メルマガ色鉛筆第140号「ひとひら」リレーエッセイ6
タイトル 「ひとひら」リレーエッセイ6
メルマガ色鉛筆編集チーム
こんにちは。
メルマガ色鉛筆編集チームです。
137号に続き、しりとりスタイルのタイトルでリレーエッセイをお届けしま
す。
暮らしの中の体験ひとひら、記憶ひとひらをつなぎます。
「競馬」、「バンク」、「車」、「祭」、「りんご」、「『ごめん』と『ありが
とう』」、
「上を向いて歩こう」、「Wednesdayの宇宙」、「海」、「道」のバトンを受け
て、
「ちりめん山椒」、「将来の夢」というタイトルでのエッセイです。
タイトル 「ちりめん山椒」
ペンネーム マスタードイエローの Espresso Cup (50代 男性 光覚)
「ちりめん山椒」は、母を感じる一品の一つだ。
温かいご飯におにぎりにと、楽しませてくれた。
ときには焼き飯の具材にもなった。
冷めたご飯に冷たい麦茶をかけたお茶漬けは、我が家の夏の一杯だった。
そんなちりめん山椒は冷蔵庫にある定番。
思い出の一品になったのはいつ頃のことだっただろうか。
小さい頃の私は、山椒の刺激に拒否反応を示していたんじゃないのかな。
母が、山椒を除いてご飯茶碗に入れてくれていたのかもしれない。
ちりめん山椒がお土産としてもてはやされるようになったのは、いつ頃からな
んだろうか。
お土産としてはちょっと高いものかもしれないが、お菓子より気のきいたお土産
の一つだった。
「ちりめん山椒」、母の思い出の一品。
いつの頃からか実家で作るようになった。
実山椒(みざんしょ)は八百屋さんから買っていた。
枝掃除はなかなか根気のいる作業で、掃除が終わると冷凍庫で保存する。
それを使ってちりめん山椒を作る。
できあがったものを新聞紙に広げて熱を冷ます。
「こうするとベタベタにならないんだよ」と言いながら作っていた母の姿を思い
出す。
一人暮らしを始めた私は、見よう見まねで我が家の一品に挑戦した。
「母と同じことしてる」と一人苦笑しながら、その時期になると実山椒の枝掃除
をした。
できあがったものを買うと高いイメージがあるが、家で作るとそれほどでもない
。
目が悪くなり、焦げる寸前で火を止めることが難しくなり、作ることはなくな
った。
一度、実山椒の水煮でも買って挑戦してみようかな。
実山椒を噛むごとにいろいろな思いが浮かんでくるだろうか。
つらい思いだけが湧き出したらどうしよう。
ちょっと怖い。
最後に、母の記憶のように書いてしまったが、母は生きていてくれている。
母はもう台所に立つことはできなくなってしまったが。
『母の一品』
5月中旬になると、イチゴのパックが四つ入るほどの箱に入った実山椒が枝付
きで売り出される。
実山椒は、枝を除くと、中ぐらいの大きさのざるに半分程度の量になってしまう
。
これを沸騰したお湯でさっとゆで、水でさらす。
表面の水分をなくした後は、ジップロックに入れて冷凍庫で保存する。
これでいつでもちりめん山椒が作れる。
実山椒は水煮が売られているので、そちらでも大丈夫。
これで準備完了。
鍋にジャコを入れてカラいりした後、ひたひたになるぐらい日本酒を入れて半
分程度まで水分をとばす。
そして濃口醤油と実山椒を入れ、水分がなくなる直前で火を止める。
鍋から新聞紙に広げて、あら熱が取れたらパラパラのちりめん山椒のできあがり
!
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いつの頃からか・・・、そんな問いかけを重ね、
今噛みしめる思いが語られました。
環境の変化の中にあってもつなげたい思い、このバトンを引き継いでのリレー
です。
タイトル 「将来の夢」
ペンネーム キラキラ色の子猫(40代 女性 全盲)
子どもの頃、私は何度も大人たちから聞かれた。
「○○ちゃんの将来の夢はなあに?、なりたいものはなあに?」と。
幼稚園のときは意味もわからず、
「○○君のお嫁さんになる!」と、ままごとをしながら無邪気に答えていた私。
「ケーキ屋さん」になったり「花屋さん」になったり、その時々で答えはどんど
ん変化していった。
周りの友達も、現実になれるとかなれないとかに関係なく、
そのときの思いを目をキラキラ輝かせながら話していた。
当時、人気のあったアイドルになりたい子、アニメのキャラクターになりたい子
、いろんな将来の夢があった。
「私は聖子ちゃんみたいな歌手になりたい」、
「僕はウルトラマンになって正義の味方になるんだ!」。
友達が夢をかなえた姿を想像するだけで私はわくわくした。
でも、友達は学校を卒業し、いつしか安定する職業を考えるようになっていっ
た。
誰もが現実になれる夢に向かって歩き出した。
幼稚園の先生や看護師、公務員や事務職など、
私も安定した道を求めて就職していた。
幼い頃の夢はすっかり忘れたかのように。
仕事に慣れた頃、私の目は突然見えなくなった。
私の日常の何もかもが変わってしまった。
環境が変わったことで、私が子どもの頃になりたかった夢を考えることはなくな
っていった。
私がなれるものはなんだろう?、やれることはなんだろう?と、
できることを探すだけで精いっぱいだった。
こうして、夢を描くということが、私の中でさらに薄らいでいった。
年月が経ち、今なりたいものになれたかどうかはわからない。
けれど、見えなくなったことでたくさんの仲間ができ、自分を理解してくれる友
達にも出会うことができた。
私は、書くことで素直な自分を表現できるようになった。
これも今の私がやりたいことの一つかもしれない、子どもの頃の夢とはかなり変
わってしまったけれど。
手を伸ばせば届く、私はそんな幸せに感謝して生きていきたい。
目をキラキラ輝かせていた子どもの頃のように、これからもやりたいことをどん
どん見つけていきたいと思う。
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かつてと今、自分の中で変わったものはなんだろう。
見える、見えない。
それ以外のことで変わったものとはなんだろう。
おそらく、いろいろな思いが浮かんでくることでしょう。
それがいつも普通にあったものだったり、描く夢だったりすると、
つらい思いだけが湧き出すかもしれないし、
触れることすら怖いかもしれない。
お2人のレポートそれぞれの中に、そんな対話がありました。
そして、どちらの結びにもピリリとしたアクセントとさわやかさが広がっていき
ました。
それぞれの人生のひとひら、ほんのりと思いをつなぎながら次回のリレーエッ
セイへと続きます。
-- このメールの内容は以上です。
発行: 京都府視覚障害者協会
発行日: 2018年12月7日
☆どうもありがとうございました。