メルマガ色鉛筆第39号(「子育て-相談室の生徒に教わったこと-」)
タイトル 子育て-相談室の生徒に教わったこと-
ペンネーム ブルーサファイア(50代 女性 視野障害)
レポートの要旨です。
視覚に障害があることで、それがご縁となって同じ障害を持つ人との出会いが生まれます。
視覚に障害がある、そこは同じですが、
その他は老若男女、十人十色のさまざまな経歴の持ち主がいらっしゃいます。
今回のブルーサファイアさんは元教師、教育現場の経験と知恵をお持ちの方です。
その経験と知恵の話が聞けそうですよ。~~
息子が成人して最近思うことは、
「息子は息子であり、私ではない。」ということです。
親子だからわかり合えていると思って自分のよいように解釈していないでしょうか?
親として子どもとどのように接していけばよいのか?
別室登校の生徒とのかかわりの中で私が感じたことと息子に対して心がけてきたことを書きたいと思います。
ここから本文です。
私は、息子が小学校へ入学したのを契機に、ある中学校で教育相談員として働いていました。
教育相談員の仕事は、
教室に入れず相談室という別室に登校してくる生徒への対応でした。
その当時も不登校の生徒は年々増加し、教育現場の大きな問題となっていました。
教師時代は、不登校傾向の生徒を自動車で迎えに行ったり家庭訪問をしたりして取り組んでいましたが、
そう簡単に解決するものではありませんでした。
相談室は、普通教室の半分くらいの狭い部屋でした。
半分は絨毯が敷いてあり、もう半分は教師用の机と生徒用の机があるだけの殺風景な部屋でした。
私は、この相談室で6年間生徒と過ごしました。
彼らは他の生徒と顔を合わせるのをいやがるため、彼らを守ってやるのも私の仕事でした。
中には、相談室の中でさえ他の生徒と顔を合わさないように衝立の奥で過ごす生徒もいました。
どの生徒も最初は表情が硬く、なかなか話をしてくれませんでした。
たわいもない世間話から徐々に生徒の話を引き出していくのです。
もちろん勉強などできる状態ではありません。
中学生なのに赤ちゃん返りする生徒もいましたし、
幼稚園児が描くようなマンガを描いている生徒もいました。
身体は中学生でも、やっていることはうちの小学生の息子と大差はありませんでした。
また、自分の言動に対して大人はどういう反応をするのか試しているのではと思うこともありました。
苛立ちをぶつけてくる生徒もいましたが、私は根気強く話を聞きました。
2年目になり、少しわかったことがありました。
彼らは、幼稚なことをしていても、自分で十分満足すると次のステップへと進むのです。
まるで自分の育ってきた道を再確認しているようでした。
勉強など眼中になかった生徒たちが勉強するようになり、
「先生、問題を出して。」と、競い合うように私の回りを取り囲むようになりました。
養護の先生やスクールカウンセラーと協力して、
生徒への対応と並行して保護者、特にお母さんとの面談やお母さん同士の交流会も行いました。
すると、お母さん自身がさまざまな悩みを抱えておられることがわかりました。
わが子の様子をしっかり見てやれる心の余裕が持てない状態だったのです。
そして3年目、驚くべきことが起こります。
3年生のA君が、突然「先生、今日から教室に戻るわ。」と言ったのです。
「えっ!今日から?待っていて。担任の先生に言ってくるから。」と、
私は職員室へ急ぎました。
机と椅子の確認をしてもらうためです。
担任からOKが出て、A君は教室へ戻っていきました。
そして、相談室に戻ってくることはありませんでした。
他の生徒も自分のタイミングで教室に戻っていきました。
そこには無理強いも説得もありませんでした。
私は、6年間の彼らとの生活を通して自分の子育てを振り返ることができました。
フルタイムで働いていたときは時間にも心にも余裕がなく、
息子に手をかけてやれなかったばかりか、我慢ばかりさせていたことを大変反省しました。
仕事を辞めた後も、息子の話をよく聞いてやれていたかというと、そうでもありませんでした。
小学生になると、勉強とかスポーツとか自分の理想の息子にするために無理をさせ、
思いどおりいかないとがっかりしていた私がいました。
相談室の生徒と過ごす中で、人が生きていくのに大切なことは、自己肯定感とでも言えばよいのでしょうか、
自分に自信を持つということだと思うようになったのです。
勉強ができるとか運動神経がよいとか、そういう自信ではありません。
どんなときも自分を受け入れてくれる人がいるという安心感からくる自信です。
それを育むのが子育てだと気づかされたのです。
それ以来、私は息子をよく見てたくさん話を聞くことを心がけました。
息子が発するサインを見逃さないようにと狭い視野で一生懸命見ていたら、
「お母さん、僕のこと目で追いかけるのはやめてくれる!」と言われてしまいました。
確かに視線が自分に向いているのは気になってしようがなかったでしょう。
それからは、学校から帰ってきたときの玄関のドアの閉め方やカバンの置き方で息子の様子を判断しました。
そして、いつもと変わりがないときでも、
おやつとお茶で休憩しながら学校でのことや世の中のことなどを話すようにしました。
どんなときも、「ダメじゃない。」「何言ってるの?」と評価したり否定したりしないで聞くよう努力しました。
思春期特有の難しい時期もありましたが、
息子は私に話しながら自分で答えを見つけていけるようになったと思います。
大学の出願校を決めるときも、センター試験の結果が思わしくなくて出願校に迷い、
ああでもないこうでもないと毎晩私に話をしてきました。
そのときばかりは、私はこうすればとアドバイスをしました。
しかし、息子は結局自分の意志を貫きました。
息子が求めていたのは私のアドバイスではなくて、
話をすることで自分の気持ちを整理していたのだとそのときわかりました。
人には、自分が人から必要とされていると感じられる「居場所」とどんな自分も受け入れてもらえる「居場所」が必要です。
母親として、息子が困難にぶつかったときにふと心に浮かぶ温かい「居場所」でいつづけてやりたいと思います。
一人暮らしをしてもうすっかり親離れした息子からの「お母さん、大した用事はないんやけど…。」という電話が嬉しい、
子離れ途中の私です。
編集後記
相手をありのままに理解し受け入れるというのは、言うはやすし行うはかたしだと思います。
それは、おそらくやさしい心を持たなければできません。
子どもが成長するにはやさしさときびしさの両方が必要でしょうが、
今回のレポートには特にやさしさが必要な場面が描かれています。
そして思うのですが、それは子どもだけでなく、大人にも言えることですよね。
-- このメールの内容は以上です。
発行: 京都府視覚障害者協会
発行日: 2015年4月3日
☆どうもありがとうございました。