メルマガ色鉛筆第165号「今になって見えたもの」

タイトル 「今になって見えたもの」
ペンネーム オッドアイ(30代、弱視)
レポートの要旨です。
 点と点が繋がり線になる
そんな体験をつい最近にした。
視覚障害のせいで散々翻弄されて来た私が、気づいたことがある。
依怙贔屓ならぬ自己贔屓で書くので、どうぞ大袈裟だよと鼻で笑っていただきたい。
けれども、これが私の正直な気持ちだ。
ここから本文です。
 新しい職場で働くことが決まった。
今度は視覚障害者に関わる仕事だ。
今までの転職回数3回。
免許は取得したものの諦めた仕事が1つ。
視覚障害のせいで、散々翻弄されてきた。
心が折れてしまい、家の中に・自分の中に、閉じこもってしまった時期もあった。
不真面目に生きてきたつもりはないけれど、視覚障害を理由に、ふらふらと計画性のない行き当たりばったりで中途半端な、大成とは程遠い人生を送ってきた。
 幼児教育科のある短大を卒業し免許を取得したものの、仕事にすることは出来ず、
営業補助の仕事に就いたが、半年で会社を去り、
IT系のお店の接客業は5年半で限界を迎える。
心が折れてしまい、黒くて深い靄に覆われてそれからの約2年間を過ごした。
そして、人材派遣会社での事務補助として必死で社会生活になんとか戻り、気付けば4年。
これが私の半生であり、なんともまぁ一貫性なく点々とした経歴…
 十数年を費やし、自分はなにも成してこなかった。
自慢出来ることなんて、なにひとつない。
 数カ月前、提出予定の履歴書に職歴を書きながらそんなことを思い、自己PR欄
で手が止まる。
 それらしいことを書いておくか。
『社会経験を活かして、御社での業務に貢献いたし・・・』
 そのときだった。
ん??????
んんん?????
 長年少しも通ったことのない鼻詰まりが突然なくなり胸いっぱい空気が吸えるような、
ずーっと思い出せなかったあの時街ですれ違った人が誰だったのかわかったような、
数年前の失くしものが見つかったような。
 私は気づいた。
それに気付いた瞬間、映画『十戒』で海が割れるシーンのごとく、
私の人生に一筋の線が通る。
なんの繋がりも関係性もないと思っていた飛び石のような人生が、
1本の軌跡と呼べる道に初めて見えた。
 まず、幼児教育を通して配慮とは・支援とはどういう心構えで、
実際にはどう実行していくのかを学んだのだが、
それにより今度の仕事の根幹である福祉の精神や、必要とされる姿勢を
既にある程度身に付けられているのではないか。
そして、IT系のお店の業務では、精度の高いビジネスマナーや、
コミュニケーション能力を鍛錬、ホスピタリティー精神やヒヤリング能力を身に付け、
また、これからの視覚障害者にはなくてはならないIT機器の基礎に触れることができた。
これらは、様々な問題を抱えた人々に寄り添う為には有効であるはず。
さらに考えは進む。
視覚障害者を取り巻く問題を解決するために
関係各所へアプローチしていくこともあるかもしれない。
ブランクはあれど、営業スキルもばっちり身に付けてある。
人材派遣会社では、事務処理の優先順位の付け方や期限内に仕上げる重要性と難しさ、
人や物や期日を管理する大変さと対処の仕方を学んだ。
どんな団体・企業でも、円滑な運営には事務処理も不可欠であるから、
この経験も活かせる。
 どれもこれもが武器じゃないか!!
今までの無意味に思えた点達は、ここで働くための、
ここに線を繋ぐためのものだったのか!!
 あてもなくさまよっていた魂がこの時浄化され成仏した。
本当に成仏しては困るが、腐ってた心が確かに水を得た。
 実際、そんなこと今度の職場では必要ないかもしれないし、履歴書のPR欄も
試験官達の目にも留まってないかもしれない。
所詮、自己満足でしかない。
でも、そんな思考になれたこと自体に、驚きと感謝と希望を今、私は持っている。
私のように、視覚障害のせいでさまよっている・閉ざしてしまっている・
諦めてしまっている、そんな人たちがまだまだ多くいると思う。
悲しいかな、視覚障害を持った子供たちも絶えず生まれてくる。
そんな人たちの力になれるかはまだわからない。
私なんかでは少しの力になることすら出来ないかもしれない。
 せめて、力になってくれる人と繋げることくらいはしたい。
それなら私でもやれるかも知れない。
 せっかく通せた線。
その線を消さないように、この先もその線を引き続けていけるように、穏やかながらも
しっかりと、やっと見えた『これから』を見失わないように歩いていきたい。
編集後記
 仕事をやめないといけない、というのはどんな気持ちになるのでしょうか?
複雑な思いの数々、その中の1つに
すごく打ちのめされる思いがあって不思議ではありません。
それから、あきらめずに次の仕事をやってみる、
というのにはどれだけの勇気が必要なのでしょうか?
一見、弱弱しく見える人から、勇気の大きな力がほとばしる様に接して、
胸を撃たれることがあります。
 オッドアイさんの散々翻弄された末にたどり着いた気づきは、
別の言い方をするとこう思います。
私は私しか歩めない道を歩んで来て、これからも進み行く道は私の道に、
必ずそういう道を行こう。
このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2019年8月9日
☆どうもありがとうございました。


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