メルマガ色鉛筆第269号「障害は不便だけど不幸ではないって本当なの? その2」

タイトル 「障害は不便だけど不幸ではないって本当なの? その2」
メルマガ色鉛筆編集チーム
こんにちは。
メルマガ色鉛筆編集チームです。
5月に続き、「障害は不便だけど不幸ではないって本当なの?」というテーマで
、思うことを自由に書いてもらいました。
どちらかと言えば「基本前向きキャラ」のお二人のレポートをお届けします。
タイトル 障害は不便で不幸やで
ペンネーム 最後はポスト色(50代 女性 弱視)
 見えにくいことで、見えないことが理由であきらめるしかないこと、
そんなことは山ほどあった。
待ち合わせ場所は必ず自分から指定したし、10分前に行って待っていた。
「暗いところが苦手やから腕貸してね」と、初対面でも腕を組みにいってた。
段差から落ちたりすべったりしたら、「ちゃんとエスコートしてくれへんからや
ん」と先に自分からひっつきにいった。
そうすれば、相手のいやな声も顔も見なくてすむ、
だから無駄に積極的な性格だと想われていた。
オッパイが大きかったのも幸いしてか、
ひっつけばそれだけで安全とやさしさは確保できてた。
多少の誤解から面倒なことになったけれど、そんなことは気にもならなかった。
 絵を描くこと、デッサンならそこそこできたけれど、
色をのせるところからおかしくなった。
パレットで色を混ぜていくとイメージ通りの色もできれば、
余計な色が混じって想像の外側の色も生まれてくる。
こうなると、判断のつかないままの色で描くことになる。
結果、気持ち悪い絵になってしまう。
国語の本読みでは、カタカナの「チ」と「テ」の見間違えをしたことがある。
先生もクラスメイトも誰も指摘してくれなくて、
ずっとおかしな固有名詞を唱え続けていたのだ。
そのことを教えてくれた子が一人だけいた。
「まちがえてたなんてわからんかったわ、ありがとう」と笑顔で返したけど、そ
の場から飛び出していきたいほどつらかった。
 ダンスもバレーボールのラリーもいやだった。
テニスは見学したけれど、
大きなボールや人はまったく見えないわけではないからやるしかなかった。
同じグループやペアの子から「あんたと一緒だったら成績に響くからかなん」と
イライラされたり冷たく突き放された。
私はひたすら謝った。
球技のグループやペアの子に迷惑をかけたくなくて実技テストの日にわざと休む
ことが何度もあった。
「わざと休んだの」と聴いてくる子の目がヒリヒリと心に刺さって、さらに痛か
った。
試合ではわざと私に向けて攻撃のボールが飛んできた。
まぐれで打ち返せたりすると、「なんで」と冷ややかな言葉が飛んできた。
 教科書も黒板も、実験もまともに見えず、説明も問題もわからないままだった

高校3年の時、文芸評論のグループワークの課題図書だけは必死に読もうとした

近代文学の小説について考察を深めていく授業が楽しくて、せめてこれだけはが
んばりたかったけど、物語一つ完読できなかった。
狭い視野ゆえにマークシートのチェックのずれは頻発した。
 今は勉強手段もいろいろあって、私が感じた不便や悲しみも軽減できる時代か
もしれない。
でも、今自分がもう一度学生から人生をやりなおすとしたらどうだろう。
どこかいつも自分だけがちがうという心の壁は、あの頃と同じではあるまいか。
工夫がいらないグループではない自分は、やっぱりどこにいても何をしても、孤
独なんだと想う。
想うと書くのは、今の時代性、今の学生の肌感覚はわからないからだ。
自分で自分が面倒なんだから、まわりはもっと面倒に感じるのではないだろうか

私が学生だった頃よりは差別や偏見は薄れてきたかもしれないが、これからもそ
うした感覚がゼロになることはないだろう。
 見えてさえいればと想うことは今も山ほどあり、
それは見えない事実そのものにあるのではなく、
そこから生まれる不都合や、それによる悲しみの中にある。
見える人が私に言う。
「それは見えてても同じよ」と。
私は「そうやね」と返す。
でも、本当は「ちがうよ」と心でささやいている。
同じではないことが何か、同じことが何か、
その判断も見える世界の内にある、そういう事態もあるよねと。
そして、私は毎日「見えてさえいたら」と想って暮らしている。
不便を克服するツールも手にし、見えないからできないと想うことも減って、自
己実現もいくらかでき、私をあたたかく支えてくれるつながりもたくさんあるの
に、悲しみは日々生まれ続ける、これからも生まれ続けるだろう。
 「障害は不便ではあるが不幸ではない」、それって本当なの?、そう問われた
ら、私は間髪入れず笑顔で返す。
「そんなわけないでしょ」と。
「不便だし不幸だよ、それはまちがいなくそうだよ」と。
人間、みじめで情けなくて、哀しくて、辛くて、悔しくて、だからこそ、笑いも
表現もにじみ出てくる。
それが私で、私のあるがままだ。
おもろくて切ない言葉の数々に心ふるわせながら、きっと明日を迎え続けるだろ
う。
「不便で不幸やで」を強く言い切るのも、それが自分への癒しになるからかもし
れない。
テクノロジーは人を支え可能性をひろげる。
障害ゆえのギフトに光があることを日々感じながら、私は馬鹿が100つく勢い
で、「障害は不便で不幸やで」と唱えていく。
それでもどうにか生きてる、その事実だけを、
その有様だけを分かち合うことが与えられた使命だと信じて。
ー-
タイトル 幸せスタンダード、ほんのちょっとだけもありで
ペンネーム ちょっとだけブルー(70代 女性 弱視)
 少しずつ目が見えにくくなり、いつも心の片隅に不安が陰を落としていた。
文字を失い、夜の外出を諦め、少しずついろんなものを失っていった。
この先、私の人生どうなっていくんだろうと、暗い気持ちになった。
京都ライトハウス鳥居寮で訓練を受けるまではそう思っていた。
たくさんの仲間との出会いがあり、見えなくても結構なんでもできることを知っ
た。
失ったものもいろいろあったけど、見えなくなったからこそ得た大切なものもた
くさんある。
あれから10年、今、私は家の中で自由に動き回り、料理や掃除洗濯もこなす。
もちろん、失敗もしょっちゅうだし、柱におでこをぶつけていたい目に遭うこと
もある。
買い物に出かけて迷子になったりもする。
でもこれが私のスタンダード。
結構楽しく毎日普通に暮らしている。
見えなくなったからこそ出会えた仲間たち、趣味や大切なものたち、
私の周りには宝物がいっぱいある。
「幸せですか?」と聞かれたら私は迷わず「幸せです」と答える。
 でも、ほんのちょっとだけ思う。
真夏の青い空と瑠璃色の海、新緑の森のきらめきに、もう一度会いたい。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ会いたい、もう一度。
編集後記
 同じ1篇の文章も、読む人によって受け止め方はちがいます。
みなさんは今回の2つのレポートを、どのように受け止めましたか。
私は泣きました。
 最後はポスト色さんにはたずねてみたい、「生きててよかったと感じるのはど
んなとき?」と。
つらかったことをみんな吹っ飛ばすくらいのこと、ときどきあるんじゃないかと
思います。
 ちょっとだけブルーさんには眠りの中、きれいな風景の夢を見せてあげたいも
のです。
目覚めたときに夢だと気づいても、笑みがこぼれるような。
 -- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2022年6月24日
☆どうもありがとうございました。


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