メルマガ色鉛筆第31号(「見えにくくなって仕事を辞めた時の思いと今」)
タイトル 「見えにくくなって仕事を辞めた時の思いと今」
ペンネーム 虹色の空(30代 女性 弱視)
レポートの要旨です。
なんとなく見えづらさが気になりだした。
今まで見えていた距離から見えない。
誰にも相談できない。
不安はどんどん増える…。
仕事を辞めたくはないけれど、辞めなければならない。
悔しさも苛立ちも山ほどあったが、同時に強まっていく思いがあった。
私は負けたんじゃない、絶対にまた働くんだ!
ここから本文です。
小学生の頃の卒業アルバムに将来の夢を書いた。
そのことをずっと忘れずにいた。
高校を卒業し、専門学校へと進んだ。
そして、専門学校を卒業して就職した。
迷いもなく、悩みも少なく、夢が現実になった!
その頃までの私は視力に少し不安はあったが、特に支障はない程度だった。
好きな仕事ができること、社会の一員になれたことが素直に嬉しくて、毎日が楽しかった。
働きだして6年目くらいだっただろうか、なんとなく見えづらさが気になりだした。
不安になりいくつも眼科を回ってみたが、特に異常はないと言われるばかり。
でも、明らかに今まで見えていた距離から見えない、認識できない。
だましだましで、見えにくさをカバーしながら過ごす毎日が続いた。
その頃の私は、ルーペや単眼鏡(たんがんきょう)など、便利な道具なんて知らない。
でも、もしも知っていたとしても、なかなか人前では使えなかったんじゃないかなと思う。
見えにくさを知られてしまうのが嫌だったし、怖かったから。
会議の資料を拡大コピーして先読みして予習したり、時には嘘の理由をつけて見にくいことを隠すことが増えた。
気のせい、気のせい!と思いたいが、実際そうもいかないことが多々出てくる。
だけど、誰にも相談できない。
不安はどんどん増える…。
そして、酷使してしまっている目の疲労も増えていくばかり。
毎日が必死だった。
そんな生活が2年くらい続いただろうか。
ある時訪れた眼科で、初めて「すぐに大きな病院で診てもらってください。紹介状を書きますから」と言われた。
あまりにもあっさりと、しかも淡々と。
さらに、「仕事はもうできないかもしれないですね。これからのことも考えないとね」とも。
そのあまりにも事務的な言葉…。
衝撃すぎて理解できない。
初めて聞いた病名、それってどんな病気なの?
今後どうなるの?
急に見えなくなるの?
次から次に不安なことばかり、頭の中をグルグル回る。
家族にどう話そうか?
これからどうしようか?
どうなるんだろう?
不安は次々あふれてきて、涙が止まらなかった。
家族に話した時、私の想像以上にショックを受けた母の姿があった。
それを見た瞬間、
「私は大丈夫。病気ってわかってなんかホッとしたよ。だから、とりあえず病院に行ってくるよ」、
精一杯の強がりで笑って言った。
その後の検査で病気は確定した。
だけど、これから先の生活、仕事、病気の進行具合、どれをとっても誰も教えてくれるわけではない。
結局はだましだましの生活が続いた。
病気のことを隠して働くこと、悪いことをしているわけじゃないのに、
なんだかいつも罪悪感みたいなものがあってしんどかった。
ある日、思い切って上司に打ち明けた。
意外にあっさりと受け入れてもらえたように見えた。
が、現実はそうではなかった。
何かあったら困るから…と配置転換させられ、特に仕事は与えられないままの毎日が始まった。
急に私が抜けたことで明らかに大変になっている様子を目の当たりにして、
皆への申し訳なさ、行き場のない苛立ち、納得できない怒り、辛かった。
でも、表舞台には出れずとも、裏方なら何かできるはず!
歯がゆい気持ちも、悔しい気持ちも、諦め切れない気持ちもいっぱいあったが、
それでも仕事を辞めたくなくて、離れたくなくて、笑って乗り切ろうとした。
そんな私は、「辛いはずなのに、笑ってがんばってるのを見るのはかえって辛い」と言われたこともあった。
でも、私は負けたくない!
ただその一心で貫いた!
だけど、「来年度の正職での継続は難しい。しかし、現段階ではその他の雇用形態は考えていない」と言われた。
これって、遠回しに辞めてくれってこと。
でも、諦め切れない思いと、現場復帰を訴えてくれる仲間に背中を押してもらいながら、
とにかく今はやれることをやろう!と必死だった。
なんとか職場に残れないかと、医師にお願いして病状の説明もしてもらったし、
視覚障害当事者の団体の方にも力を借りた。
でも、やっぱり継続は無理だった。
やれるだけやった、とりあえず休憩しよう!
次の作戦を考えよう!
どこまでも強気に退職を決めた。
最終日、私は堂々と宣言した。
「必ず復帰します」。
悔しさも苛立ちも山ほどあったが、私は負けたんじゃない、絶対にまた働くんだ!
それからも何度も折れそうになった。
もう無理かもって何度も思った。
先の見えないトンネルの中でもがいて、悩んで、もやもやしながら、
退職して5年を経て同じ職種で復帰した!
捨て切れない意地と小さなプライドのおかげで今も仕事ができている。
子どもの頃の夢が叶った!
天職だと思える仕事に出会えたこと、私にとって大きな財産だ。
またいつか、これからのことを決断しなければならない時が来るだろう。
その時には、もしかしたら別の職種になるのかもしれない。
だけど、その時は諦めるんじゃなく、次へのステップ!
そう思える自分でありたい。
またさらに1つ、天職と思える仕事に出会えたらいいな。
その日に向かって今をしっかり歩いていこう。
編集後記
何度も折れそうになった。
本当にそうだっただろうと思います。
苦境に立たねばならなかった虹色の空さんの思い、意気込み、気づき、そして悲しみ、やさしさ。
今回の文面を通してビシバシと、ビシッバシッと伝わっていってほしいと思います。
今回は、虹色の空さんの具体的な職種を伏せました。
働いている人が中途で目が不自由になるとしたら、ありとあらゆる職種があり得ます。
難しい局面なだけに、気持ちや思いの理解者がいてほしいと思います。
-- このメールの内容は以上です。
発行: 京都府視覚障害者協会
助成協力: 京都オムロン地域協力基金
発行日: 2014年12月19日
☆どうもありがとうございました。