メルマガ色鉛筆へ「見える私からのメッセージ」シリーズ第9弾

タイトル メルマガ色鉛筆へ「見える私からのメッセージ」
メルマガ色鉛筆編集チーム
 こんにちは、メルマガ色鉛筆編集チームです。
「見えない・見えにくい人の暮らしの中のあれこれを、見える人はどう見ている
のか」をテーマに、
晴眼者の皆様より色鉛筆のレポートへ感想コメントを寄せて頂きました。
ということで「見える人の声あれこれ」第9弾をお届けします。
今回の「見える人」は、男女4名です。
見える人の声25(50代 女性 施設職員)
 見えにくい方の相談を受けていますと、「ほかの目の悪い人たちはどうしてお
られるのか」という話が必ず出てきます。
身近に視覚障害者の方がおられることは少ないので、視覚障害者の生の声である
「色鉛筆」は本当に貴重です。
ロービジョンの方の葛藤や白杖を持つまでの気持ちの変化などは、特に眼科関係
者に読んでもらいたいと思います。
眼科医とのコミュニケーションがうまくできていない箇所を読むと、本当に苛立
たしく残念で、
改めて医療従事者と患者のコミュニケーションの重要さを思います。
また現代では多くの視覚障害者の方々は中途障害で、かつロービジョンの方が多
いので、
健常者と障害者の両方の視点があり、その狭間にいることの苦労はそれぞれの環
境やパーソナリティによって本当に多様です。
 ですから最初、感想文のテーマを読んで少々戸惑いました。
「見える人は、見えない・見えにくい人の暮らしをどのように見ているのか? 
感じているのか?」、
「見える人、見えない人、見えにくい人、それぞれの思いを共有することから共
生への一歩へ」。
掲げられたテーマの根底には、見える人と見えにくい・見えない人との対立概念
が横たわっているように感じてしまったのです。
ひとりひとりの思いを丁寧に綴っていくことが他の人の生活の彩につながる、
それが「色鉛筆」の良さではないかと私は思っています。
見える人の声26(30代 男性 会社員)
 「見える人は、見えない・見えにくい人の暮らしをどのように見ていのか? 
感じているのか?」
私が今回のテーマを考えるに当たり、見えない人・見えにくい人をどのように感
じているのかを新たに考えてみた。
私が一番感じているのは、オン・オフの使い分けを上手く行っているのだろうと
いうことである。
 私の仕事は障害者就業支援であるため、視覚に障害のある方に出会う機会は多
い方であるが、改めて考える良い機会になった。
 私が出会う視覚障害者は意識的もスキル的にもリスペクト出来る方が多く、
具体的にどのような点でリスペクト出来るのかを以下、2点あげる。
 1点目:身体的な感覚の素晴らしさ
私は学生時代スポーツをしており、マッサージを受ける機会が多かった。
その際に全盲の方に対応いただくこともあったのだが、体の疲労度など、
どの担当者よりも的確に理解してくれていたという記憶がある。
その体験からも指先の感覚は素晴らしいという印象を持った。
 2点目:情報処理の素晴らしさ
これはプログラミングなどのPCスキルのことではなく、頭の中での情報処理のこ
とを意味している。
普段の議論や講演会などで視覚障害者の方の話を聞いていると、
実に論理的かつ簡潔に分かり易く話をされている方が多い印象がある。
加えて、様々な意見を的確にまとめて自分の意見を言われる方が多い印象を持っ
ている。
特に私自身、耳からの情報インプットがあまり得意ではないので、そのような方
から学んでいる。
 2点の例に共通することは高い集中力だと考える。
この集中力を何時間も継続的に続けることは難しく、見える人の何倍もの疲労度
があるのだと思う。
そういった点では日々の暮らしの中ではオン・オフをうまく使い分け、高い集中
力を維持しながら、
高いパフォーマンスを発揮されているのだと感じる。
見える人の声27(40代 女性 主婦)
私は、中学生になる息子の同級生のお母様とご縁が出来まして、メルマガ色鉛
筆を知りました。
そのお母様は弱視でいらっしゃいますが、学校の参観や、イベントにも積極的に
参加され、活動的な方です。
息子さんの子育ても、しっかりされています。
難しい年頃で、反抗期など重なる時期でも、キチンと教育をされていて、本当に
尊敬できる方です。
この度、メルマガを読ませていただき、私が感じたことを少しお話させていただ
きたいと思います。
 目が見えないことは不自由に思われることですが、その時々に最適な対応をし
て、生活されている様子がよく分かりました。
年齢や性別、発症の時期は皆さん異なります。
そういう立場の違いがあることを知ることが出来ました。
徐々に弱まる視力に、不安を感じる気持ち。
就きたい職業を諦めなくてはならない事情。
目が見えなくなった為、周囲の環境が変化し、引越しを余儀なくされる生活…。
ですが、その時々に助けてくださる家族や先生、仲間がいらしたことは本当に素
晴らしいと思いました。
とても胸が打たれるエピソードが沢山ありました。
 私達は見えることを前提に日々を当たり前に過ごしています。
今、私達は障害のある方達とどう向き合っていけばいいのかと、考えています。
少しでも生活しやすいサポートができるように、機会あるたびに思い、行動でき
るようになれればと。
そして、このことを沢山の人と共有し、助け合う社会が築かれますよう、お祈り
しております。
見える人28(20代 女性 福祉職)
 世の中では、障害があるのは不幸。障害がある人イコール弱者。弱者に手助け
をして“あげる”。
上から目線ともとれるような物言いが多いです。
 視覚に障害をかかえるがゆえの悩みは本当に数え切れないほどあると思います。
しかし、障害のあるなしに関わらず、感情の部分(嬉しい、悲しい、苦しい、悩
むこと)は、みんな同じで、
たまたま、何かの確率で、視覚に障害をもってしまっただけなんだと、色鉛筆を
読み、つくづく感じます。
人はみな完璧ではないし、完璧でなければ、互いに補い合えば良いことですよね。
これは、社会生活でもしていますよね。
なのに、それを“障害”という言葉でひとくくりに表現し、優劣を作ったり、壁
を作ったり、
互いに互いを、どんどん窮屈にさせているだけに思います。
この色鉛筆がそうしたイメージを払拭し、相互理解につながるものにより一層な
ってほしいし、
それだけの影響力のあるものだと思います。
ーー このメールの内容は以上です。
発行:  京都府視覚障害者協会 
発行日: 2018年2月2日
☆どうもありがとうございました。


現在、シンプルな表示の白黒反転画面になっています。上部の配色変更 ボタンで一般的な表示に切り換えることができます。


サイトポリシー | 個人情報保護方針 | サイトマップ | お問合せ | アクセシビリティ方針 | 管理者ログイン