メルマガ色鉛筆第107号「白杖を棺桶に入れる覚悟はあるのか」

タイトル 「白杖を棺桶に入れる覚悟はあるのか」
ペンネーム 電線に引っかかったパールホワイトの風船(50代 男性 光覚)
レポートの要旨です。
2年前に見える世界から遠ざかり、少しの光と濃淡が分かる程度の世界に迷い込
んだ。
私は『死ぬ』という恐怖心ではなく、かるがるしく『このまま』を選択してしま
った。
 そう決断してから、複雑な気持ちは続いた。
白杖を持つこと=障害者になることの嫌悪感、白杖を持つこと=自由に歩き回れ
るという希望感、
両方が混在していた。
時に希望感は引き波でさらわれ、嫌悪感は寄せ波で迫ってくる。
果たして、この白杖という名の相棒と、私はどう生きていくのだろうか。
歩行訓練の日々の中、見えない我が身の明日について考えてみた。
ここから本文です。
 私にとってそれは急な出来事だった。
「あれ、老眼かな?」と思いながら、遠近両用メガネを買いに行った。
その時、視力が測れませんと言われた。
店の測定器が潰れているのかとか、少し疲れているのかとか、どうしたんだろう
と思うぐらいだった。
しばらく日を空けて、メガネ量販店ではなく専門店に買いに行こうと考えていた。
 けれど、そんな安易な考えは吹き飛んだ。
数週間前までは問題なく通勤ができていたありふれたサラリーマンだったのに。
2年前に見える世界から遠ざかり、少しの光と濃淡が分かる程度の世界に迷い込
んだ。
これからの人生どうなるのだろうかと、他人事のように考える時間を過ごした。
『死ぬ』という恐怖心ではなく、かるがるしく『このまま』を選択してしまった。
 そう決断してから、複雑な気持ちは続いた。
白杖を渡されたとき、白杖を持つこと=障害者になることの嫌悪感、白杖を持つ
こと=自由に歩き回れるという希望感、両方が混在していた。
希望感は引き波でさらわれ、嫌悪感は寄せ波で迫ってくる。
思い通りにはいかず、嫌悪感がつきまとう毎日だ。
 バスに乗ると「座りますか?」と声をかけてもらえる。
その時に「大丈夫です、立ったままで」と応える。
「大丈夫じゃないから言ったのに」という声を耳にしてしまうことがある。
心の中だけでつぶやいていてほしかった、どんな嫌な顔をしててもよかったので。
私が一人で吊革を持ってバスに乗っている姿は、そんなに不安定に見えるのか。
どことなく居心地の悪さを感じながら、ずっしりとした気持ちに潰されそうにな
る。
つくづく思い知らされる、『視覚障害者』であることを。
 白杖は必需品だとわかっているつもりだ。
しかし、白杖を手にしたところで、自由に行きたい場所にはなかなかたどり着け
ず苦しんでいる。
白杖に地面をなぞらせながら、時には突きながら、少年時代に夢中になったアニ
メ主題歌が蘇る。
「空を自由に~~」。
 そして考える。
白杖はいつになったら私を相方として受け入れてくれるのか。
どうしたら相方の言葉が聞き取れるのか。
どうしたら相方のしぐさが分かるのか。
いつになったら心が通い合うのか。
いつになったら寄り添ってくれるのか。
相方は進む方向を伝えようとしてくれているのかもしれない。
しかし、その伝えてくれている思いの数%しか右手は受け入れていないのか。
 それともやはり相方として認めてくれていないのか。
白杖は白杖であり、私の気持ちは聞き取ることができないのか。
相方と一緒でないと外には出られない。
しかし、嫌悪感を感じているうちは通じ合うものはないのだろうか。
 一人で点字ブロックや縁石を伝っているときに「ここはどこ」、「どちらに行
ったらいいの」と思い悩む。
必死に相方からの声を聴くようにするのだが、聞き取れない。
「この点字ブロックが進む方向なのか?」と相方と一緒に同じところを行き来す
る。
相方の声が聞こえる前に周りの人から「どこに行こうとしていますか?」との声
をかけてもらえる。
その言葉に甘えて相方の声が聞こえなくなる。
相方の先端は地面から離れたままになる。
そして、声をかけてくれた人と一緒に行きたい場所に到着する。
こんなふうに気持ちがこもっていない振る舞いをすると、
仲良くなろうとしても相方は声を出してくれないのだろうか。
 決して相方の悪口を吐き出しているわけではない、ただただ、自分の未熟さを
嘆いている。
言い訳とは受け取らないで!たぶん、相方は気が付いているはず。
初めての場所、迷ってしまったとき、脈拍が高くなり、体温が乱高下しているこ
とを。
ほくそ笑んでいるのか、頑張れと伝えようとしてくれているのか。・・・、わか
らない。
 相方と一緒に進み、行き先を確認すると相方は大きな音を鳴り響かせることが
ある。
相方が何かを伝えようとしてくれているのではなく、私の右手のミスだ。
そんな時も「大丈夫?」と、私は相方を気遣うこともない。
相方が当たってしまった物に「ゴメン!」と思うだけだ。
相方にはいたわりの言葉をかけていない。
これからは、家にたどり着いたら「ご苦労様、ありがとう」と声を掛けるように
しよう。
言葉を交わせるようになれるかなぁ~。
相方と一緒に「~行けたらいいな」、あのメロディとリズムで。
 今日も、相方と一緒に灰になるまで歩んでいく努力を続けよう。
相方も最期には一緒に灰になってもいいと思ってくれていますように。
この人生、相方と一緒に全うすることができたなら。次の人生、白杖はお墓に閉
じ込め、自由に歩きたい。
そして、白杖を相方にしようとしている人にやさしい声をかけられる、そんな人
になっていたいと想う。
編集後記
 外出時には白い杖を持つことになった。1歩先、2歩先を探りながら歩くことに
なった。
苦労することはあるけれどちゃんと行きたい場所に行ける、たどり着けるのは白
い杖あってこそのこと。
そんな思いがこもった呼び方ですね、相方というのは。
 相方と呼んでみると、語りかけるようになり、また相方のほうから語りかけら
れているようにも思えてきます。まさか自分が目が見えなくなってしまうとは、
という急な出来事は、
それまでの自分からするときわめて非日常的なことです。
そこに相方となって現れたのは、守り神なのかも知れませんね。すてきな呼び方
だと思います。
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2017年11月10日
☆どうもありがとうございました。


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