メルマガ色鉛筆第284号「鏡と私のFace to Face」

タイトル 「鏡と私のFace to Face」
ペンネーム ムラサキ ディスペラー (40代 男性 全盲)
レポートの要旨です。
~ もう一度、逢えませんか?
 もう二度と、逢えませんか…。 ~
そう語りかけるところからこの文章ははじまります。
文章を最後まで読んで、
再度、この語りを読み返してみてください。
ここから本文です。
 もう一度、逢えませんか?
 もう二度と、逢えませんか…。 
「明日が来るのが怖かった」
 病気の合併症で視力を失ってから、もうかれこれ10年がたつ。
あのころはまだ弱視でちゃんと光を感じたし、
かろうじて色や形、拡大すれば文字も見えていた。
そう、自身の顔も。
 当時、朝の儀式というか、必ずやることがあった。
洗顔時、鏡の中の私に目をやること。
まだ顔がある。ずいぶんと薄れてしまったが、まだ顔が残ってる。
そう確かめて、そう自身に言い聞かせて、
少しでも視力を失ったことへの絶望感を癒していた。
 3年ほどは薄れた顔に出逢えていた。
このままいけばいい、笑い顔も仏頂面もまだわかる、そう思って暮らしていた。
だが、絶望の足音は静かに近づいてきた。
日に日に少しずつ、薄い乳白色のヴェールが目の前を覆っていく。
それをどうすることもできなかった。
こんなヴェールなんか消えてしまえばいいのに、そう願っていた。
 しばらくそのままの朝が続いた。
このままいけばいい、表情はわからなくなったが、まだ見える、輪郭も目も鼻も
口も。
お願いだ、もうこれ以上、私から顔を奪わないでくれと、
毎朝、鏡の中の私に強く願っていた。
だが、この願いは叶わなかった。
ヴェールは完全に目の前を覆ってしまった。
とうとう私は絶望という名の乳白色に侵されてしまった。
「ああ、顔が消えてしまった…。ああ、顔がなくなってしまった…」
 鏡の前で立ちすくんだ。10分、いや20分、それ以上かもしれない。
どんなに目を見開いても、凝らしても、なんなら鏡にキスをするぐらい顔を近づ
けても、
もう何も見えやしない。
放心、自失状態、まさにそうだった。
こんなことになるなんて…。こんな日が来るなんて…。
もう何も考えられなかった。認められなかった。
 悲しさや虚しさを通り越え涙も出ない。苦しい、ひたすら苦しいだけ。
希望の支柱が完全に崩壊してしまった。
もう失くすものは何一つない、私は錯乱した。
もしあの時、手元に刃物があったら、衝動的に自らの心臓を突き刺していたこと
だろう。
 虚無感にさいなまれ、しばらく壊れた日々が続いた。
もう二度と見ることができない、出逢うことができない私の顔、
そんな思いを抱きながら生きるとは何なんだろうか、
そんなことばかり考えて暮らしていた。
 落ちるところまで落ちた。
だが、失意のどん底に陥っていた日々も、死ぬことさえできなかった
私は這い上がるしかなかった。
あがいてももがいても、もう鏡の中の私は見えやしない。出逢えはしない。
失望と絶望に浸る暮らしに、正直、疲れてしまっていた。飽きてしまっていた。
 現実は受け入れよう、あきらめよう、不本意だがそう思うしかなかった。
やがて、時薬が治癒してくれるだろう、そう思うしかなかった。
私の顔はもう、指で触って触れて、心で感じてイメージして、
もうその方法でしか確かめることしかできない。幻想でしか思い描くことしかで
きない。そう自身に言い聞かせていた。
 時が過ぎ、顔がなくなったことへのこだわりも薄れつつある一方、だが、その
半面、
ふと自身に問いかけることがある。今の私はどんな顔してるかって。
 教えてよ、鏡の中の私、歳を重ねてしわが増えた?しみも増えた?たるんでき
た?
まだイケてる?
 聞かせてよ、鏡の中の私、幸せそうな顔してる?満たされた顔してる?
それとも、苦しそうな顔してる?辛そうな顔してる?
 応えてよ!応えてよ!応えろよ!!って。
 わかってる。そんなこと問いかけたところで何も応えてくれないことぐらい。
だが、私はどこかあきらめきれない憤りを、鏡の中の私にぶつけているのかもし
れない。
形のない奇跡を望んでるだけかもしれない。
 今もなお、今日も朝洗顔時、また鏡の中の私に目をやる。
見えない、出逢えない顔を映す向こうに。
無駄なことしてるなんて重々わかっている。
だが、忘れられない、忘れたくない、たとえそれが10年前で記憶が止まってい
る顔でも。ずっと見ていたい、これからもずっと見続けたいから。
笑われてもいい、馬鹿にされてもいい、
誰が何て言おうと私は死ぬまでこの儀式を続けていくつもりだ。
「明日が来るのはもう怖くなくなった」
編集後記
 すっかり鏡の存在を意識しなくなったという声があります。
一方、必死に鏡の中の自分を見ている人がいます。
また、見えないけれど鏡を見るという声があります。
鏡はそこに映るものだけでなく、心を見る道具になることもあるようです。
私にとっての鏡って、どんな感じかな?、考えてみました。
鏡の上の電気を点ける、毎朝の自然な動作です。
そう言えば、一瞬何かを見ようとしている自分がいます。
そこには少しの痛みがあります。
あわただしさの中で流れていく感情です。
こんなふうに「ふと立ち止まること」、色鉛筆でまたいつか。
 -- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2022年11月25日
☆どうもありがとうございました。


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