メルマガ色鉛筆第313号「視覚障害と私の人生ゲーム」

タイトル 視覚障害と私の人生ゲーム 
ペンネーム ツートーンコリー (50代 男性 弱視)
★レポートの要旨です。
 皆様は、人生ゲームというボードゲームで遊ばれたことはありますか?
人生ゲームは、人の人生になぞらえたイベントをこなしていく双六のようなゲー
ムです。
私が子供の頃は友達や家族、親戚が集まった時にはボードゲームを囲み、
大はしゃぎしたものです。
アドベンチャーやシュミレーションといった類(たぐい)のゲームは
もっぱらボードゲームでした。
 視覚障害者になったことで気持ちが落ちこんでしまった時期もありました。
しかし、それは一時的なことでした。
気持ちを取り戻してからは、なんだか自分は人生ゲームのプレイヤーのような気
分です。
そう考えると、私の日常は冒険者の歩みでもあります。
そんな私の人生ゲーム、レポートでご一緒してください。
★ここから本文です。
 私は見えにくい状態になってから、
自分は人生ゲームの中の冒険者みたいだなと感じるようになりました。
自分自身をゲームの主人公として捉え、新たな喜びと成長の道を歩んでいる、
それが私の日常です。
私にとって視覚障害とは、すなわち、冒険のようなものです。
新しい環境や経験に挑戦し未知の世界を探求することで、
自分自身を成長させるチャンスを手に入れていく、
視覚障害にはそんな一面があります。
 私にとっての冒険とは、社会人になって技術畑を四半世紀歩んできて
事務畑に転換したこと、終の棲家に選んだ土地を離れ、
近い将来には交通の便のよい土地に移住しようとしていること、
我が道を歩むことを好み、人とのコミュニケーションを取ることが得意でなかっ
たのに
今は仲間作りに励んでいること。
晴眼者であった私には考えることもできなかったことばかりです。
けれど、やってみたら、なかなか楽しい大冒険なのです。
 当然ながら、困難な場面に遭遇することもあるのですが、
困難に立ち向かい、新たな発見や成功を喜びに変えることができます。
それは達成感につながります。
もちろん、自身が成長したり達成感をつかむことは、
視覚に障害があってもなくてもあり得ることです。
けれど、私は半ば人生を諦める時期があったからこそ、
成長と達成感を深く味わうことができるようになりました。
今までできていたことが、できなくなったことによる悲しみや悔しさはない、
そう言えるほど能天気な訳ではありません。
 人生100年と言われる時代に生きる私にとって、折り返し点である40代後
半で
視覚障害者になったことは、まさに人生の上り坂、下り坂ならぬマサカでした。
あと50年もこんな状態で人生を送らないといけないのか、人生が長すぎる。
 何か罰を受けるような罪を犯した覚えもない、私に課せられる宿命は
あまりにも重すぎるのではないかと、行き場のない思いを抱えた毎日でした。
会社の同僚から目の調子はどう?なんてことを聞かれても
「目はだんだん悪くなってきている。先は長いのに耐えられない」
としか答えられませんでした。
 そんな日々のなかで、視覚障害当事者の方と縁あってお話をする機会がありま
した。
自分はいつも荒々しくしてしまっているのに、どうしてこの方は穏やかそうなの
だろうか、
ひとりきりの時間に落ち着いて考えてみました。
私が出した結論は、この方は心にゆとりをお持ちで、
多くのバックグランドがある知性豊かな人なのだということでした。
このことに気づいた私が真っ先に思ったことは、この方に倣おうということでし
た。
これで自分の荒々しさが解放され安堵できるということでした。
 私の人生を人生ゲームの場面に当てはめて振り返ってみました。
思えば、人生のことを何も考えなかった10代、
その反動からなのか常に人生に不安を感じる20代、
転職と結婚をすることによって自分の人生を大きく変えた30代、
妻と平々凡々と幸せに暮らしていたのに傷病により奈落の底に突き落とされた4
0代でした今、50歳を迎えて人生ゲームも考え方や方法を変えることで仕切り
直しができそうです。元来、探求心、追求心、好奇心を私は持っています。
そんな私がゲームのプレイヤーとして日々を楽しむことができたなら、
自ずと「心のゆとりをもつ」ことにつながっていくでしょう。
一過性の楽しみを得るボードゲームと違い、
これからの私の何十年も続くであろう人生ゲームは楽しみ続けることができるの
です。
楽しくなければ楽しくなるようにゲームの中身を変えてしまえばよいのです。
過去は変えられないけど、未来は変えることができます。
10年経った時に私はどのように人生ゲームを振り返るのだろうか?
思っていたほどの人生でなかったのなら、
人生ゲームはおもちゃ売り場で買ってきた定形のまま進める必要はないのだから

マイナーチェンジをしよう、何ならモデルチェンジをしようと
未来の自分はゲームそのものを変える試みを企んでいるかもしれません。
さてさて、どんな多彩なキャンバスが描けているのか、
10年後に私はどんな企みをもっているでしょうか、
冒険の先の未来が楽しみです。
編集後記
 どこにいても、何をしようとしてもすべてがアドベンチャーになる、
見えない見えにくいという環境は、
ツートーンコリーさんのところにそんな時間を運んできました。
さまざまなシーンでどんなふうに一歩をゆくのでしょうか、
時に研究者となり、時に探検家となり、時に哲学者となり、
自分の中でいくつもの役割を持つキャラクターが活躍しそうです。
そのどれもが勇者であることはまちがいないです。
そのことをこのレポートは伝えています。
人生ゲームのプレイヤー、さあ、どんな出会いと発見があるでしょうか。
そこでどんなストーリーが生まれるでしょうか、
さらにはどんなゲームになっていくのでしょうか、
ワクワク、つづきが気になります。
冒険の明日を、色鉛筆でまたいつか。
 -- このメールの内容は以上です。
発行:  京都府視覚障害者協会
発行日:  2023年8月25日
☆どうもありがとうございました。


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