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活動紹介

メルマガ色鉛筆第96号「写真、苦手にはなったけれど・・・」

タイトル 「写真、苦手にはなったけれど・・・」
ペンネーム 月あかりの奏でる音色(40代 女性 弱視)
 レポートの要旨です。
 見えにくくなった今、苦手になったもの、それは写真です。
でも、写真について考えるといろいろ思いが膨らんでいきます。
写真を覗き込むと、被写体の他にいろんなことが見えます。
この笑顔は誰に向けられているんだろう。
この写真を撮った人は、どんな気持ちでこれを撮ったんだろう。
このとき、どんな時間が流れていたんだろう・・・。
 写真、やっぱり撮ることも見ることも苦手だけど、
これからも付き合っていけるかもしれない。
そんな気持ちを見つけた私です。
 ここから本文です。
 見えにくくなって苦手になったもの・・・あったあった、写真。
 娘が生まれた当時、カメラはまだフィルム式が主流だった。
デジカメという存在は、名前を耳にする機会は増えてきていたものの、
画質やバッテリーのもちなどまだまだ実用面で難が多く、
大事な娘の写真を撮る大役は任せられないといった感じだった。
 フィルム式は、当然のことながら、デジカメのようにばんばん撮っては良いも
のだけを残すという小技がきかない。
それを百も承知で、娘のふとした表情、しぐさ、全部残しておきたくて、
似たような写真を飽きずに何枚も撮った。
24枚撮りのフィルムはいつも苦もなくいっぱいになり、
ジーっとフイルムを巻き取る間さえもどかしい思いだった。
 いそいそと近所の写真屋さんに足を運んでは、できあがった写真をめくりつ戻
りつ何巡も眺めた。
そのあとはかわいい、かわいいアルバムづくり。
これも今はあまり見かけなくなった(と思われる)透明フィルムをめくって台紙
に写真を並べていくタイプのずっしりしたアルバムに、
写真をくり抜いたり手描きのコメントやイラストをつけたりしながら写真を配置
していった。
 アルバムはやがてポケットタイプのものに、
手に持つカメラもいつしかデジカメに、
写真を取り巻くスタイルは変わっていった。
 四季折々の風景、学校行事、何気ない日常・・・。
年に数回の旅行では、さまざまな瞬間を写しとっては帰ってきてからゆっくり余
韻にひたった。
プランニングから始まる旅の一連の楽しみ、
写真はその大トリで、外せない作業だった。
旅の思い出や娘の描いた絵などを整理して、フォトブックも何冊か作った。
 娘が1歳になる前に離婚してしまった私は、娘のかたわらにいてあげられるた
った1人の親。
娘の成長をこの目でしっかりと見守り、形に残してあげたかった。
少しずつ見えなくなっていく中、私は震えるような思いで祈った。
せめて娘が大人になるまでちゃんと見守らせて・・・。
 娘が高校に上がる頃に新調したカメラはズームが何10倍にもきき、
静止画と動画が同時に撮れるなど、時代の波に乗った多機能の優れものだった。
でもその頃、私はもはやそのカメラを使いこなせなくなっていた。
見やすいはずの大きな液晶画面も屋外ではほとんど見えず、
細かい設定もできなければ、電池残量低下のサインも見落とし、
高校3年間の運動会の写真は全滅だった。
 学生生活最後の運動会の写真も、結局何かを失敗してうまく撮れなかった。
しょんぼりする私を先に見てしまった娘は、強い言葉で私を責めることはなかっ
た。
そんな娘の内心を思うといっそう悲しかった。
いろんな思いと向き合いたくなくて、私はカメラにふれることをやめた。
 視力が低下し続ける今でも、たまに写真を撮りたくなることがある。
撮りたい方向に適当に携帯をかざして撮ってはみるものの、
家で確かめたら何が写ってるんだかわからない。
がっかりため息をつくことも多い。
 でも、残念なことばかりでもない。
しょっちゅう会っている友達と初めて一緒に撮った写真を見たとき、
初めてその友達の顔立ちがわかった。
初めてわかったということは、逆に今まではわからないまま過ごしていたという
ことだ。
そして、そのことをさして気にとめていなかった自分にも改めて気づいた。
普通に考えて、顔のわからない相手と話すなんて不思議で怖い感じなのに、
いつの間にか慣れちゃってたんだなあと妙なところに感心した。
 そしてもう一つ、目からうろこの話。
写真に撮って、拡大したり明るさを調整したりしながらじっくり見れば、
そのままでは見えないものが確認できる、またはできることもある。
これはなかなかおもしろい発見だった。
 ただ、大人数で撮ったときにはやっぱり誰が誰だかわからない。
先日、ロービジョンの皆さんと一緒に撮っていただいた写真の中の私は、
ものの見事に見知らぬ人たちとともにカメラに笑顔を送っていた。
思わず「この人たち、誰?」と苦笑してしまった。
 その写真を送ってくださった方は、他の数枚の写真にも楽しいファイル名をつ
けてくださった。
だから、そのときの楽しさが写真ごとに蘇ってきた。
見えにくい写真も、説明があると見返したときに何が写っている写真なのかがわ
かりやすいし、
言葉を添えることで思い出す気持ちにも華が添えられる。
きっと写真でもなんでも、昔と同じようにとはいかなくても、
ちょっとした工夫で今の自分ならではの楽しみ方ができるのかもしれない。
 少し前には想像もつかなかったような便利なアプリなども登場している昨今、
せっかくだから上手に活用して楽しく写真と付き合えば、
むしろこれからは人生の味方にもなってくれるかもしれない。
 折しも今、娘は二十歳を迎え、記念撮影をしてもらってきた。
心のアルバムにしか残せなかった青春の一コマ、
そのちょっぴりほろ苦い思い出をお酒の席で笑い話にできるにはまだ遠い。
今の私の心はあの頃と距離が近すぎて、思い出せば心が痛み陰ってしまう。
 けれど、娘は確実に成長している。
振袖姿で微笑む娘、いくつになってもかわいい。
私は、おニューのアイフォンに収めた数枚の写真を眺めては親ばかな感慨にひた
る。
娘が大人になるまでは・・・と必死だった頃に思いをはせつつ、
今は「できればやっぱり娘の結婚式や孫の姿も写真を通して見れたらいいなあ」
なんて、
ちょっと図々しく想像してみる自分がいる。
 悲しみに引きずられず、これからは自分の人生、前を向いて歩いていかんとや。
編集後記
 視覚障害者は、視力や視野など見え方は人によってさまざま、人それぞれです。
そして、見えなくなる時期やなり方も人それぞれで、
今回の月あかりの奏でる音色さんのレポートは少しずつ見えなくなる、というご
経験を書いてもらっています。
 デジタルの時代になり、写真は画面の中で開くようになりました。
かんたんな操作で拡大できて、
直接には見えにくいものも撮影し拡大して見る、
という方法が考え出されました。
写真がお好きだった月あかりの奏でる音色さんが、そうやって、またちがうかた
ちで写真との関わりを持たれました。
これだけで一件落着となるほどには、見えなくなるという経験はかんたんなもの
ではありません。
ですが、そばにあるアイフォーンのカメラが、写真が、
大切な娘さんを見守る月あかりの奏でる音色さんの頼もしい見方になってくれる
とよいと思います。
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2017年6月30日
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