活動紹介
メルマガ色鉛筆「メルマガ色鉛筆 小さなアンケート 共有しましょう9」
読者の皆様、こんにちは。
メルマガ色鉛筆編集チームです。
今回は、「メルマガ色鉛筆 小さなアンケート 共有しましょう9」をお届けします。
ここからは当事者の皆様からのお声です。
★一人で京都に行ってみたいと思うようになりました。
いくつかのレポートから、京都は視覚障害者にも優しい町ということがよくわかりました。
(タイトル 言葉の庭先案内に誘われて!等)
★毎回楽しく読んでいます。
私のあるある失敗談、先日宮崎の娘の所に20日間ほど行っていた時の事です。
ある日「今日の夕飯は、焼肉にしよう」と言われ、
私は「えっ焼肉?」スーパーには慣れてきたけど、焼肉の肉って何処に売ってたかな」と思いながら
買い物に行きました。
野菜を買って、次は肉売り場、ラッキーな事に焼肉セットを目の前に発見、値段も安いし買って帰り、
娘に見せると「お母さんこれ豚肉でグラム数も違う」と言われて、私はショック。
牛肉に見えたのになーと思い再度スーパーへ
今度は、宮崎牛と書いてあるのを買って帰り、みんなに喜ばれました。
間違ったけれど、宮崎牛がみんなに喜ばれたので、落ち込みも、ふっ飛びました。
★自分の思想が、欠けている事を感じた。
メルマガ色鉛筆をきっかけに大事を求めず小さな喜びを、大切にしたいと再認識。
情報交換、自己知識向上につながっている。
メルマガ色鉛筆の情報、文集のレポートを障害者に聞かせたいと思います。
各人、内容が、自分にも思い当る事があると言っていました。
★ときどき、メール上に配信されている「メルマガ色鉛筆を見つけて、
いつも 心楽しく読ませて頂いています。
まず 筆者の色々な色のペンネームが嬉しい。
それぞれの人の夢や想いが、ちりばめられているようで…。そして、期待して本文を読む。
各々のレポートの、視覚障害者とは思えないような、明るい立派な生き方に、
私は、いつも敬服してしまう。
全体的にも、形式が整っていて読みやすく、
内容的にも、メルマガ色鉛筆編集チームの滞りない基本姿勢への配慮が感じられ、
視覚障害という暗いイメージが払拭されていて、読む者を元気づける。
晩年に視覚障害者になった(60歳頃から視力低下、最近80歳で全くの全盲)の私は、
その 「余生なる時代」に「何を生きたのだろうか」と
元気を出して探ってみようか、と思ったりしたが、
もう、そんなことをする暇はないかも…、などとも思っている。
薄闇の 盲(めしい)に活きて 俺(おら)が春 ひかる子
★わたしは、地域で行われた「視覚障害者ガイドヘルプ研修会」のときに、
色鉛筆の記事をちゃっかり利用させていただきました。
事後報告、大変失礼いたしました。
活用させていただいたのは、「あるある失敗談」の、外出編です。
視覚障害者にとって、ガイドヘルプが、なぜ必要なのか。
理解を得るために、大いなる力となったことは言うまでもありません。
受講された皆さんは、当事者のありのままの文章に、驚いたり、涙ぐんだり、くすりとしたり……
だから、視覚障害者を、安全に誘導することの大切さを、即座にしっかりと理解されたようでした。
ありがとうございました。
人生半ばから、視覚障害を歩んでおります。
進行性の病で、まだ、少しだけ視力はあります。
小中学校での福祉教室の講師などしております。
★いままで、色々な催しに参加し、色々な方々の話を聞かせていただいていますが、やはり、色鉛筆のように文章で書かれたのを拝見すると、雰囲気が違います。
文章で書かれるからには、ずいぶん推敲を重ねられたものと思います。
その中には、多少作文される部分もあるかと思いますが、自分が伝えたい事が書かれており、
気持ちが伝わり分かりやすいです。
それらの事を考えましても、このように色々な方々の生の声を聞く事が出来、いろんな人が、
いろんな思いで、いろんな行動をしているのだなと思いました。
晴眼者が視覚障害者の事が分からないと言いますが、同じ視覚障害者の中でも、
自分以外の人の見え方、生きざまは分かりません。
当たり前の事です。
仲間同志のMLでの話でも、正直な所は出てきません。
私も話をしていません。
当然のことですが、今更ながら、色々な人がいるんだなと、視覚障害者の中での視野が広がりました。
そして、皆さん、普通の事を普通にしたいのだなと思いました。
私も、今まで以上に、普通に生活ができるようにやっていきます。
これからも、色々な人の話をお聞かせください。
★曲がりくねった
先の見えない
私達
皆さんが手に汗をして
最初の曲がり角まで
困難を越え
ここまでくれば
次の角まで手探りで歩み
また次の角までいくつかのハードルを越え
共どもに一歩 一歩
生きて行くために
★私は生まれつきの全盲です。
メルマガ色鉛筆39号に励まされ感動しました。
何十年も自分の子育てを悔やみながら、今でもフラッシュバックして苦しくなる私の心の痛みを
弱視の先生からの投稿で気持ちが楽になりました。
三人の子育てを振り替えって、
連れ合いは自分の趣味にほとんど休みは家にいることはなく、お給金は自分の趣味や自分の身内に使う人でした。
地域には点字サービスも朗読のサービスもない、
ホームヘルパーも40年前には3万5000人の町に4人しかいない時代の中で、
今生きることが精一杯の私は、子供たちにはよい母親でなかったなと、苦しい思い出しかありません。
そのときの子育てで地獄にいた気持ちを楽にしてくださったのが、弱視の先生の投稿で救われたのです。
ほんとうに先生ありがとうございました。
今度は孫育てに心穏やかにしてボチボチと私は娘を助けてあげたいと思っています。
adl訓練を受ける機会もなくて、子育てに突入した私ですが、時代とともに支援の方のあり方や考え方など
40年前とはずいぶん異なっております。
その時代に合った自分に合ったadlが必要だとメルマガ色鉛筆を読んでいて感じました。
なかなか自分の思いを文字にまとめるのは難しい作業ですが、
過去にできなかったことを、これからの私の人生にいかせていきたいと思っています。
現代の子育てから勉強することがたくさんあります。
全盲の私でも使えるおもちゃの多いこと。
まだまだ数少ないですが、展示絵本も売っていますし、何をいっても肩が凝らないおんぶ紐には感動です。
人がたくさん集まるところには点字ブロックが敷設していますし、とても楽しく外出しています。
片田舎に住んでいる私は、マンホールやグレーチングや電信柱や道ばたの草やガードレールやポール、
バス停の前にある工事用のドラム缶、電柱から斜めに張られているワイアーなど、
使い方によっては障害物になりますが、今あるものを目印に足裏の感触と白杖で
我流の単独歩行で外出しています。
不特定多数の方に声をかければ、返事が返ってくる世の中になりましたので、ひとり旅にも挑戦している私です。
-- このメールの内容は以上です。
発行: 京都府視覚障害者協会
発行日: 2015年12月25日
☆どうもありがとうございました。