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活動紹介

メルマガ色鉛筆第376号「移ろいの贈り物」

タイトル 移ろいの贈り物
ペンネーム 吟醸月舟(50代 弱視 女性)
レポートの要旨です。
 この街で重ねた歳月が、もうすぐ10年になろうとしています。
右も左もわからない土地で文字通り右往左往の日々を過ごすうち、ここは地図の上では右に左が、左に右があるややこしい、いえ味わい深い街であることがわかってきました。
そんな私が今年、同じ市内で移り住んだのは、長い住所に「中」と「西」と「南」の文字が入ったややこし見本みたいな地名の場所。
視力は生きることへの不安でいっぱいだった10年前よりさらに見えなくなったけど、「つまりどっち方向やねん」と新住所へのつっこみも軽やかに、今、あの頃よりしなやかな気持ちで道行く私がいるのはなぜ?
ここから本文です。
 「生麩はどうやろ」
甘いものは苦手という友人宅への手土産に迷っていた私はふと思い付き、おもむろにスマホのホーム画面右下に陣取るグーグルマップを起動し、ボイスサーチで一言「なまふ」。
そんな雑な検索で何が見つかるとも期待していなかったのに、トップヒットの結果から聞こえてくる情報は、まさに生麩専門店、しかも徒歩圏内ではないですか!
経路案内をタップしてみると、右折して70メートル、左折して130メートル、左折して10メートル、右折して300メートル、左折して170メートル・・。
聴いているだけで目が回りそうでしたが、思い切って行ってみることにしました。
 進行性の網膜疾患のある私の現在の視力はおそらく0.01程度、視野は中心1度程度と周囲に残る切れ切れで不鮮明な視界だけ。
白杖に足もとの、日傘に顔前の障害物検知を委ね、視野の隅にかすかに映る道路端の気配と、イヤホンから聞こえるグーグルマップの音声ガイドとに神経を集中して右折左折の指示通りにそろそろと道をたどること十数分。
「到着しました」のアナウンスとともに指示は一方的に終了したものの、辺りに漂うのは茫漠とした静寂のみ。
しばらくうろうろした後、通りかかった方の助けで細い小路をたどり、若女将さん?に出迎えられてなんとかゴールイン。
ようようたどり着いたお店の生麩の品ぞろえの、なんと彩り豊かなこと!
よもぎ、粟、山椒、チーズ・・。もっちり優しい生麩の印象に安堵感やら達成感やら相まって、説明を聞く心に色とりどりの花が咲くようでした。
保冷シートで丁寧に包んでいただいたお品を受け取った後、帰りは最短距離ではなくてもわかりやすい道があればとお店の方に尋ねてみました。すると、そのとき偶然居合わせたご夫妻が、乗っていきませんかとお声かけくださったのです。
明らかに遠回りと思われるお申し出に恐縮しましたが、私が横断歩道を渡らなくて済むようさらに大回りなルートでマンション前に寄せてくださったことに気づいたのは、車を降り、その気配がなくなるまでご夫妻を見送った後のことでした。
私はなんと幸せなんだろうと感じ、そのことを不思議に感じました。
 私の目は、ゆっくりと、でも確実に見えなくなってきています。
今の住まいに引っ越して半年になりますが、周囲を歩いても、そこにはもう風景はありません。
空の色も、咲いているかもしれない花の色も、往来に並ぶお店の佇まいもわかりません。
白杖でつつくアスファルトの感覚はどこも似たり寄ったりで、ごつごつ感だけが続く道が初めて通る道なのか、いつか来たことのある道なのかさえわかりません。
それでも、障害者を視野に入れた技術の進歩に支えと勇気をいただき、ややこしい道にも歩を踏みだし、行きたいところを目指すことができます。
がんばってたどり着いた先で得られる喜びは何倍にも心を満たします。
そして行く先々で、こんなにも利害に関係なく人に親切にできる方がいるのかと驚くほど心優しい方々に出会えます。
 最初にこの土地に越してきた10年前には土地勘というものがまったくなかったため、住んで初めて気づいた利便の悪さに苦労することが多々ありました。
近くにバス停はあるものの本数が少なく、地下鉄駅まで徒歩で往復する間に道に迷ったこと数知れず、溝にはまって全身ずぶ濡れで帰ったこともありました。
そこで少しでも一人で出かけやすいよう、アクセス最優先で住み替えを考え、今年の初めに引っ越したのが今の住まいです。
名は体を表すと言いますが、ここはややこしげな地名とは裏腹に、地下鉄駅まで徒歩2分、JRや阪急の駅も徒歩圏内、バスは時刻を調べなくても次々とやってきます。
利便性と引き換えに涙をのんで諦めたのは音の豊かさでした。
春が深まるにつれ上達する鶯の歌声は蛙の合唱へとバトンを渡し、夕暮れ時に響く蜩の声が日の入りの早まりとともに過ぎゆく夏を伝え、秋の夜長には、金木犀の香りをまとったシンフォニーが夜ごと心を慰め、底冷えの冬に和みをくれたのは、あっちからこっちから鳴き交わす鹿たちの声でした。
よく、幸せは失って初めて気づくと言いますが、そんなもったいないことはしたくないと、私は今ある幸せをできるだけそのときに自覚し、感謝するようにしてきました。
それでもなお、自然の奏でる折々の歌が消えてしまい、代わりに往来の車走音だけが控えめに聞こえるこの部屋で、失ったものの大きさを感じずにはいられません。
見えなくなっていく不安や悲しみとともにあった10年を支えてくれたもののひとつに、自然の織りなす贅沢な調べがあったことを思い、そうしたすべてのものへの感謝を、新たな場所での一歩につないでいきたいと、今改めて感じています。
 友人への手土産を携え、普段あまり使わない阪急の駅へと向かう道中のこと。
後ろに自転車の気配を感じて道端によけ、数歩歩いたところで植え込みにつっこんでしまいました。一瞬方向を見失い、きょとんとしている私に「どちらへ行こうとされていますか」と優しい声。
「ありがとうございます、あの、駅はこの先でよかったでしょうか。自転車の邪魔になっていそうだったので、よけたはずみによくわからなくなっちゃって。すいません」
するとお姉さんは、優しいけれどもきっぱりした口調で、こんなことを言ってくださいました。
「あなたは邪魔なんかじゃない。そんなこと誰も思ってない。今も、困っているなら助けてあげたいけどどうしていいかわからない、そんな風にあなたのほうを見守っている人が多くいらっしゃいますよ」
ああそうなのか、私の気づかないたくさんの優しさが私を包んでくれていて、それで今、私はこうしてここにいられるんだ・・。
見えなくなっていくことは、今もやっぱり不安です。
それでも、自分に起こる変化をそっと受け入れ、変化がもたらしてくれるたくさんの気づきを大切に、感謝の想いを支えに、楽しくこの道を行こうと思います。
 後日、友人からメッセージが届きました。
「生麩、悪魔的なおいしさでした」
やったー!
編集後記
 「あなたは邪魔なんかじゃない」という温かい見守りと、
「この道を行こう」という、力強い思いが重なる今なんですね。
「ゆっくりと、でも確実に」、この言葉が結ぶものが、
次なる「やったー!」につながりますように。
 -- このメールの内容は以上です。
発行:  京都府視覚障害者協会
発行日:  2025年10月10日
☆どうもありがとうございました。

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