メルマガ色鉛筆第274号「やもーだの小言」

タイトル 「やもーだの小言」
ペンネーム 保護色のやもーだ(30代 女性 弱視)
レポートの要旨です。
 疾患発症からの時間、
転居、結婚、出産、子育て、休職、復職、退職、
その時折に私も家族の状況も変化していきます。
複雑な気分を重ねながら歩き、ふりかえる今です。
ここから本文です。
 「あ―やばい、詰んだ」が、診断時の感想。
 30の時、羞明やドライアイ、仕事後の眼精疲労が気になりだした。
眼科での診断は網膜色素変性症、障害者手帳で5級相当だった。
「どーしよ、親に言えん」と思ったが、
家族の協力と理解が必要だと医師から言われ
言葉を選びながら両親に話した。
母は号泣、「こっちこそごめん」そんな気分で泣くに泣けなかった。  
 診断の翌日には婚約者と転勤先へ引っ越す予定だった。
彼にどんな顔して話せばいいんじゃろ。
結婚も考え直しやなと思いながら「目の難病で進行性なんやて、
先のことも考えんと」とだけ伝えた。
彼は「とりあえず引っ越そう」と言い、両親も私を送り出した。
「次の職場になんて言おう、ほんまこれからどーしよ」
流れに乗って、不安と絶望を抱えたまま転居した。
いくら調べても「難病、治らない、失明、遺伝、
根拠のない海外での治療経験の広告」ばかり。
うんざりしながら迎えた初出勤日。
転勤先の病院で、看護部長や看護師長に病名や症状を伝えた。
配属は経験が長い手術室。
診断後、良くも悪くも時間は流れてゆき、周りは意外と以前とあまり変わらない
感覚で、私に接した。
一緒に手術を担当する看護師には手術の打ち合わせの際、見えにくさや、
それに伴いフォローをしてもらいたいことを伝えた。
緑内障的な感じで。視野が欠けている、矯正視力が0.7くらい。
暗いところでは動けないことなどを伝えた。
難病というと気を使われそうだし、伝える必要性を感じなかったので言わなかっ
た。
診断前から何となく細かいものは見えにくい、
部屋を暗くする手術は見えにくさがあり、担当後の眼精疲労は割とあったけど、
その他は特に制限なく手術を担当していた。
職場では、難しいことがあったら言ってほしいと言われたが、
見えにくさについては伝え方が難しい。
「これくらいの視野や視力でこんなことが難しくなる」というような
明確なものさしもなかった。
自分でこの仕事内容はできる、できないの線引きをすることが大変だった。
症状が急激に変化するわけでもなく何でも担当できそうな気がしていたけど、
診断されたことで視覚障害を持つ自分が、
手術という急性期看護を行うことへの不安や葛藤が色濃くなった。
以前から気になっていた細かいものを扱う手術、
具体的には髪の毛より細い糸針や器具を扱う手術や、
部屋を暗くする手術の担当は外してもらえるよう伝えた。
頑張ればできそうなことをできないと言うことに違和感があった。
しかし、無理なくできる範囲が自分のできることだと思うようにした。
仕事中、目が悪そうに見えないので、目の病気のことを忘れられ、
細かいものを扱う手術や、
暗い部屋での手術の担当として割り振られることもあった。
その都度、説明するのは当然と思う反面、なかなか理解されにくいなと感じ、
申し訳なさと理解されにくい、もどかしさが混在した複雑な気分にもなった。
時間を経て冷静に考えれば、仕事のフォローをお願いしているのだから、
一度や二度言ったくらいで理解されないと思うのは、
あまりにも受け身で自分勝手なのではないかと思うようになった。
「自分は病気なのに…」という、病気であることの劣等感があったのかもしれ
ない。
あの頃の私には、まだ病気の受け入れができていなかったのだろう。
今だって受け入れられているわけではないけど、
あの頃よりはマシなのかもしれない。
 診断から2年位で手術室での器械出し業務の引退を考えるようになった。
きっかけは血管外科など、細かい糸針や器械を扱い、
急を要す手術を担当した後の眼精疲労が辛くなってきたこと、
院外から持ち込んだ清潔な器械を、
業者がポインターで指示しながら使用する手術で、
ポインターが指す先が見つけられないようになったことなど。
師長には「器械出しを全部やめてしまったらつまらんくならへんか?
できることはやったらいい」と言われた。
迷いに迷ったが、命をかけて、手術という治療に来られる患者さんに、
安全な医療を提供することを第一に考えると、
「仕事内容がつまる、つまらない」は、自分優先の考え方で、
患者のニードにはそぐわないという結論に至った。  
今までできていたこと、
これからも少し頑張ればできるであろうことをやめてしまうことは、
自分の病気の進行を認めるということでもあった。
実際、視野検査で暗点の範囲は広くなってきていた。
 気落ちもしたが、同時にもう無理して頑張る必要がないと思うようになった。
針刺しやカウントミスのリスク、
急を要する物品のやり取りでの過度な焦りや不具合などが格段に減り、
落ち着いた動作が増え、心に余裕が生まれた。
今まで気づけなかったことに気づくこともできた。  
 また、この頃から手術室勤務の先が見えてきた。
手術という枠を超え、自分にできることをやっていこうと思い始めた。 
 暗点が少しずつ増えた影響で、夜盲はひどくなり、人混みも苦手になってきた

第一子育休中に時間があったので、白杖のオリエンテーションを受け、
人混みや夜間に使い始めた。
また、障害者手帳取得は保育園利用時、
職場へ自分のことを伝える際のツールにもなった。
障害者手帳を持つことにより社会的不利益があるのではないだろうかと、
かつての私は気にしていた。
しかし、このときのわたしには手帳取得に対するネガティブな感情はなくなって
いた。
中心視野が狭いので2級だったことに驚いたけど。育休復帰前に面談し、
1日6時間の時短勤務で手術室復帰となった。
慣れるまでは術前後の訪問がメインで、手術前後の患者・家族のサポートや
看護の評価をしていた。
復帰後の生活にも慣れてきたが、復帰前より視野が狭くなっていたので、
器材や配線、清潔物品が沢山ある手術室内で看護することに不安があることから

手術を終えた患者を観察するリカバリールームを担当した。
一人ひとり違うエピソードを待ち、手術しこの場所にいる患者に
必要なことは何なのか考えてケアすること、また周手術期ではあるけれど、手術
室内とはまた違った看護を勉強し実践していくことは、
大変さもあったけど、新鮮味があって楽しかった。
しばらくして師長と相談し、手術は外回りで、機器が少ないもの、
意識下麻酔の手術を担当した。
担当できる範囲は狭くなったが、その中で充実した仕事ができた。
経験年数がそこそこある私は、後輩指導をすることもあった。
後輩指導は嫌いではないけれど、なんとなく私は、指導者として働くことよりも

スタッフとして働く中で得られる様々な経験に魅力を感じていたのかもしれない

時短で勤務していても、定時に帰れることは少なく忙しい日々を送っていた。
そして第2子目が生まれたが、次の復帰は悩んだ。
一回復帰した結果、充実感と多忙と両方を味わったからだ。
その間、視野狭窄が進んでしまったこと、
2人目の息子が予想以上にやんちゃなこと、
看護経験は自分で納得して区切りをつけたいという思いから、一旦退職した。
自分の五感で誰かをケアすることへの興味、理療への関心もあった。
さらに病気が進行して思ったことがある。
「今できることを、今。できれば無理なく」ということ。
私一人では到底そこへはたどり着けず、家族や、相談施設・
サロンで知り合った人たちから沢山の励ましや知恵をもらった。
その中には障害者年金の取得という選択もあった。
障害を抱える中で、次の就職を考えると、
現職に留まる方がいいのかと考えた時期もあった。
しかし、自身のライフスタイルの変化に合わせ働き方を変えること、
目の状況と向き合い必要な訓練やケア、支援を受けること、
そして、自分の職業選択の可能性を広げることも
「あり」じゃないかと考えるようになった。
それは自分を豊かにすることにつながるかもしれない、
そんな思いが生まれてきた。
これからも、いくつもの「詰んだ」に行く手を阻まれながら、そのたびに立ち止
まる。
先が見えないからこそ、手探りしていく不安があり、ほんの少しの期待も抱いて

★障害年金とは?
 障害年金は、病気やけがによって生活や仕事などが制限されるようになった場
合に、
現役世代の方も含めて受け取ることができる年金です。
障害年金には「障害基礎年金」「障害厚生年金」があり、
病気やけがで初めて医師の診療を受けたときに
国民年金に加入していた場合は「障害基礎年金」、
厚生年金に加入していた場合は「障害厚生年金」が請求できます。
なお、障害厚生年金に該当する状態よりも軽い障害が残ったときは、
障害手当金(一時金)を受け取ることができる制度があります。
また、障害年金を受け取るには、年金の納付状況などの条件が設けられています

詳しくは日本年金機構へ。
編集後記
 「詰んだ」とは、物事が立ち行かなくなり、
解決方法や救済方法などが見つからない状況を意味する言葉です。
昔から使われていますが、
最近は「テスト詰んだ」などと使われることもあるようです。
「詰んだ」とは「あ、もうダメだ」と嘆きが混じる表現です。
やもーださんの嘆きは、小言というタイトルからも感じられます。
これまでも色鉛筆のつながりの中で、ライターさん、読者の皆様、
一人ひとりのさまざまな嘆きや、小言を分かちあってきました。
同じ色は一つもない、たった一つの命から生まれた「詰んだ」、
色鉛筆でまたいつか。
 -- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2022年8月19日
☆どうもありがとうございました。


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