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メルマガ色鉛筆第200号「エール」

タイトル エール
ペンネーム 気まぐれなオフブラック(20代 女性 全盲)
レポートの要旨です。
 これは、私が自分について語り始めるという人生の分岐点となるエッセイです。
具体的に、かつ伝えたいことを盛り込んだらすごい量になってしまいました。
まどろっこしく、回りくどい文章ですが、読みやすい文章でこの内容を伝えるのは、
私には無理です。
 てんこ盛りの恥を皆さんに届けて、それがもしかして誰かさんの一歩を踏み出す勇
気を与えることになれば、私は嬉しいです。
私は自分のことを人に話すのは苦手ですが、今回に関しては自分を見てほしいと思え
ました。
一歩、歩くことがこわいとき、後ろからそっと手を伸ばして、一緒に足を出せる人に
なりたくて、この文を書かせてもらいました。
もしも、そんなことができたら私はようやく私を褒められるような気がします。
色々思い出し、涙で濡らしたひとつのエッセイです。
色鉛筆で共有して、どこかの名前も知らない誰かさんの針金が
どうか少しでも長く伸びることを願っています。
ここから本文です。
 例えばここに一本の針金があるとします。
その針金はとても細く、弱弱しく、少しでも触れたら曲がってしまいそうです。
柔らかくて敏感で、そしてとても脆いです。
 この針金が段々と、伸びていきます。
たったの一秒でさえ、少しずつ少しずつ、伸びていきます。
そしてこの針金が伸びを止めてしまった時、全てが終わってしまいます。
でも終わりが来るまでは、どんな形だろうが、どんな太さだろうが、どんな長さだろ
うが、絶対に伸びることを絶やしません。
嫌でも、伸び続けるのです。
 私は今までに折れそうなほど曲がった針金を、持っています。
家族のこと、病気のこと、友人のこと、その他色々…。
いずれのことでも曲がりに曲がった針金です。
まっすぐなところは、1ミリもありません。
時には垂直に曲がってしまったり、もっと曲がりこんで振出しに戻ったり、戻ったも
のを進めていくともともとあった針金を巻き込んだりしてしまいます。
太さもまちまちで、折れてしまいそうなほど糸のように細い所もあれば、毛糸よりも
太くて芯のある所もあります。
 そして私は何度か、自分の意志でこの針金の伸びを止めてしまおうとしたことがあ
ります。
今考えると本当に馬鹿らしいことだと、後悔しています。
ですが、止めてしまおうと思っている時も、後悔している間も、針金は伸び続けるの
です。
 それは、例えば家族のこと。
毎日働きながら家事を一人でしていた私のお母さん。
彼女は何も言わずに、自分の中にあったどす黒い感情を誰にも吐き出すことができず
に、精神疾患にかかってしまいました。
その結果、アルコールから離れることができなくなり、毎晩毎晩、私達姉弟を罵倒し
続けました。
ですが翌朝には、お母さんはとても優しく、笑顔で「いってらっしゃい」と学校に行
くのを見送ってくれました。
本当に、一人の人間だとは思えませんでした。
いや、思いたくありませんでした。
 父とは血縁関係がない私でしたが、幼い頃は一緒に釣りに行ったり、バーベキュー
をしたりと、アウトドアな遊びをさせてもらえました。
祖母は先天性の弱視の私を自転車に乗せてくれなかったり、走り回ることを禁じてい
ましたが、父はそんなのは気にせず、まるで男の子のように好き勝手に遊ばせてくれ
ました。
しかし、父はある日競馬で借金をし唐突に家から出ていきました。
仕事も知らぬ間に辞めていました。
そして帰ってきたと思えば、半身不随状態。
原発の現場で働いており、酒を飲んだ勢いで橋から転落したのでした。
お母さんの精神疾患が悪化し、一時期叔母に預けられることになりました。
その時も父は仕事もせず、昼間から競馬新聞を広げては缶ビールを呷(あお)る日々
が続きました。
そしてまた突然、姿を消しました。
私は心の中で「もしかしたら誰か怖い人に連れていかれたのかもしれない」と思いま
した。
当時私はまだ中学生でしたので、借金=怖い人、というありきたりな、しかし最も分
かりやすいことを想っていたのです。
 そしてある日のこと、それはまた突拍子もなくお母さんから言われました。
「お父さんが肝硬変で死んだ」と。
私は情けなく、悲しく、そして腹の底では「ざまあみろ」と思っていました。
好き勝手して体を壊したんだから、自業自得ではないかと。
そんなふうに思う私は、今思い返せば全くみっともないと思います。
いくら血の繋がりがなく、だらしない人生を送っていたとはいえ、私の「父」なので
す。
そう、一緒に釣りに行ったりバーベキューをしたりしてくれた唯一の人なのです。
「ありがとう」の一言すら贈れませんでした。
私はなんて薄情で自分勝手なのかと自分を責めることを止められません。
それはずっとずっと、これからも続いていくのだと思います。
 また、私には姉と弟が一人ずついます。
姉は携帯のゲームで課金をしすぎて、自己破産に陥りそうになりました。
携帯代を滞納していることを恥じらいもせず、私に言ってきたとき、何かが変わって
しまった気がしました。
 弟は父がアルコールに溺れ、お母さんが叔母に預けられてから、学校に行くのをや
めてしまいました。
毎日ゲームばかりで、人と関わりをもつことを自ら断ってしまいました。
今、彼は二十歳を過ぎていますが未だに引きこもりで、無職です。
昔は自分にとって嫌なことが起こるとすぐに暴力に訴えて私達家族を脅(おびや)か
していましたが、今はただただ、本当にただただ何もせず毎日を過ごしております。
 私は自分の針金を折り曲げて、何度も何度も、その伸びを止めてやろうと思いまし
た。
しかし、その意思に反して、「まだ伸び続けたい」という願いがあることをどこかで
感じながら、暴れる母を、何もしない父を、堕落した姉を、父によく似た弟を見て毎
日を過ごしました。
だから私は今も、伸び続けているのです。
 家族以外にも私の針金を折り曲げることはありました。
例えば病気のこと。
小学校に入ってすぐ私は白血病にかかり、地元の大きな病院に入院することになりま
した。
1年近く入院していました。
当時の私は、毎日の点滴とパラパラと薬の副作用によって落ちる髪の毛を見ることし
かできませんでした。
そして幼かった私は「目の病気だからこんなに注射をいっぱいして、髪の毛が落ちる
んだ」と考えていました。
今思うと、あまりに純粋で、簡単で、滑稽なことです。
 中学生になり2年生の冬、私の目は緑内障が進行して手術することになりました。
大阪の大きな病院で個室に一人で泊まることが、とてつもなく孤独に思え、手術に対
しての恐怖心に輪をかけました。
術後、激しい頭痛と吐き気に毎日魘(うな)され、「もう終わりたい」と思う夜が続
いたのを覚えています。
 高校生になってすぐ、今度は網膜剥離が起こりました。
またしても大阪の病院で手術を施され、視力は元に戻りましたが、出席日数が足りな
く留年し、元同級生に卒業式で送辞のあいさつをすることになりました。
とても、辛く、切なく、悔しかったです。
講堂を出ていくみんなを見送ることに屈辱と嫉妬を感じました。
「本当は私もそこにいたはずなのに」と。
そして高校を卒業しても、なお網膜剥離が再発し、私は何度も何度も手術をしました

なかなか点滴が刺さらなくて手術室に入れない時もありました。
 目は段々と見えなくなって行きました。
私は「見えなくなる」という事実と向き合うことに、受け入れることに、ただただも
う疲れていました。
「どうせダメなら、早くやめたい」と繰り返し頭の中でグルグル、グルグル、回転し
ていました。
もはや恐怖を感じる気力もなかったのです。
戦うことに意味があるのか、分からなくなっていました。
 それでも私の針金は伸び続けることを諦めませんでした。
毎日を退屈し、怖さも辛さも悲しさも…全て理解することを放棄していました。
それでも、伸び続けるのです。
止めることは許されませんでした。
 さらに言えば友人のこと
まだ少し視力が残っていて、網膜剥離の手術を受けていた頃、SNSでずっと私を励ま
してくれる人がいました。
お互い顔も声も知りません。
どこで何をしている人なのか、私は全く知りませんでした。
しかし、その人のメッセージのひとつひとつが唯一、私を「涙をこぼす」という行為
に繋げてくれました。
彼がいなかったら、私は涙をこぼすことすら忘れていたと思います。
そんな彼が突然「実は記憶が段々となくなる病気にかかった」というメッセージを寄
せました。
彼はそれでも泣き言をひとつも私にもらしませんでした。
どうしてそんなに強いのか、と一度聞いてみたことがあります。
その時、「もって十年の命だから、辛いことを考える時間も惜しい」と言われました

それから「最近のことから忘れて行くから、お前のこともいつか忘れる」とも言われ
ました。
私はひたすらに涙をこぼし、彼がメッセージを送り続けてくれることを願いながら眠
りにつくようになりました。
少しでも長く、彼の記憶の中にいたかったのです。
 彼とはぷつりと連絡が途絶えてしまいました。
原因は私の目の病気が悪化したことです。
当時、音声で携帯を操作することに慣れていなかった私は、彼にメッセージを送るこ
とができなかったのです。
そして、少しの間が空き、私からメッセージを送りましたが、返ってくることはあり
ませんでした。
私のことを忘れてしまったのか、体調が悪く返信ができない状態なのか、私には判別
がつきませんが、ただもう彼からメッセージが送られてくることはないのだと思って
います。
 どれだけ折れ曲がり、捩じれ、捻られたとしても伸び続ける針金。
「もういいよ」と思っていても、また少しずつ伸びていく針金。
何の意味があるのかすら分からない針金。
諦めて何もしなくても伸び続ける針金。
この針金を折り曲げているのは神様です。
意地悪に笑いながら、私の針金を曲げていき、私が屈するのを心待ちにしているので
しょう。
でも私はその神様に抗いながらも、必死に伸び続けなければいけません。
家族のためでも、医者のためでも、友人のためでもありません。
今まで散々な目にあって、それでもなお伸び続けているということは、少なからず楽
しいこと、嬉しいこと、喜ばしいこと、さらには幸せを感じる瞬間があるのだと信じ
ています。
そうした希望を持って、私は伸びることを今も続けています。
絶対、なんて言えません。
この後もっと凄惨な目にあうかもしれません。
絶望が待ち構えているかもしれません。
そう、神様は私の針金を玩具のように曲げては弄ぶのが大好きですから。
そしてまた笑いながら針金が伸び続けるのを見ているのです。
それが例え奇妙な形でも、歪な形でも、これは私の針金です。
必死に伸び続けた針金です。
不格好で人には見せられないような醜い形をしていたとしても、私の針金です。
今もなお、伸び続けているたった一本の私の針金です。
これからも伸びるであろう、そしてまた折れ曲がることもあるであろう私の針金です

どんなに巧みな技でも私の針金がどこかの誰かさんに代わることは絶対にありません

自分だけの、特別な、愛すべき私の針金なんです。
 あなたの針金は、どんな形をしていますか?
そして、その形を指でなぞった時、満足できる形になっていますか?
今、あなたの針金はあなたの思うように伸び続けていますか?
今からあなたはあなたの針金で、どんな形を作りますか?
編集後記
 みなさんはどんな人から次の一歩を踏み出す勇気をもらいますか?
むずかしい状況の中で、顔を上げる元気をもらいますか?
気まぐれなオフブラックさんから勇気をもらう人が何人もいらっしゃる。
そう確信しながら、記念すべき200号の色鉛筆を届けさせてもらいました。
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 このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2020年7月31日
☆どうもありがとうございました。

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