メルマガのことを紹介しています。
これからも多くの読者の心を良い意味で、揺さぶる、そういう色鉛筆を楽しみに致しております。
編集部の皆様方、これからも頑張って下さいませ。
★いつも笑いあり、ほろ苦さあり、いろいろなテーストの色鉛筆をお送りいただきありがとうございます。
自分と同じような気持ちを感じている人が確かにいると実感できるようになった。
同じ年代で視覚障害を持たれた方のレポートでは、とても共感するお話がいくつもありました。
また「あるある失敗談」シリーズでは、自分とまったく同じ失敗がいろいろ出てきました。
自分がしたときはあせったり、あーと思ったりしていたのが、失敗談シリーズで読むとなぜか大笑い、
なんだみんなもやってたのね、と思うことができました。
私は車いすユーザーでもあり多目的トイレをよく使うので、一番のヒットはこれでした。
題名 : 色鉛筆第32号 「あるある失敗談3」からの引用。
 ラストは、あるある度数の高いトイレあるあるです。
 外出先でトイレに入る。
用を済ませて流すわけなんだけど、
わかりやすい位置にレバーがある時はいい。
問題はレバーが見当たらない時。
レバーじゃなくて、どこかにボタンがあるはず。
でも、どこ?どこ?どこ?、見つからなーい。
 ある所ではタッチ式のボタンを発見。
しかし、まったく同じ形のボタンが2つ並んでいる。
きっと1つが流すボタン、もう1つは緊急通報ボタン。
2分の1の確率。
こっちだ!と押したところ、ファーンファーンと緊急通報の大きな音がした。
ハズレくじ、ガクッ。
★私は自分と同じように失明を受け入れている人がいることを知りました。
このように受け入れられるようになったのは、一人息子が小学5年生の時、
「見えないぐらいなニサ!」と言ってくれたときからです。
それでも、同級生や先輩のいる前では、見えない親の手をひいて歩いているということを見られたくないらしく、
後ろの方から「右・左・あぶない!」と言いながら誘導してくれた頃もありました。
視力に障害があることを受け入れられぬままに過ごしている人、
障害のある人を家族にもつことを重荷に感じる人があることも知りました。
「失明」と一言で言えど、その原因も程度も異なり、
その人その人・一人一人に大なり小なりのドラマがあることを知りました。
視覚障害者になってからの生き様がその人の人生を案じするのだと感じております。
失明が人生に終止符をうってしまったように感じる人もあれば、「見えなくなっただけ・・・」と年を重ねても自分にできることを探し求めてる人がいることも知りました。
視力に障害のある私が35年ぐらい前に視力に障害のある人のもとに嫁いだとき、
「世間体がわるい」と義母に言われました。
その頃はまだいくらか見えていましたから、義母の世話にはなりたくない!」と意地をはっていました。
その義母が自分の娘が失明すると、娘がかわいそうだと言いました。
嫁である私には世間体がわるいと言ったことを思い出すと悔しくてなりませんでした。
そんなこんなを思い出すと悔しさは残っていますが、このメルマガ色鉛筆を聞いて、
私の考えもいくらか変わりました。
私の周りの家族が世間の人達に対して、肩身の狭い思いをしていたことは事実なのだと知りました。
失明したからと言っても、見えないだけなのです。
見えないけれど、視力以外の感覚は残っています。
感情もあります。
年を重ねることにより、周りの老人と同じように記憶力も注意力も散漫してきています。
危ない年寄りに近づきつつあります。
体のあちらこちらにも不具合が起こってきました。
年を重ねてから視力を失った人よりも、若いときから失明者として
いろんな便利グッツを利用すること、制度や思索のこともいくらかわかっています。
これらのことを踏まえ、視力に障害があってもやればできること、できないことを理解して
生きていきたいと思うようになりました。
★特に38号は引き込まれるように読みました。
幸いな事に私の視力はまだ何とか一人歩きができています。
白杖を使うきっかけを模索しています。
すれ違う時にやっと顔の認識ができます。
失明した時の心の風船が割れてしまわないようにメルマガを読んで揺れる心に勇気を貰っています。
まだ3回目ですがこれからもよろしく。
★私は60代女性、2級視覚障害者です。
息子達3人も、同じく網膜色素変性症を患い、1級2級の障碍者です。
皆さまの体験談から克服への努力、精神力の強さに励まされています。
中途視覚障害者では、見えなくなる自分の将来への不安、仕事や家庭での不安、
自分自身受け入れられない、もやもやとした情緒不安定な生活が続きがちです。
そんな中、生活訓練、適切な補助具の使用方法など、スキルの向上をめざし、
施設の紹介、福祉制度の情報など、障碍者と社会での共有が大切です。
情報難民にならないようメルマガを通して参考資料にさせていただいております。
私は未だ受容の途中ですので、通過するにもう少し時間がかかりそうですが、
このメルマガ色鉛筆のお声を胸に、見習っていきたいと思います。
息子達も同じ悩みを抱えながら継続雇用で頑張ってくれています。
どんな困難にも諦めない根気と前向きな姿勢が大切ですね。
★私もチャレンジをしたくなったり、身近な事を大切にしたいと思えたり、プラスな気持ちをもらえます
 いつもありがとうございます。
最近忙しくて、今年の分はまだ全然読めていませんので、読める時が楽しみです。
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2015年8月21日
☆どうもありがとうございました。


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