メルマガ色鉛筆第153号「藪から棒」

タイトル 「藪から棒」
ペンネーム 濃紺に赤いロゴ(40代 女性 弱視)
レポートの要旨です。
 先が見えなくて真っ暗な道を歩いていると、ただただ胸が痛くて全身が苦しくなる。
これはリアルに夜道を歩くという場合、人生における谷底の場合、
いずれにせよ起きる可能性のある事象だと思う。
今日は、そんな中出てきた「藪から棒」の話をしてみたい。
ここから本文です。
 「息子がとにかくひどいことになってるのよ」、そう話しても聴く側は何かしら小さな希望的観測でコメントをしようとする。
私はその都度、コメントに適当に合う言葉を選び、作り笑顔を重ねてきた。
私はこれまで見えないお母さんとして生きることについて、いくつかの媒体や講演で話をしてきた。
盛り込むエピソードはその時々に合わせてセレクトしてきたが、いつも必ず伝えてきたことがある。
「息子は私を母として選んで生まれてきてくれた」と「見えないお母さんとして
生きる意味を考え続けることが私の生きる使命だ」ということだった。
なんだか教科書通りのいかにもな話、でも本気でこの言葉の意味をかみしめながら私は生きてきた。
 幼い日の息子の姿、すでに顔はかなりぼやけて見えなかったけれど、抱き寄せて頬を寄せればわずかに残っている視野に大きな眼とくるりとカーブしたまつ毛が見えた。
なんとも愛らしかった。
こんなにかわいい子を授けて下さった神様に、天を仰ぎ感謝した。
手作りの水筒カバーに絵本バック、エンブレムにクロスが下がったピンバッチが
揺れる帽子、神様への祈りを奉げる小さな手はいつだってやわらかく温かかった。
制服姿だけじゃない、虹や乗り物があしらわれた普段着も、丁寧に吟味しておしゃれをさせた。
高い子供服を着せることなどただの親のエゴでしかない。
けれど、その姿を見ることのできる時間は私にはさほど残されてはいなかった。
だから、子供服バーゲンの初日に走ることは私にとってはこの上なくキラキラした時間だった。
子供服ブランドのポスターに掲載された息子の顔は、まるで女の子みたいにやさしくて上品で誇らしかった。
チャーミングな笑顔はたまらなくかわいかった。
こんなこと、ただの親馬鹿である。
愚かと笑われてもかまわない。
でも、一番の祝福は息子とつなぐ手の中でさりげなく気持ちや危険を伝え合えることだった。
言葉に置き換えることなど虚しいほど、私達母子の手の中には真と信の心があった。
 そして、息子は大きくなっていった。
いいところも、そうでないところも大きくなっていった。
それが成長するということだと、私に予言してくれた方がいた。
その言葉はいつも私の中にあり、日々呼応していた。
その通りであった。
「お母さんの夢が息子さんの夢にならないように」、これはあるスピリチュアル
な力を持つ方から言われた言葉であった。
私が最も留意していたことだったから、この言葉を告げられた時、とても悲しくなった。
息子には息子の人生を生きてほしい、障害のある母の息子としてでなく、自分の
人生を生きてほしい、それが私が一番大切にしていた思いであったからだ。
 けれど、世間はそれを容易には許さなかった。
息子の評価の中にはいつも見えないお母さんの息子としての像があった。
そして、よくできたやさしい息子という色は、常に息子そのものに重ねられた。
たとえそれが自然なことであっても、それは同時に煩わしいことでもあった。
息子のやさしさは誰かにお願いされたり、求められたりしているものではなかった。
あくまでも息子の自然な振る舞いであった。
「僕の母は目が見えません」と息子が自ら宣言することもあった。
「なぜ自分の親は障害者なんだ。そんな家族は周りにいない、みじめだ」と激しく葛藤していた時期もあった。それだけにこの宣言は、何かしら吹っ切れたメッセージのようにもとれた。
でも、本当のところはちがっていたのだと思う。
親がどうだなどということは、息子そのものにとってはまったく必要な情報ではないはずだ。
息子が言いたかったことはきっと別のところにあったはずだ。
それが何だったのか、優等生であることがありたい自分の姿であったのか、
今となってはわからない。
 思春期の息子はどんどんやんちゃをして、とことん親に心配をかけられるほどになった。
最初はこれでいい、思い切り自分を出して優等生を脱却して自分がなりたい自分になっていけばいいと思っていた。
でも、物事の加減を知らない幼い心は、本人の想定外に崩れていった。
いつしか息子はブレーキの効かない孤独の病、依存の波に飲み込まれていった。
そして、体当たりであらゆる手を尽くして受け止めようとした学校も家庭も、必死にもがきながら息子とともに迷路に入り込んでしまった。
それは、何も見えない道だった。
 それでも誰もあきらめずに生きることにしがみついてきた。
 結果、突然藪から棒が出てきた。
藪をやさしい棒でつついてくれた人は何人もいた。
でも、藪は藪でしかなく身動きなどとれやしなかった。
なのに、突然棒がでてきた。
引きこもりの息子が、友達と歌う日、いきなり登校したのだった。
クラスメイト、先生は暑苦しく息子を受け止めていたそうだ。
げっぷが出るほどの関わり方で、合唱コンクールの本番をを突っ切った。
青春、まさに青春、不器用だけどなぜかヒーロー気取りの青春の日だったという。
 その日私は自分の予定を変更することもなく、息子が歌う時間、別の場所でマイクをにぎっていた。
そこで自らの信念と見えない自分の人生における使命を語った。
息子の声が聴きたい、友達と共にいる息子のいる場所に居合わせたい、その気持ちより、
「あなたはできる、あなたを待つ人はちゃんといる、それで大丈夫なのよ」と、
私は別の場所から手を合わせた。
手と手で分かち合った3つの「しん」の力は、それぞれの中に今もちゃんとある。
これからもちゃんとある。
息子が登校したのは半年ぶりのこと、この1日だけだった。
 とりあえず春になれば何かがはじまるはずだ。
今はどうもうすぼんやりした道を歩いているようだ。
「あの子のお母さんでいることがつらい。逃げ出したい」とまで思ったこともある。
決してそんなことできやしないのに、苦しすぎてお母さんとしての私はこわれかけていた。
でも、今は少しだけ大丈夫になっているかもしれない。
対して大丈夫ではないけれど、ほんの少しはあがってきた気がする。
谷底からほんの少しだけ。
 最近の息子は随分おだやかな眼になってきたそうだ。
ひどい時は人殺しのような目つきになっていたという。
もう私にはどうしたって見えないけれど、それでいいのかもしれない。
世界で一番繊細で人の痛みに寄り添える心を持っていた息子の瞳を私は忘れない。
リアルタイムのやさぐれた瞳は私には見えていないから、
私はかつてのやさしい瞳だけを見つめていればいいのだ。
 「お母さんがお母さんでいることを引き受けられていますね。三つ子の魂100まで、大切に愛情深く育てられたことは決して消えません。大丈夫、信じましょう」
この言葉をくれた人がいる。
その人はいつも寒風の中、私を待っていてくれた。
苦しい闇の中辿り着く私を、きちんと待ってくれていた。
それがとても重くて苦しくなったことが何度もあった。
でも、吹きさらしの通路に立つ彼女の姿に、強いメッセージがあった。
線路に吸い込まれそうになる私を引き留めるために、彼女はあえて立ち続けていたのだ。
「私は待っています。生きてここにおいでください」と鋭い熱を発していた。
これも想えば藪から棒だったのだと今は理解できる。
出るはずもないところからの棒、思いがけず出てきた支え棒。
歌う息子の前には指揮棒、それは本番当日朝から特訓をしてくれたクラスの女の子たちの導きであった。
 人生における藪から棒、それは突然であったり、必然であったりするのだろう。
これからもおそらくやたらと意表を突くような出来事、棒どころではなく槍や剣なんかも出てくるかもしれない。
そのたびに血の涙を流し、全身傷だらけになるんだろうと思う。
それでもやっぱり立ち上がろうとするんだろうな、3つの「しん」とともに。
いくつもの使命を持って生きることはいくつもの約束を持つということになる。
ある道で死にかけても、別の道を歩く自分が脱落を許さないから、きっとどうに
かやっていくんだと思う。
息子はもう私と手をつながない。
それでいい。
それが大きくなるということなのだから。
どうなるかなんてわからない、それでもとりあえず私はいろんな棒に導かれつつ
今を生きている。
多分、明日も。
真ん丸お目目のあなたへ
藪から棒、また、藪から棒。
人生何度だって立ち上がれるよ。
ママはそんな人をたくさん知ってるんだよ。
そして、そんな人との出会いに支えられたり、寄り添ったりしているんだよ。
きっとあなたも出会えるはず、自分をあきらめないで藪から棒の人生を楽しんでね。
2019年 新しい一歩に寄せて
編集後記
 日常の何気ないことによろこびや楽しさを感じる。
そんな経験が誰にもあります。
ただし、それは今もある経験なのか、過去の経験であり今はちがうのかは、人それぞれでしょう。
 おそらく、これは幼いときには純粋で、他愛のないものです。
そして長い年月をかけて大人になるころには、それはただ純粋で他愛のないもの、と言い切れないものに変わっていると思います。
純粋さ、他愛のなさの代わりに、しみじみとした情緒が加わると言ってよいでしょうか。
「もののあはれ」です。
 紺に赤いロゴさんは、目に障害を持って生きることになりました。
いくつもの使命を持って生きることはいくつもの約束を持つということになる。
こんなふうに言う、推進力のある人は、同時に、線路に吸い込まれそう、と立っ
ている力さえないくらいにもなりました。
きっとこの両方を知ることで、紺に赤いロゴさんはまた1つ何か力を授かった、
手にしたと思います。
自分の力とともに、支えが、自分を支えてくれる棒、導いてくれる棒があって、
先へとつながっている。
そして、授かった力は、ほかのだれかの支えになる力。
息子さんも、未来、これからの長い年月に向かって行って、あらためて自分の持
ち物を、その意味を掴んでほしいですね。
今すぐなのか、もう少し先なのかはわからないけれど、日常の何気ないことがそ
っと語り掛ける「もののあはれ」がまた、紺に赤いロゴさんの心に届いてほしい
と思います。
そのときには、何気ないことだけでなく、ラッキーなこと、アンラッキーなこと、望んでいたこと、望んでなかったこと、きっとすべてがしみじみと語り掛けてくれます。
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2019年4月12日
☆どうもありがとうございました。


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