メルマガ色鉛筆第68号「私にとって楽しいこと パート2」
タイトル 私にとって楽しいこと パート2
メルマガ色鉛筆編集チーム
第66号に引き続き、今回がデビューのピチピチライターさんたちに、
「あなたにとって楽しいことって何ですか?」という質問に答えてもらいました。
今回はどんな楽しさの世界が展開するでしょうね。
どうぞ、お読みください。
★タイトル 「いつもどんなときも美しいものを感じたい」
ペンネーム 銀色のピラミッド(40代 女性 全盲)
私が昔から一番楽しみにしていることは、美術館に行き絵を眺めることでした。
それは、高校2年の担任の先生が課外授業でクラス全員を近くの美術館に連れていってくれたことがきっかけでした。
そのとき先生は言われました、
「いつもどんなときも常に美しいものを感じたり、触れなさい。
そして、心に響く作品に出会い、それを自分のものにしなさい」と。
私にはその言葉がとても新鮮に聞こえました。
それから、私は友達と美術館や博物館に出かけるようになりました。
特に風景画や宗教画が大好きで、ずっと眺めていてもあきることはありませんでした。
一つ一つ説明書きを読みながらゆっくり進んでいくと、
その絵の中の世界に入り込んでしまってなかなか抜け出せないこともあります。
例えば、フランスのルーブル美術館に行ったときは本でしか見たことのない絵が目の前にありました。
どの絵も目に焼き付けたくて、なかなか絵の前から動けず、
友達に引っぱられながら後ろを振り返りつつ帰ったことをよく覚えています。
あのとき一番長く足を止めたのは、フィリップ・ド・シャンパーニュの「最後の晩餐」という絵の前でした。
その絵には、食卓にいるイエス・キリストと12人の弟子たちが描かれていました。
弟子たちはイエスの言葉を聞いて驚き、とまどっていました。
イエスが食事の前に自分を裏切ろうとする者を指摘し、
パンとぶどう酒を見ながら「これは私の肉であり血である」と。
これまでの私には、
レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の中のイエス・キリストの神々しい堂々としたイメージが強くありました。
しかし、その絵はあまりにも対照的でした。
感情表現が豊かで、迫力があったからです。
描き手が変われば、同じ「最後の晩餐」でも表現が異なるのだなと感じました。
何年たっても忘れられない素敵な思い出です。
今は見えなくなり、絵を見ることはできなくなったけれど、
音声ガイドから絵をイメージして美術館の中を歩くのが楽しいです。
私は高校の先生の言葉のおかげで、
見えなくなっても、見えていた頃とは違う方法で絵や美術品を楽しむ気持ちになれました。
私にこの言葉をかけてくれた先生にいつか会う機会があれば、
「ありがとう」という気持ちを伝えたいです。
そして、これからもいろんな方法で絵を楽しんでいきたいと思います。
★タイトル 時間を忘れるぐらい
ペンネーム くるくる回る青色(30代 男性 弱視)
私の好きなことはたくさんある。
おいしいものを食べることもその一つだ。
しかし、一番は大学時代に所属していた書道部の友達と話すことだ。
一昨日の日曜日、約1年ぶりにその友達と会った。
2時間の食べ放題、飲み放題、食べることが好きな自分だが、この日食べたものは思い出せない。
ただただ話に夢中になっていた。
約1年ぶりに会い、積もり積もる話もあったのだろう。
例えば、学生時代の部活での出来事や自分の好きなアニメの話などだ。
ふだん人としゃべるのがそれほど得意でない私が時間を忘れるぐらい話した。
よほど楽しく、またテンションが上がったのだろう。
ただ、そのギャップもあってか、帰りの電車の中では祭りの後のような切なさが込み上げてきた。
また会いたいと思う反面、年々あと何回こうして会えるのかとも思ってしまう。
将来誰かが結婚し、家族を持つようになるとライフスタイルも変わる。
やはり今までとは違って、集まりにくくなるだろう。
そう考えると、寂しくも切なくもなる。
だからこそ友達と会う時間を大切にしたい。
なぜなら、そこは私にとって大切な場所だからだ。
編集後記
野山のいろんなところに花が咲くように、私たちの日々の暮らしにもいろんなところに楽しさの花が咲きますね。
みなさんはどんなところに楽しさの花を見つけましたか?
咲かせましたか?
また機会があればパート3をお届けしたいと思います。
またドラマを感じてもらいたいと思います。
-- このメールの内容は以上です。
発行: 京都府視覚障害者協会
発行日: 2016年5月20日
☆どうもありがとうございました。