メルマガ色鉛筆第281号「自分主催!わくドキ初ライブ!!」

タイトル 「自分主催!わくドキ初ライブ!!」
ペンネーム カラフルキャッツ(40代 女性 弱視)
レポートの要旨です。
 私は自分と健常者とを比べて落ち込むことがあります。
そんな中、自分に自信を持つにはこれしかない、
ビビびときたのが歌です。
そしてボイストレーニングをはじめました。
私歌っているんです。
そして、ライブもやりました。
 私が企画した、母に贈るライブです。
わくわくドキドキ、最高な時間のこと、お届けします。
ここから本文です。
 楽しい楽しいライブの話をする前に、
少し私自身についてお話しします。
 私は先天性の視覚障害でロービジョン、大学生までは両眼とも見えていましたが、
網膜剥離で左眼の視力がなくなり、現在の視力は右眼0.03となりました。
小学校入学時は今よりも視力があったこと、
当初はロービジョンということがあまり知られていなかったこともあり、
両親は迷うことなく私を地域の学校に入学させました。
父も母も、姉二人も健常者だったため、私は健常者に囲まれて育ちました。
 学年が上がるにつれて経験値や読み書きの速度などほとんどの面で、
同学年の子との差が広がっていきます。
私は当時から身体障害者手帳を持っていたので自分が障害者だということは
頭ではわかっていました。
でも、実際に見えることと見えにくいことの両方がありました。
それは自分の中にも、周りの対応の上でも、ごちゃごちゃで混乱していました。
見えているという点では周りの子とかわらない自分がどうして障害者といわれるのか、
自分は目が見えているのにどうしてこんなに差が広がっていくのか、
当時の教師の無理解も相まって、全く整理がついていなかったのでしょう。
障害者になりきれなかった当時の私は、みんなから遅れを取るたびに、
自分は無能だと思い知らされていました。
 両親に対しても反発がありました。
父親からの「できることは自分でやりなさい」という言葉と、
偏った障害者観を持った教師の「できないことは友達に頼みなさい」という言葉の間で
私は完全に混乱してしまいました。
だって、やろうと思えば、時間をかければ、
ほとんどのことはやれる視力があったんですもの。
当時の私はその混乱を言葉にすることさえできませんでした。
そんな私を心配する教師に母も同調していました。
母は私の気持ちを丁寧に聞いてくれることはありませんでした。
 そんな私が両親の下を離れて20年。障害者相談支援の仕事をする中で、
不器用であっても母なりの私への愛情を読み取ることができるようになりました。
母は今でも私のことを心配し続けています。
私が多くの仲間に支えられていることを母に伝えたくて、
ライブを企画しました。
ボイストレーニングを始めてわずか1年半。
自分でライブを企画し実行するには少し無理がありました。
しかし、このライブはどうしても今やらなければいけなかったのです。
母も年々歳をとります。
母が来れるうちに、母に見せたい聴かせたい、ただその一心でした。
 とはいえこれまでも特に音楽活動をしてきたわけではないので、
協力してくれる人をすぐに見つけられるわけではありません。
なので伴奏にはいろんな人の力を借りました。
ピアノは、私のオリジナル曲でもお世話になった方と夫に、
夫の伝手で知り合ったギターとウクレレユニットにもご協力いただきました。
それぞれの活動場所が離れていたので、全員そろっての練習は当日の午前中のみでした。
この厳しい条件の下、みんながこのライブの趣旨を理解し、協力してくださいました。
ライブの告知開始後、しばらくはなかなか思うように人が集まりませんでしたが、
当日は出演者を含めて総勢30名となり、客席もいい感じに埋まりました。
勿論母親も来てくれました。
オリジナル曲2曲を含め全10曲プラスアンコール1曲。
オリジナル曲1曲目は、
猫との生活を描いた猫の観察日記みたいな曲「ヒト心ネコ知らず」、
2曲目は、
弱視者として日々人の手を借りながら生活している中でふと、「健常者は人に助けてもらわなくていいのかな」と思ったことをそのまま歌詞にした「杖よりも」です。
「365日の紙飛行機」とアンコール曲、「上を向いて歩こう」では、夫もピアノを弾きました。
出演者・観客のみなさんが私を応援してくれていることを感じられたので、適度な緊張感を持ちながらも安心感を持って歌い切ることができました。
本当に、みなさんに感謝です。
特に5曲目の「ビューティフル」で客席から手拍子をもらえた時は、
スター気取りでノリノリでした。
ライブ後半には、サプライズで母へのハッピーバースデーとプレゼント。
母はびっくりしながらも、泣いて喜んでくれました。
ライブ終了後は、「パワーをもらった」「思いがつたわるライブやった」
「やる時はまた教えてほしい」と、嬉しい声をたくさんいただいて、
まさに夢のような一日でした。
 今回私がライブをやりたいとまで思えたもう一つの理由は、
今のボイトレの先生の存在があります。
ついつい健常者と自分を比較して落ち込んでしまう私が
「自分に自信を持つためにはこれしかない」と選んだのが歌うことでした。
なにせ、赤ちゃんだった私を寝かしつけようと子守唄を歌う母の背中で、
一緒に子守唄を歌っていたくらいですから、歌が好きなことに間違いはありません。
先生と私との出会いは、何かを構えることのないフラットなものでした。
私の折り畳み式の白杖を見た先生の第一声は「何それ?」でした。
先生はそれまで視覚障害者と深くかかわったことがなかったと思われます。
私に対する先生のかかわり方はとても自然でした。
「弱視の私」ではなく「歌うことを楽しみたい私」を見てくださっていると感じました。そのことがとてもうれしかったんです。
私は「私」を見てくれる人に出会えたんです。
そこから先生と私の時間ははじまりました。
だからと言って先生は私が視覚障害だということもきちんと意識してくださっていて、
普通は見たらわかるようなことを一生懸命言葉で説明してくださっています。
先生に出会えたことに感謝しつつ、これからも私、歌っていきます。
歌うこと、めっちゃ楽しいから。
編集後記
 自分に自信を持つにはこれしかない、それがはじまり。
カラフルキャッツさんのライブのエピソードには「楽しいぞ」があふれていました。
また、「夢のような」という言葉に晴れ渡る青空を感じました。
これって、もはや自信があるないを超えたアンサー、それがスマイルってことでしょうか。
好きなことができる、それってすごい力になるんですね。
しかもそれは自分にとっても、周りにとっても。
 -- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2022年10月28日
☆どうもありがとうございました。


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