メルマガ色鉛筆第98号「見えている今のうちに」

タイトル 「見えている今のうちに」
ペンネーム ダークバイオレット(70代 女性 弱視)
 レポートの要旨です。
 長いこと一度は登ってみたいと思っていた愛宕山に、決心をして行ったお話で
す。
決心するまでの思い、登山中の思い、そしてその後の思いを書いてもらっていま
す。
 ここから本文です。
 何年か前、「愛宕山」に登った。
愛宕山は火伏せの神様。
標高900メートル余。
7月31日は千日詣りで賑わう信仰の山である。
 この地に長年住んでいる私も一度は登ってみたい。
友人の何人かに声をかけたが、「暑い」「しんどい」と誰も付き合ってくれない。
服装、持ち物、食料品などを整え、登山日和のある日、一人で行くことにした。
体力や視力に多少の不安はあったが、何かに突き動かされたように感じられた。
 高校時代、富士登山をする機会があったが、風邪で参加できなかったことをず
っと残念に思っていた。
後年、「愛宕山に登れたら富士山にも登れる」というなんの根拠もない誰かの一
説が脳裡をよぎり、
富士登山代替の行動だったかもしれない。
あるいは、60代半ばのあがきだったのだろうか・・・。
 その日は人出も多く、山頂まではルートが決まっているので道に迷う心配はな
い。
15分ほど歩くとTシャツは汗でびっしょり、階段や根っこ道が多く、思った以
上にきつい山道だった。
山頂の愛宕神社にたどり着き、「火迺要慎(ひのようじん)」のお札を手にした
ときの達成感は今も忘れられない。
 しかし、下山が大変だった。
登るより下りるほうが難しいことを身をもって知ることになる。
膝はガクガク、枯れ葉や砂利で滑りそうになり、景色を楽しむ余裕など微塵もな
い。
ひたすら足を前に進めるのみである。
不案内な場所に身を置く心細さ、同じ景色を共有する相手がいない寂しさ、
体力の衰えを実感し、無謀な行動だったかもしれないと後悔の念をかみしめなが
らやっとの思いで下山した。
 以来、その日頂いたお札は我が家の台所を守り続けている。
 電車の車窓から見る愛宕山はかすむ視界の中にある、あのときの苦い思い出と
ともに。
かつてあの頂上を極めたんだ、
そんな小さな満足感を、愛宕山は今も私に与えてくれている。
編集後記
 何事も実際にやってみると、思わぬことがあれこれと起こります。
思い描いたそのとおりになることはありませんね、大概は。
そして、そこに視覚障害、見えない・見えにくいということが入ってくると、
何か起こるその都度、気持ちも浮き沈みしてしまいます。
 今回のレポートは、愛宕山登山。
人は山にいざなわれ、山に呼ばれて、
「今のうちにやってみよう」ということになったお話です。
 ダークバイオレットさんがもし親しい友達だとしたら、みなさん、このお話に
どんな感想を返しますか?
-- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2017年7月28日
☆どうもありがとうございました。


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