活動紹介
メルマガ色鉛筆第267号「6に捧ぐ」
タイトル 「6に捧ぐ」
ペンネーム むらさき しきぶう(40代 男性 全盲)
レポートの要旨です。
「やればできる」。「積み重ねが大事」
という、学習塾のキャッチコピーのような文言が嫌でしょうがない私。
でも、皮肉にもその言葉が今の私を確立してくれている。
賛否両論、美談と捉えられる方もおられるでしょう。
とにかく、私の「6」に対する思いを文字にうつしてみました。
ここから本文です。
私は、学生時代から勉強するのが嫌いだった。
視覚障害者になり点字を勉強しなければならない羽目になろうとは思いもよらな
かった。
初めて点字に触れたとき、6つの点がまったくつかめず、
点をつぶしてしまいそうなくらい力が入っていた。
そんなざまだったから、1字読み取るにも苦労した。
なかなか先に進めないでいる私に、当時担当してくださっていた先生方は、
さじを投げたい気持ちだったんじゃなかろうか。
のん気な私も、さすがに焦りを感じ、訓練の復習をしてみた。
しかし、努力・根性・忍耐という言葉が嫌いな私の自主トレは、数十分しか持た
なかった。案の定、微動たりとも進歩のない日々がさらに続いた。
そんな私を見かねたある先生は優しい言葉をくれたが、
ネガティブな私にはあわれみの言葉としか受け取れず、
落ちこぼれの烙印を押されたように思えた。
やっきになっていた。
気合いだけでは何も身に付くはずもない。
だんだん焦りが増殖していく。
正確さも速度も上がらない日々が繰り返されストレスがたまってきた。
点字を諦めようか、この言葉が脳裏にちらついた。
読む意欲が萎えつつあるころ、それは突然やって来た。
フェードインしてくるイントロを刻むかのように、
指先が1字1字を着実に捉え始めたのだ。
なぜ急に読めるようになってきたのかわからない。
気持ちのどこかで開き直ったのか、リセットしたのか、
すべてにおいて凝り固まっていた力がやわらいだのか。
しかし、文字は読めるようになったものの、話の内容が一切頭に入ってこなか
った。
時を同じくして書きを始めた。
点筆がまっすぐ落ちてくれず、これまた力任せだから紙をしょっちゅう突き破っ
ていた。誤字なんて当たり前、行迷子になり重ね書き、もうハチャメチャだった
。
さらに分かち書き、この法則にはずいぶんと苦しめられた。
とにかく、ひたすら書きまくった。
右手小指の第一関節が点字器のマスの枠に擦れて、指たこができるくらい書きま
くった。やがてゆっくりだが、ほどよい力具合の点字が書けるようになってきた
。
だんだんと様になってきたようだ。
分かち書きにも慣れてきたが、やっぱり難しい。
今後もこれには苦しめられることになりそうだ。
一方、読んでも内容が頭に入ってこない日は続いた。
自主トレで2、3回くらい音読を繰り返してみた。
やがて1行、1行が記憶され、パイプのようにつながって、理解できるようにな
ってきた。先生方に漠然とだが内容を説明できる余裕もできてきた。
しかし、このくらいでいっぱしの有段者になったとは思ってはいない。
私よりできる方なんて世の中にはごまんといらっしゃる。
それでも自分で自分をほめてやりたい。
あきらめずに挫折しないで向き合ってきたことが今の自分につながっているんだ
と。
点字にはさんざん痛い目にあわされてきたが、
今、それが生活に欠かせないものになってきた。
点字シールは私のマストアイテムだ。
カードやCDケースなど、あらゆるところに目印を付けている。
何より紙媒体で読める、書けるという喜びがある。
全盲の私には文字に触れることなんてもう無理だと思っていた。
でも、眼球は使えなくとも、指先の目で見ることができるようになった。
筆記具で文字は書けなくても、小さなマスの中で文字が書けるようになった。
耳で聞くだけでは限界がある。
見る、書くことによって、記憶も記録もより鮮明になる。
今、短編小説を点字で読んでいる。
晴眼者時代は読書家ではなかったのだが、そのころ微塵にも思わなかった紙のぬ
くもり、紙のにおいに浸る自分がいる。
できなくなったことがまたできるようになった。
今まで気にも留めてこなかった些細なことが、今、小さな幸せになった。
人生生まれて初めてと言っても過言ではない、勉強して培ってきたものを、
今後点字を習得されたい方々のために活かしたい。
微弱だけど何かのお力になりたい。
どんな形でできるかどうかなんて今はわからないが、
これまで私に投資してくださったものを誰かに提供していきたい。
これまでさんざん社会に迷惑をかけてきた。
ささやかながらの罪滅ぼしのために、
微力ながらも貢献できる人材になりたいと思っている。
実のところ、私は6という数字が嫌いだ。
なぜなら、漢数字だと漢字表記の八に、上からなべぶたで押さえつけている。
つまり、末広がりにならない。
算用数字表記だと、フォルムが蛇がとぐろを巻いているかのようにも見える。
6月は多湿。パチンコ666は非確変。野獣の数字で不完全を意味する666。
6なものじゃない。これはこじつけだ。
そんな思いとは裏腹に、より身近なものとなった6つの点に
今後もお世話になることにしよう。
私に新しい息吹を与えてくれた、
そして、前向きな気持ちにさせてくれたことに感謝の意を伝えたい。
指に眼をくれた点字、6に捧ぐ。
編集後記
生まれて初めてのことが起きる、それは心踊るようなこともあれば、
時に生きる力をも奪うこともあります。
むらさきさんの「生まれて初めて」もきっとさまざまあったことでしょう。
「指に眼」という思いも、紙のにおいに浸る時間も、
新たな自分との出会いだったんですね。
さらには点字を活かして何か、そんな熱も生まれたようです。
6つの点とのおつきあい、そこから生まれる「はじめて」について、
どうやらその続きがありそうです。
色鉛筆で、またいつか。
-- このメールの内容は以上です。
発行: 京都府視覚障害者協会
発行日: 2022年6月3日
☆どうもありがとうございました。