メルマガ色鉛筆第251号「十色の研究その5 青い空はポケットさ」
タイトル: 「十色の研究その5 青い空はポケットさ」
ペンネーム: カラフル幕府(40代 男性 光覚)
レポートの要旨です。
神様から配られた色々なトランプのカード。視覚障害もそのうちの一枚である。このカードのせいで苦労することもある一方、
このカードのおかげでこうしてメルマガ色鉛筆と巡り会えたりもしているから、
本当に人生というものはわからない。
ところで今回のタイトルを見て、往年のドラえもんの歌の曲名だとわかった人はどれくらいいるだろうか。
今回は僕の人生に配られたかけがえのないカード、
22世紀から来たネコ型ロボットについて書いてみたい。
これはそんな雑記まがいの自己研究レポートである。
ここから本文です。
小学生の頃から一番読んでいた漫画はドラえもんだった。
基本は短編のギャグ漫画だが、
様々な夢を叶えてくれる未来のひみつ道具という設定は
色とりどりのストーリーを生み出した。
テレビアニメからついには劇場アニメとなり、今や毎年春の風物詩となった。
その記念すべき第1作『のび太の恐竜』が公開されたのが1980年、
僕の生まれた年でもあり、
我が人生はドラえもん映画と共に歩んできたといっても過言ではない。
ビデオテープが擦り切れるほど何度も何度も見返し、
中学生になってからは毎年友人と映画館に行くのが恒例行事であった。
大学の部活を引退した時はドラえもんのぬいぐるみをプレゼントしてもらい、
それは今も僕の部屋に座っている。
ドラえもんの魅力を語り出すと止まらなくなるので、
今回は映画シリーズについての考察を一つ。
藤子・F・不二雄先生は第18作の執筆途中でご逝去なさったので、
先生が原作と脚本を担当されたのは
1996年公開の第17作『のび太と銀河超特急』までになる。
それ以降もずっと好きで見てはいるのだが、
どこか物足りなさを拭えない自分がいた。
そして何度も見ているうちにその理由がわかってきた。
ドラえもん映画のストーリーといえば、序盤はひみつ道具を使ってのび太たちがいつもと違う世界へ遊びに行く、そこで事件に巻き込まれる、
そしてその世界を救うために敵と闘う…という展開が多い。
これは最近の作品も変わらないのだが、ただ藤子F先生が描いておられた頃は、
その冒険が「たまたま巻き込まれたもの」から
「自分で選んだもの」に切り替わる場面がしっかり挿入されているのだ。
例えば第1作『のび太の恐竜』では、
太古の時代へ遊びに行ってタイムマシンの故障で帰れなくなり、
恐竜ハンターからつけ狙われる。
敵の男から安全に未来へ送り届けてあげようと提案されるのだが、
のび太たちはそれを断わって自力で帰る道を選択する。
第3作『のび太の大魔境』では、アフリカ奥地へ遊びに行くが
どこでもドアが壊れて帰れなくなり、犬の王国の争いに巻き込まれる。
敵に囲まれた時、王子から日本へ脱出するルートを教えられるのだが、
のび太たちは王子と一緒に闘うことを決意して再び戦火の中へ飛び込んでいく。
第5作『のび太の魔界大冒険』では、魔法世界へ遊びに行ったら
もしもボックスを失くして帰れなくなり、悪魔との闘いに巻き込まれる。
ドラミちゃんが新しいもしもボックスを用意してくれるのだが、
のび太たちは魔法世界を見捨てられず再び魔界へ戻っていく。
それ以外にも多くの作品で、
のび太たちには冒険の途中で日常へ戻れるチャンスが与えられている。
そこで闘いをやめても自分たちの生活には特に影響はない。
それでものび太たちは逡巡の末、今度は自分の意思で冒険に飛び込んでいくのだ。
これが重要。同じ冒険をするにしても、やるしかないからしょうがなく闘うのと、自分から能動的に闘うのとでは意味が全く異なる。
のび太たちの勇気が着火して、「巻き込まれた冒険」から
「自分で選んだ冒険」に変わる瞬間が僕は大好きだ。
ではここでようやくメルマガ色鉛筆らしい話題に接続。
つまり、僕らの持つ視覚障害においても、
自分で選んだ冒険にできるかどうかが大切だということ。
視覚障害はなりたくてなったわけではないので、
巻き込まれた冒険なのは間違いない。
目が見える生活に戻れるチャンスが与えられるわけでもない。
それでも、引きずり込まれるのと飛び込むのとは違う。
背負わされるのと抱きしめるのとは違う。
視覚障害者として生きるしかないのと、
胸を張って視覚障害者として生きるのとでは全く意味が違うのだ。
もしあなたが目が悪くなった後の人生に物足りなさを感じているのなら、
それは自分で選んだ冒険になっていないからかもしれない。
立ち止まってもいい、一時安全な場所に避難してもいい。
でももし勇気に着火できたなら、これから先はぜひとも能動的に闘ってほしい。
なんてね、偉そうに書いている僕もしょっちゅう怖じ気づく。
出勤する時の玄関のドアがやけに重たい朝がたくさんある。
それでもそこに座っているドラえもんを撫でれば、ちょっぴり勇気に火が着くのだ。
もちろん自分一人だけで頑張ることもない。
弱虫ののび太が強くなれるのは仲間がいるから。
メルマガ色鉛筆にもたくさんの仲間がいる。
みんながほんの小さな勇気を着火するだけで、
それを合わせればきっと未来を明るく照らす炎にだってなれるのだ。
先ほども触れた第3作『のび太の大魔境』で、
王子を追って最初に戦火へ引き返すのはジャイアン。
呼び止めようとしたのび太とドラえもんも、うなずき合ってゆっくり後に続く。
すると今度はそんな二人を見守るようにしずかちゃんが歩き出す。
そして最後の最後、
ずっと背中を向けてうずくまっていたスネ夫も追いかけてくるのだ。
このシーン、映画では音声は全てカットされ、
挿入歌と爆音だけで見せるという演出がとられている。
まさにみんなの勇気が合わさった名場面。画面が見えなくなった今でも、
まぶたの裏のスクリーンでは絶賛リバイバル中である。
「目が悪くなってどうしたらいいかわからないよ、ドラえもん」
「大丈夫だよのび太くん。はい、『見えない地球の暮らし方』!」
編集後記
自分にとってのドラえもん、のび太くん、
そして、自分のポケットから出せそうなひみつ道具のことを考えてみました。
メルマガ色鉛筆が、書籍『見えない地球の暮らし方』が、
皆さんの存在そのものが、
もしかしたら誰かにとってのひみつ道具、ドラえもんなのかもしれません。
レポートのラストシーンから、そんなメッセージを受け取りました。
カラフル幕府さんの上には青い空、
みんなの上にも青い空、
しあわせつつむポケットがみつかりますように。
しあわせつつむポケットになれますように。
色鉛筆は今日も口笛吹いて歩いていきます。
2021年もメルマガ色鉛筆を応援していただき、ありがとうございました。
来年もどうかよろしくお願いします。
-- このメールの内容は以上です。
発行: 京都府視覚障害者協会
発行日: 2021年12月24日
☆どうもありがとうございました。