メルマガ色鉛筆第250号「いざその状況になってみて」

タイトル 「いざその状況になってみて」
ペンネーム パパは虹色スマイル(30代 男性 弱視)
レポートの要旨です。
 小学校の頃から夜盲症はあった。
祖父、父、叔父と私が網膜色素変性症で幼心に自分も同じ病気なんだろうなと思いな
がら過ごしてきた。
高校生の時、コンタクトレンズ作成のために受診した眼科で確定診断を受けた。
治療法はない、失明の可能性もあると告げられたが、視野障害もなく車の運転免許も
取得できた。
いきなり病気や事故で失明する方もいるのだから、予告されているのだから、心の準
備をする時間があるのだから、そう言い聞かせてきた。
とは言え、いざ手帳取得、その時を迎えてからの今まで、あるがままを語ります。
ここから本文です。
 30歳を超えて視野狭窄の自覚症状が強くなり、35歳で障がい者手帳2級を取得
した。
病気を自覚して30年間この病気と付き合ってきたつもりだった。
障がい者手帳に該当するまで進行してきたことを、2年経った今も受け入れられてい
ない。
進行したということはこれからもっと見えなくなっていくということだ。
これからを考えると余計に受け入れられない。
いつしか、私はこの病気を無理矢理受け入れる必要はないのではないかと考えるよう
になった。
受け入れなくてもできることや楽しいことはいっぱいある。
楽しいことばかりだと良いが、綺麗事だけでは語れない部分もある。
私の病気が進行し車の運転を辞めたり段々できなくなっていくことが増えていく中で
、父親が責任を感じだした。
「産まなければ良かったかもしれない」と口にしたのを耳にしてしまった。
私にも息子がいるから、親心が分からなくはない。
それでもやっぱり悲しかった。
いくら親子でも言って良いことと悪いことがあるじゃないか。
少なくとも私は息子にそんな言葉は絶対に掛けない。
それを言われた時に、私、妻、娘、息子含めて全てを否定された気持ちになった。
えっ私は産まれて来なかった方が良かったの。
親は私にいっぱい愛情をそそいでくれた。
それなのに、あんな言葉を父親は口にした。
父親をそんな思いにさせるほど、この病気は根が深いのか。
親がいるからこそ、私がいるという意味では感謝している。
おかげさまで、私自身素敵な家族にも恵まれ、妻にも子どもにも、こんな私との結婚
を認めて頂いた妻のご両親にも感謝している。
 一人になるとどうしても思考がネガティブな方向に流れてしまう。
そうならないように横のつながりを求めて動きだした。
同じ病気の方から、恋愛をしない方が良いのではないか、パートナーや相手のご両親
にこの病気を伝える勇気がないという言葉が聴かれる。
病気があってもなくても恋愛って好きな人と一緒にデートしたり、生活したいと思う
自然な感情なのだと思う。
妻と付き合ってすぐにはこの病気であることを言わずにお付き合いしていた。
でも結婚を意識する中でこの病気を伝え、妻はそれでも良いと言ってくれた。
子どもに遺伝する可能性も知った上で、子どもを産むという選択を二人でした。
三人目がこの病気になるかもしれない、それでも産みたい、と言ってくれる妻に出会
えたことに感謝している。
 しかし最近は家族の絆の中でいろいろな良いこと、悩みが出てくることを実感して
いる。
覚悟を決めて結婚してくれた妻が最近パニック障害を発症してしまったのだ。
その原因ははっきりとはわからない。
私が運転できなくなり、妻が運転することになった。
妻にしてみれば、死ぬまで自分が運転しなきゃならないのかという思い、将来の生活
への不安もあるのだと思う。
たかが運転ではない。
運転を必要とする用事や役割を妻がすべて背負うことになったのだ。
妻は陸で息ができなくなり、おぼれるという表現をする。
ご飯も食べれない生活が続き、見る見るうちに痩せていく。
そんな妻を前に私は無力だ。
ただただ申し訳ない気持ちになる。
この病気でさえなかったら、どうにもならないことを常に考えてしまう。
日常の、現実のなんやかんやはとまることなく起きる。
起きるものの中に運転が必要なことも多いだけに、障がいを受け入れるということは
簡単なものではない。
 子育ては夫婦で話し合って考えていくことが大事だ。
悩む中では当事者目線で息子を見てしまうこともある。
子育ては夫婦で、それは障害があるとかないとか関係のないことだとはわかっている

それでも息子が自分と同じ病気かもしれないという立場はぬぐえない。
そんな中、妻から言われて救われた言葉がある。
障がいがあっても、なくても生きているだけで良いんよ。
自分も苦しんでいる中で私にかけてくれた言葉だった。
私に言っているのと同時に妻自身が自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
6歳になる息子にも既に夜盲と羞明の症状が出ている。
視力も矯正して1.0に達するかどうかの状況だが、網膜色素変性症の確定診断はま
だ付いていない。
治療方法がない中でそんなに早く確定診断する必要あるの?と妻は言う。
父親と同じ疾患ではないと信じたい、妻の思いは痛いほどわかる。
本人への告知も含めて、妻とゆっくりと相談を重ねている。
 家族でお出かけの時、歩く速度がどうしても遅くなってしまう私の手を引いてくれ
るのは息子だ。
息子はスタスタ歩く。
だから、私はかなり引っ張られるような歩き方になる。
頼もしい息子の手に愛おしさを感じる。
そんな何気ない幸せを感じさせてくれるのも子ども達がいるおかげだ。
私はこの子供たちがいてくれて良かったと心から思う。
もし息子がこの病気だったとしても、息子にとって過ごしやすい環境を作り、何気な
い幸せを積み重ねて、この家族で過ごせたことが一番幸せだったなと感じられるよう
にこれから1歩1歩ゆっくりと歩んで行きたい。
これからも綺麗事ではないことがきっとたくさん起きるだろう。
私はなんでこんな辛い思いをしないといけないのかと、何度ももがくだろう。
それでもこの病気になった意味を死ぬまで探しながら生きていくだろう。
苦労した人が一番幸せになれる、これは背負っているものを全ておろさせてくれるよ
うな言葉、私が一番好きな励ましの言葉だ。
妻にも子どもたちにもこれからの自分にもこの言葉を届け続けていきたい。
編集後記
 子供の頃から見えにくかったけれど、何ら特別な支援もなくやってきたという方も
多くおられます。
今回の虹色スマイルさんもそのおひとりです。
いつかは見えなくなるかもしれないという漠然とした不安と重苦しさはいつも胸の内
にあったことでしょう。
そして、「いよいよ」という言葉がどしんと全身に乗っかりました。
さらに自分だけじゃないしんどいことが家族の中に起きて、「それどころでなくて」
という状況まで生まれました。
この状況は想定外のものも含んでいました。
同時に家族みんなのエールワードも生まれました。
家族の応援団長はパパさん、パパの笑顔が虹色のかけはしとなって「いざその時」に
きついけど悪くない何かが生まれるといいですね。
 -- このメールの内容は以上です。
発行:   京都府視覚障害者協会
発行日:  2021年12月10日
☆どうもありがとうございました。


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